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三、政府の対応は正しかったのか

@政府の対応の遅れ

Aリーダーシップと本部体制

B災害対策予算と復旧・復興について

C今後の政府及び連立与党の対応

(1)初動対応の改善

(2)国民の生命財産を守るための特別立法

(3)防災問題懇談会と抜本改革

 

@政府の対応の遅れ

 このことは、一般の国民の皆さんの間やマスコミ等を通じて、ずいぶん議論をされてきたことです。一月十七日の日には、「なにぶん初めてのことでもあり、早朝のことでもあり」と総理自身が一月二十日の衆議院本会議の緊急質疑の際、私の質疑に答えているように、政府の対応は確かに遅かった。政府は初めに「非常災害対策本部」というものを設置しました。これは国土庁長官が中心になり、各省の課長が集まって対応を協議する会議です。普通の地震のときでもこのような対策が講じられます。しかし現地を視察した村山総理は、これではいかにも十分でないと判断し、一月十九日になってようやく「緊急対策本部」を設置しました。しかしこの「本部」は、法律上は何の裏付けもないもので、総理大臣が中心になって閣僚が集まり、その下請けを各省庁の役人が分担するというだけのもので、こんな程度のものをこの時期に、作ったわけです。
 政府は一月二十一日になって、「現地対策本部」を設置しました。これはこれで結構なことですが、その後復興についていろいろ協議をし、検討していくための機関として「復興対策本部」を作ることになりました。政府もこれには法律の裏付けが必要と判断したようで、「阪神大震災復興法」、こういう法律の名前で検討し、提案して参りました。私はこの政府の提案に対して新進党を代表して本会議で質問することになっていましたので、はっきりと記憶しているのですが、「阪神大震災復興法」と明記するのであれば、私のほうでは政府に対して質問しなければならないことが山ほどあったのです。そしていよいよ明日、国会に提出されるという前の日の夕刻になって、政府は法律の内容は全く変えずにその名称だけを「阪神・淡路大震災復興の基本方針に関する法律」というふうに突然変えてきました。そのために私たちは質問に対するスタンスを大きく変えざるを得なくなりました。それにしても、法案提出の前の日になって法律の名称を突然変えるというのは、ずいぶん慌てているな、そう感じました。
 翌日の新聞を見ると、「復興対策本部が設置され、阪神大震災復興法という、いわゆる法律に基づいた本部にしようとしたが、内容はこの程度かということをまた野党に言われるので、それでは困るということで、その内容にふさわしいような名前に法律の名称を変えた」と、こういうことが報道されていて、なるほどという感じがしました。いずれにしても、政府の対応というものは後手後手であり、また基本的な確固たる方針が貫かれているとはとても思えず、その場その場でしのいでいるだけのように思えてならないのです。

