ホーム プロフィール 著書など ニュース ライブラリ 明日のふるさとを考える青年の会

 

 

戻る 上へ 進む

 平成十年七月三十日、小渕恵三内閣が発足した。それからまもなくのことである。院内の自由党国対委員長室にいた二階俊博国対委員長のもとに、自民党国対委員長に就任した古賀誠が挨拶にやってきた。
 二階と古賀は、かつて梶山静六国対委員長のもとで、共に副委員長として汗を流した仲である。二階は竹下派、古賀は宮沢派と派閥こそ違ったが、仕事に取り組むうちに親しくなった。
 その後、二階は、新生党を経て新進党に参画。袂をわかったため、付き合いはいっさいなかった。
 平成九年、全国旅行業協会の会長を務める二階は、この年の六月に行なわれる年次総会を前に一計を案じた。
〈これまで、運輸大臣が総会に出席したことはない。総会を盛り上げるためにも、今回は古賀大臣に出席してもらおう〉
 野党第一党の新進党は、自民党と激しく対立している。常識的に考えれば、自民党の古賀大臣が新進党の二階が会長を務める全国旅行業協会の総会に出席するのはむずかしい。
 しかし、二階には自信があった。
〈古賀大臣ならば、党派の壁を乗り越えてくれるはずだ。全国五七〇〇社の会員を擁する旅行業協会の総会に、交通行政の総元締めとして出席をお願いしても、そうつれないことはいうまい〉
 二階は案内状をもって運輸大臣室に古賀を訪ねた。
 二階は頭を下げた。
「ごぶさたしております」
 古賀はにこやかに出迎えてくれた。
「久しぶりですね」
 二階は用件を申し出た。
「全国旅行業協会の総会に、ご出席頂けませんか」
 古賀は二つ返事で快諾した。
「必ず、私が伺います」
 二階は意外であった。引き受けてくれるとは信じていたが、「日程を調整して、お返事します」というのが、大臣として精一杯の返答である。が、古賀は、蹄躇なく「出席する」というのだ。
 二階は感心した。
〈古賀さんは、懐が深い〉
 当日、古賀は挨拶した。
「私は、役人が書いてくれた祝辞を巻紙にしてもってきております。しかし、今日は読みません。祝辞の内容は、会報の偶にでも載せて頂ければ結構です。私はこれから、二階会長との友情の挨拶をさせて頂きます」
 与野党に分かれたふたりは、表面上は川を隔てた両岸で対峙していた。が、この総会以降、ふたたび気持ちがつながったように二階には思えた。
 さて、話は自由党国対委員長室にもどる。
 古賀は二階に言った。
「生意気なことをいうようだけど、法案をいついつあげるとか、委員会の審議をどうやって進めていくだとか、そんなことは時間がたてば誰だってできる。おれは、政治を安定させるという意味で、ひとつの枠組みをつくりたい。そういうことをやろうよ」
 二階は答えた。
「おれもそう思う」
 二階の反応を見た古賀は、思った。
〈いける……〉
 古賀は、その後も自由党の国対委員長室にひんぱんにやってきては、二階をかき口説き続けた。
「お互い、この国のために何とか協力しようよ。自民党がどうだ、自由党がどうだなんていう前に、この国のことを考えようじゃないか」
 二階は、古賀の熱意に感服した。
〈古賀さんは、本気で自由党に協力を求めている〉
 九月十一日、小渕首相は、政府が国会に提出予定の対人地雷全面禁止条約の批准承認案についての作業を急ぐよう、外務省に督促した。小渕首相は、外相時代に官僚の抵抗にあいながらもリーダーシップを発揮して署名にこぎつけた経験もあり、法案成立に意欲を燃やしていた。
 九月十五日敬老の日、古賀は、野中官房長官と対人地雷全面禁止条約について話し合った。その席から、二階に電話をかけた。
「対人地雷全面禁止条約の批准の承認をできるだけ早くしたいという小渕首相の要請で、協力をお願いしたい」
 古賀は、二階と電話で話しながらふと思った。
〈どうせだから、野中官房長官に電話を代わってもらおう〉
 古賀と野中は、自自協力を進めることで一致していた。
