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田中派(木曜クラブ)から出馬
 二階は江アに出馬の決意を伝えるため、後援者となってくれた日高郡の町村長と共に上京し、江アの事務所が入っている砂防会館に出向いた。砂防会館には、田中派の派閥事務所もある。江アと談笑していると、やがて小沢一郎、愛野興一郎が顔を見せた。愛野とは、二階が遠藤三郎の秘書を務めていた時代からの知り合いであった。
 二階は後援者を紹介していった。
 すると、小沢は感心して言った。
「郡の全町長、全村長さんが来てくれるなんて、すごいな。そんな簡単にできるもんじゃないよ。おれは十年以上、代議士をやっているけど、あんたは、まだ代議士にもなっていないのにな」
 その後、二階は江アや小沢との関係もあり、田中派の候補として出馬することを決めた。江アに連れられて、砂防会館の近くのイトーピア平河町ビル内にある田中角栄の個人事務所に出向いた。
 田中は二階の顔をじっくりと見ながら言った。
「ここにいる江ア君をはじめ旧藤山派のひとたちのほとんどが、木曜クラブにきている。遠藤三郎さんの秘書だった二階君が、うちにくるのは、自然の姿だよ。きみは、外から見ると、欠点はなさそうだし、間違いなく当選するよ」
 田中は選挙の神様といわれている。その田中に「当選する」と言われて悪い気はしない。しかし、二階はにわかに信じがたかった。思わず、聞き返した。
「そんなこと、どうしてわかるんですか」
 田中は手に持った扇子をせわしなくあおぎながら、茶目っ気たっぷりに言った。
「おれは毎日、馬を見て暮らしているんだ。この馬は、中央競馬に出してだいじょうぶか、この馬は地方競馬どまりか、この馬は馬車馬にしかならない、ということをずっと見てきた。だいじょうぶ、きみは中央競馬に出れるよ」
 その後、二階は記者会見を開き、次期総選挙に出馬することを明らかにした。県議の後継者も指名した。
 ところが、予期せぬことが起こった。和歌山二区選出の早川が急死してしまったのである。しかも、その後継者に参議院議員を三期務め、宗教政治研究会を主宰する実力者玉置和郎が座った。二階は厳しい戦いを強いられることになった。
 さらに、二階は知り合いの中央紙の記者に言われた。
「いつ選挙になるかわからないが、十月にはロッキード事件で逮捕された角栄さんの判決が出る。ベテランや力のある現職国会議員なら別だけど、新人が田中派を名乗って出馬するのは、大変なことだよ」
 その記者は、二階のことを思って助言してくれたのであろう。
 しかし、二階は覚悟を決めていた。
〈私は、すでに田中先生の門をたたき、江ア先生や小沢先生をはじめ田中派の議員とかねてより親しくおつき合いし、ご指導を頂いている。新人に不利だからといって、別の派閥から出ます、ということは性格に合わない。火薬庫が爆発して、自分のようなものは、木っ端微塵に吹き飛ばされるかもしれない。しかし、それでもいい。前進あるのみだ〉
 昭和五十八年九月十二日、著書「明日への挑戦」の出版記念パーティーが東京プリンスホテルで開かれることになった。出版記念パーティーといっても、決起集会のようなものである。地元から後援者がバス一〇台を連ねてやってくることになった。
 田中角栄も、ゲストとして出席してくれることになった。しかも、後援者たちといっしょに写真に収まってくれるという。後援者にとっては、それが楽しみのひとつであった。
 ところが、出版記念パーティーを数日後にひかえたある日、愛宕警察署から電話が入った。愛宕警察署は、東京プリンスホテルを所轄していた。
「御存じのように、田中先生は、十月十二日に裁判の判決をひかえています。大変、緊迫した状況にあり、身辺警護も容易ではありません。パーティーに出席することは仕方ありませんが、後援者と写真を撮るのだけはやめてもらえませんか。どうしても、そのときだけ警備が手薄になりますから」
 二階は憮然として答えた。
「田中先生ご自身が、『危険だから、やめる』と言うなら、一も二もなく従います。ただ、それは田中先生の判断ではないでしょうか。とりあえず、私のほうから田中先生に相談してみます」
 二階は直ちに田中に連絡を入れ、事情を説明した。
 田中はきっぱりと言った。
「おれは、そんなことを心配していない。恐れる気持ちもない。計画どおりやってくれればいい」
 二階は胸をなでおろした。
〈これで、田中先生といっしょに写真が撮れることを楽しみにしている後援者たちにも、喜んでもらえる〉
 パーティー当日は、裁判の判決をひかえているため、テレビ局をはじめとする報道関係者が多数詰めかけた。田中がゲストとして挨拶に立った。その一流の話術で出席者を魅了していく。そのなかで、のちにたびたびテレビで放映されることになる有名な言葉を吐いた。
「まぁ、皆さん、夕涼みをしていれば、アブも飛んでくるし、蜂にも刺されますよ」
 田中の秘書榎本敏夫の妻三恵子が爆弾発言をし、話題となった「蜂の一刺し」を皮肉っての発言であった。
 十月十二日、二階は、選挙運動の打ち合わせをするため、和歌山市にある連絡事務所に向かった。連絡事務所に到着すると、テレビ局の中継車が三台も四台も連絡事務所前に止まっていた。二階はいぶかしんだ。
〈今日は、なにかあるのかな‥‥‥‥〉
 二階が連絡事務所に入ると、テレビ局の記者が、声をかけてきた。
「十時に田中さんの判決が出ますので、その感想をカメラに向かって話してください」
 なんと、二階のコメントをとるためにテレビ局が集まっていたのである。
 二階はとまどった。
〈おれのような新人候補のコメントをとりにくるとは、思いもしなかったな‥‥‥‥〉
 午前十時、判決が下った。東京地裁の岡田光了裁判長は田中に対し、懲役四年、追徴金五億円の実刑を宣告した。首相の職権を利用した収賄事件で、実刑判決が出たのは、初めてのことであった。
 二階はカメラに向かって語りかけた。
「田中先生は、新潟の雪深い雪国から国政に出てこられ、郷土のため、さらには国のために懸命に働いてこられた。これから、この裁判がどのように展開していくのかわかりませんが、裁判は裁判として考え、私はこれまで通り、人間としておつき合いさせて頂きます。どんな立場になろうとも、私は田中先生と何もなかったと、その関係を否定するつもりはまったくありません。今後も、政治家としてのご指導を頂きます」

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