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  いっぽう平成十一年七月七日夕方、小渕恵三首相は自由党の小沢一郎党首、公明党の神崎武法代表とそれぞれ会談し、自自公連立政権づくりに着手する考えを正式に表明した。
 小渕首相は、午後五時二分から行なわれた自自党首会談で、公明党に連立を呼びかける方針を表明した。
 小沢党首は了承した。
「基本的には結構だ」
 ただし、衆議院定数削減や選挙協力などの自自合意の実現が、自自公連立の前提になると強調した。
「自自連立は、合意を実現させることが前提だ。八月十三日の会期末の結果を見て評価したい」
 午後五時四十二分、今度は小渕・神崎会談が行なわれた。小渕首相は公明党に連立を求める考えを表明。神崎代表は、七月二十四日の臨時党大会後に最終的な回答をすることを伝えた。
 七月二十四日、公明党は臨時党大会を開き、自自連立への参加方針を示した運動方針案と基本政策案を採択、閣内協力を正式に決めた。
 七月二十六日午後六時十七分、公明党の神崎代表は、首相官邸で小渕首相と会談し、閣内協力を正式に表明した。
 これを受けて、自由党の小沢党首は党本部で記者会見し、自自公連立政権の是非は、自自合意の進み具合を見て判断する姿勢を強調した。
「自由党とは、現時点において関係ない。自自連立政権をスタートさせるにあたって、お互いに合意した政策案件の実行をまず期していきたい」
 七月二十七日、衆議院比例区の定数を五十削減する公職選挙法改正案が衆議院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会で提案理由説明があり、審議入りした。
 七月二十八日、自由党の小沢党首は記者会見で、早急に衆議院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会での実質審議に入るべきだとの考えを示した。
「自民、自由両党がお互いに約束をはたすために、できることはすべてやることが信義を守っていくことだ。その気になれば衆議院は通過する」
 また、本格審議入りすれば、修正の余地もありうるとの考えも示唆した。
「自自の合意でやるのか、何かの修正があるのか、審議のなかで各党からいろいろな意見が出たときに考える話だ」
 しかし、衆議院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会の審議日程はなかなか決まらなかった。自由党内には、定数削減に反対する公明党に配慮し、消極的な姿勢を見せている自民党に反発する声があがった。
 八月三日午前、自由党は小沢党首、藤井裕久幹事長、二階俊博国対委員長が党本部で協議し、あくまで法案の衆議院通過を求める方針を確認した。
 八月四日、小沢党首は記者会見で重ねて強調した。
「自自両党で実行を国民に約束した。繰り返し、強く主張していく」
 また、自民党に強い不満も表明した。
「モタモタ、グズグズしている。一生懸命やればできるのに、やらずに約束を守れないというのは、政治、政治家としてあるべき姿ではない」
 一方、公明党の草川昭三国対委員長はこの日、国会内で記者団に語った。
「数で押し切るというのは絶対に認めない。審議未了で廃案にするというのが、われわれの対応だ」
 八月八日夜、小沢党首は、自民党小渕派の綿貫民輔会長、野中広務官房長官らと都内のホテルで会談した。野中官房長官らは、各党協議機関による話し合いの継続を求めた。
 しかし、小沢は、あくまで衆議院通過を求める考えを強調した。
「協議機関は問題の先送りだ。公明党が入ってきたからできないというのは、すべてが公明党の言う通りになるという国家的な危機感がある。これから党所属議員の意見を聞くが、衆議院通過できないのなら、連立を離脱することになるのではないか」
 この日、自自公三党の国対委員長も法案の取り扱いなどを話し合った。
 自由党の二階俊博国対委員長は、小沢党首の思いを痛いほど理解できた。二階は、「国旗・国家法案」「組織的犯罪対策三法案」「住民基本台帳法改正案」「産業競争力関連法案」など重要法案の処理をめぐって汗を流していた。
〈自自連立は、参議院で過半数に九つ数が足りない。われわれ国対を預かるものは、毎日数の問題で頭を悩ませている。その状況を打開するためには、公明党にぜひ政権に参加してもらいたい、という小渕首相の気持ちもわかる。しかし、それなら連立を組んでいる小沢党首に直接説明があってしかるべきだ〉
