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 平成七年一月十七日午前五時四十六分、新進党「国土・交通政策担当」の二階俊博は、大阪・地下鉄御堂筋線の中津駅前にある東洋ホテル十二階のエレベーター前にいた。
 この日、午前九時から衆議院内の第二十五控室で新進党の政権準備委員会、いわゆる「明日の内閣」の閣議が招集されていた。国土・交通政策担当の二階は、その閣議に出席するため、午前六時十二分の新大阪駅発「のぞみ三〇二号」に乗り込むつもりであった。
 エレベーターが下から上がってくる途中で、ランプが消えた。
 二階はねむけまなこをこすりながら、エレベーターを待っていた。その瞬間、とてつもない揺れが二階の体を襲った。立っているのがやっとであった。
〈なんだ! いったい‥‥‥‥〉
 二階の眼の前で、信じられぬ光景が繰り広げられた。大きな植木ばちが、目の前でひっくり返る。背の高い灰皿が倒れ、コロコロと転がっていくではないか。やがて、すべての照明が消え、真暗闇の世界となった。
〈地震だ! 地震が起こったんだ〉
 まもなく、揺れがおさまった。
 だが、エレベーターは、もちろん動かない。
 二階は壁に手をつきながら非常階段に向かった。階段を一歩、一歩、確かめながら下に降りていく。まさに、手探りの状態でようやく一階のロビーに辿り着いた。
 しかし、ここも深い闇につつまれていた。非常用なのであろう、かろうじて蝋燭が一本立っていた。
 二階は顔面蒼白になっているフロントに声をかけた。
「もの凄い揺れだったね。チェック・アウトしたいんだけど」
「申し訳ございませんが、レジが開かないんです」
「それじゃ、名刺を置いていくので、請求書を送ってください」
 午前六時過ぎ、新大阪駅に到着した。新大阪駅までの道のりは、いつもと変わらない状態であった。
 しかし、新幹線は不通となっている。たとえ一時間待ったとしても、動く見込みはないと駅員が言った。
 二階は、仕方なく、伊丹空港に向かった。
 運良く、日本航空一〇二便、七時二十分発羽田行きに乗ることができた。
 羽田空港には、八時半に到着した。急ぎ足でモノレールに乗り込むと、カバンから携帯電話を取り出した。
 あれだけの揺れである。当然、官邸が何らかの対応をしているはずだ。が、念のためと思い、二、三の省庁に電話を入れてみた。が、官邸からは、何の指示も出されていないという。このとき、まだ政府は何も動いていなかったのである。
 午前九時半、二階は衆議院内の第二十五控室に入った。すると、海部が、険しい表情で仁王立ちしている。二階を見ると、怒鳴るように言った。
「直ちに、地震災害対策本部を設置する。きみは、副本部長として、いますぐ現地に飛んでくれ!ヘリコプターをチャーターしてもいい。とにかく急げ!」
 二階は大阪から東京に戻ったばかりであった。が、すぐさま神戸に引き返すことになった。
 だが、東京からヘリコプターを飛ばすのでは、あまりにも時間がかかりすぎる。時刻表を調べると羽田空港発午前十時半全日空六〇三便の岡山空港行きに乗り、そこからヘリコプターで現地に向かうのが、もっとも早く現地入りできる手段だとわかった。
 二階は、直ちに運輸省に申し入れ緊急の飛行許可をとり、岡山空港に民間のヘリコプターをチャーターした。こうして午後三時過ぎ、神戸市の上空にたどり着いた。あたり一面が凄まじい炎に包まれている。二階は現地入りした政治家のなかで、一番乗りであった。政府対策本部の責任者である小沢潔国土庁長官の現地入りは、二階から遅れること一時間後の四時二十分であった。
 二階は惨状を説明するため、ヘリコプターのなかから西岡幹事長に電話をかけた。
「もの凄い状況になっています」
 西岡が言った。
「小沢幹事長が、成田空港に到着し次第、あなたと連絡を取るように言っておられますので、よろしく」
 この日午後三時過ぎ、小沢はアメリカから帰国する予定であった。
 午後三時五十分頃、二階はヘリコプター内の携帯電話から小沢の自動車電話に連絡を入れた。二階から詳しい報告を受けた小沢が言った。
「私は、いまから現地にいこうか」
 二階が「すぐに来てください」と答えれば、成田空港から羽田空港に向かい、そのまま現地入りするといった口ぶりであった。
 二階は考えた。
〈小沢幹事長が、いまから現地入りすると、夜になってしまう。視察はできない。それに幹事長が来たら、番記者も同行する。別の意味の混乱も起こるかもしれない。かえって、騒ぎが大きくなるだけだな〉
 二階は、小沢に伝えた。
「私は、今夜、東京に帰ります。明日の朝、報告にいきますので、東京で待機していてください」
