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六、防災の心得

@国民の自助・自立

A耐震度のボトムアップ

B原子力発電所等の耐震の総点検について

C官邸の機能

Dいなむらの火

@国民の自助・自立

 阪神・淡路大震災の後、立て続けに海外でもロシア・サハリンでの地震(死者約二千人)、ギリシャ西部の地震、人災とも言える韓国ソウルのデパート崩壊など、災害の発生と一刻を争う救助についての政府の対応について、考えさせられる機会が続きました。
 最近は特に敏感になっているからかもしれませんが、日本周辺でも地震が多い感じで、七月三十日には地球の裏側のチリでの地震による津波が、遠く日本の沿岸にまで再び押し寄せてきました。政府や地方自治体や企業等が、安全に対する確固とした責任とモラルを保持し、しつかりした体制を整備することが何よりも大切なことだと思います。
 また一方で、国民の一人一人の危機に対する心得の有無が、いざというときに大きな力になると思います。不断の心構えが重要となって来るのです。
 一番安全な筈の家庭の中で、大部分の人たちが一瞬のうちに命を失いました。大災害のときには、自らを守り、家族を助け、近所同士、町内会の人々が協力し合うことが、防災の原点となるのです。
これだけ近代化された経済大国といわれる我が国において、国民が、災害は突然襲ってくるもの、そして過ぎ去っていくものとしてあきらめるようなことがあってはならないのです。危機にも強い国民、勇敢な住民 ――日頃からの防災の教育、訓練を通じて、不断の地道な努力の積み重ねが重要になってくるような気がしてなりません。そのようなことを日頃から考えて行動しているような人たちが、阪神・淡路大震災でもずいぶん活躍したという実話を伺っています。
 国民が最初の三日間くらいは自らの命を守れるようなシェルターや備蓄、住宅の補強、通信網の確立などについて、新進党は立法化の準備を急いでいます。自主的な防災活動に対する金融や税制、さらに企業の地域社会への貢献の努力などによって、防災に対する理想的な環境整備を図ることが、何にもまして重要なことになっています。災害発生の後で、必ず国や県や市町村の対応が問われるのは当然ですし、責任の所在はいろいろあると思いますが、しかしことは日本人に関することですから、他人の責任を追及していく前に、自分が生き続け、生き残っていかなければならないということを思えば、それぞれの個人、家庭において、災害は人任せではなくて自分たちで対応するものだという認識が、まず最初に必要ではないかと思うのです。
 災害は原則として個人の責任で対処することが当然であり、そのことが重要ですが、今回の阪神大震災のように個人の力ではどうにもならないような場合、さらに国の責任を考えるとき、私は少なくとも防衛庁の防衛局長や、厚生省の保健医療局長、自治省の消防庁長官、運輸省の気象庁長官等が定期的に防災対策を協議することが当然だと思います。この当たり前のことが、過去一回もなされていないということは問題です。役所の縦割り行政に阻まれて、このような簡単でしかも極めて大事なことが行われていないという事実に、私は驚いています。阪神大震災は私たちに多くの教訓をもたらしましたが、行政改革、規制緩和についても、尊い人命の救助、災害復旧、復興の見地からも、国民の皆さんと共にこれらのテーマについて、今こそ真剣に見直してみる必要を痛感しています。
 一月十七日を新防災の日(仮称)と定め、国民総参加の防災訓練の実施を提言する所以のものであります。

A耐震度のボトムアップ

 我が党が「5−UP作戦」でも指摘していますが、今日、文明の高度化、都市の巨大化が進み、また自然環境も大きく変わり、大災害の危険性が高くなってきています。今こそ、災害に強い都市づくりに向けて地道な対策ではありますがボトムアップを図らなくてはなりません。各省が既に取り組み、一部では実行もしているようですが、建築物の防災基準を見直して、安全性という観点から総点検をして、少々の地震ではビクともしない、大地震でも屋台骨だけは揺るがないような考え方で、耐震性の改善を急ぎ進めるべきです。避難拠点や指揮所となる学校、病院、福祉施設、庁舎等は建物の強さに余裕が必要です。新幹線、高速道路、ライフライン等、特に重要なインフラも震度7には耐え得ることが前提となることは当然です。
 建築基準法では、昭和五十六年以前に造られた建物は、新しい基準に適合していなくても法に反しないことになっています。神戸でつぶれた地域は、大半がこうした家屋です。これをこのまま放置しておくわけにはいかないと思います。家屋の危険度を診断する手立てを考え、耐震性を強化するための改良、改善に対して、なんらかの誘導策を政治としてもこの際大いに考える必要があります。