 古賀は二階に言った。
「じつは、あなたの長年の友人がこの横にいるんですけども、電話を代わりたいというので、代わってよろしいか」
 二階は訊いた。
「友人って、誰ですか」
「野中官房長官です」
 古賀は、そういうと野中官房長官に受話器を渡した。
 野中官房長官は、要請した。
「この対人地雷全面禁止条約の問題については、古賀国対委員長からお願いしましたが、このことについてぜひ協力してもらいたい」
「わかりました。検討します」
 二階は、さっそく小沢党首に報告した。
「野中官房長官と古賀国対委員長から、対人地雷全面禁止条約について協力を要請されましたが、どうしますか」
 小沢党首は答えた。
「それは、国対委員長に任せる」
 二階は、その夜、国対副委員長を召集して協議した。侃々諤々の議論の末、江ア鉄麿副委員長が言った。
「地雷は吊るすもんじゃなく、埋めるもんじゃないですか。ここらが潮時ですよ」
 つまり、いつまでも爼上に載せておくものではないという意味だ。
 対人地雷全面禁止条約は国対委員長に一任となり、二階は判断した。
「わが党は、賛成しよう」
 自由党の協力のもと、九月二十九日、対人地雷全面禁止条約の批准承認とその国内法である「対人地雷の製造の禁止、所持の規制等に関する法案」が衆議院本会議で可決。翌三十日、参議院本会議でも全会一致で批准承認され、法案も成立。政府は、条約締結の批准書を持回り閣議で決定し、国連に寄託する。
 いっぽう、自自両党は、金融再生関連法案では激しく対立した。
 古賀委員長が、二階に要請してきた。
「なにとぞ、自由党にも、ご協力をお願いしたい」
 二階とすれば、友情に報いたいという気持ちもあるが、自由党は"戦う政策集団"を任じている。おいそれと妥協するわけにはいかない。
 二階は、激しい口調で詰め寄った。ときには、興奮のあまり、テーブルを思い切り叩くこともあった。
「あなたの党の最高幹部が、北海道や金沢の講演で自由党を切り離すような発言をしているじゃないですか!そういうことを言っておきながら、国会審議に協カしてもらいたい、と言われるのはおかしい。幹部の真意は、どういうものだったのか、その説明をきちんとしてほしい。その後の協力要請であれば、耳を傾ける用意はある。しかし、それすらないままでは、われわれの主張とあきらかに異なる法案に協力するわけにはいかない」
 平成十年九月十八日未明、金融再生関連法案をめぐる与野党修正協議は、財政・金融分離と日本長期信用銀行への対応策に関する国対委員長レベルの調整に入った。
 深夜、民主党、平和・改革、自由党の野党三会派の国対委員長会談が行なわれた。
 民主党と平和・改革は、自民党との妥協の道を模索した。
 だが、自由党の二階俊博国対委員長は、破綻銀行の例外なき清算という原則論を主張し、自民党との妥協を拒み続けた。
 二階は言った。
「どうぞ民主党と平和・改革は、自民党とおやりください。われわれ自由党は、同調できません。従って国会対策も、これまでです」
 この日午後、小渕首相は、民主、平和・改革、自由、社民の野党四党首らと個別に会談した。
 小渕首相は、@財政と金融の分離及び金融行政の一元化は、次期通常国会終了までに必要な法整備を行なうA日本長期信用銀行は今回の立法で整備する、普通株を取得する形で一時国有化する「特別公的管理」などで対処する、との妥協案を示した。
 政府・自民党は、小渕首相が訪米のため日本を発つ九月二十日までになんとか法案をまとめようと必死であった。
 自由、社民両党は、態度を留保した。
 しかし、民主、平和・改革両党は、これを受け入れて合意。財政・金融分離の線引きや実施時期、さらに破綻前の金融機関に対する資本注入を完全にやめるかどうかなど与野党協議に決着が残された課題もあるが、金融再生関連法案は、野党案を共同修正する形で十月上旬に成立することになった。