 小沢党首は、最初から離脱ありきという考えではなかった。連立をぶち壊す、あるいはいきなり離脱ということではなく、まず自自で政策的に合意したことを実現していこうと主張していた。
 小渕内閣の支持率は、自自連立合意の前夜まで二〇%台であった。それが、いまや五〇%をはるかに超えようとしている。東証平均株価にしても、一万三〇〇〇円台から一万八〇〇〇円台と上昇している。日本経済に、やや好転の兆しがみえかけてきた。
 これが、自自連立の効果であることは、政治を知る万人が認めるところだ。
 ところが、自民党は、自自合意をいい加減に扱ったまま、新しい勢力と手を結ぼうとしている。それはいかがなものか、という思いが小沢党首にはある。
 小渕首相はマスコミを通じて自由党に協力を呼びかけてきた。が、小沢党首と直接会って話し合うことはなかった。
 自自はすでに連立を組んでいる。そこまでしなくともわかってくれているだろう、という思いがあったのかもしれない。
 二階は善意に解釈した。
〈官邸は、自由党を外したとか、自由党をいい加減に扱ったというのではなく、公明党に夢中になっていた。たとえるなら自由党と結婚をしておきながら、新しい公明党という相手に目を向けて、そちらのご機嫌を取り結ぶことに腐心したということだろう〉
 ただし自民党内には、自由党が定数削減を主張するのは選挙協力が目当てだ、とタカをくくっている空気もあった。
 が、会期末が近づくにつれ、自由党は本気で政権を離脱するのではないか、と不安にかられた。自自の合意に達するよう小渕派の綿貫会長、野中官房長官らが小沢党首に接触してきた。その努力は評価に値する。
 しかし、いかんせん遅すぎた。
 二階は残念でならなかった。
〈小沢党首は几帳面な性格だ。それに、政策は党の命だ、と言っておられる。いま、まさに政権の枠組みが変わろうとしている。いいかげんな妥協で自公連立を認めれば、自由党は埋没してしまうではないかという危機感をだれよりも強くもっている。だからこそ、もっと早い段階で党首会談を行なうべきだった。七月二十六日、公明党の神崎代表らは小渕首相に連立参加を正式に伝えにきた。そのとき、小渕首相と小沢党首が官邸でそろって神崎代表らを迎えることができたなら、ここまで話はもつれなかったに違いない〉
 小沢党首は、自自公は反対だ、公明党と政治をやるのは反対だ、などと言っているわけではない。政策を協議し、一致するならばいいという考えである。その際、自自が合意している政策を公明党に理解してもらう。そのうえで、今度は三党が同じ高さのテーブル、同じ目線で話し合おうという手続きが必要だ。
 八月十日、小沢党首は、党本部で全議員懇談会を開いた。その席で、自ら作成した@連立の一体化(自・自―公)A連立継続(自―自―公)B単独(自由党)という今後の政局シミュレーション図を示し、説明した。
 小沢党首は、連立を離脱した場合でも次期総選挙ではかえって有利と分析し、強気の姿勢を貫いた。
 四七人の出席者中二九人が小沢党首へ無条件で一任し、一八人が小沢党首との個別面談にのぞみ、離脱慎重論や条件付き賛成論などを述べた。
 二階は思った。
〈小沢党首は、離脱も辞さない、という覚悟で自民党に迫っていくだろう。党首は、政治経験が長く、これまで修羅場を何回もくぐっている。四十七歳という若さで大自民党の幹事長も務めた。大局的な政治判断は素晴らしいものをもっている〉
 そんななか、野田毅自治相を党首とし、二階を幹事長とする「野田新党構想」が誠しやかに流された。小沢党首が連立離脱に踏み切る場合は行動を共にせず、自民党と連立を組み続けるという構想である。
 二階は、その噂を聞き、一笑に付した。
〈このごろの政治部の記者は、取材も、裏付けもなく、勝手に創作記事を書くのでほんとうに困る。根も葉もない噂にすぎない。あるいは自由党の中に、亀裂でも起きないか、対立でも起きないかと願っている外からの作用が働いているのかもしれない〉
 ただし、若手議員のなかには、二階に訴えてくるものもいたことは確かだ。
「離脱ということにならないようにしてください」
 二階はかれらに言った。