Aリーダーシップと本部体制

 そこで、一月十九日に設置された「緊急対策本部」についてですが、本来ならこうした大震災においては、「緊急災害対策本部」の設置ということが災害対策基本法の百五条にちゃんと明記されているわけですから、これを設置するのが当然の対応です。しかし今回の場合、政府はこの「緊急災害対策本部」を設置せずに、誰が考えたのかよく名前の似た「緊急対策本部」というものを設置しました。これは前述したように法律に基づいていませんので、責任の所在も何もないというようなあやふやな「本部」を設置したわけです。
 私は「緊急災害対策本部」の設置の必要性について、本会議で二度にわたって村山さんに質問しました。一回は「情勢を見てそのような判断をしなければならん」というような前向きな答弁でした。しかし参議院では、やっぱりそこまでしなくてもいいというような答弁で、ふらふらと揺れているような感じでした。
 いずれにしても、当時の対策本部設置に関する村山総理の判断は、誤りであったと今も私は考えています。そのために、失われずに済んだかもしれない尊い生命を失ってしまったのではないでしょうか。
 また直ちに、間髪を入れずに被災の現地を政府として支援するなんらかの方法があったはずです。政府の対外的な説明では、一月十七日の当日、午前七時三十分頃「非常災害対策本部」を設置する手続きを開始、そして実際に設置したのは、午前十時過ぎの定例の閣議ということです。情報網を持っているはずの各省庁の責任者から的確な連絡もなく、官邸からも何の反応も示されていませんでした。
 かつて神戸市職員の経験がある新進党の西村眞悟代議士から西岡武夫総合調整担当に対し、「神戸市で二百人が生き埋めになっている。自衛隊に救援要請をしてほしい」という切羽詰まった電話が、院内の「明日の内閣」の閣議を終えたところに入りました。私はこれは大変だと、他のことを中断して、西岡総合調整担当から防衛庁の幹部に電話を入れてもらいました。最高幹部の一人が電話に出ましたが、その時までその幹部は現地で生き埋めが出ているという実態を全く知りませんでした。あまりの実態把握の遅さに、私は茫然としました。本会議でも、災害対策委員会でもこのことを指摘
しましたが、課長クラスが弁明するばかりで、今に至っても西岡総合調整担当や私に何の説明もできず、だんまりを決め込んでいます。
 官邸だけでなく、政府全体の危機管理に対する責任感の欠如が、被害を一層大きくし、さらに一層の悲劇を呼んだことは、誰もこのことは、あまり指摘してはいませんが、私はこれは、重大な責任問題であると考えています。
 政府は、地震の被害の甚大さについて十分把握しきれていなかっただけではなく、ある程度、全貌が明らかになった時点でも、「非常災害対策本部」を法律の裏付けのある「緊急災害対策本部」に格上げする姿勢が全くありませんでした。省庁の縦割りの壁を越えて、国家の非常事態に対処するために、総理は一身を捧げるくらいの決意で望むべきではなかったでしょうか。しかしながら、実際は、我が党からの「総理にすべての権限を集中して、迅速果敢に総理自身が指揮命令できるようにしよう」という提案も、「この際は党利党略を一切捨てて政府に、総理に協力しましょう」という再三の申し入れも、拒み続けました。
一月十七日、現地を調査した私は、その日の夜東京に帰り、党幹部に報告をすると同時に、国土庁を訪れ、現地の様子を報告しました。翌朝、院内の「新進党兵庫県南部地震対策本部」に海部党首、副本部長の小沢幹事長、西岡総合調整担当、中野政審会長と私が集まり、新進党として第一回目の申し入れを取りまとめ、西岡総合調整担当が党を代表して官邸に申し入れを行いました。そして私は、海部党首にともなって、再び現地へと向かいました。
一月二十日に国会が開かれ、私は新進党を代表して緊急質問を行いました。総理からは「今から振り返って考えてみますると何分初めての経験でございますし、早朝の出来事でもございますから……」という有名な答弁を頂きましたが、問題の本質の「緊急災害対策本部」の設置については「なお、災害対策基本法に基づく緊急災害対策本部の設置につきましては、今後の事態に対応できるように、緊急に判断をしながら措置をして参りたいというふうに考えておるところでございます」という答弁で、これでは一体やるのかやらないのかはっきりしません。
 その夜、海部党首、西岡総合調整担当、市川政務会長、中野政審会長と私が官邸に乗り込み、「直ちに災害対策基本法に基づく緊急災害対策本部を設置して、一刻も早くこの事態を救援すべきである。新進党は全面協力する」と申し入れました。村山総理、五十嵐官房長官、園田官房副長官、石原官房副長官らが並んでいましたが、我々の主張に対し、言を左右にしながら結局は拒み続け、現状で万全の対策だと言い続けました。そして法律上は何の権限もない「緊急対策本部」(紛らわしい名称ですが、「災害」という言葉が欠けている)、これを作って、思い切った対応を怠ったのです。
 「緊急災害対策本部」の背景となる災害対策基本法は、昭和三十四年の伊勢湾台風の後、池田内閣の時に制定されました。安保条約の改定をめぐって、与野党の対立が尖鋭化している政治状況の中で誕生した法律です。
 現行の災害対策基本法が成立した背景について考えてみる必要があります。
 現行の基本法は、昭和三十六年、池田内閣の時代に政府提案により「災害対策基本法」として、九月二十七日に国会に提出され、十月二十七日に採決され成立し、十一月十五日に公布されたものであります。