 自民、民主、平和・改革の三会派の金融特別委員会の理事クラスの実務者は、キャピトル東急ホテルの一室に詰め、金融再生関連法案の修正作業を行なった。
 二階は、自民党の国対に皮肉を込めて言った。
「国会移転、国会移転といいますけど、とうとう国会はホテルに移ったんですか」
 十月二日、自民、民主、平和・改革の与野党三会派が共同修正した金融再生関連四法案が衆議院本会議で可決された。が、数の力で押し切った形で、審議らしい審議はまったくなかった。
 のちに民主党と自民党の一部が連絡を取り合っていたと伝えられた。二階は、民主党に違和感を覚えた。
〈なにを考えているのか、われわれには理解できない〉
 二階の民主党への不信はいまに始まったことではなかった。
 自民党は七月の参院選で惨敗し、過半数を回復できなかった。数の上で優位に立つ野党が協力すれば参議院議長、副議長、議院運営委員長、予算委員長など主要なポストはみな野党のものになった。しかし民主党は、この提案に乗ってこなかった。わずか一二人の所属議員しかいない自由党は野党の意地を見せて、負けを承知で自由党の扇千景参議院会長を参議院議長選挙に擁立した。民主党に反省を促すためであった。
 しかも、菅直人代表は「金融問題を政局にしない」と口にした。この発言を耳にした二階はさすがに頭を抱えた。
〈野党の国対は、毎日が政局に結びつける努力をしていくのが仕事だ。それなのに、野党のトップリーダーが政局にしないというのでは話にならない〉
 一方、この国会では二八兆円にものぼる旧国鉄債務の処理法案も焦点のひとつであった。
 民主党、平和・改革、自由党の野党三会派は、政府・自民党案の対案づくりを目指し実務者レベルの協議を進めていた。
 自由党の二階交通部会長は法案に盛り込まれているJRの追加負担を減額する方向で検討していた。
 二階は思っていた。
〈なんとか早く旧国鉄債務を決着させなければならない。政府お得意の"重要問題先送り"を続けていたら、二十一世紀には三〇兆円になってしまう。その責任は、だれにあるのか。間違いなく政治家に責任がある。われわれは野党といえども、その責任を負わないといけない。それならば、いま決着させる必要がある。しかも、これから行政改革などで省庁の合併が言われるときに、こういう大きな問題を抱えたままでは、それすら難航しかねない〉
 しかし、民主党、平和・改革はJR負担をなくすべきだと主張した。
 野党三会派の調整は、難航。
 結局調整はつかず、九月十六日、民主党と平和・改革は、法案からJR負担の追加負担を削除し、日本鉄道建設公団に肩代わりさせる対案をまとめた。自由党は、置いてきぼりにされたのである。
 二階は憤慨した。
〈この国会は単線の列車を進行させているようなものだ。一番列車である「金融再生関連法案」を飛び越えて、「旧国鉄法案」が先に審議されることはありえない。それなのに、なぜそんなに急ぐのか。しかも採決で多数を得られそうにない非現実的な法案じゃないか〉
 自由党は独自の対案をまとめることになった。が、自由党は"戦う政策集団"を任じているだけに議論百出であった。
 政府提案を支持して意見を言うもの、JRの立場で意見を言うもの、たばこ関係の立場で意見を言うもの、筋論を言うもの、さらには、政局論で意見を言うもの……。
 しかも、党内には運輸省大臣官房審議官を経験した泉信也、運輸省海上技術安全局長を経験した戸田邦司の二人の元運輸官僚、羽田内閣の運輸相である二見伸明、中曽根内閣時代に国鉄民営化に取り組んだ渡辺秀央ら、運輸行政に精通した錚々たるメンバーがいる。党内で活発な議論が展開された。
 その最中、地元和歌山の自宅にいた二階のもとに、社民党の伊藤茂副代表から電話がかかってきた。
 ふたりは党派こそ違うが、ときどき意見交換をする親しい間柄であった。きっかけは、細川内閣である。伊藤は運輸相として入閣することになった。再度の運輸政務次官に起用された二階は、私淑し、指導を仰いできた奥田敬和元運輸相に言われた。