B原子力発電所等の耐震の総点検について

 耐震性の問題に関して、災害対策特別委でも質問の際に申し上げましたが、地震発生以来、巷では原子力発電所の強度は大丈夫か、地震による原子力災害に備えるべきだ、大震災を踏まえての安全性のチェックが必要だという地方の声が強くなっています。耐震安全を主張する側は、原発は活断層を避けて立地しているから絶対安全だと言います。最大級の地震も想定して余裕も見せています。原子炉や周辺施設には地震感知の自動停止機能等が装備されているとも主張しています。しかしこういう大地震が現にあったわけであり、絶対に安全だという神話は、今度の大地震でもう通用しなくなっており、耐震等の情報も、機会があるごとにもっと知らせるべきだし、防災訓練もその必要なしというわけにはまいりません。通産省などは原子力発電所の安全性の確保のために、より慎重により謙虚に対処してほしいと思います。災害が起こってからこんなはずではなかったのにというようなことがないよう、心してもらいたいと思います。危ない、危をいと必要以上に騒ぐ人は別として、原子力施設だけが何か特別に安全であると安易に考えるような時代ではありません。
 若いころ私はドイツやフランスの原子力発電所を見学したことがあります。ドイツのフランクフルトから車で一時間くらい走ったところにある西ドイツ最大の電力会社「RWE」を見学したとき、ドイツの若い科学者パフナ一博士が安全性について説明をしてくれました。私が 「一〇〇%安全と言えるか」と尋ねると、「原子力発電でも何でも世の中のものに一〇〇%安全かと言われれば、私は科学者として、軽々しく『絶対に』とか、『一〇〇%だ』とかという言葉を使うわけにはいかない。しかし、予測されうる問題については、二重、三重の安全策を追求していることを一般の住民の方々に正しく理解していただけるよう努力している。
そうすることが私たちの責任である」と答えてくれました。今でもあの若いドイツ人科学者の姿を思い起こすことがあります。
 通産省資源エネルギー庁と科学技術庁では、これらの指針制定前のプラントを含め全国の運転中の原子力発電所や再処理工場の耐震性の総点検を行なっており、間もなく報告書がまとめられるようになっているようです。
 原子力安全委員会はすでに耐震指針の見直しの作業を行っており、九月中にも、報告書をまとめることになっています。
 現在運転中の商業用の原発四十九基のうちの二十八基は現行指針の制定前に設計されたものですが、政府や電力会社は想定される最大級の地震にも耐えることができる十分な強度を持っているかをこの際、念には念を入れて確かめることは極めて重要なことであり、原子力発電に従事する人々の当然の責務であります。
 原子力発電の安全性の神話をより確実なものにする努力は、このような大災害に遭遇した今日、あらためて原発の耐震性について総点検、再点検をすることの意義は大きい。
 近頃は、北信越の水害のような自然的な災害に加えて、あっちで爆発、こっちで毒ガス、飛行機のハイジャックというふうに、人間が介在した大災害が頻発しています。自然は人間にとって母なる懐ではありますが、一方で極めて非情な猛威をふるう場合もあり、我々はこの両面を受け入れながら自然と対処しなければなりません。しかし、人為的災害、人間が故意につくったものや、ミスや不注意によるものや、無知、無責任に起因するものなどは、自然災害とは違って、これを根絶し、防御する不断の努力を、私たちは、怠ってはならないのです。新しい防災計画では、「人為的災害」には言及、改定がなされておらず、これはこれからの課題となります。災害に特に責任のある省庁の幹部は、この点に既に気がついているはずであり、勇気をもって良心に従い、もうひと踏んばり頑張って全体を立派な形に仕上げてもらいたいと願っています。

