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 そんな話をしている間に大邱の韓道旅館に着きました。荷物を置いて、近くの食堂で用意してくれている食事にみんなで出かけました。
 大韓ホッケー協会の張会長、慶北ホッケー協会の徐会長等大会のお世話を頂く方々の心づくしの夕食をご馳走になりながら、明日の打ち合わせを致しました。
 またその食事のメンバーの中に、韓元福さんという藁科義清県議がかつて、若かりし日に韓国国民学校の青年教師として教壇に立っておられたころの教え子の方が友達を連れて来ていました。
 出発の際、藁料先生から「実は前にも話したことがある私の韓国の教え子に、昨晩電話をしておいた。ホッケー大会が行われることも、日本の高校が来ることもすでに知っておったが、宿舎にあなたを訪ねるように話しておいた。日本語も電話の最初のうちはややこしかったがだんだんはっきりして、終わり頃は、よく分かった。会ったらよろしく」とのことでした。
 その韓元福さんが、今私の目の前におられる。四十年という歳月の流れ、それは、平和と友愛のうちに流れた四十年ではなく、恐らく、重苦しい複雑な思いの星霜であったことでしょう。しかし、海を超え、時代を超え、境遇は異なっても、そこに変わらぬ恩師と教え子の信抑のきずなが、あらゆる障害を乗り越えて、なおしっかりと存在することを私に教えてくれた一瞬でした。韓さんの目をふれば分かります。態度を見れば分かります。ポケットから紙を取り出して、読みはじめてくれました。
「長い間使わなかった日本語です。ご挨拶を申し上げるのに、もし敬語等の使い方に誤りがあって、失礼をしてはいけないと思い原稿に書いて来ました」と言って、次のような挨拶をしてくれました。
 『遠い旅路で皆様ご苦労さまでした。皆さまは韓日友好の役目で韓国の大邱へ来て下さいまして、ホッケー大会に参加される栄光の機会にお目にかかれてとてもうれしく思います。
 私は貴国和歌山県議会議員藁科義清先生が今より、四十三年前、北韓国で国民学校先生をされていた当時の弟子「韓元福」です。遠く時代は流れましたけれど、国民学校当時の純情な真実の心は、四十年余りの年月が過ぎた今でも恩師のお蔭様であるということを忘れたことがございません。国家と民族は違っても師弟の間の崇高なる情は永遠不朽のものです。
 人生、たそがれの六十に近い私ですが、貴国の恩師藁科先生が此の世を離れられる時まで、私の心から忘れることが出来ません。
 皆さまはこの度、韓国の高等学校との親善試合において最善の努力されるようお祈りします。そうして隣の韓国に対して、いつまでも善隣友好の情をお願いします。皆さまのご健勝をお祈りします。』
 と、いう意味の原稿を手に挨拶して下さいました。
 韓元福さんのお気持ちを日本人のひとりとして大変うれしく思いました。同時に、韓さんも立派な方ですが、青年教師の時代に、一人の教え子にこれだけの印象を刻みつけた藁科義清先生に、あらためて敬意を表した次第であります。
 韓さんは、現在、大韓地籍公社の慶尚北道支社の業務次長をされているとのことで、十二歳の頃、藁科先生に教えて頂いたということでした。
 国と国とがどうあろうとも、人と人、恩師と子弟の素晴らしい絆なに、大きな感動を覚えたものでした。

 

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