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 平成十年三月、二階は、自由党和歌山県連の中西啓介、西博義らと参院選の候補者選定について協議した。
 前回三年前の参院選では、新進党新人の井脇ノブ子が、当選四回の実力者である自民党の世耕政隆に挑戦した。落選したものの告示一か月前に出馬を表明したにもかかわらず、世耕を四万票差まで追い詰めた。
 平成八年十月の総選挙では、新進党の得票数が自民党の得票数を上回った。比例区の得票数も、自民党に負けはしたものの、わずか二〇〇票差であった。
 それらを総合的に判断すると、自由党の候補者が当選できる下地は十分にある。
 二階らは話し合った。
「できるだけ知名度のある人、あるいは社会的な信用のある人を候補者に立てれば通るのではないか」
「いや、時代は若い人を求めている。フレッシュな候補がいいのではないか。自民党側からも、若い候補を立てられると厳しいという話も聞こえてくる」
 二階らは候補者を若手に絞り、三十一歳の鶴保庸介に白羽の矢を立てた。鶴保は、東大法学部卒業後、日本経済研究会主任研究員を経て小沢一郎の秘書を務めた。前回の総選挙では、新進党公認候補として和歌山二区から出馬。落選はしたものの、四万八〇四八票を得ていた。
 鶴保も出馬に意欲を見せ、三月末に公認となった。鶴保は、直ちに選挙運動を始めた。最大の強敵は自民党の前田勲男(元法相)であった。前田は、父親の佳都男から地盤を譲り受け、親子二代、五〇年に亘って自民党支持者に「前田」の名前を書かせてきた。その前田に挑戦するのである。鶴保は、懸命に県内を駆けずり回った。
 六月二十五日、参院選が公示された。
 報道機関の予想では、鶴保が勝つと報じたのは地方紙の一紙だけであった。中央紙やテレビ、ラジオはこぞって前田優位を報じていた。
 が、二階らは、そんな予想は一向に気にならなかった。中西の地盤である和歌山一区、二階の地盤である和歌山三区、そして前回の総選挙で比例区にまわった西博義のそれぞれの後援会が一丸となって戦った。まさに地を這うような選挙運動であった。
 小沢党首も、懸命に応援してくれた。都合三回、鶴保支援のため和歌山入りした。終盤の三日間は、和歌山に張り付いた。まさに、党をあげての選挙戦であった。全国各地にある宣伝カーも和歌山県に結集した。
 小沢は二階らに言った。
「ボクが入ったからといって、各国会議員の日程を動かしてはならん。計画通りにやってくれ。私は私の計画でいく」
 小沢は、その言葉どおり、新宮から紀伊半島を一周した。
 小沢いわく、「これだけマイクを握ったのは、二〇年ぶりだ。自分の若かりしころの選挙運動を、ふと思い出した」というほどの徹底ぶりであった。
 二階ら国会議員も、それぞれ別々のコースで選挙運動を展開した。小沢を含め四人が一か所に集まることは皆無であった。
 二階は情勢を分析した。
〈中西さんの地元和歌山一区は、県都でもあり、前回の参院選の実績からも、間違いなく勝てる。しかし、自民党現職のいる二区は負けるだろう。一区のプラスと二区のマイナスを合わせるとチャラになる。問題は、私の地盤の三区だ。三区で一票でも上回れば、勝てる〉
 二階は、後援会に檄を飛ばした。
「三区は、過疎地も多く、町や村の数も多い。従って自民党が強い。しかし、三区で一票でも多く取れれば勝てる。みんな、頑張ってほしい」
 七月十二日、投・開票が行なわれた。
 二階のもとに、出口調査の情報が途切れることなく入ってきた。勝てそうだ、という話を聞いたが、まだ信じられない。とにかく和歌山市に出向き、お世話になった創価学会の和歌山本部に立ち寄った。堀副会長を始め、学会幹部たちは勝利を確信している様子だ。二階は「徒手空挙で戦った鶴保君を誠心誠意、応援して下さった皆さんに、結果はどうであれ、心から御礼を申し上げたい」、続いて鶴保の選対本部に顔を出した。
 じつは、二階は、東京のテレビ局から討論会の出席を求められていた。が、勝っても負けても、応援してくれた支持者に挨拶しなければいけないと考え、和歌山に残っていたのである。
 選対本部は、勝利を確信し、沸き上がっていた。が、二階は、心から喜ぶわけにはいかなかった。
〈開票が確定するまでは、何が起こるかわからない〉
 和歌山県は保守王国である。九年前の参院選では社会党の土井たか子委員長のブームがわき起こり、自民党は二六の一人区で三勝二三敗と大惨敗した。自民党が勝った三選挙区とは、富山、佐賀、そして和歌山であった。もっともその当時、中西も二階も自民党に所属していた。しかし、予断は許されない。
 午後十一時、和歌山選挙区の開票が確定した。鶴保は、二二万一五九二票を得てみごと当選を果たした。前田との差は二万票余りであった。