「おれと伊藤は、陸軍士官学校の同期生だ。われわれは十五歳のとき、国のために、と一片の疑いも持たずに戦場におもむき、生死を共にした仲間だ。きみはその伊藤と大臣・政務次官としてコンビを組む。一所懸命援けて、伊藤からは、運輸省以外のことで指導を受けてこい」
 それ以来の付き合いであった。
 伊藤は言った。
「旧国鉄債務法案の処理について、二階さんはどう考えているんだ」
 伊藤は、衆議院国鉄長期債務処理等特別委員会の理事であった。
 二階は答えた。
「放っておけば二十一世紀には、三〇兆円になります。それでいいと思いますか」
「そういうわけにはいかん」
「我々はなんとかしないといけないと考えています。上京したら、伊藤先生のお部屋に伺いますから、そこでもう一度よく話し合いましょう」
「わかった」
 月曜日、上京した二階は直ちに伊藤の部屋を訪ねた。いろいろと意見交換したところ、ほとんど意見が一致した。むろん、社会党時代から引きずっている労働組合の問題もあり、一〇〇%一致したわけではない。が、早急に解決の方向にもっていくために努力することを元大臣と元政務次官のコンビで確認しあった。
 やがて社民党案、つまり伊藤案がまとまった。
 自由党も、党内で議論がまとまった。足らざるところは付帯決議で処理しようとその案文もまとめた。
 環境が整ったところで、自由党は、運輸省に申し入れた。
「運輸省案を修正できないか」
 運輸省は当然のことながら自民党に相談をもちかけた。自民党は、自由党に申し入れてきた。
「このことに関して協議をしたい」
 しかし、二階は断った。
「われわれの案に賛成なら、賛成してくださって結構です。しかし、自民党と協議するわけにはいきません」
 自民党は金融再生関連法案で民主党、平和・改革と協議している。蚊帳の外におかれた自由党が自民党と協議して案をつくるという政治的な雰囲気ではなかったのである。
 そうこうするうちに、自民党、民主党、平和・改革の三会派による金融再生関連法案の修正案が明らかになってきた。
 二階はその中身をみて憤慨した。
〈どう考えても産業界の大多数を占める中小企業の問題が置き去りにされている。冷淡な扱いを受けているじゃないか。これは許せない〉
 十月一日夜十一時過ぎ、二階は自民党の古賀誠国対委員長に電話を入れた。
「お目に掛かりたいのですが」
 古賀は答えた。
「私が伺うべきですが、できればこちらにお越し願いたい、隣に官房長官がおられます。三人で話せば早いじゃないですか」
 二階は院内の自民党国対委員長室に足を運んだ。部屋に入ると、野中官房長官の姿があった。
 二階は軽く会釈した。
〈なにか打合せをしていたんだな〉
 二階は古賀に申し出た。
「中小企業への貸し渋りの問題、なかんづく信用保証協会の拡充強化を図ることによって中小企業を助けないといけません。いま大手の金融機関に対して、貸し渋り対策だ、なんだといっているが、地方には、都市銀行はそんなにない。私の選挙区である和歌山三区には、わずか一行の支店があるだけです。郷里では銀行が一行潰れ、いま信用組合が潰れかかっている。信用保証協会が本気になって中小零細企業に手を差し伸べることをしないと、政治にならないではありませんか」
 二階はさらに続けた。
「この中小企業の問題を、なぜ自民党はもっとしっかりやらないんですか。われわれ三野党会派が提出した問題ではあるけども、残念ながら他の野党は情熱を傾けてくれる状況ではない。自民党が本気になってくれれば、われわれと自民党とで、中小企業の貸し渋り対策を実現することはできる。もし、自民党がこのことに協力してくれないならば、旧国鉄債務法案は責任をもてない。私は反対にまわりますよ」
「わかりました。ちょっと失礼します」
 古賀はそう言うと、隣の部屋に誰かと連絡を取りにいった。