<法案の提出に至った経緯>

 当時の災害対策に関する法制度はかなり整備されているが、法制相互の調整や関係各機関の連絡協調においてなお欠けるところが指摘されており、総合的な災害対策の基本体制を確立する必要性に迫られていました。
 昭和二十七年の十勝沖地震、昭和二十八年の西日本水害、昭和三十三年の狩野川台風等に対する各方面からの要望並びに原因の究明の結果、早くからこれらに対する対策の確立を急がれながら、官庁のセクショナリズムやその地の困難な事情に災いされて、ついに死者四千七百余名、まれに見る長期堪水、物的損害額は数千億円(当時)に達する甚大な被害をもたらした伊勢湾台風を昭和三十四年に迎えました。
 この伊勢湾台風を機に世論が一致して防災に関する強力な総合調整機関の設置、各種災害の科学的研究の推進及びその防止に対する適切な措置について災害対策論議が強まっていました。
 当時の災害関係法は百五十にのぼり、それぞれ所管官庁を異にするため相互に関連がなく、重複し、現実の災害に直面した場合、空白や間隙が発見されるのが実情でありました。これらの関係法の問題点を総ざらいして、空白を埋め、脈絡をつけて一連の法体系を打ち立てようとするのが「災害対策基本法」の狙いで、百二十条にも及ぶ大法案となっています。

<法律の目的>

 国土及び国民の生命及び財産を災害から保護するため「防災行政」の総合化、計画化を図り、「社会秩序の保全」と「公共の福祉の確保」に役立てようとしています。
 防災行政の総合化、計画化の見地から国及び地方を通じた一貫した体制の確立、責任の明確化を図るとともに防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧及び防災に関する財政金融措置など、防災行政全般に関してその基本を定めようとしたものでした。