「自民党はわれわれの主張を絶対に呑むから安心しろ。いまここで自自連立が壊れるようなことになれば、自由党も傷つくが、現に政権を担当している所帯の大きい自民党と小渕政権のほうがはるかに傷が大きい。結果的に、経済をまた混乱させることになる。自民党は、絶対に折れるよ」
 衆議院の定数削減の審議は重要だ。しかし、公明党のみならず、社民党、公明党、共産党も必死の構えで反対している。そのような状況で、いくら数があるからといっても強行採決をするわけにはいかない。
 野党第一党の民主党は定数削減に賛同していた。
「小渕・小沢会談で合意し、国民に公約した重要な約束ゆえ、ぜひ実現してもらいたい。民主党も、しっかり応援する」とさえ言っていた。
 ところが公明党が折れて審議入りした八月十一日、参議院本会議での通信傍受法案の採決で、いわゆる牛歩戦術を展開し、衆議院特別委員会の審議に加わろうとしない。
 二階はあきれた。
〈あれだけ五〇名削減に賛成だと主張しておったのに、これはどういうことだ。あれだけ綺麗事を並べておいて、いざ審議になったら入ってこない。そんな政党を相手にして採決に持ち込めない。今国会であわてて採決をすれば、乱闘騒ぎとなる。委員長席のマイクは壊され、背広を引きちぎられるようなことになる。これは国会議員の身分に関わる問題だ。それだけに粛々とやらなければならない。もう少し議論が必要だろう〉
 会期末前日の八月十二日午後六時、自自公三党の国対委員長会談が行なわれた。
 自民党の古賀誠国対委員長は、公明党の草川国対委員長に申し入れた。
「自由党は採決、公明党は廃案を主張しているので、継続審議としてはどうか」
 が、草川は憮然とした表情で席を蹴り、部屋を飛び出した。
「ご破算だ!」
 公明党の言い分は、「国会提案を認めて審議入りを了承した。継続審議ではなく、自自公で協議し、新しく法案を出し直すのが筋ではないか」というものであった。
 古賀と二階は草川に連絡を入れた。
 しかし、草川はつかまらなかった。
 深夜零時近くになって、ようやく連絡がついた。
「今度は場所をかえて、院内の自民党国対委員長室で話し合いましょう」
 日付が十三日に変わった深夜零時半、三人は自民党の国対委員長室に入った。そこへ隣の部屋から森喜朗幹事長が顔を見せた。
 院内の自民党国対委員長室と幹事長室は通じている。森幹事長は、三人がドヤドヤと国対委員長室に入る物音を偶然聞きつけたのである。
 森幹事長は草川に頭を下げた。
「法案を継続審議とすることで自由党にもご理解頂いている。私が全責任を負います」
 森幹事長はやがて部屋を出ていった。
 残った三人は二時過ぎまで協議を行なった。が、決着はつかなかった。
 会期末当日の八月十三日午前八時、三国対委員長は、キャピトル東急ホテルのレストランで協議を再開した。この席で、公明党はようやく継続審議に合意した。
 二階は胸をなでおろした。
〈良かった……〉
 しかし、喜んでばかりはいられない。
 二階らは直ちに党首会談をセットすることにした。時間は、正午と決めた。
 古賀はさっそく官邸の野中官房長官に連絡を入れた。
 官邸側は、総理のスケジュールの都合で午前十時五十分にしてくれないかとのことであった。
 二階は小沢党首に伝えた。
「公明党と継続審議で合意しました。官邸の意向で党首会談は十時五十分に決まりましたが、よろしいでしょうか」
「わかった。十時までに党本部に行くから打ち合わせしよう」
 二階と古賀は党首会談の内容について打ち合わせし、合意メモを作成した。
 その合意メモをもって、古賀は、首相官邸に、二階は、自由党本部に、それぞれ向かった。
 小沢は合意メモに手を入れた。
 二階は古賀を通じて官邸側と連絡を取り合い、ぎりぎりまで調整した。
 午前十時五十八分、首相官邸で小渕・小沢会談が行なわれた。自民、自由、公明三党間で協議が続けられてきた衆議院定数削減問題は、自自両党が提出した比例区五〇削減法案を継続審議にし、自自両党間では「次の国会冒頭で処理」することで合意した。
 こうして自由党は連立に残留することになった。
入閣!運輸相兼北海道開発庁長官の重責
 平成十一年九月二十一日、自民党総裁選の投・開票が行なわれた。小渕首相は、全体の七割近い票を集め再選をはたした。
 小渕首相は、党役員・内閣人事の具体的な検討に入った。
 自由党の入閣候補に二階俊博の名前が上がった。