 翌日、二階は海部党首、小沢幹事長、西岡総合調整担当らに現状を説明した。党として、できることは全力を尽くして実行することを確認し、海部党首を団長にした第二次調査団を派遣することを決め、二階は再び同行した。
 その後も、二階は何度となく現地入りした。新進党のなかにも、リュックサックを背負って現地入りする議員もいた。
 あるとき、小沢が二階に言った。
「今度、リュックサックを背負って現地入りするときは、私もメンバーに加えておいてください」
 二階はさっそく執行部に相談を持ちかけた。が、執行部は、あまり乗り気ではなかった。小沢が行けば、新聞記者が同行する。返って被災者に迷惑かけるのではないかというのである。結局、そのような理由で小沢の現地入りは実現しなかった。
 一月二十日、通常国会が招集された。二階は、衆議院本会議で新進党の代表として「兵庫県南部地震」についての緊急質疑に立った。
 二階の「地震を知ったのは、いつか」という質問に対し、村山首相が答えた。
「この地震災害の発生直後の午前六時過ぎのテレビで、まず第一に知りました。直ちに秘書官に連絡をいたしまして、国土庁等からの情報収集を命じながら、午前七時三十分ごろには第一回目の報告がございまして、甚大な被害に大きく発展する可能性があるということを承りました……午前十時からの閣議におきまして非常災害対策本部を設置いたしまして、政府調査団の派遣を決めるなど、万全の対応をとってきたつもりです」
 しかし、地震発生当日の午後零時五十分、村山首相は記者団に対し、「七時半に秘書官から聞いた」とコメントしている。
 二階は思った。
〈七時半に知ったのでは、都合が悪いとでも思ったのか。しかし、それにしても午前六時に知り、午前七時半に報告を受けたというなら、その一時間半、いったい何をやっていたのか。国家の最高責任者としての自覚がなさすぎる……〉
 二階がかつて運輸政務次官だったときのことである。気象庁の新・旧の長官と懇談する機会があった。そのとき、新長官が真剣な表情で打ち明けた。
「次長のときは、上司の命令で動けばよかった。しかし、これからは、たとえば関東大震災級だといわれる東海大地震が発生すれば、混乱を未然に防ぐため、新幹線を止め、東名高速道路をストップさせることを総理に進言する責任が自分に持たされる。ずしりと重いものを感じます」
 かれのような責任の重大さを村山首相は感じているのか。総理大臣たるもの、国民の生命、財産をおびやかす戦争や災害の発生に対する危機管理は、常に考えていなければならない。ところが、村山首相は、翌十八日の朝八時から呑気に財界人と会食している。
 二階のもとに、被災にあった人の友人と称する人から電話があった。その人は隣の住人と共に生き埋めにあい、懸命に「助けてくれ」と叫び続けた。だが、隣人の声は、三日目にして途絶えた。自分は幸いにして四日目に自衛隊に助け出されたが、あと一日早く救助されれば隣人の命は奪われなかったという。
 二階は地震発生当初、村山首相をはじめ政府与党がもっと機敏に迅速に対応していれば、一〇〇〇人から一五〇〇人の死者は救えたのではないかと思っている。
 しかし、村山首相は自衛隊そのものにこだわった。たしかに自衛隊法には、「自衛隊は知事からの要請がないと出動できない」と記されている。が、自衛隊の最高指揮官は首相である。必要を感じれば、災害対策基本法の百五条に基づく各種の強制的な規制など総理に権限を広く集め、効力のある「緊急災害対策本部」を早急につくれる。そうすれば蔵相の了解なしに予備費の支出もできた。とりあえず、食費などの資金的援助が迅速にできたではないか。
 二階は十八日、新進党の海部党首とともに淡路島に入った。その際、一色町で兵庫県の貝原知事と会った。貝原は対応の難しさを訴えてきた。
「現在、三〇万人あまりの住人が避難所にいます。だが、避難所まで来られないひとがこの周囲に六〇万人はいる。一回に九〇万食、一日三食で三〇〇万食、用意しないといけません」
 もし、政府が取りあえずの財政的な援助態勢を整えさえすれば、市長や町長は、食事以外にも重要な対応ができるのである。
 ところが、村山首相はあまり権限のおよばない、法律の裏付けもない「非常災害対策本部」を設置しただけであった。そもそも災害対策基本法は、昭和三十六年、池田内閣のときに成立した。が、そのとき社会党は、この法案に執拗に反対した。そのことが村山首相の頭の片隅にあったのであろう。
 しかし、二階はそのことを実行しなかった村山首相は、首相として法律遵守の義務を怠ったと指摘されても、いいわけはできないと思っている。