<提案理由>

 池田内閣の安井謙自治大臣は本会議において、提案理由の説明を致しております。
 「災害対策基本法案の趣旨の説明を求めます」――清瀬一郎議長の声が議場に響きわたる中を安井自治大臣が登壇され、その提案理由及び概要を次のように説明されています。
「頻発する災害に対しこれを未然に予防し、災害に臨んでは警戒防御、応急の策を講じて被害を防止し、これを最小限度にとどめ、また不幸にして被害が発生したときは、民生を安定するため必要なあらゆる施策を適切に講ずることはきわめて緊要なことであります」          〜略〜     
「国の経済及び社会秩序の維持に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚な非常災害が発生した場合においては、内閣総理大臣は、災害緊急事態の布告を発し、緊急災害対策本部を設置することができるものとし、なお、緊急の必要がある場合において、国会が閉会中で臨時会を召集するいとまがない等のときは、特に政令で一定の緊急措置を講ずることができることとしたのであります。すなわち、一、物質の配給、譲渡、引き渡しの制限または禁止、二、賃金及び価格等の最高額の決定、三、金銭債務の支払い延期及び権利の保存期間の延長について、政令で緊急措置を講ずることができるものとし、現行憲法の範囲内において必要最小限度の措置を講じ、もって公共の福利の確保に遺憾なからしめることとしたのであります」 
         〜略〜
「この法津案により災害対策に関する基本的体制は整備され、わが国の災害対策が強力に推進されることになるものと確信いたしておるものでございます」
 以上のような提案理由が述べられております。
 しかし、この提案理由の説明を正確に読むと、何も戒厳令がどうだ、物価統制令がどうだ、交通規制がどうだというような議論は今回の大災害で、あれ程の大規模な犠牲者を出したとき、内閣総理大臣が一刻も早く、迅速果敢な号令を現場に発し、一人でも多くの人を救出するということが大切で、経済統制はしなくても済む状態ならば、それはそれで結構なことで、オウムの事件で破防法の適用を躊躇するのと同様の論理であります。緊急災害対策本部の設置を宮邸が拒み続けた理由も次第に明確になってくるのであります。
 今少し当特の様子を調べてみると、水田三善男大蔵大臣、園田直地方行政委員長という時代で、当時の衆議院の委員で現役で活躍しておられるのは、宇野宗佑元総理、山口鶴男前総務長官のみとなっています。出席の政府委員の顔ぶれは、鈴木琢三消防庁長官、藤井貞夫自治省行政局長、奥野誠亮同財政局長、鬼丸勝之建設省官房長、説明員としては、橋口収(大蔵省銀行局特別金融課長)、翁久次郎(厚生省社会局生活課長)、志村清一(建設省計画局参事官)、八塚陽介(経済企画庁総合開発局総合開発課長)、岸昌(自治省行政局行政課長)等の懐かしい顔ぶれが並んでいます。
 これに対し、亀岡高夫議員(自民)は、
「災害に限って戒厳令のようなものではない。人心を抑圧したり、自由を束縛したりするような点はないと言われるが、詳しく説明を願いたい」 
さらに、二宮武夫議員(社会)は、
「災害緊急事態というのはどういう事態を想定しておられるか」
「私が心配しますのは、警察、自衛隊の発動がこの非常事態布告によって行われる。戦前における戒厳令式なものが行われるということによって、それにそむく者は百六十条以下の罰則の適用がやられる。こういう事態を想定しなくていいのですか」
「こういう非常事態の布告をすることによって、自衛隊が当然なものであるというような印象を国民に与えたり、私どもは基本的に憲法論で食い違う問題ですけれども、こういう事態の際、これらの働きも合法化するような方向に内閣総理大臣が閣議に諮ってやるということになりますと、二十日間そういう事態が起こるという状態になるのじゃないかと思うのです」 
松井誠委員(社会)は
「緊急政令という形態の法令を今の憲法が許すのかどうかという問題が基本的な問題ではないかと思う」
「緊急事態に処する方法は憲法自体は予想していなかったのじゃないかと思う」
 以上のような国会の論議の中で、政府は答弁に立って
「関東大震災というような大災害の際に、特に限定して、経済活動の面等について最小限度の規制措置を講じていく、現行の法律で補い得ない点、あらかじめ立法措置を講じておけないというような点について、臨機の措置に応じて政令で必要な事項を規定することは公共の福祉を確保していく上に最小限度必要な措置であるとの観点に立ち、本法令の規定を置いた」
「経済的行為というものは最小限度限っておるということ、これは既存の法律についてそれを改廃したり効力を停止したりするような機能を持たせようとするものではございません」
「この程度のことが憲法に違反する、あるいは憲法の予想しておらないところであるというふうには考えておりません」 「五十年に一回起こりますか、百年に一回起こるかあるいは起こらないかもしれないような場合、しかもこれも起こり得る可能性もある。そういうきわめてまれな場合を想定している」
 等、当時の第三十九国会の地方行政委員会議録を読んでみると、安保条約の改定をめぐって国が混乱に陥っていた時代に、野党の社会党や共産党が、警察や自衛隊の活動に極度に神経をとがらせている時代に「災害対策基本法」が国会で審議されようやく成立した時代背景が浮き彫りになっています。
 したがって、総理の権限などはできるだけ抑制的に書かなければ、当時の野党の社会党や共産党の猛反対で法律は成立しにくい状況でした。そんな政治情勢の中で生まれた法律に基づいた「緊急災害対策本部」の設置については、村山政権では、総理官邸が最初から極めて臆病で消極的でありました。五十年に一回か百年に一回起こるか起こらないか分からないような大災害が現に起こっているのです。
 多くの人々が災害の現場で、助けを求めて悲鳴をあげている時に、過去のイデオロギーや憲法論議にとらわれて、大局的な判断ができなかった。
 それでも一時、村山総理自身は法律に基づいた「緊急災害対策本部」の設置の必要性を理解されたようですが、「緊急対策本部」等という、恐らく役人が考えそうなずる賢いやり方を用いたために、事態の解決に、初動の対応に、決定的な過ちを犯してしまいました。
 国家の非常事態――危機が迫っている状況に対して、客観的な判断を怠り、希望的な観測に立って、問題を小さく処理しようとしたために、初動のボタンのカケ違いというより、着る服自体を間違えて、全く場違いなものを着て出てきたというような状況にしてしまったのです。村山総理が陣頭指揮を執る、本当の意味でリーダーシップを発揮する、国民にも野党にも協力を要請する、被災者を激励するーーーそのような、非常事態に対する国の最高責任者としての毅然とした姿を見ることは、ついに一度もありませんでした。                                                                
我々の考えは、総理に権限を集中して、経済統制を含めた緊急事態に対しての対応を総理大臣が指揮監督、命令できるようにして、実効が上がるようにしようということですから、野党としてはこんなことを主張するのは、本来の立場からすればおかしいわけです。社会党が野党だった時代ではとてもありえなかったことです。この際、総理に権限を集中して、災害の復旧復興に、てきぱきした行動、行為がとれるようにしよう。これは何も村山さんのためではなく、人命の救助に、国民のために、また災害で悲惨な状態に陥っておられる皆さんに対して、せめて総理が諸般の複雑な手続きを経て不必要な時間をかけて、何かを為すというのではなくて、内閣総理大臣その人の権限によって対応できるようにしようということを我々は主張してきました。
 災害対策基本法制定時には、当時の野党、社会党や共産党は総理に権限が集中することに極度に抵抗をしております。そうした方々の中から登場された村山総理ですから、この「緊急災害対策本部」の設置に大変躊躇すると同時に、最後まで逡巡し、ついにこの「緊急災害対策本部」を設置できなかったことが、今回の災害における決定的な対応の遅れのもっとも大きな原因となったのです。
したがって、今後「災害対策基本法」の見直しをする際には、私は「緊急災害対策本部」等の設置についての要件というものをもっと緩やかにし、常識的に誰が見ても阪神大震災のような規模の災害が起こったときには、「緊急災害対策本部」を設置すべきだと、議論の余地のないようにしておかなければならないのではないか、言い換えれば、どんな内閣であっても、如何なる立場の人が総理大臣であっても、国家や国民の危機的状況に対し、政府が迅速に対応できるような状況をつくっておくということの必要性を痛感しています。そのために、災害対策基本法の積極的な見直しを必要とします。