 部屋には、二階と野中官房長官の二人だけが残された。国対委員長同士の話ゆえ、口を挟まなかった野中官房長官が、二階に訊いてきた。
「自由党は、ほんとうに旧国鉄債務法案にご協力してくれますか」
 二階はきっぱりと答えた。
「われわれは、協力するといった場合には何の駆け引きもなく協力します。国のためになるということなら、これまでにも何度も協力してきたはずです。ですから、中小企業の問題は真剣にやって頂きたい。これをやって頂けるなら旧国鉄問題もスムーズにいくでしょう。われわれは、従来からそういう決意を固めています」
 野中は言った。
「出来るだけ早い機会に改めてお会いしたい」
 二階は言った。
「官房長官は忙しいでしょうから、時間の都合がつけば私のほうからお訪ねしてもいいですよ」
 野中と二階は、近く改めて話し合うことを約束した。
 戻ってきた古賀は提案した。
「国対委員長同士で話し合って、中小企業の貸し渋り対策をまとめることにしよう」
 二階は直ちに古賀と合意文書の作成にかかった。
 この両国対委員長の合意によって、自民、自由の協力により、中小企業への貸し渋り対策は、今日、日本中の中小企業の救世主のような貢献を続け、全国の中小企業が救済された。
 十月二日、官邸に野中官房長官を訪ねた二階は迫った。
「小沢党首と野中官房長官は、お互いに国家のため政治家として話し合いをされてはいかがですか」
 野中は答えた。
「この際、是非お会いをしたい。党首と話し合うことは大事なことだと思う」
「官房長官は、あと五〇年ほど政治をおやりになるつもりはありますか」
 野中官房長官は、右手を振った。
「いやいや、小沢さんは、まだ若いので長くやるだろうが、私はそんなに長くやるつもりはありません
「それでは、これは急ぎますね」
「小沢さんにお会いいただけるなら、私はいつでも結構です。ぜひ、お願いしたい」
 二階は言った。
「さっそく、小沢党首に話します。旧国鉄の債務については、まず官房長官と野田幹事長が話し合われたらどうでしょうか」
「それでは、改めて自由党に古賀国対委員長を連れ立ってお願いにあがります」
 十月五日の午前九時、野中官房長官と古賀国対委員長が院内の自由党控室にやってきた。野田毅幹事長と二階国対委員長が対応した。
 野中官房長官は改めて要請した。
「旧国鉄債務問題について、是非、自由党の協力をお願いしたい」
 午前十時、二階らは自民党の要請を党本部に持ち帰った。小沢党首、野田幹事長、二見伸明元運輸相、二階国対委員長の四人で旧国鉄法案に対しての基本的な方向を協議した。
 午前十時半、自由党本部に川崎二郎運輸相、黒野匡彦事務次官、小幡政人鉄道局長がやってきた。運輸省として正面から自由党に協力を要請するためである。
 川崎運輸相は言った。
「自由党の考えをお聞かせ頂きたい」
 小沢党首が、党の方針を説明した。
「旧国鉄債務の支払いが困難な経理状態にある北海道、四国、九州、JR貨物については、政府が無利子貸付けや国庫補助、税制措置などで負担増を上回る支援をする。利益を上げている東日本、東海、西日本に対しては、企業が負担する」
 川崎運輸大臣は直ちに「政府としても賛成できますので、政府案を修正します」
 自民党の対応は、素早かった。政府と自民党で話をまとめ、この日の午後一時、衆議院国鉄長期債務処理・国有林野改革等特別委員会が自民党理事の杉山憲夫、自由党理事の江ア鐵磨、社民党理事の伊藤茂らの活躍で開かれることになった。従って、野中官房長官、古賀、二階の自・自の国対委員長に加え、現場の特別委員会の杉山、江ア、伊藤のコンビの努力により、自民、自由、社民三党が共同修正案を提出することになった。特別委員会は賛成多数で可決。翌六日の午前中には衆議院を通過した。なお、杉山と二階は、かつて経世会、新生党、新進党と共に歩んだ頃の同志であり、二階が師と仰ぐ遠藤三郎(元建設相・故人)の秘書の時代に、杉山は遠藤会の青年部長として活躍していた旧知の仲であった。江アの父 江ア真澄(元通産相・故人)と二階は、江ア真澄が遠藤三郎、さらに小沢佐重喜(元建設相・故人 小沢一郎自由党党首の父)等と藤山愛一郎の参謀であった関係で、二階は若い頃から江ア真澄の指導を受けていた。
