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 中央大学時代、二階には心に残る三人の教授がいた。
 一人は公明選挙理事を歴任し、昭和三十四年に急逝する川原吉次郎教授である。川原教授は生前、語っていた。
「満員電車の状況を体験したものでないと、本当の政治は語れない」
 国会議員は、大きな車の後部座席にふんぞりかえって座っているイメージのあった時代である。それだけに、川原教授の言葉がひどく胸に残った。
 小松春男教授の人情味、人間味あふれる西洋政治史の名調子の講義も印象的であった。
 二階が特にショッキングだったのは、中央大学に講師として招かれ、大衆文化を講義してくれた社会学の樺俊雄教授であった。樺教授は、昭和三十五年六月十五日に安保改定阻止のデモ隊のひとりとして国会に突入し、死亡した樺美智子の父親である。娘の死という悲しみを乗り越え、その後も講義を続けた。ノンポリであった二階は、デモ隊に参加はしなかったが、樺教授にどのように慰めの声をかけていいのかわからなかった。
 やがて大学四年生となり、就職シーズンを迎えた。が、国内は安保改定の嵐が尾を引き、学生は就職難に陥っていた。
 二階は思った。
〈このまますぐに就職せず、この際、一年遊んでやれ。まだ若いし、一年くらいの遅れはどうにでもなる。さて、何をしようか‥‥‥‥〉
 そんなある日のことである。
 二階は文京区公会堂で開かれた自民党の大演説会にぶらりと立ち寄った。江ア真澄、中曽根康弘、安井謙、中村梅吉らが、三〇〇〇人の聴衆を相手に次々と演説をぶった。なかでも、江アと中曽根の演説のうまさは秀でていた。安保改定で混乱している世相を、わずか二〇分たらずの持ち時間で、快刀乱麻を断つごとくバッサバッサと切っていく。三〇〇〇人の聴衆は、すっかり魅了されてしまった。
 二階は興奮した。
〈すごい‥‥‥‥。安保をめぐっての大混乱のなかで、国の将来の展望をみごとに指し示す政治家とは、えらいもんなんだな〉
 演説会終了後、二階はそのまま神田の本屋に向かった。江ア真澄にひどく興味を抱いていた。
 ある雑誌を開くと、江アのことが載っていた。江アは、小沢佐重喜、遠藤三郎らと、近く岸内閣の外相を務めた藤山愛一郎を領袖とする藤山派を旗揚げすると書かれている。
 二階は胸を踊らせた。
〈よし、江ア先生の秘書をやらせてもらおう。政治家になるつもりはないが、政治の側から世の中を見てみるのも勉強だ〉
 二階はさっそく郷里和歌山県にいる父親に連絡をとった。父親の俊太郎は、昭和三十四年四月、自民党非公認の悪条件のまま県議選に出馬し、十数年ぶりに県議に返り咲いていた。
 二階は言った。
「よく子供の頃から話してくれた遠藤先生を、紹介してもらえませんか」
 遠藤は戦時中の昭和十七年、農林省から和歌山県の経済部長として出向してきた。そのとき、県会議員であった俊太郎と親しくなり、遠藤が東京に帰ってからも、交流が続いていた。二階はそのことを思いついたのである。
 父親が訊いてきた。
「紹介することは、やぶさかでない。しかし、なにをお願いしにいくんだ」
 二階は素直に打ち明けた。
「じつは、江ア真澄先生の秘書になりたいんです」
 父親は大声を上げた。
「なんだ! 秘書だと‥‥‥‥」
「ええ、遠藤先生に、江ア先生を紹介してもらいたいんです」
 父親は反対した。
「悪いことはいわない。秘書なんて、やめたほうがいい。秘書は大変な仕事だぞ。その政治家に心底惚れ込まないと、努まらん」
 二階は答えた。
「いや、長くやるつもりはないんだ。一年でいい。そのあとは、どこかの企業に就職するから」
「そうか。いずれにしても、遠藤先生に会うことは、悪いことではない。紹介するから、会いにいってこい」
 二階は遠藤のもとを訪ねた。父親から事情を聞かされたのであろう。あっさりと言った。
「よし、わかった。江アさんに言っておいてあげるよ」
「よろしくお願いします」
 まもなく、下宿先に遠藤から電話があった。二階は、後楽園球場の近くに下宿していた。
「秘書の件だが、江アさんは、ついこの間、やはり秘書になりたいという地元後援会の有力者の子弟を断ったばかりだと言うんだ。その矢先に、きみを雇うわけにはいかないだろう」
 二階は答えた。
「そうですか。残念です‥‥‥‥」
 遠藤は続けた。
「そこでだが、藤山愛一郎さんは、大物政治家だ。近い将来、絶対に総理大臣になる。その藤山さんの秘書になったら、どうか」
 二階は唐突に言われ、迷ってしまった。
〈どうしようか‥‥‥‥〉
 が、乗りかかった船である。
 覚悟を決めた。
「わかりました。それで、どうすればよろしいでしょうか」
「きみのお父さんの意思も確かめないといかんだろう。お父さんに上京してもらって、三人で藤山さんに会いにいこう」
 こうして、二階は、父親と遠藤と三人で港区赤坂にあるホテル・ニュージャパン内の藤山の個人事務所を訪ねた。藤山は政界入りする前、大日本製糖、日本化学、蔵王鉱業、日東製紙の四社を中心に十数社による藤山コンツェルンの総帥であった。四十四歳の若さで日本商工会議所会頭のポストにも就き、財界トップの座にあった。それだけに、ひどく上品なたたずまいをしていた。品のいい銀髪が特に印象的であった。
 やがて、遠藤から電話がかかってきた。
「藤山さんが、オーケーしてくれた」
「そうですか。ありがとうございます」
「しかしな、藤山さんは、有力な総理大臣候補だ。それだけに大日本製糖の役員や外務省の参事官、はたまた新聞社の政治部キャップなど錚々たるメンバーが秘書として仕えている。きみは、その下になってしまう。それで、いいか。たしかに、『藤山の秘書です』と名乗れるのは、かっこうがいい。だけど、政治の勉強にならないかもしれないぞ。ほんとうに政治を勉強したいなら、ぼくのところにきたらいい」
 遠藤は二階が父親のあとを継ぎ、政治の道を目指すため、秘書になりたいのだと思っていたのであろう。二階の将来を考えてのはからいであった。
 だが、当の二階は政治家になるつもりはまったくなかった。ましてや、遠藤の秘書になることなど夢にも思っていない。
 しかし、自分の将来について親身になって相談にのってくれた遠藤に「先生の秘書になるなど考えてもいませんでした」とは口が裂けても言えない。
 二階は窮余の一策を講じた。
〈とりあえず、半年だけ秘書をやらせてもらおう。そのあと、どこかのサラリーマンになればいい〉
 二階は申し出た。
「それでは、半年だけお願いできますか」
 こうして、二階は昭和三十六年春、中央大学法学部政治学科を卒業後、遠藤の秘書として社会人の第一歩を踏み出した。

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