B災害対策予算と復旧・復興について

 震災後、94年度予算の二次補正が必要になり、円高対策、災害復旧に関するものだということで、政府は2兆7261億円の補正予算を二月二十四日に提出しました。私たち新進党としては、災害対策にもっと積極的に対応すると同時に、円高対策等について、十三兆円必要とすることを提案しました。秋に十兆円プラスしようということを、与党の大幹部がアメリカにいって発言して来られたが、それならば、今日のこのような状況のときに思い切った対策を講じ、秋にはその調整を図るということのほうが筋道であって、二兆七千億円というのは、災害対策だけでもこれくらいは必要であり、円高対策と合わせてこの程度の小手先の対応をするというのでは、円高対策に対する政府の確固たる姿勢というものを、災害対策に対すると同様、やる気があるのかないのか、疑わざるを得ないのです。
 自衛隊の出動については、初日に2300人程度を動員、後に一万人、一万五千人というふうにだんだん増やしていったわけですが、私はこの円高対策についても、政府が自衛隊の出動と同じような手法をとるのではないかと思っています。私は、自衛隊の出動については、初日に三万人、二日目に五万人というふうに思い切った対応をして、後に減らしていくのが常識的な対応であって、最初に二千三百人程度の自衛隊を出動させるということは、今回の地震災害の規模に対する当初の実態の把握が、政府自身が、的確でなかったと言わざるを得ないのです。