 いっぽう、極秘裡に進められていた小沢・野中会談を前に、二階は古賀に訊かれた。
「相談があるんだけど、野中さんが小沢さんに会ったとき、最初の挨拶をなんて言えばいいのかな」
 小沢と野中は、経世会分裂抗争以来、激しく対立してきた。野中は、小沢のことを「悪魔」呼ばわりしている。それゆえ、最初に何と言えばいいのか、いい言葉が見つからないというのだ。
 二階はアドバイスした。
「この七日に韓国の金大中大統領が来日するでしょう。だから、日韓方式でいこうじゃないですか」
「日韓方式?」
「金大統領は、ソウル駐在の日本人記者団との懇談で、『韓日両国がこれ以上の葛藤を続けることなく、きれいに清算して、信頼と理解、協力の時代に入ることを心から望んでいる』とおっしゃっている。つまり、過去は問わない。未来指向ということだ。素晴らしい言葉だと思う。政治は、井戸端会議でものが決まるわけではない。国の運命を担っているもの同士が、将来を見据え、大局にたって話し合うべきだと思う」
「なるほど」
 その後、まもなく古賀から連絡が入った。
「わがほうは、その方式で結構です」
 二階は答えた。
「まだ党首には相談していないけど、党首もそれで了承されると思う」
 二階は小沢党首に要請した。
「野中官房長官と会談をお願いします」
 小沢党首は受け入れた。
「自分は、個人的なことで野中さんとの間にわだかまりはない」
「自民党の方へは過去は問わない未来志向だと言ってありますが」
「当たり前だ」
 小沢党首の了解を取りつけた二階は、直ちに古賀に連絡を入れた。
「こちらも、オーケーです」
 双方の日程を調整し、会談は、十月八日と決まった。場所は帝国ホテル。
 二階は、古賀と前もって打ち合わせした。
「お互いに党の運命、ひいては国の運命も背負っての話になる。二人だけで話し合いをされたほうがいい。われわれは、国対の用があると言って途中で退席しよう」
 十月八日、いよいよ小沢・野中会談がはじまった。二階と古賀は、コーヒーを一杯飲みおえたあと打ち合わせどおり席を立った。
「われわれは、国対の話があるので席を外します」
 ふたりは部屋の外に出た。
 四十分ほどたったであろうか。
 二階は、古賀に声をかけた。
「大きな音も聞こえてこないし、騒ぎにはなっていないでしょう。そろそろ中に入りましょうか」
 ふたりは、部屋の中に入っていった。
「どうですか」
 話がまとまったのか、小沢はすっきりとした表情であった。
 しかし、野中の姿が見えない。
 二階は思った。
〈どこにいったんだ〉
 やがて隣の部屋から野中が出てきた。スーツからモーニング姿に着替えている。
 野中は言った。
「これから、官邸で金大統領夫妻の歓迎晩餐会があるんだよ」
 歓迎晩餐会は、この夜七時から開かれるようになっていた。
 野中は、そういい残し、そそくさと部屋を後にした。
 この小沢・野中会談は、自自連立を大きく前進させるターニングポイントとなる。
 十月十五日、旧国鉄債務処理法が参議院本会議で可決した。一一年もの長きに亘って延び延びとなり、どの内閣も先送りしてきた法案が鮮やかに成立した瞬間である。
 自民党と自由党との間に急速に信頼関係が芽生えた。小渕首相と小沢党首は、旧竹下派で同じ釜の飯を食い、竹下内閣では官房長官、官房副長官でコンビを組んできた。外国の賓客を迎えるレセプションや宮中行事などでは、たびたび顔を合わせて言葉を交わしている。旧国鉄債務処理法案の取りまとめの際には、電話で何度か会談もしていた。
 野中官房長官もマスコミを通じてしきりに自由党にラブコールを送りはじめた。
