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 昭和二十九年四月、二階は県立日高高校に入学、友だちに誘われるまま、バレーボール部に入部した。しかし、上背があるわけでもなく、バレーボールでは先がないと思い、一年で退部した。
 二年に進級すると、今度は、新聞部の友だちに誘われた。
「新聞を、作ってみないか」
 二階は父親が新聞記者をやっていたこともあり、新聞に興味を抱いていた。
「よし、やろう」
 二階は学校新聞づくりにのめり込んだ。記事を書き、広告をとり、先生に引率され、大阪まで印刷の校正に出かけた。全国学校新聞コンクールに出展したこともあった。
 昭和三十一年二月、日高高校は選抜高校野球選手権大会、いわゆる春の甲子園への出場を決めた。学校創立五〇周年にして、初めてつかんだ甲子園へのキップであった。
 二階は野球部員を激励するため、野球部のグランドを訪れた。レギュラーのうち玉置和賢、藤川博司の二人が、二階と小学校時代にいっしょに草野球をした仲間であった。
 二階はエースの玉置忠男、主力打者の三木努、キャプテンの田端保雄、さらにマネージャーの林宏和らに熱心に頼まれた。
「うちの学校には、応援団がないだろう。甲子園に出場する学校で応援団のないのは、うちだけだ。応援団がないのは、学校の仲間に期待されていないようで寂しい。おれたちには、勝ち抜く力はある。絶対に、一回や二回は勝つ。応援団を結成するよう、呼びかけてくれないか」
 二階はこのとき、新聞部の部長を務めていた。二つ返事で引き受けた。
「よし、わかった」
 二階はさっそく学校新聞の社説ならぬ校説を書いた。大見出しをつけ、全校生徒に呼びかけた。
「全校挙げて、応援を!」
「応援団の結成を、急げ!」
 その甲斐あって応援団結成の気運がしだいに高まってきた。しかし、応援団の応援方法は長年培ってきた、いわば伝統である。一朝一夕には、できるものではない。
 二階は大阪経済大学の教授をしている伯父の古久保五郎に相談をもちかけた。
「日高が甲子園に出るんですが、応援団がないんです。どうすれば、できるでしょうか」
 伯父は、頭を横に振った。
「やめといたほうがいいよ。一か月やそこらで、できるもんじゃない」
 しかし、二階はあきらめなかった。
〈そうは言っても、せっかく友人たちが甲子園に出るんだ。応援団がなければ、選手の意気も上がらないだろう〉
 二階は友人や知人に相談して歩いた。
 ある友人から、アドバイスされた。
「龍谷大学の応援団長は、日高高校のOBの浮津直道という人らしいよ。話を聞いてみたら、どうだ」
 二階はさっそく連絡をとり、交渉した。
「応援団をつくりたいのですが、協力してもらえませんか」
「いいだろう。休みの日に教えにいく。うちの大学の空手部の主将の大畑正法も、日高高校OBだ。かれにも声をかけて、四、五人でいく」
「よろしくお願いします」
 二階は胸を踊らせた。
〈これで、応援団がつくれるぞ〉
 二階はさっそく仲間に報告した。
「先輩が、応援団の結成に協力してくれる。こっちも早く受け入れ体制をつくろう。団員を集めようじゃないか」
 仲間のひとりが、言った。
「しかし、待てよ。応援団には団長が必要なんじゃないか」
 二階は答えた。
「それも、そうだな」
 全員、顔を見合わせた。
 やがて、視線が二階に向けられた。
「二階、そもそもおまえが言いだしっぺなんだから、その責任をとれよ。おまえが、団長をやればいい」
「えっ! おれがやるのか」
 仲間は、声を合わせて、
「そうだ、それがいい」
 結局、二階が応援団長を引き受ける羽目になってしまった。応援団員を募集し、十数人が集まった。
 数日後、龍谷大学の応援団長が空手部の主将たち数人を引き連れてやってきた。いよいよ、練習を始めることになった。