C今後の政府及び連立与党の対応


(1)初動対応の改善

 震災後これまでに、また今後、政府及び連立与党が災害対策にどのように取り組み、これからどう対応していくのか。
 初動期の対応は、我が党が十回にわたる申し入れ、度重なる国会論戦によって主張を重ねてきましたが、政府としても部分的な法律改正や運用の見直しを進めています。これ自体は遅ればせながら、内容的に評価してよいと考えています。
一つは、一番最初の初動の情報の収集体制について、航空機、ヘリコプター等による画像情報システムの整備です。各種の機器を導入、数値的な情報にとらわれず、全体的な情報把握のための体制を作る。官邸にも三十分程度で、幹部が緊急に集合できるようになりました。
 二つは、防災基本計画が七月十八日に改定されたことです。昭和三十八年以来ほとんど見直しもせずに過ごされてきたものが、今回、大幅に修正が加えられました。我々が主張しているように、抽象的であったものをより実践的、具体的な計画にしています。時間の経過にしたがって、誰がなにをすべきか明記し、災害ごとに活用しやすい計画にしています。これを基に自治体や企業がさらに詳細なマニュアル化を行い、防災基本計画の地域版や団体版的なものを作ることが必要になります。
 旧計画が狩野川台風、直前の伊勢湾台風やチリ地震津波等、どちらかというと水害が念頭にあり、前にも述べた通り、安保改定等の政治的混乱もあって、災害予防が中心で、自衛隊の位置づけもはっきりしないままでした。自衛隊の存在を認めたくない社会党や共産党の強い反対の前に、自衛隊の位置づけを明確にできないままに今回の大災害に遭遇し、しかも国民にとって不幸なことに、その社会党の委員長が内閣総理大臣であったことが、問題を一層複雑にし、全ての対策が後手後手になり、不幸な結果を招いてしまったのです。政府の心ある役人は、この事実を承知しています。
今回の防災計画は、大地震の悲惨な体験から、初期の情報、災害予測の重要性、国家の指導力の強化等が前面に出ているとも言えます。
 官邸中枢への情報伝達、意思決定体制の強化、自衛隊と自治体との連携や自治体間の広域支援の確立、住民ボランティアや国際的な救助支援の受け入れ態勢の整備、自らの身の安全は自らの手で守るという国民防災思想の強調が主要な項目として挙げられています。
 量的にも旧計画の十倍を超えた詳細なものになっています。しかし、あえて注文をつければ、まだ現行の法体系を基に作った計画であり、省庁のタテ割りの中でお互いに顔を立て合って、明らかに妥協した内容の部分もあり、積極性に欠けています。仏を作って魂を入れることが重要で、関係者の一層の奮起を望むとともに、国民に対する公僕としての義務であることを決して忘れないでほしい。
 三つ目は災害対策基本法の一部を改正するということです。
 本来なら、今回の災害の重大な反省の上に立って、何と何と何をやっていかなければならないかと、いろいろ広範囲に検討した結果を、法律の改正案に盛り込むべきです。しかし残念ながら、今回の改正は交通規制に関するもののみです。災害の初期に交通規制がきっちりとなされていなかったために、必要のない車、不要とは言いませんが自家用車等がなだれ込んだために、救急車も自衛隊の車も消防自動車も、もっと緊急を要する車も、この中に入っていくことが事実上できませんでした。私もヘリコプターで現地を調査した後に、伊丹空港に着陸しました。新進党関係議員は神戸市役所に集合してもらいたいということを、既に朝から連絡していましたので、私も神戸市に向かったわけですが、全く駐車場の中に止まっているのも同然で、前にも進めなければ、後ろにも戻れません。Uターンもできない。そういう状況でじっと車が停滞したままになっていたということからすれば、警察官が現地で交通規制を自らの判断でできる、あるいは同時に、その中に入っている車を強制的に撤去することができる、その時、車に被害を与えた場合に後で補償する手立ても用意する、こういった対応策を考えておくことが重要であります。
 現場における教訓では、広域的な統制を果敢に実行すれば、緊急時の交通規制も可能ではないかという気がします。規制方法を災害発生の直後、近接区域、ゾーンによる拡大を図るほか、ドライバーへの義務づけ、国家公安委員会の指示権等、災害時の緊急交通規制に関しては一歩前進であることは確かです。あのような災害は、いつまた起こるか分かりません。現に最近、北海道で震度5というのがありましたし、サハリンでも地震が発生しました。我々のところにサハリンのようなことがまた起こらない保証は全くないわけですから、交通規制に関する基本法の一部改正に対して、私個人としては賛成です。
 しかし今、政府がやらなければならないことはもっとたくさんあります。にもかかわらず、警察の交通規制だけを持ち出して災害対策基本法の一部の改正だというのでは、災害対策に対する行政の遅れといい、その後の対応といい、いかにも熱心さに欠けるのではないかという議論が党内外でありました。しかしながら、私自身はこの法案に対して、たとえ消極的であるという批判があっても、政府から提案があれば、法案として直摯に審議をし、賛成すべきであると考えていました。そして結論として、そのような決着に党内も落ち着くことになりました。