 今回の自自公連立政権発足に伴う閣僚数について、自由党は二ポストを要求した。自民党は、いわゆる派閥の論理で閣僚ポストの配分が決められる。つまり、派閥の規模が大きければ大きいほど、ポストの数が多く割り当てられる。その論理でいけば、所属議員五一人の自由党は、一・八人分の閣僚ポストが配分されることになるのだ。
 自由党は、自民党執行部と交渉した。
「前回は連立を組んだばかりだし、閣僚数を減らしたので一ポストで勘弁して頂きたいということだった。が、自自連立は多くの成果をあげた。そのことが自自公連立につながり、政治も安定した。そのことを考えれば二ポストを要求してもおかしくない」
 自由党が入閣候補として推薦したのは、二階と扇千景参議院議員であった。が、当の二階は、静観の構えを見せていた。
〈自自公連立政権なんだから、自自公三党の党首、つまり小沢党首と公明党の神崎代表が入閣したほうがいいんじゃないか〉
 九月二十七日の月曜日、二階は、小沢党首とある件で会った。
 そのとき小沢党首は言った。
「二階さんに入閣の要請がきたら、しっかりやってください」
 このとき、マスコミは入閣予想の顔ぶれを連日報じていた。二階は、運輸大臣候補であった。二階はNHKテレビの密着取材を受けた。NHKテレビは、入閣予想候補のなかで、初入閣となる候補にスポットをあてた番組を制作していた。
 しかし、二階は取材に対して慎重に言葉を選んだ。大臣としての抱負などは、一切語らなかった。
 二階は、ある人から電話で言われた。
「他の入閣候補は大臣としての抱負を語るなどニコニコと応対しているのに、二階さんだけは自自公の政策協議がどうのこうのということしか語らないんですね」
 二階は思った。
〈人事というものは最後の最後までわからないものだ。土壇場で引っ繰り返ることもある。発言はひかえよう〉
 そう自戒していたのである。
 十月四日、明治記念館で自民党小渕派会長、綿貫民輔の国会議員生活三〇周年パーティーが開かれた。二階も、そのパーティーに出席した。
 パーティーが終わり、明治記念館の正面玄関を出た。芝生の上を歩きながら駐車場に向かった。その途中で携帯電話が鳴った。
 電話の主は官房長官に内定した青木幹雄であった。青木は言った。
「小渕首相は明日、内閣を改造します。あなたには運輸大臣兼北海道開発庁長官をお願いしたい。なお、政務次官には自民党議員を据えますが、ご了解頂けますか」
 二階は答えた。
「結構でございます。自自公連立のなかで、ともに汗を流していきたいと思います」
 青木は続けた。
「今回の組閣は、それぞれの省庁の政策に精通している人を選んだつもりです。ついては、明日の朝九時までに閣僚として何をやりたいか、その抱負をまとめたレポートを官房副長官に内定している額賀(福志郎)さんに届けてください」
 二階は運輸行政に精通している、いわゆる運輸族であった。海部内閣、細川内閣と二度にわたり運輸政務次官に就任。自民党時代にはすでに交通部会長を経験、新進党時代には「明日の内閣」の運輸大臣役の国土交通担当、自由党では、国対委員長として汗を流すかたわらで交通部会長と農林部会長を務めていた。
 運輸大臣はまさに適役といえた。
 この夜、二階は、赤坂の議員宿舎で机に向かった。鉛筆を舐めながら、レポートづくりにとりかかった。
 二階は思った。
〈このレポートは、将来の法案の提出、さらに予算要求にもきわめて重要な意味合いをもつ。運輸省が年来主張していることと、懸け離れたことを書くわけにはいかない。ただし、役人では言えないことも正面から取り上げよう〉
 二階はまず"交通安全宣言"について触れることにした。世の中は、まるで水や空気の話と同じような感覚で「交通安全を守ろう」と言っている風潮がある。慣れからミスも起こる。現場任せになっているようなところもある。そこで、安全第一を徹底させようというのである。
 運輸省には、三万七〇〇〇人の職員がいる。運輸省に登録された関係事業社は、個人タクシーをふくめて二〇万社、勤労者は三五〇万人を数える。
 運輸省の管轄といえば飛行機や新幹線などを連想しがちだ。むろん、それらの事業も重要である。が、中小企業、零細企業などにも眼を向けなければいけない。運輸、交通の関係者がお互いに協力しあい、日本の交通安全を徹底していく。
 またバスやタクシーの規制緩和、海上保安庁、気象庁などの装備の近代化にも触れた。
