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二、阪神・淡路大震災の対応

@大震災と「明日の内閣」の初動

A災害復旧・復興の道

@大震災と「明日の内閣」の初動

 阪神・淡路の地震が起きた午前五時四十六分、丁度私は大阪の東洋ホテルで、新幹線の一番電車に乗ろうとして、十二階からエレベーターに乗る寸前でした。エレベーターが下から上がってきたのですが、途中で階段表示盤のランプが消えたのと同時に地震になり、エレベーターホールの植木鉢だとか、かなり背の高い煙草の吸い殻入れとかがひっくり返ったり転がったりする様子を見て、これはたいへんなことになったと直感しました。
 とっさに私は、むしろ状況調査のために直ちに現地に赴いたほうがいいかなとも考えましたが、丁度その日、私どもの「明日の内閣」、いわゆる政権準備委員会の閣議を開く日になっていましたし、私一人が現地へ飛んでいったところで、何ほどのこともできるわけでもありませんので、やはりまず東京の新進党の同志にこのことを伝え、共に対応を協議することが重要であると思い、取り急ぎタクシーを拾って、新大阪へ走りました。しかし、新大阪に着くと新幹線は不通になっており、さらに伊丹空港にかけつけました。伊丹から羽田に飛び、モノレールを乗り継いで、国会に到着したのが九時ちょっと過ぎでした。
 「明日の内閣」の閣議はすでに開かれており、新進党は直ちに現地に調査団を出そうということになりました。我々は現在は野党ですから、当然航空機材等も持ち合わせていません。仕方がないので、一番早い便としてまず岡山空港へ向かい、そこからあらかじめチャーターしておいた民山間のへリコプターで現地へ向かうことにしました。井上喜一代議士、土田龍司代議士、東順次代議士、新進党広報企画委員会の鈴木カメラマンらが同行してくれました。また江田五月代議士が地元岡山市の消防団から、防災服や長靴等を借りて、岡山空港に用意しておいてくれました。
 私たち一行が現地の上空に到達したのが午後三時二十分頃で、まだその頃は報道関係のヘリコプターが何機かその周辺を回っている程度で、自衛隊の姿などはほとんど見かけませんでした。眼下ではあちこちに火災が発生していて、誰の説明も案内もなくても、すぐにここが災害現場だということが分かりました。高速道路がひっくり返る、あるいは鉄道がX字型に折れてしまう、新幹線や列車などはどこにも走っている影も見えない。都市全体が機能を停止している、そういう状況が上空から察知することができました。
 幸い私が持っていました携帯電話で、東京の本部の西岡総合調整担当につながり、状況をそのまま伝えることができました。アメリカから成田に到着したばかりの小沢幹事長にもヘリコプターの上から自動車電話につながりました。上空からの光景、ビルと言わず住宅と言わずすべてが炎上している悲惨な状況を報告しました。小沢幹事長は、「僕がこれから現地に向かえばいいか」と言われました。私は「今から幹事長が来られてもすぐ夜になるし、新聞記者も沢山来られて大騒ぎになるので、今夜私が東京に戻るまで待っていてもらいたい」と告げました。幹事長はこれを了承され、現地からの連絡を東京で待つことになりました。
 私がここで残念でならないことは、朝大阪にいて、一度東京へ戻り、東京から岡山に飛んで、さらに岡山から折り返してやってきた野党の議員のほうが、政府の対応よりも早かったということです。いかに政府の初動の遅れや、判断の誤りや、混乱があったかを物語るものであって、これはいくら言葉を費やしても弁明できる余地はありません。
 私たちは空からの調査のあと、小池百合子代議士の手配で、伊丹空港から車で神戸市役所に向かうことになっていました。午前中すでに国土・交通副担当の前田武志代議士とも連絡を取り、奈良から大阪に出て、近畿地方建設局と近畿運輸局に出向いて状況を把握したあと、神戸市役所に集結することになっていたのです。政策審議会長で豊中市が自宅の中野寛成代議士とも神戸市役所で会うことにしていました。また淡路島出身の宮本一三代議士はすでに市役所に到着していました。
 しかしながら、夕方の五時頃でしたが、神戸へと向かう道は大渋滞で、車は前にも進めず、後ろにも戻れないような状態になりました。救急車も警察の車も、この混雑では同じように全く身動きがとれません。この時、災害発生後十二時間をすでに経過しようとしていたのですから、総理が自らの責任で、災害対策基本法に基づいて、「緊急災害対策本部」を設置して、指揮命令系統を一本に絞り、果敢な対応をしていれば、交通規則に関しては国家公安委員会に命令できたはずです。国家公安委員会が災害の当日もその翌日も開かれず、やっと開かれたのは定例の委員会の一月二十日の日であったという事実は、驚くべき責任感の欠如と言わざるを得ません。非常事態に対応する日頃の訓練がなされていたら、もう少し臨機応変に対策を講ずることができたはずですが、上がしっかりしなければ、下は動かないのではなくて動けないのです。