(2)国民の生命財産を守るための特別立法

 地震対策特別措置法は、自民党の後藤田正晴代議士や原田昇左右代議士ら「日本を地震から守る国会議員の会」が中心となって進められました。これは早く言えば、静岡県を中心とする東海地震に対応するための「大規模地震対策特別措置法」をあまねく日本国中に適用できるようにしようというもので、この法律そのものも、大震災の経験から、ともかく、災害発生直後から数日間は家庭から避難所に安全に難を逃れていられるようにするもので、そのために学校や防災拠点センター、社会福祉施設、病院、僻地の診療所などの耐震性を補強し、それに必要な財政上及び金融上の支援を行うというものであります。
 この法案を立案する段階で、まず原田代議士から「できれば新進党も加わって、議員立法の形で、委員長提案にして、今国会で成立させたい」との申し入れがありました。早速、党幹部とも協議しましたが、今私たち新進党の「新災害対策プロジェクトチーム」で私が座長を命ぜられ、全国の知事や市町村長にアンケート調査等を行い、積極的な」新災害対策を打ち出そうとして準備中でもあり、連立側との話し合いは、私に任せて頂くということになりました。地震対策特別措置法について、与党だとか野党だとかいうことで論ずるべきではないというのが、私の基本的な考え方でした。しかし、各県に一〜二カ所の防災センターの建設、対象施設の拡大や補助率のかさ上げと充実等、細部にわたって検討した結果を原田代議士に回答しました。連立三党はそれぞれの財政部会が賛成しないので、原案は譲れないということでした。国会用語でいう「これでのんでくれ」ということです。私たち新進党は災害発生以来、党を挙げて復旧復興に真剣に取り組んできただけに、この程度の連立与党案にはにわかに賛成はできない。「ならば、三党だけで成立させる」と、例によって強行採決で進めるのがこのところ連立側のお家芸で、これが連立側の意向だということになりました。
「我々は徹底的に論戦を挑み、この法律は成立させない」 ということを重ねて原田代議士に通告しました。しばらくして、顧問の後藤田正晴先生の登場となり、「オレは詳しいことは分からんが、何とか原田君たちと話し合って、できれば新進党にも賛成してもらって、この国会で成立させたい」とのことでした。私は、「基本的には全くその通りです。しかし新進党に賛成させようとするなら、新進党の意見も入れるべきです。それを一言半句も譲れないということであれば、こちらも今、もっと幅の広い厚みのある新災害対策基本法を検討中であり、この程度の連立側の案では、とても賛成はできません」と申し上げました。後藤田先生も「それはその過りで、私からも原田君たちに言っておきますのでよろしく頼みます」 とのことでした。
 さらに、浦野烋興災害対策特別委の与党筆頭理事(現科学技術庁長官)や相沢英之代議士らと、新進党の側から、泉信也国土・交通副担当、小坂憲次代議士(新進党災害特筆頭理事)と私との間で、何回か議論を重ね、大蔵省とも折衝の結果、地域防災センターを一県に一〜二カ所建設する、補助対象額を一件五億円として、二分の一の補助とするという新進党案で決着を見て、自治体が効果的に活用できる法律にして、六月十六日に公布されました。
私は議員立法で、連立三党と新進党が共同提案する中で、大蔵省が反対する、あるいは法制局が賛成しないといった理由で引き下がってはならないと思っていました。今回のような災害では、政治が前面に出て、国民に対する責任を果たすべきだと考えているからです。