C官邸の機能

 歴代の総理大臣の秘書官に、あの 「なだしお」のとき、中華航空機のとき、また宮沢内閣の当時のあの北海道南西沖地震のとき、官邸の機能はどうであったかということについて、お互いに反省し、意見を述べ合おうということでいろいろと話を聞きました。官邸というのは、形はあのように立派な建物になっていますが、あの中には国民が期待するような災害に対応する機能は全くないのです。今までは留守番もおりませんでした。電話も夜は繋がらないという状態でしたが、この頃は電話番だけでなく、通信システムも出来上がっていると聞いています。
 これは村山内閣のときにどうだこうだというのではなく、これからも国家は永遠に存在するわけですから、そのための官邸の機能のあり方というものに関しては、例えば首都移転をする、国会移転をする、そんな議論があるときに、官邸をいじってどうするんですかという意見もありますが、五千人からの人が亡くなったような、こんな事態を目の前にしてそんなことを言っている場合ではありません。大災害を前にして憲法論議を繰り返しているようなものです。私はとりあえず早急に官邸の機能を整備することは、極めて重要だと思います。もし自衛隊の出動要請を全国の三千三百四の市町村長にも与えるということになると、電話でどんどんやってこられたときには対応が、できないではないかといって、早速、政府の一部には、今からそのことに対する予防線を張っている様子も見受けられますが、私は今のこの世の中で、マルチメディア、情報機能がこんなにも発達した時代に、そんなことぐらい技術的にできないわけがないと思います。私は既に何社か、具体的に専門の会社に、一体いくらくらいあれば実現可能か検討してもらっています。総理官邸や国土庁や防衛庁や県庁等に受信ボードを設置し、災害の起こった市町村長がボタンを押せば災害状況を告知してピーピーと鳴る。ここでも鳴るし、あそこでも鳴る。これはおかしいなということになると、いくらぼんやりした対応の指導者であっても、官邸でも、防衛庁でも、国土庁でもこれはおかしいということになる。こういうふうにしておけば、いくらなんでも、朝五時四十六分に起こった大災害に対して、自衛隊が夕方に出かけていくというようなことにはならないはずです。
 また私が直に身体に地震を感じたのは、新大阪の近くのホテルの十二階でした。私よりもっと災害地、発生地に近いところに自衛隊が駐屯しています。身体でも、もう五時四十六分には地震を感じているわけです。そして例えば防衛庁長官に対して、秘書官が朝六時にこのことを連絡しています。これは当然のことです。地震は五時四十六分に起こっているのですから。しかし、それでは六時にその知らせを受けたのに、防衛庁長官が防衛庁に着いたのは午前九時です。そして閣議が十時です。この十時の閣議は緊急ではなく前々から設定されていた定例の閣議です。私は閣議など総理大臣が独自の判断で開いたっていいと思っています。大きな地震や災害があれば、大臣は官邸に直ちに集結するという、そういう対応が必要だということを改めて痛感しました。
 確かに最近の官邸は二十四時間体制が確立していると宣伝していますが、去る七月十四日、参議院選挙の最中のことですが、「北信越地方の大水害で、床上浸水や家屋が次々に流されている。なんとか助けてもらいたい」という地元の村井仁代議士からの電話が新進党本部に寄せられました。新進党では直ちに対策本部を設置し、政府に対し、緊急対策の申し入れをすることになり、官邸に連絡を取りました。総理も官房長官も選挙応援で留守だということは分かっていましたが、当然、誰か代わるべきものが留守を守ってくれているものと思い込んでいました。阪神・淡路大震災の発生
以来、あれほど官邸の危機管理能力が問われているときに、七月十四日午後七時、官邸に私と泉信也参議院議員が尋ねましたが、対応できるものは誰もいませんでした。申入書を受け取っていいかどうかも判断できかねるという職員が一人いるだけで、こんなことでは、今夜もし大きな地震でもあればまた大変なことになるなと思い、官邸を後にし、さらに、私たちは、建設省と国土庁に向かいました。官邸の二十四時間体制は、あれは見せかけだけのものかと、あらためて国民を守る立場からあえて苦言を呈しておきたいと思います。
 新進党ではその翌日、羽田副党首が、選挙遊説のスケジュールを変更して、党代表として現地入りされました。

Dいなむらの火

 おそらく年輩の方々は、尋常小学校時代の教科書を思い出されるかもしれません。これは私たち和歌山県の広川町というところで、安政元年(一八五四年)大きな津波が発生した時の話です。そこに五兵衛という庄屋の主人がおりました。ある日、五兵衛が山の上の田んぼのお米を収穫していたとき、沖のほうに津波を発見しました。そこで五兵衛は山の上の自分の田んぼに火をつけました。その火を見て、これはただごとではないということで村人たち、みんなが山にかけつけて火を消そうとする。これは凄い、これは大変だということで山寺の鐘を打つ。そして間もなく、村のみんなが山の上の広場に集まった頃に津波が押し寄せ、堤防は崩壊し、家も屋敷も跡形もなく流されてしまう。しかし村の人はみんな上に上がっていたので助かった、という話です。
 これは昭和十二年から十年間、小学校五年生の教科書、尋常科の小学校の教科書に書かれていました。後にこの人は初代和歌山県議会議長にもなるわけですが、今でも地震、津波の神様だと仰がれています。
 私はやはり、どんな法律やマニュアルやシステムを作り、近代的な防災通信の機能を備えても、指導者に国民を守るという責任感、国民に対する深い愛情、そうしたものがあってこそ初めてこのような献身的な行動にでられるのであって、今の時代と違って、あの頃の米というのは今よりはるかに価値が高く、それに火をつけるというのはとても普通の感覚ではできないことです。しかしこの人は、自ら村の長という立場にいる自覚と責任感によってそういう行動をとることができました。私はこの教科書を読んで改めてリーダーとなる人の資質を考えていかなくてはならないと思います。東北大学の西澤潤一総長は、今年三月の東北大学の卒業式に際し、三千名の学生の前で次のような告辞を述べられました。去る六月一日の衆議院災害特別委でも引用させていただきましたが、西沢学長は卒業生達を前にして、「阪神大震災のように、何を為すべきか咄嵯に判断、実行しなければならないことが世の中では起こるが、平素どこまで考えていたかによって、対応できる人と対応できない人が出てくる。試練を糧として大を成すよう期待します」とはなむけの言葉を贈られました。私たちもこの 「咄嵯の判断」ができるよう、あらゆる事態を想定し、日常から考えて行動しなければならないという教訓を、改めて噛み締めなくてはなりません。

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