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 十一月二十八日、中曾根康弘首相は衆議院を解散した。十二月十八日投票の、いわゆる「田中判決選挙」に突入することになった。
 告示の三日前、田中角栄から、電話が入った。
「選挙の情勢を聞きたいから、すぐ上京するように」
 紀伊半島南端の新宮市から夜行列車に乗って、目白の田中邸に向かった。
 田中は二階の顔を見るなり、訊いた。
「きみの選挙区には、どのくらい市町村があるんだ」
「三十三市町村です」
「そうか。それじゃ、そのひとつひとつの状況を言ってみろ」
 二階は眼を丸くした。
「えっ! ひとつひとつですか‥‥‥‥」
「そうだ」
 二階は、言われた通り、三十三市町村の状況をひとつひとつ報告していった。
 田中は熱心に耳を傾け、「なぜ、そんなに少ないんだ」「そうか、そんなに取れるのか」といった具合に点検してくる。
 二階はそのたびに理由を説明した。
 二階は有田郡清水町について報告した。
「清水町の有権者は、四〇〇〇人ですが、私は、一〇〇票しか取れないでしょう」
 田中はダミ声で訊いてきた。
「一〇〇票とは、なんだ!」
 二階は説明した。
「ここは、正示先生の生まれ故郷なんです。ですから、敢えて入らないようにしているんです。生まれ故郷の地盤を荒らすようなことは、私の性に合いませんからね」
 田中は鼻をならした。
「ふーん、そうか。ま、一〇〇票だったら、ただの泡沫候補でも取れるな」
 二階は思わず苦笑した。
 まもなく、三十三市町村すべての点検が終わった。二階は、新人候補のために、わざわざ時間をかけて、ひとつひとつ点検してくれた田中を心から尊敬した。
〈なんて、頼りがいのあるひとなんだろう〉
 田中は激励してくれた。
「ここで負ければ、少なくともあと三年間はこれまでと同じように選挙区回りをしないといけない。きみも辛いだろうが、おれもそういうことをきみにさせたくない。だから、なんとしても、石にかじりついてでも、この選挙で当選させてもらえるよう頑張れ! おれがきみのためになにをすればいいか、なんでも言ってくれ」
 二階は、答えた。
「私は、県議時代に高速道路の紀南延長を訴え続けてきました。その裏付けをしてもらう意味でも、内海英男建設大臣にきて頂きたいのですが‥‥‥‥」
 内海は田中派の一員であった。
 田中はすかさず言った。
「わかった。内海君に行ってもらおう」
「ありがとうございます。しかし、内海大臣には、どのように連絡すればよろしいんですか」
「きみは、そんなことは心配しなくていい。内海君のほうから、きみのほうに連絡がいくようにしておく」
 最後に、田中は念を押した。
「大丈夫か!」
 二階は初陣に強敵を相手に大丈夫なわけはなかった。が、田中派の新人は自分ひとりではない。田中に少しでも心配をかけまいと思い、きっぱりと答えた。
「大丈夫です」
 のちに田中は、このときの様子を再現して二階をひやかした。
 まもなく、内海建設大臣の秘書官から連絡が入り、応援にきてもらうことになった。
 江ア真澄、林義郎厚生大臣をはじめ田中派の議員も続々と応援に駆け付けてくれた。ただ、小沢一郎は、選挙を取り仕切る党総務局長に就任したため、自民党本部で陣頭指揮をとらなければならない。そこで、小沢と同期で仲の良かった羽田孜を代わりに応援に寄越してくれた。
 十二月十八日の投票日、二階は五万三六一一票を獲得し、第二位、みごと初陣を飾った。
 十二月二十七日、国会が召集されることになった。この日朝八時、二階は地元の後援会の幹部数人と共に目白の田中邸に出向いた。当選のお礼の挨拶をするためである。
 田中は、開口一番、言った。
「おーい、二階君。よく当選したな。たくさんの票を取ったな。良かったな、本当に良かった‥‥‥‥」
 田中の読みでは、二階は、当選ラインぎりぎりだったのであろう。まるで、自分のことのように喜んでくれた。
 しばらくして、田中派新人議員の歓迎会が料理屋で開かれた。田中をはじめ二階堂進、江ア真澄、竹下登、後藤田正晴ら錚々たる顔ぶれが集まった。渡部恒三、奥田敬和、羽田孜らの初入閣が決まった夜であった。一回生議員は、幹部らと相対する形で座敷に一列に並んで座らされた。
 司会役の議員は、口をひらいた。
「それでは、ひとりづつ自己紹介をしてもらいましょうか」
 そう言い終わるやいなや、田中がいきなり立ち上がった。
「おれが紹介する」
 なんと、田中自ら紹介していくというのである。
 田中は、ひとりひとり、すべて空で紹介していった。