 応援団長の挨拶のあと、なぜか空手部の主将が瓦割りを披露した。
「エイヤッ!」
 瓦はみごとに真っ二つに割れた。
 二階は体を振るわせた。
〈こりゃ、真剣にやらないと、ぶん殴られるな‥‥‥‥〉
 二階らは煙樹ヶ浜で特訓を受けた。甲子園では、マイクを使えない。地声が命である。しかし、浜辺は風が強い。声が、なかなか通りにくい。団員は、声をそろえて懸命に大声を張り上げた。
 さらに、四・三拍子などという、いままで聞いたこともない応援方法も教わった。応援団として、なんとか様になってきた。
 だが、校歌を合唱する段階になって、はたと気付いた。
〈なにか、物足りないと思ったら、伴奏がないんだ〉
 校歌斉唱をより盛り上げるには、ブラスバンドが必要である。しかし、日高高校は、ブラスバンド部がなかった。
 二階はひらめいた。
〈御坊中学校に、協力してもらおう〉
 二階は御坊中学校時代の担任の先生のもとに出向いた。
「うちの高校の野球部は、御坊中学校出身者が多いんです。ですから、先生も甲子園に応援にきてくださいよ」
「都合がついたら、行くつもりだよ」
 二階は本題を切り出した。
「日高高校には、ブラスバンド部がないんです。ついては、ブラスバンド部を貸してもらえませんか。甲子園にいく往復の旅費しか準備できませんが、なんとか協力してくださいよ」
「うーん‥‥‥‥。おれの一存では、なんとも答えようがないな。校長や教頭に相談してみるよ」
「よろしくお願いします」
 やがて、オーケーの返事がきた。
 しかし、二階はまだ何かものたりなさを感じた。
〈応援団は、なんとか形になった。ブラスバンド部も確保できた。しかし、何かまだ足りない。そうだ、女子の応援だ。こうなったら女子の応援団を結成しよう。これなら、甲子園もびっくりするぞ〉
 いまでこそ、チアガールの存在はめずらしいものではないが、この当時、チアガールの応援など皆無であった。
 二階は女子リーダーの募集を始めた。
 だが、なかなか集まらなかった。女友だちに声をかけたが、みな嫌がった。
「いやよ。人前でそんなことをすれば、お嫁にいけなくなっちゃう」
 二階は懸命に説得した。
「そんなこと心配するな。一人くらいは、応援団か野球部のだれかが、責任を持つからさ‥‥‥‥」
 なんとか頼み込み、一〇人の女子リーダーを編成することができた。が、チアリーダーといっても、ズボンの上にセーラー服を着せたような、極めて地味で穏やかなものであった。
 こうして、二階は応援団、ブラスバンド部、女子リーダーをまとめあげた。が、二階には、さらに大仕事が残っていた。かれらを甲子園に連れていく旅費である。
 二階は奔走し、寄付金集めに走ってまわった。
 それ以外にも、いろいろな細かい打ち合せや小道具づくりなどに忙殺された。そのおかげで時間の都合がつかず、高校生活の思い出となる修学旅行に参加できなかった。
 四月一日、甲子園が開幕した。
 日高高校は、いきなり初日の開会式直後の第一試合に富山県の滑川高校との対戦、雨天のなか白熱した投手戦となった。
 応援団員は、わずか一か月の急造とは思えぬほど、みごとな応援ぶりを披露した。女子リーダーも、注目の的となった。報道陣が取り囲み、しきりにカメラで撮影している。
 二階はほくそえんだ。
〈このくらい盛り上がれば、選手も発奮してくれるだろう〉
 試合は、一対一のまま延長戦に突入した。
 このとき、それまで小降りであった雨が激しく降り出した。延長一〇回を終えた段階で引き分けとなり、翌日、再試合が行なわれることになった。
 二階は頭を抱えこんだ。
〈最悪の結果になってしまった〉
 二階は口では、「一回戦は、絶対突破できる」と長谷川治監督や選手たちは言ったものの、本心では勝てるとは思っていなかった。それゆえ、応援団の旅費も、一回戦で終わるという段取りしかしていない。前日の宿泊費は用意していた。が、もう一泊するだけの余裕はなかった。
