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 平成六年十二月二十八日夜、東北地方を中心に強い地震が発生した。いわゆる、三陸はるか沖地震である。
 その夜、新進党四回生で、「明日の内閣」国土・交通政策担当(国土庁長官、建設、運輸大臣)の二階俊博のもとに総合調整担当(官房長官)の西岡武夫から連絡が入った。
「地震担当として、直ちに現地に入ってもらいたい」
 二階は即答した。
「わかりました。しかし、党としてどういった対応を考えているのか明確でなければ、ただ見てくるだけの話になります。それについては、どうお考えですか」
「それでは、海部党首と小沢幹事長に相談しましょう」
 西岡が海部に、二階が小沢に、それぞれ連絡を取った。翌二十九日早朝、院内の新進党控室で海部、小沢、西岡、二階の四人で鳩首会議を開くことになった。その席には、国土庁の担当者も説明にやってきた。
 協議の結果、新進党として対策本部を設置し、調査団を派遣することを決めた。副本部長となった二階は、すかさず昼の飛行機で八戸市に入った。直ちに、地元の衆議院議員木村守男(現青森県知事)の案内で、綿密な調査を終え、その日のうちに政務補佐官の工藤堅太郎と共に帰京した。
 しかし、政府の調査団二〇人が新幹線でやってきたのは、その夜のことである。年末ということもあり、切符が手に入りづらいのはわかる。が、もう少し、迅速に対応できないものなのか。しかも、東京には、村山首相をはじめ担当閣僚の小沢潔国土庁長官、官庁の幹部の姿もなかった。
 二階は三十日朝、会議を開き、国土庁に対して緊急に申し入れた。
「…今回の地震発生に対し、残念ながら政府の危機管理対策に課題があることを指摘したい。先の自衛艦『なだしお』の事故、北海道南西沖地震、中華航空機事故、そして今回の地震時の例にも見られたように、役所等の御用納めの後・休暇時・緊急時の指揮、命令が十二分に機能しているかどうか一抹の不安を禁じえない。ついては政府はもとより、与野党一体となって国民が安心して国民生活を送れるよう早急な対応を図る必要がある。またわが国土が自然的、地理的条件から自然災害を受けやすい状態にあり、そのうえ都市化の進展等にともない、災害の態様も複雑化、大規模化する傾向にある。これに対応するには地方公共団体を含めた国全体として、立法措置を含む災害対策および危機管理対策を速やかに確立すべきである」
 翌平成七年一月九日、新進党の「明日の内閣」において、十七省庁の五〇名を越える担当者を呼び、国家の危機管理のありかたについて申し入れをした。しかし、政府には残念ながら何ら取り組む姿勢が見られなかった。
 そして、一週間後の一月十七日、阪神大震災が起こる。村山首相は三陸はるか沖地震の教訓をまったく生かせないまま、致命的なミスを犯すことになる。

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