(3)防災問題懇談会と抜本改革

 今後の基本的な災害対策、今回の阪神大震災の大きな教訓に基づいて、我々は今何を為すべきかということを考えるときに、この災害対策基本法の一部改正といい、地震防災対策特別措置法といい、これらはいかにも、その場を糊塗したにすぎないという感じがしてなりません。そういうふうに政府に指摘すると、政府は防災問題懇談会に一応お願いして、九月頃に政府としての考えをまとめるというわけです。政府は「防災問題懇談会」を総理の私的諮問機関として作り、四月以来、国と地方の防災体制、情報収集方式、ボランティア、自衛隊、警察、消防等、協働システムなどの検討を行っています。
 新進党が秋の臨時国会に法案を提出するというスピーディーな対応を示したことで、政府のほうも当初十月頃と言っていた結論を九月に早めようと、今急いでいます。既に我が党は「災害対策基本法の抜本改正の政策大綱」を参院選の公示前に海部党首と私が記者会見(於平成七年七月三日和歌山県御坊市・御坊商工会議所)で内外に公表しました。(310ページ参照)
 自治体の意見も反映させて、政府に先立ち、党の基本的な考えを明らかにしたものです。ポイントは、総理をトップに全閣僚がメンバーとなる、法律に根拠のある即断即決型の危機管理体制を作ることです。
 昭利三十六年、安保騒動、自社対決、冷戦構造の下で、しかも伊勢湾台風の被害を背景にして作られたのが、現在の災害対策基本法です。それが長い間改正もされず、現実的に災害時に役に立つよう見直されてもなかった。まさに五五年体制の自社が、慣れ合いの中で、相手の痛いところには手を触れないという政治姿勢をとり、そのために役人がこれに積極的に手を出すことを控えていたとすれば、与野党ともに、政治家の責任感の欠如と怠慢が今回の阪神・淡路大震災の初動の遅れに繋がったということであり、厳しく反省しなければなりません。
 しかし、現行制度でできることをしないで、決断ができないで、なお法律の改正も、災害発生以来既に八カ月を経過しようとしている今日、なお遅れている状況は、今の政府の、村山内閣の責任感の欠如であると断ぜざるを得ません。
「火事は最初の五分間」という言葉がありますが、災害が発生して、一番急を要する数時間、半日間というのは、やはりそれぞれの機動力を持った部門が、それぞれの持ち場で得た情報をもとに、自らのマンパワーと機械力を使って全力を挙げて人を救出することが災害対策の要諦です。医学的には、最初の四十八時間が勝負だともいわれています。あの大震災では、一つ一つのセクションで、少しずつ判断力の不足と出動、実行への逡巡が重なり、さらに困ったことには、最高指揮官の危機管理に対する自信のなさ、「リーダーの一声」がなかったために、ずるずると被害が拡大してしまったということを、我々は決して忘れてはならないのです。
 米国のFEMA(緊急事態管理庁)を参考にして、防災体制を強化すべしとの声も官邸等にあったようです。しかし、日本との国情の違いや、平時も戦時もまとめて考える米国と我が国では、あまりにも社会環境が異なっています。ただ、防災の第一次責任は地方自治体にあり、国は支援をする立場という理念は日米共通のようです。日本のシステムの良さを生かして、防災体制の強化を考えていかなければなりません。すでに実務面では、地震の被害規模を早期に概括的に把握するコンピューターシステムの導入、消防と警察の広域的な緊急救助隊の創設を決めていますが、今後、これらを大いに推進していくべきだと考えています。                               
 咄嵯の判断を必要とする災害、法律や予算や慣行を乗り越えてより高度な決断を必要とする災害対策については、いかに経験豊かな政府の審議会委員、あるいは役所のそれぞれの問題に精通している官僚の皆さんであっても、この際、我々は、これらの人たちにだけ任せておけるような問題ではないと考えています。この防災対策については、阪神大震災の当時に、少なくとも現職の国会議員としてこの地震に直面したものの責任において、私は役人にだけ任せておくのではなく、国会議員そのものの責任において法案を作成し、与党も案を作る、野党も案を作る、そしてそれを国民の皆さんの注視の下に議論をして、国民的な合意に基づいて、歴史の批判に堪えうるような災害対策基本法の改正を行うべきだと考えています。

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