 一方、中央省庁の再編により、二〇〇一年には、運輸省、建設省、国土庁、北海道開発庁の四省庁が統合され、国土交通省となる。そのことを想定した政策を進めていくと同時に、組織をまとめていく努力をしなければならない。その意気込みも綴った。
 二階はそれらのことをレポートにまとめた。気がつくと、時計の針は深夜一時をさしていた。
 十月五日午前九時、二階は、額賀福志郎にレポートを提出した。
 額賀は言った。
「総理が眼を通されて、大臣として適任だと判断されれば正式に呼び出しされます」
 午前十一時過ぎ、官房長官に内定している青木幹雄から連絡が入った。
 青木は言った。
「改めて、運輸大臣兼北海道開発庁長官をお願いしたい。ついては、午後一時二十分までに官邸にお越し下さい」
 二階は官邸に出向いた。
 やがて、運輸総括政務次官の中馬弘毅、運輸政務次官の鈴木政二、北海道開発庁総括政務次官の米田建三も官邸に呼び込まれた。
 二階は青木官房長官、二人の政務次官の立会いのもとで小渕首相の訓示を受けた。
「しっかりと頑張ってください」
 さらに小渕首相からねぎらいの言葉を受けた。
「自自連立、および自自公連立にいたるまで大変なご苦労をおかけしました」
 その後、共同記者会見に応じた。
「ただいま運輸大臣および北海道開発庁長官を命ぜられました、自由党の二階俊博でございます。まず、運輸行政から一言申し上げたいと思いますが、運輸行政は大変幅広い分野を担当します。とくに、私は留意していかなくてはならないことは、安全ということです。これをもっとも重要視してまいらなくてはならない。同時に、これからは高齢化社会に突入します。また、国際化社会のなかに進んでいく。その点において運輸行政がいかにあるべきかということを常に考えて参りたいと思っております」
 具体的な問題について語った。
「まず、JRの問題。旧国鉄から民営化を目指して、今日まで関係者は大変なご努力を頂きました。私は、高く評価をしたいと思います。しかし、いわゆる完全民営化につきましては、いま一歩のところまできています。従いまして、次の通常国会に法案を提出できる環境を整えるべく、これから努力をしてまいりたいと思います」
 バス、タクシーの規制緩和の問題について語った。
「これは、国民のみなさんの利便を最重点に考えながら、あるいは辺地の問題、僻地の問題等についても心を配り、規制緩和の問題を推進するにあたりまして、国民の皆さんの声にしっかり耳を傾けながら対応してまいりたいと思っています」
 国際空港の問題について語った。
「いわゆる空の玄関でありますし、国際化社会において極めて重要な役割を担っているわけですが、成田空港、あるいは関西国際空港、さらに中部国際空港等が、これから私どもが真剣に取り組んでいかなければならない問題であります。この課題の解決のために、地元の協力を得ながら懸命に対処してまいりたいと思います」
 新幹線の建設問題について語った。
「国土の均衡ある発展を図るという観点から大変強い要望があるわけですが、先般も自自協議のなかで、新幹線問題について積極的な対応をはかろうという決意を新たにいたしておりますが、その線に沿って今後、努力をしていきたいと思います」
 運輸省が色々な分野で行なっている研究開発についても語った。
「海の新幹線といわれるテクノスーパーライナー、あるいはまた、海に大地をつくるという意味でのメガフロート、そして新幹線から在来線に直通運転ができる、在来線から新幹線に直通運転ができるという、いわゆるフリーゲージトレインというものが、いま研究開発を進めておりまして、まもなく、これは成功するだろうという状況にあります。
 これら、技術の関係の皆さんが、今日まで取り組んでまいりました大きな革命的な成果をこれから政治として、私どもは全力を尽くして支えていきたいと、考えております」
 二階が長年手がけてきた観光の問題についても力説した。
「いま、日本から毎年海外に出かける旅行客は一六〇〇万人を数えております。しかし、残念ながら外国から日本を訪れる観光客は四〇〇万人です。このギャップをこれからいかにして埋めていくか。同時に、国内観光についても、これから特に力を注いでまいりたいと思っております」
鉄道非常事態に檄
 平成十一年十月十一日、山陽新幹線北九州トンネル(北九州市)内で計二二六キロのコンクリート塊が落下した。この事故で、落下した「打ち込み口」は建設直後から側壁との間に「不連続面」(ひび割れ)が生じ、コンクリートの劣化が進んでいた疑いの強いことが、十月十二日までにJR西日本などの調べでわかった。