〈村山さんは、戦前の国家総動員法、治安維持法などの暗い影の部分が頭から離れず、緊急災害対策本部を設置することをためらったのか。「あつものに懲りて膾を吹く」みたいな調子で、自分たちの思想信条と違った行動をしなくてはいけないと躊躇したのか。それとも……〉
 二階は暗澹たる気持ちになった。
〈総理として信じたくないが、いいわけのできない重い責任を負うことをためらっているのか。うまくいかなかった場合は、責任を取らないといけない。そういうことをやらせてはいけない、と側近が止めているのか〉
 事実、村山首相は「緊急災害対策本部」の設置についても、衆議院の二階の質問に対する答弁では前向きな発言をしていた。が、参議院になると途端に後ろ向きの発言になってしまう。ときには、わざわざ打ち消しの記者会見を開くこともある。
 二階は村山首相の決断力のなさにあきれはてた。
〈首相は広く意見を聞くことも大事だ。しかし、もっとも大事なのは、それを国の最高責任者としてどう決断するかだ。首相は、国のため、国民の安全を守るため、過去のしがらみにとらわれず、自分で決断する。そうすれば災害対策もスムースにいったはずだ〉
 村山首相は国会で、「万全の策だった」と答弁した。
 二階は激しい怒りをおぼえた。
〈これほど、間違いだらけのことをしていて、どこが万全の策なのか。国民に素直に詫びてほしい。そして、これまで自衛隊は違憲だと言っていたことに対して、悪かったと頭を下げてほしい。いまになって、自衛隊の対応が悪かったなどというのは、大間違いじゃないか〉
 二月十一日二階は神戸市役所を訪ねた。
 市庁舎の壁に、おそらく数日前に貼られたと思われる張り紙があった。
『自衛隊のみなさん、御苦労さまです』
 二階は眼を見張った。
〈だれが貼ったかしらないが、これが自衛隊の懸命な救助活動に対する神戸市民の本当の気持ちなんだろう。もし、自衛隊がけしからん、というのなら、すぐにでも破られて捨てられてしまったはずだ〉
 二階は阪神大震災における村山政権の無責任極まる対応に憤りを感じている。
 政府や兵庫県や神戸市等の役人は、不眠不休の状態で懸命になって復興作業に尽力している。いまだに家に帰らず、役所に寝泊りしているものも多い。そういう状況のなかにあって、政治は今後の災害復旧の財源対策について決断しないといけない。しかし、村山政権は難しい問題をすべて先送りしている。
 三月十七日午前、二階は災害対策特別委員会で質問に立った。ずらりと顔を揃えた各省庁の説明委員に向かって訴えた。
「皆さんは、財源手当てだけでもしてくれれば、われわれはどんな方法でもやり方はありますよ、と心で思っているのではないですか」
 村山政権は、いまだに財源の方法を明示していない。それゆえ、現行の枠内でおさめることしかできない。あれだけの大災害を受けた兵庫県の県庁の幹部でさえ、「中央の役所の壁は厚い」と打ち明ける。言葉の表現は穏やかである。が、その裏には、「政治はいったい何をしてくれているのか」「もう、お見舞いの言葉などいらない」といった激しい憤りを抱いていることが伝わってくる。
 二階は再三再四、本会議や予算委員会で適切な処置をするよう訴えている。村山首相は、それに対してあたかも本気で取り組むかのような答弁を繰り返す。だが、国会決議までしているにもかかわらず、村山首相の答弁と国会決議は]み合っていない。新進党の再三の申し入れを聞かずに、一方的に事を進めようとしている。
 しかし、新進党側は、このことを政争の具にしようという気持ちは持っていない。従って、予算の審議に協力してきた。国会審議の時間を少なくしても、大臣以下政府の幹部たちが国会に時間を取られず、適切な現地対応ができるよう配慮してきた。
 その結果、平成七年度予算は、早期成立を見ることができた。
 自民党は「これほど早く成立したことはない」と得意げに言っている。しかし、これは勘違いも甚だしい。一年前の細川政権時代には、自民党は国会の審議にまったく応じなかった。そのため、予算が大幅に遅れてしまった。新進党側は、その反省に立って是々非々でいこうと与野党の協力を呼びかけているのである。
 しかし、村山政権は野党の存在をまったく無視している。たとえば、明日、国会にかけようとする法案の名称を、その日の夕方になって平気で変えることもある。
 二階は村山首相を詰問した。
「あなたも国会対策委員長の経験者です。こんなことが許されていいのですか」
 すると、村山首相は「それは国会でお決めになることですから」と平然と答えた。
 二階には、まるで魂の入っていない答弁だと感じられてならない。村山首相には、野党や国民と協力して、この危機を乗り越えていこうという迫力も誠意も感じられなかった。

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