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 平成七年十二月六日夕方、当時、新進党四回生の二階俊博は、「小沢一郎君を党首にする会」のメンバー二七人と国会内で小沢一郎幹事長に会った。新進党党首選への立候補を正式に要請した。
 小沢は即答を避けた。が、前向きな姿勢であることを示唆した。
「重要な懸案を抱えている時期ではあるが、リーダーがどうあるべきか自問したい。真剣に、かつ深刻に受け止めて考えたい」
 二階はなんとしても小沢に出馬してほしかった。二階は閉塞状態に陥っている国会に危惧を抱いていた。
〈村山内閣は、ようやく重い腰をあげ、オウム真理教に対して破壊活動防止法の適用を指示した。しかし、まさに遅きに失している。経済対策といい、今年一月の阪神大震災における緊急災害対策本部設置の怠りといい、てきぱきとしたリーダーシップがとれていない。自・社・さきがけ三党の連立政権という難しさもあるだろうが、社会党が過去の五十五年体制の影を引きずっているところに問題点があるのではないか〉
 しかし、野党第一党である新進党も輝かしい成果をあげているとは決していえない。自民党出身議員の多くは、与党生活が長く法案が提出されると、なんでも早く賛成してしまう。政府や役人のいうままに問題を処理しようとしているような傾向がある。新進党は、いまこそ政権を奪還し、二十一世紀に向かって国民に希望の持てるような政治のビジョンを示さなければならない。
 二階はそのトップリーダーとして、小沢を党首に担ぎ出そうとしていた。小沢に登板を期待する声は、与党にもある。アメリカの政界にも、やがていつの日か小沢登板の日がくると期待している。
 二階はそのタイミングは、いまをおいてないと考えた。それは、小沢自身のためではない。歴史の必然が小沢の登板を促したのである。
 十二月八日、二階ら「小沢一郎君を党首にする会」のメンバーの藤井裕久、山岡賢次、伊藤英成等が大挙して、再度、小沢幹事長に出馬を促した。小沢は、初めて要請に応じる意向を示した。
「自分自身として気持ちの整理ができ、割り切れた。できれば、皆さまのご要請に応えたい」
 その際、小沢は条件をつけた。再選に向け擁立の動きがある海部党首の了解と将来的には消費税率一〇%への引き上げなどを盛り込んだ政策の受け入れである。骨子は七〇万部を越す大ベストセラーとなった小沢の自著「日本改造計画」であった。
 小沢は言った。
「皆さんが、この政策を支持し、実現に向けて一緒にやってくれるというのなら、私も命を賭けます」
 二階は、さっそく、山岡賢次、平野貞夫らと相談して、直ちに国会議員二〇人の政策プロジェクトチームを編成した。九日の土曜日、十日の日曜日と二日間かけて税制や安全保障などの基本政策を検討することにした。
 二階は、主張した。
「私は、細川内閣時代、運輸政務次官を務めました。そのとき、国際空港建設などいろいろな問題について運輸省の考え方を聞きました。また、阪神大震災の復興計画についても、『明日の内閣 国土・交通政策担当』として、いろいろな意見を建設省や運輸省幹部と交わした。いずれにしても、やはり落ち着くところは財源でした。財源の裏打ちがなければ、いくら話し合っても実現不可能です。学者の述べていることと同じです。政治家は、実現可能な財源の裏付けを示さなければならない。
 小沢さんは、常々、こう言っておられます。『財源問題に触れることは、選挙にのぞむ国会議員にとって、とても辛いことかもしれない。しかし、そのことを成し遂げることによって、国民生活がいまよりも何倍も豊かになっていく。そのことを国民の皆さんにわかって頂けるように、きっちりと説明する。政治家は、グランドデザインを描いて、国民に提示する。そのことが政治家として一番大事なことではないか』と。
 その観点から、私は、この政策に同意します」
 総会では、他のメンバーからも、さまざまな意見が出された。が、おおむね、敢えてこの時期に将来の消費税率一〇%を提案する小沢の心意気を高く評価していた。
「小沢さんは何もいきなり税率を一〇%に上げようと言っているわけではない。しばらくは現行(三%)のまま凍結し、景気が上昇気運になったときに税率を上げようと言っている」
「その間は公債でつなぎ、高速道路や新幹線を整備する。あるいは、地域格差や通信格差の是正を図る。大胆なことを言えば、北海道から九州まで新幹線を引っ張り、国際空港を五つや六つつくっていくことが、国中を活性化させることにつながる」
「そうすれば、地方も仕事が多くて大変だというくらい景気は盛り上がる。住民税、法人税を見直し、国民のふところを豊かにしていけばいい」
「二十一世紀の高齢化社会をどう乗り越えていくか。われわれは、おなじ日本丸に乗っている。その乗船料、くだけた言葉でいえば町内会費を皆さんで負担してもらう。そのことを訴えようではないか」
 二階はそんな議論を聞きながら、大平正芳元首相のことを思い起こしていた。
 昭和五十三年十一月、自民党の総裁予備選が行なわれた。大平は二階の地元和歌山県に遊説にやってきた。
 当時、二階は自民党所属の県会議員であった。和歌山県は他県に比べ、道路政策や交通政策が大きく遅れていた。二階は大平首相が誕生すれば、和歌山にとって何かやってくれるのではないかという期待を込めて集会に参加した。
 そのとき、大平は極めて正直に語りかけた。
「政治に過度の期待をかけてくださるな。私が自民党総裁になり、総理の座についても、それほど大きなことができるわけではありません。しかし、今回、総裁選に立候補した。支援をお願いします」
 二階は感銘を受けた。