A災害復旧・復興の道

 災害発生以来、一月二十日の臨時国会の本会議における新進党を代表しての緊急質問を皮切りに、災害復旧について政府がとるべき措置について、今日まで、私自身、予算委員会、災害対策特別委員会等で、五回にわたって質問を行ってきました。新進党の「明日の内閣」及び党政策審議会の合同で合計十回にわたって政府に提言、申し入れなどを行いました。
 政府当局も、やれるものはどんどん対処していこうということで、被災地の兵庫県神戸市をはじめ、各市町もずいぶん頑張って、それ相当の成果を挙げました。法律も十六本の特別措置法を国会で通し、予算も二兆七千五百億円を超える二次補正予算を認めたところです。特に「阪神・淡路大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」は、支援を受ける兵庫県や神戸市等を、査定を待つことなく対象団体に指定し、復旧事業の補助率を最大八割とし、公共事業なども対象とする、被災者の貸し付けや保険等の軽減を図ったものです。
 新幹線の復旧にしても、あるいは電気、ガス、水道のライフラインの復旧にしても、まさに第一線の皆さんは命懸けで国民の期待に応えるべく頑張って頂いているということを、私も高く評価しています。自衛隊の皆さんと消防の皆さんの現地での活動等に対し、地域住民の方々がどれほど感謝し、評価しているか。自衛隊引き揚げの際に、あのような感動のシーンがしばしば見られたことでも分かります。例えば神戸市役所の前に、誰が貼ったか分かりませんが、「自衛隊の皆様ありがとう」と書いたビラが貼られているのを見かけましたが、しばらく後にその前を通った時にもう一度見てみると、やっぱりその同じビラがまだ貼られていました。これは皆がそのことを認めてくれている証拠ではないでしょうか。
 しかし、私が言いたいのは、阪神・淡路地域の本来の意味での復興ということであり、別の言い方をすれば、阪神経済圏、関西経済圏が生まれ変わるようなプランニングを行い、日本経済全体におけるポテンシャルを、今回の地震をきっかけに、いかに高めていくかということです。勿論、ガレキの処理、避難所の生活をどうするのか、仮設住宅をいくつ作るのか、神戸港の復旧をどうするのか、これらの問題だけでも大変なことで、時間もかかるし、住民の協力も必要です。
 しかしこれに加えて、新しい神戸や阪神をどうつくっていくかということも極めて重要なことだと考えます。一例として、わが国最大のコンテナ基地である神戸港や、空港の機能を考えてみましょう。
 神戸港の復興にどのようにして速やかに対応していくか。これは日本を代表する港湾でもあり、日本経済に少なからぬ影響を与える港ですから、その復興は世界に向かって、関西はもう災害から立ち直りましたよというシグナルになるわけです。
 そういう意味で、この神戸港の復興というものは、非常に重大だと感じています。しかし、それらのことが仮に完成することができたとしても、これは元に戻ったというだけのことです。あのような十兆円を越すような被害、五千五百人を越す尊い生命を失ったという大災害に対して、神戸がよみがえった都市として、あるいは兵庫が改めて大きく羽ばたける県として将来への道筋が明確になったということを内外に鮮烈に示すには、さらに将来展望へと一歩踏み込んだ復興・再建計画が必要になります。たまたま災害の以前から、それぞれの地域で、地域開発プランとして進められていた計画がありましたが、今回の災害により、その経験を踏まえた上で、「神戸復興計画」「兵庫フェニックス計画」という二本立ての計画として、現在、地元で研究、研鑚を重ねられています。
 私が申し上げたいのは、このような「神戸復興計画」や「兵庫フェニックス計画」は、いわば後藤新平の計画と同じようなものだということです。同じようなものというのは、スケールのことだけを言うのではなくて、このようなことを為し遂げることによって、あのような災害を再びもたらすことのないようにするとともに、このようなスケールの大きい計画を作成し、実行に移していくことによって、打ちひしがれた兵庫県や神戸の皆さんに対しても、夢を持って頂ける、希望を抱いて頂ける、そういう意味で心の底から勇気が湧いてくるような対応を政府はしていかなければならないと考えるからです。そのためには、神戸空港の計画もありますが、地震があったからということで、その計画から退却してしまうのではなく、地震があったからこそ、国際都市神戸に空港が必要だということを今日まで叫び続けてきた神戸市民、兵庫県民の声に応えて、この際、神戸空港の建設はしっかりした足取りでやっていくべきだと思います。同時に関西空港の全体構想のことも言われていますが、こんな時にこそ、関西空港の全体構想に火をつけることによって、当然、神戸市を含む関西経済圏の立ち上がりに関空を大いに役立たせるべきだと思います。この辺についても、政府が口先で協力を言うだけではなく、しっかりした支えが必要だと思います。
 そこで私たち新進党としては、「神戸復興計画」三千万円、「兵庫フェニックス計画」五千万円というふうに、計画の当初の立ち上がりから国が支援するという意味で、調査費を提供してはどうかと再々提案しています。しかしいまだにこれは実行されていません。これは、役人的な感覚から言いますと、計画が出来上がってきたものについて国が相談に乗るということが筋道であって、計画が始まるところから国がこれに予算を投入するということは、過去にあまり例のないことだということになるわけです。そこでいわゆる中央官庁の壁というものにぶつかってしまうわけです。しかし私は、これは政治が判断すべき問題であると考えています。新進党としても、また私個人としても、このことが為し遂げられるまで、この主張を続けていきたいと思っています。なぜなら、このことが、「神戸復興計画」や「兵庫フェニックス計画」の具体化に、どれほど大きな役割を果たすかを十分に承知しているからです。

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