 二階は応援団員に向かって頭を下げた。
「みなさん全員を宿泊させる予算がありません。大阪や兵庫に親戚のある人は、そこに泊めてもらってください。そうでない方は、いったん自宅に戻ってください。そしてもう一度、明日、応援にきてください」
 しかし、翌日も日高高校は第一試合に組まれている。これが、第二試合、第三試合なら時間的に間に合うであろう。が、朝早い第一試合に電車で駆け付けることなど不可能であった。
 翌朝、二階は日高高校の応援席側である三塁側のアルプススタンドに入った。開始時間が迫っても、やはりスタンドには空席が目立っていた。頼みの綱である御坊中学校のブラスバンド部も来ていない。
〈野球部には、もうしわけないな‥‥‥‥〉
 二階はふとスタンドの後方を見た。すると、第二試合に出場する広島商業の応援団がすでに来ていた。
 二階は思いついた。
〈そうだ、かれらに協力してもらおう〉
 二階は広島商業の応援団長に事情を説明し、話をもちかけた。
「あまりにも寂しいので、鳴り物を協力してくれませんか。その代わり、われわれも第二試合に残って、広商を応援しますから」
 話はついた。日高高校応援団は、太鼓を叩き、広島商業応援団は伝統の宮島のしゃもじを使って応援してくれた。幸いなことに、両校とも一回戦を突破した。
 日高高校は、トーナメント方式の妙で第三回戦に進んだ。一回戦勝っただけで、なんとベスト8入りしたのである。地元も盛り上がりを見せた。応援団を甲子園に送りこもうと寄付金も集まった。
 第三回戦の対戦相手は、優勝候補の東京の日大三高であった。のちに、プロ野球の阪神タイガースに入団する並木輝男をエースに擁していた。
 当日、二階らがスタンドに入ると、地元の県立尼崎高校の応援団が試合を終え、帰り支度をしていた。二階はスタンドの最前列に置かれている大きな台に眼をつけた。県立尼崎高校のエースは、のちにプロ野球の中日ドラゴンズに入団する今津光男であった。応援にも熱を入れ、応援団のリーダーが動きやすくするため、大きな台を持ち込んでいた。
 二階は、尼崎高校の応援団長をつかまえると、頭を下げた。
「この台を貸してくれませんか」
「いいですよ」
 二階は、広島商業応援団に続き、尼崎高校応援団の協力も得ることになった。
 日高高校は、優勝候補の日大三高を相手に互角の勝負を展開した。自然と応援にも熱が入った。二階は、応援団長として、喉が張り裂けんばかりの大声を出した。
 回は進み、日高高校の攻撃になった。先頭打者のキャプテンの田端保雄が、二塁打を放った。追加点のチャンスである。スタンドは、沸き返った。ところが、いきなり歓声が溜め息に変わった。
 応援団長は、グランドに背を向けている。それゆえ、二階には、事情が呑み込めなかった。後を振り返ると、二塁走者が、すごすごとベンチに帰ってくるではないか。
〈何が起こったのだろう‥‥‥‥〉
 二階は、眼の前にいる観客に訊いた。
「どうしたんですか」
「いやぁ、隠し玉にあったんですよ」
 二階は肩を落とした。
〈やはり都会のチームだな。隠し玉を使うなんて、思いもよらないよ‥‥‥‥〉
 この隠し玉が影響したのか、それまで日高高校の押せ押せムードであった試合の流れが、がらりと変わってしまった。波に乗れず、二対四で惜敗した。
 だが、二階には悔いはなかった。
〈やるだけのことはやった。修学旅行にはいけなかったが、野球部のおかげで、楽しい青春の一ページを飾ることができた〉
 なお、甲子園大会終了後、日高高校応援団は新聞記者などが投票する優秀応援団の一校に選ばれた。このときの応援団の型は、現在も受け継がれ、当時の応援団員と野球部員は、いまでも年に一回集まり、当時のことを思い出しながら、酒をくみかわしている。

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