〈さすがクリスチャンの大平さんだ。なんとしても当選したいと願えば、本当は甘いことばかり言いたいところだ。実現が難しくても、和歌山に公共投資を増やします、とでも言えば、票は入る。しかし、大平さんは、敢えてそれを言わない。なんて正直な人なんだ。信頼できる政治家だ〉
 小沢も党首選にのぞむにあたって、本当は甘いことを言いたいはずである。が、敢えて厳しい政策を打ち出した。きちんとした展望を示すことによって、支持を広げようとしているのである。
 さて、議論の結果、プロジェクトチームのメンバーは、小沢の政策を受け入れることを決めた。さっそく、十日夜に小沢に連絡を入れた。
「われわれは、小沢幹事長の政策を支持します」
 小沢は答えた。
「そうか、ありがとう。それじゃ、立候補の要請に署名して頂いた議員の皆さんに、朝までかかっても確認をとってくれませんか」
 二階は言った。
「しかし、今日は日曜日です。大半の議員は、地元に帰っています。それに携帯電話の電波の届かないところは、日本の半分以上あります。そこに全国の国会議員がいますから、連絡が取れるどうか‥‥‥‥」
「日本中のどこにいても、本人のご理解を得てください。見つけ出して、確認をとってください」
「わかりました。やってみます」
 二階らは十二月十日夜から電話をかけまくった。朝までに、なんと八〇人近くの了解を得た。
 二階は胸をなでおろした。
 十二月十一日午前九時前、小沢を乗せた飛行機が大阪の関西国際空港に下り立った。たまたま神戸に会議のあった二階も同行した。
 二階らが空港のロビーを歩いていると、修学旅行らしき四、五〇〇人の女子高生の一行と出くわした。小沢の姿を見つけると、いっせいに黄色い声をあげた。
「キャーッ! 小沢さんよ」
「ほんとうだ! サインもらおう」
「早く、写真撮って!」
 空港ロビーは、大騒ぎになった。
 ところが、当の小沢は立ち止まって手を振るでもなく、護衛に守られながらスタスタと出口に向かって歩いていく。小沢はすごくシャイであった。
 二階は彼女たちの興奮ぶりに驚きを隠せなかった。
〈これはアイドル・スター並みの人気じゃないか。いや、それ以上かもしれない。小沢先生は、ベテラン議員や財界人、あるいは玄人からの評価が高いのは知っていた。だが、まさかこれほど若者に人気があるとは思ってもみなかった。幸先がいい。かならず小沢ブームが起こる‥‥‥‥〉
 午後四時、小沢は、大阪市内のロイヤルホテルで記者会見し、十六日告示の党首選に自ら立候補する考えを正式に表明した。
「同僚議員らから強い要請があり、断れば政治家として責任回避になる。政策提言について支持グループの同意も得、海部党首からも『バトンを渡す』と託された。国民の暮らしを守るビジョンをきちんと示すことが政治に求められている」
 十二月十六日、党首選が告示された。小沢と羽田の戦いとなった。小沢陣営の選対座長に就任した二階は小沢と選対名簿を見つめながら、つぶやいた。
「小沢先生を支持し、ついていくからといっても、格別いいことがあるわけじゃない。むしろ、その逆です。厳しく重い政策だが、これが国民のためになるという信念で、これから急な坂道を小沢一郎と共に歩き続けねばならない。そんな峻しい道であるにもかかわらず、これだけの国会議員が賛同してくれた。すばらしいことですよ」
 小沢は黙ったまま、大きくうなずいた。
 二階は思っていた。
〈有権者に向かって、私が当選すれば公共投資を増やします、などというバラ色のことを言えば、いっときは喜ばれるかもしれない。しかし、政治で一番大事なことは嘘をつかないことだ。本音で語りかけ、信頼を得ることではないか。そのことが、大きなパワーになってくる〉
 二階は選対座長として全国の状況を詳細に分析した。小沢の政策を評価してくれたのであろう。支持の輪は、確実に全国に広がっていた。
 二階は思った。
〈これまで小沢先生は、総理や党首といったトップの座から常に一歩身を引き、謙虚に裏方に徹し、あまりでしゃばるタイプではないので、控え目にしておられた。本人も裏方のほうが好きだという。しかし、地方で行なわれる演説会やパーティーでは、主役として出席してほしい、という要請が圧倒的に多かった。国民は阪神大震災、地下鉄サリン事件、景気低迷などで不安を感じている。なんとかしてくれ、と政治に期待している。しかし、村山内閣はなんら適切な政治運営をしてこなかった。小沢先生は、マスコミに「剛腕」「独断先行」などといわれ、マイナスイメージで語り継がれてきた。しかし、国民は遠くからちゃんと見ている。この剛腕にこそ、期待しているんだ〉
 二階は選挙期間中、一度も地元和歌山県には帰れなかった。地元の情勢は、秘書や後援会幹部から電話で聞かされた。和歌山でも小沢支持が圧倒的に多いという。
 二階は勝利を確信した。
〈よし、いけた〉
 十二月二十七日、小沢は一二〇万票を集め大勝した。
 二階は正月を迎えるにあたり、地元に帰り、党首選でのお礼を言うため、後援会幹部に挨拶に出向いた。
 そのとき幹部から言われた。
「どうして、もっと投票用紙をくれなかったんですか。足りなかったですよ」
 二階は小沢支持票は飽和点に達していると思っていた。だが、まだまだ伸びる余地があったことを知り、改めて小沢待望の声の大きさを実感した。
〈若き日のケネディがアメリカ大統領に当選したとき、この歴史の松明を灯し続けよう、そして、ともに前進しようと国民に呼びかけ、その魅力によってアメリカの世論をひとつにまとめた。このことは他国からの信頼を得ることにもつながり、国のパワーにもなっていく。日本国民は、いまそれを求めているのではないか。そんな時期に小沢先生が登場したのだ〉

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