 二階はようやく胸をなでおろした。
〈鶴保は二世ではない。全くの徒手空拳で、百円玉のカンパで選挙を戦い抜いた。推薦を頂いた民主党、公明党の応援、さらに鶴保を応援してくれた勝手連の動きが勝利につながったのではないか〉
 さらに二階は、勇気づけられた。
〈自由党は小所帯だが、懸命に頑張れば勝てるということが実証された。次期総選挙には、多くの方が自由党から立候補してくれるだろう。選挙は、立候補しないで当選する方法はない。まず、立候補することだ〉
 なお、鶴保は翌朝さっそく魚市場や青物市場に顔を出して挨拶した。
「選挙では、お世話になりました」
 そこにいた魚市場のおやじさんが、こう言ったという。
「選挙の応援を頼みにくる人はいっぱいいるけれども、当選してから、翌朝、こんなに朝早くお礼の挨拶にみえたのはあなたが初めてだよ」
 さらに駅前で街頭演説を行なった。
 出馬を表明してから毎日駅前に立っていたことで顔見知りになったサラリーマンや学生に声をかけられたという。
「当選してよかったね」
 二階はそれらの話を耳にし、確信した。
〈鶴保は全国最年少議員に恥じない活躍をしてくれるに違いない〉
 さて、自由党は、今回の参院選で五二〇万票を得た。選挙区一人、比例区で五人の当選と、合わせて六人を当選させた。
 二階は驚きを隠せなかった。
〈組織もまだ整備されていない状況で迎えた選挙にもかかわらず、よくこれだけの票が集まったものだ。国民の皆さんは、自由党=小沢一郎、小沢一郎=改革と認識し、期待できるのは小沢率いる自由党だという思いがあるのだろう。自由党は、これで蘇った〉
 二階はさらに分析した。
〈自民党の政策に対して不満をもち、苛立ちをもっている中小企業やサラリーマンなどのレベルの高い知識層に評価をされたのではないか。選挙運動で働きかけて得た票ではなく、黙って投票してくれた。新聞の愛読者の統計では、レベルの高い新聞の読者は、自由党支持者が圧倒的に多いというデータがある。世間の人は政治の舞台を観客席からしっかり見ている。それが、いま自由党の国会議員や地方の党員の大きな励みになっている。来年、統一地方選が行なわれる。堂々と自由党を名乗って戦おうという候補者がこれから出てくる政治環境が整いつつある。結党してわずか半年、よくぞここまでという気持ちだ〉
 二階は、国民の期待に応えていかなければならないと思った。
〈国民の皆さんが、われわれ自由党に大きなチャンスを与えてくれた。天は、小沢一郎を見放さなかった。媚を売ったり、へつらったり、相手の意見に口先だけ合わせたりする人が横行する永田町において、小沢さんはひとりまっしぐらに突き進んできた。その姿勢を好きだという人もいるが、嫌いだとアレルギーを起こす人もいる。しかし、正しいバランス感覚をもって、この国の未来を考えている人、この国の現実を考えて下さっている多くの人たちから支持を受けた。われわれは、その感謝の気持ちを政治の場にあらわしていく。真剣に汗をかいて努力していかねばならない。われわれは、大変な決意をして自民党を離党し、総選挙には新生党を名乗って当選してきた。だれかと話をつけて、提灯や懐中電灯で照らしてもらいながら、こそこそと川を渡ってきたわけではない。堂々と選挙の洗礼を受け、新生党の公認候補として自民党を相手に勝利して、再び国政に戻ってきたという自負心がある。われわれはこれまでの主張どおり改革の努力をしていく。日本国全体の改革を成し遂げるには、半年や一年という短期間では不可能だ。世界のために、わが国の政治がどうあるべきかということを真剣に考えないといけない時がきている。それだけに、責任の重大さを痛感する〉
 八月二十六日、小沢党首は、インターネットに個人のホームページ「一郎のネットでGO!」を開いた。小沢の唱える理念や政策を親しみやすい形でアピールするのが狙いである。
 ホームページを開くと、小沢が厳しい表情で両手を広げ、「今そこにある危機 自民、与党政治で日本はいいのか!?」と訴えている。その下にAからKまでのキーが並び、たとえばEの「一郎の政策ルーム」を選ぶと自由党と自民党の政策比較が出てくる。Fは「一郎のやさしい政治教室」。Kの「総理を目指せ」はゲーム仕立てになっており、Fで学んだ知識を三択回答方式で復習する。初級編に始まってレベルを徐々に上げ、全問正解すると「総理大臣」として回答者の氏名が登録される。
 開設から二、三日で、なんと一万六〇〇〇件ほどアクセスがあった。演説会に来ない人、投票に参加されなかった人の意見もどんどん寄せられている。自由党は、その意見のなかで政策として取り上げられるもの、取り上げるべきものというものがあれば、活用していきたいとしている。

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