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一行は、MBC放送のマイクロバスで、達城高校の見学に出かけました。
 達城高校は、グラウンドから約十分程走ったところにある大邱の地元の高校でした。教育長に就任する前まで、校長をしておったと言われる金龍甲氏も一緒に案内してくれることになりました。
 はじめに校長室に案内頂き、朴校長の歓迎を受けて、学校内容についてお話を伺いました。生徒数は二千六百名のマンモス校ですが、大邱地方切っての進学校で全員進学するそうで、韓国では日本の東大に当たるソウル大学に三十数名人って一番で合格した人も、やはり、本校の一番の生徒だったと校長先生は胸を張って話してくれました。生徒ホールのようなところにホッケー部の選手と、御坊商工の選手が、互いに向かい合って座って待ってくれていました。
 「大邱はリンゴの里で、リンゴを用意したから喰べて下さい」とジュースやケーキも山盛りに準備して、選手たちを迎えてくれました。校長先生の丁重な歓迎のあいさつに続いて、私からも、学校の先生方と選手の皆さんにお礼を述べました。
 学校からは記念のペナントが贈られ、記念撮影等をやっているうちに、だんだん選手達もお互いに手まねや片言の英語で話し合いが出来るようになって来ました。むつかしいことは通訳の山本さんに助けてもらって、会話が続きました。お互に同じ世代であり、隣国であり、民族の歴史は誰が何と言っても顔に書いているという感じで選手たちはユニホームを変えれば分からない位そっくりな頗をしています。達城高校の一番背の高い選手と、御坊商工の一番背の高い原君と並んで高さ比べをしたり、お互いに持っているコインの交換がはじまったり、思いがけない楽しい場となりました。
 達城の校長先生からは「よかったら、御坊商工と姉妹校になってはどうか」という申し出を頂きました。
 「早速帰って、関係者にそのことを伝えます」と話して来ました。
 崔校監(教頭先生)をはじめ、ホッケー部の先生がみんな、その席に出席してくれていろいろ親切に説明してくれました。日本の学校とほとんど変わらない学校の様子ですが、一歩校庭に出ると、兵隊さんが、朝礼台の上に立って、生徒が整列して、軍事教練を受けているのに出喰わしました。
 戦時中の日本の学校と同じようにやっているのです。
 はじめて釜山の空港に着いた時、そしてこの達城高校であらためて、戦時体制の韓国を訪れている実感が沸いて来ました。三十八度線を境に同じ国民が、抜き差しならない対決が続いている現状は、人々の言葉の端々に、何とも言えない緊張を感じるのでした。先生方やホッケー部の皆さんに見送られ別れを惜しみつつ選手たちはバスに乗って宿舎に向かいました。
 我々を乗せたジープは、住宅街を走って程なく金教育長のお宅の前に止まりました。居間に通され、いかにも品のよさそうな、教育長の奥さんらしいご婦人がにこやかに迎えてくれました。タンスの上に飾ってある一枚の家族写真を私たちに見せて、この長男が今大学を出て、三十八度線の戦線へ参加しています。勇敢に任務を果してくれると思っていますとキッパリと言われました。親子です。我が子の無事を朝夕祈っているに違いありません。しかし女々しいことは言わずに、立派に任務を果してくれるであろうと言い切る金教育長の姿に、自らの国を自らの手で守ろうとする意気込みを感じた次第です。
(この視察レポートは、昭和五十五年五月紀州新聞に掲載されたものに加筆、資料を添付したものです。)

 

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