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 昭和三十一年春、二階俊博は和歌山県立日高高校の三年生に進級した。
 まもなく、生徒会長選挙が行なわれることになった。日高高校の生徒会長の任期は、四月から九月まで前期、残りを後期として務める二期制であった。
 応援団長として獅子奮迅の働きをし、そのリーダーシップが認められた二階は、応援団員、野球部員から立候補を勧められた。
「生徒会長選挙に出ろよ。おまえなら、絶対に当選する。おれたちも、一生懸命応援するから」
 しかし、二階はあまり乗り気ではなかった。
「無投票なら、やってもいいけどな」
「そんなこと言わずに、出ろよ」
 二階は執拗に勧められ、どうしても断りきれなくなった。やむなく立候補した。
 立候補者は、二階を含め二人であった。投票の結果、二階は圧倒的勝利をおさめた。
 それからまもなくのことである。全学連の影響から、県下の各校で授業料値上げ反対運動が起こった。二階のもとに、県下生徒会長会議の通知が届けられた。
 二階は顔をしかめた。
〈勉強するための環境を改善しようという趣旨ならいい。だが、授業料の値上げ問題に踏み込み、なおかつ署名を携えて県知事に直接話をしにいくなんていうのは、本来の生徒会の仕事じゃない〉
 県下生徒会長会議の話を聞きつけたのであろう。やがて、松山儀蔵校長から呼び出しを受けた。校長は、言ってきた。
「生徒会長会議があるようだが、きみも出席するつもりか」
 二階はきっぱりと答えた。
「出席しますが、授業料値上げ反対運動に同調するつもりはありません」
 校長は安堵の表情を浮かべた。
「そうか、良かった。きみも知ってのとおり、今度、わが校は、普通科と商業・工業科に分離することになった。教育委員会にも、県にも、世話になっている。それなのに、授業料値上げ反対運動なんてやってもらったのでは、学校としても校長としても、県に対して困るからなぁ」
 二階は言った。
「ただお願いがあります。授業料値上げ反対運動をしない代わりに、その捌け口として、校内緑化運動をやりたいと思います。金をかけるなら、植木屋に頼めばいい。しかし、金はいっさい使わず、全校生徒の協力で校庭のまわりに花壇をつくり、緑を植えるんです。田んぼの畦道を歩けば、クローバーなどいくらでも生えている。それを、全校生徒でとりに出かけるのです」
「なるほど、いいだろう」
 二階は校長のお墨付をもらうと、すかさず校内緑化運動に取りかかった。緑を植える花壇には、やわらかい土がいる。そこで、ダンプカーを持っている生徒の父親の協力を得て、山から土を運んできてもらった。全校生徒が汗を流して花壇をつくり、緑を植えた。
 二階は苦労してつくりあげた花壇を荒らされぬよう看板を立てることにした。しかし、「入るな!」という看板では、いくらなんでもかっこうが悪い。そこで、英語の辞書を引っ張ってみた。「KEEP THE GRASS」という言葉を見つけた。
〈これにしよう〉
 二階は看板にその英語を書いて立てた。
 初夏を迎え、学校祭が行なわれることになった。二階は、その際、あることを考えていた。国旗掲揚と国歌斉唱である。
 二階は小学校のころから不満に思っていた。
〈世界中のどこの国にも、その国の象徴としての国旗があり、国歌がある。それなのに、なぜ入学式や卒業式などの記念すべき日に、日の丸を掲げてはいけないのか。君が代を歌っては、いけないのか〉
 二階はひそかに準備にかかった。極秘裡に全校生徒に根回しをした。
「学校祭当日の開会式で、国旗掲揚と国歌斉唱をする」
 しかし、校庭には国旗を掲揚するポールがなかった。そこで同級生の父親の原見柳氏に約二五メートルほどの檜づくりのポールをつくってもらった。
 さらに、親しかった音楽の祐田信雄先生に頼み込んだ。
「学校祭当日、開会式で君が代を斉唱します。そのとき、タクトを振ってくれませんか。しかし、そのことは、職員会議などでうるさいかもしれませんが、生徒会から頼まれたと言ってください」
 国旗掲揚と国歌斉唱をすることを前もって発覚したら、大変なことになる。そんな時代であった。
 音楽の祐田先生は、理解を示してくれた。
「わかった。タクトをふることが、音楽教師の務めだ」
 その日がやってきた。学校祭の開会式の時間になると、先生たちが職員室から校庭に出てきた。校庭には、昨日までなかった国旗掲揚の立派なポールが立っている。唖然とした表情で見つめていた。
 進行担当の生徒が、号令をかけた。
「国旗掲揚台に向かって、回れ右! 国歌斉唱」
 生徒たちは、いっせいに回れ右をした。
 しかし、まったく動こうとしない同級生が二人いた。二階は不思議に思った。
〈どうして、この二人は、回れ右をしないのだろう‥‥‥‥〉
 二階はその二人と仲が良かった。文句があるなら面と向かって言ってくるはずである。が、それもなかった。のちに、二階はかれらが左翼にかなり傾いていたことを知る‥‥‥。
 秋を迎え、本格的な受験シーズンが到来した。が、二階は自分の将来について、それほど深く考えていなかった。
 周囲は、「お父さんのあとを継いで、政治家になれ」「お母さんのあとを継いで、医者になれ」とやかましく言ってくる。
 しかし、二階は政治家になるつもりはまったくなかった。昭和三十年四月、公職追放を解除された父親の俊太郎は、県議選に出馬した。が、落選していた。息子と同じ苦労を孫にも味わせたくないのであろう。二階は祖母の加津からも言われた。
「政治の道なんか、やめたほうがいいよ。家の者は、みんな苦労するんだから、大変だよ」
 二階も思っていた。
〈たしかに、政治家はあまり魅力のある仕事ではないな‥‥‥‥〉
 そうかといって、二階は、医者になるつもりもなかった。母親を見ていると、めったに休みがとれない。深夜でも平気で診察をさせられる。わりに合わない仕事だ、と思っていた。
 それに二階は医者の息子でありながら、注射が大嫌いであった。自分が嫌いなものを、人にすることなどもってのほかだった。
 二階は、漠然と考えていた。
〈どこかの企業に入って、サラリーマンにでもなろう。大学は、どこでもいい〉
 二階は地元から近い立命舘や同志社など関西の大学を受験しようと考えた。が、新聞部の顧問の津本誠一郎先生の一言が、妙に心に引っかかっていた。
「男なら、箱根を越えないといけない。関西にも立派な大学はたくさんあるが、できれば東京にいったほうがいい。政治家や文学者、経済人など、いろんな人にあえる。講演も聞ける。それもまた、勉強のひとつだ」
 二階はその言葉に影響され父親が学んだ東京の中央大学を受験することにした。こうして、昭和三十二年四月、中央大学法学部政治学科に入学した。

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