「かれは、××県××区選出で、こういう経歴の持ち主だ。かれの公約は、こうだ。対立候補は、××派の××だな」
 やがて、二階の番になった。田中は、すらすらと紹介していく。驚いたことに、名前や数字をひとつも間違わない。最後に言った。
「二階君は、農林省の局長をやった遠藤三郎先生の秘書を十一年も務めてきたから、長い政治経験をもっているんだ」
 二階は照れ臭そうに下を向いた。
 同期当選組のひとりに田中の娘婿田中直紀がいた。そのため、目白の田中邸で、田中を囲む勉強会が定期的に開かれた。
 田中は二階らに、いろいろなことを教えてくれた。
「いいか、一生懸命勉強して議員立法を成立させていくんだ。そうやって実力をつけていけば、たとえ一年生議員であろうと、大臣の椅子に座って説明や答弁ができる。マスコミに取り上げてもらおうと、おべんちゃらを言っているようでは駄目だ。政治家は行動しないといけない。行動して、仕事をすれば、マスコミは自然についてくる。政治家のなかには、朝刊を読んで、初めて行動するものもおるが、そんなのは政治家じゃない」
「政治家の基準、評価は難しく、やはり当選回数というのが大きくものをいってくる。ときには、抜擢人事を行なうが、これは、じつにむずかしい。抜擢されたものは、喜ぶが、同期や他のひとに恨まれてしまう。しかし、知事経験者や事務次官経験者は、一期早く大臣になってもらうからな」
「昨日、夜中に眼がさめたので、北海道から沖縄まで、わが派の議員の名前を書いて朝までかかって点検してみた。そしたら、これは応援にいってあげないといけない、このひとは役につけてあげないといけない、このひとは資金を援助してあげないといけない、といろんなことがわかった。しかし、紙がなかったのでチリ紙に書いた。中身をもちろん見せることはできんがな」
「いいか、政治家の資質は、五〇人の前で話ができるひと、五〇〇人の前で話ができるひと、一〇〇〇人の前で話ができるひと、という具合に分けられる。しかし、五〇〇〇人の前で話をし、私語をさせないでぴたっと聞かせることができるのは、そうはいない。いまのところ、中曾根康弘と田中角栄くらいなもんだな。きみらも、そうなれるように頑張れ」
 さて、二階ら自民党一回生は、昭和五十八年に当選したことにちなみ、超派閥の「五・八会」を結成した。奈良県選出の鍵田忠三郎(故人)、長崎二区選出で河本派の松田九郎が世話役となった。
 あるとき、「五・八会」で各派の領袖を順次招いて話を聞こうということになった。各派の領袖に伺いを立てると、おおむね賛同してくれた。ただし、一回生議員の顔や名前が一致しないため、全員、名札をつけてくれということになった。
 中曾根派領袖の中曾根康弘、河本派の前身三木派の領袖であった三木武夫らに話をしてもらった。
 田中角栄にも来てもらった。
 田中は、一くさり話を終えると、おもむろに立ち上がった。一人ひとりの席をまわって話をはじめた。
 名札をのぞきこみ、声をかける。
「あんたは、××さんの息子だな。××さんは、元気でやっているか」
「きみは、何度も選挙に挑戦して、苦労してきたな。ようやく当選できて、本当に良かった」
 驚いたことに、田中は他派の議員の出身や経歴についても、じつによく知っていた。
 二階は舌を巻いた。
〈田中先生はさすがだな。これは、かなわないや〉
 田中は自派の議員の席にくると、「ああ、これはうちのひとだからいい」と言って飛ばしていった。自派の議員よりも、他派の議員を優先してまわった。これまで、そのような領袖は、ひとりもいなかった。他派の議員は、すっかり田中の魅力に引き込まれた。田中ファンになってしまった。
 やがて、お開きの時間となった。
 二階は田中から声をかけられた。
「遠藤先生の奥さんたちは、元気にしておられるか」
 二階は小声で言った。
「じつはこのあと、遠藤先生のご家族、それに秘書時代の先輩たちと、この店の別室で会合をするんです。帰り際に五分でも顔を出して頂けますか」
 田中は、酔いがまわったのか、顔を赤らめながら、上機嫌で言った。
「なにをいうか。五分といわずに、いこうじゃないか」
 二階は田中を連れて遠藤家御一党の待つ部屋に入った。予期せぬスペシャルゲストの飛び入り参加に、みんなは驚いた表情をしている。
 田中はしみじみと遠藤の思い出話を語った。
「遠藤先生は、農林省の役人だったが、官僚に似合わぬスマートなひとだったな」
 そのころ、店の前で張っていた田中番の新聞記者たちは、「五・八会」の会合が終わっても、なかなか田中が出てこないので、大騒ぎになっていたという。

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