 二階は思った。
〈自民党は、法案ごとにパートナーを変えて取り組むことに疲れてしまったのだろう〉
 そして、十一月十九日、小渕首相と小沢党首が会談し、自自連立の合意に至った。
 新党平和の草川昭三国対委員長は、おどろいた。
〈ここまで話が進んでいたとは……〉
 平和・改革は、野党三会派による旧国鉄債務処理法案の協議でJR負担をなくすべきだと主張した。JR東日本、JR東海、JR西日本三社に微妙な意見の違いがあり、うまくまとまる状況ではない。それに、七月に行なわれた参院選で、公明はJR東日本の労組から支援を受けた。JR東日本は、その話し合いに否定的だったのである。
 野党三会派の調整は、難航した。
 結局、民主党と平和・改革の二会派で、法案からJRの追加負担を削除し、日本鉄道建設公団に肩代わりさせる対案をまとめた。
 自由党は、単独で法案作業を進めた。このとき、草川国対委員長は、自民党の古賀国対委員長と自由党の二階国対委員長の間で何かが動いている、という雰囲気を察知していた。
 草川は党幹部に進言した。
「これは、潮目が変わりますよ。自自で新しい動きをするんじゃないですか」
 幹部は答えた。
「いや、そんなことはない。自自両党だけでは、参議院で過半数に届かない。われわれが協力しなければ成立しないよ」
 だが、自由党は、自民党と組み、さらに社民党の協力を得て旧国鉄債務処理法を成立させた。さらに、自自両党は、十一月十九日の党首会談の結果、自自連立で合意したのである。
 二階は、小渕・小沢党首会談について思った。
〈お互いに国家的な危機的状況にあるという共通の認識がある。緊急に解決しないといけない問題が山積しているときに、政治の責任を果たすため、共に手を握って立ち上がろうとしている。過去のことにはいつまでもこだわらず、未来に向かって国民に責任を果たすために連立を組む。この大きな流れは国民が最も期待する必然のものではないか〉
 そして、平成十一年一月十四日、自自連立政権が発足した。
 自自連立政権発足後、二階は、古賀に打ち明けた。
「岐阜の正眼寺の谷耕月大老師をご存知ですよね」
「知ってますよ。田中六助先生の人生の師ですから」
 古賀の師匠である田中六助は、初出馬のとき、落選を経験している。うちひしがれ、ある意味では政治家になること自体をあきらめようかというくらいまで追い詰められた人生で最大の危機のときに、谷耕月にめぐり合った。それ以来、田中は、人生の師として大事にしていたのである。
 二階は言った。
「じつは、谷大老師は、私の郷土の出身なんですよ。郷土の大先輩という関係もあって、谷大老師の馨咳に接する機会がたびたびあった。田中六助先生の話が、よく出てきましてね」
 古賀は、おどろいた表情で答えた。
「ああ、そうなんですか。私も、ずっと田中先生から聞いていたので、谷大老師のことはいやというほどインプットされているんですよ。残念ながらお目にかかることはできませんでしたけど」
 二階は言った。
「谷大老師は、『困ったときにしめたと思え』と言うんです。どうしてかな、と思ったんですが、つまり、困ったときは逆にチャンスだという意味だと気づいたんです」
 古賀は大きくうなずいた。
「田中先生も、同じようなことを言ってましたよ。『ピンチは、チャンスだ。平凡の中で自分の生きざまを問うより、一番困っているとき、自分にどれだけの能力があるのか一番わかる。だから、政治家はいかなる時でも逃げちゃいけない。前へ前へと進んでいく。切り開いていく。それが大事だ』ってね。しかし、それにしても、なんでもっと早く話してくれなかったの」
 二階は笑みを浮かべた。
「そんな話で連立の作業をごまかしてはいけないと思って、黙っていたんですよ」
 二階は思った。
〈苦労しながら自自連立を推し進めた私と古賀さんは、不思議な縁でつながれていたんだな〉

 戻る 上へ 進む

検索語   検索ガイド