 落下したコンクリートのはがれ落ちた面の表面から深さ二センチ程度まで、空気中の二酸化炭素がコンクリート中のアルカリ成分を中和させる「中性化現象」がみられた。また同じ面の下から長さ約十五センチにわたって茶色や黒っぽく変色した部分が広がり、塊が落ちた後、この部分から五つに割れたことも分かった。
 JR西日本は施工ミスの可能性もあるとして、コンクリートの材料分析や、当時の施工業者からの事情聴取を進めた。
 現場付近は、トンネル上部から地下水が漏れていることも確認され、ひび割れが漏水の集まってくる通り道となったほか、時速一五〇〜三〇〇キロで走行する新幹線の振動や風圧の影響も受けて落下したのではないかとみている。
 山陽新幹線のコンクリート塊落下事故について、二階は十月十二日の閣議後の記者会見で強く批判した。
「ある意味で新幹線非常事態といえる。JR西日本に対し、厳しく反省を求めたい」
 この日午後には、直ちに、JR西日本の南谷昌二郎社長を運輸省に呼び、事故についての詳しい説明を求め、「きちんとした形で責任の所在を明らかにしてもらいたい」と要請した。
 また、運輸省としては、この日、省内に、陸、海、空の交通機関について、人為的ミスによる事故を防止するため、組織管理や点検体制の問題点を分析し、対応策を検討するための「運輸安全戦略会議」を設置した。
 十月二十三日、二階は小渕総理をはじめ数人の閣僚と共に、日韓定期閣僚懇談会に出席のため韓国の済州島を訪れた。翌日の二十四日、政府専用機で羽田に帰国の後、直ちにその足で福岡へ向うという強行軍であったが、二十五日未明、南谷昌二郎・JR西日本社長らと共に保守用車両に乗り込み、約一時間半かけてJR山陽新幹線北九州トンネル内の崩落現場を視察した。
 車両から身を乗り出して落下した打ち込み口をのぞき込んだり、自ら懐中電灯でトンネル内を照らしたりしながら徹底的に検査を行った。
 そして、早朝三時四十分発、一番列車の走る前に必ず行われている「確認車」にも乗り込み、安全を確認したのであった。
 視察を終えた二階は、「点検にはかなりの時間がかかるだろうが、人海戦術であたりたい。打音検査の機械化などの研究開発にも予算を付けたい」と述べ、五億五〇〇〇万円を今年度の補正予算案に盛り込む考えを明らかにした。
 また、監督官庁としての運輸省の責任については「責任を逃れるものではない」と認め、「JR各社にも協力を要請し、点検作業を早急に進めたい。運輸省も出先の運輸局の職員を出して全力で対応し、年内には運輸省としての安全宣言を発表できるよう努力したい」と官民あげて早急に総点検を始め、山陽新幹線にある一四二本すべてのトンネルの総点検を命じ、年内に安全の確保と安全宣言を目指したいとした。
 十二月十六日未明、JR西日本は山陽新幹線の一四二本の全トンネル(総延長約二八〇キロ、東京から浜松までの距離、新大阪から三原までの距離)で進めてきた総点検を終えた。十月二十五日からこれまでの計五二日間、JR他社や関連会社などから応援を求めるなど延べ六万九〇〇〇人を投入し、約五〇億円を費やした例のない大規模な総点検となった。
 この日午後、運輸省は学者や専門家で構成する「トンネル安全問題検討会」と省内の「運輸安全戦略会議」を開いて点検結果や補修内容などを検証した。
 その結果当面の安全性は確保できたとして二階が記者会見で、「JR西日本の報告を鵜呑みにしたわけではなく、私たちが点検に立ち会い、専門家と検討したうえで報告を是認した。運輸省として、国民にもう安全ですよと言いたい。今後の保守点検については、運輸省が手取り足取り介入することはない。JR西日本が社運をかけて取り組むと思う」と事実上の安全宣言を行なった。
 一方、JR西日本の南谷昌二郎社長は、この日夕方、「運輸大臣から、厳しい自覚と反省の上に立って、将来にわたり適切な保守管理を継続的に行なうよう強くご指導を受けた。総点検終了を新たな出発点として将来にわたる安全確保のため最大限の努力を重ねる」と語った。
 平成十二年一月下旬、またしてもトンネル内でコンクリート塊が落下したり、新幹線が長時間立ち往生したりと交通関係の事故や障害が相次いだ。このことを受け、二階をはじめ運輸省の幹部が全国各地のトンネルや総合指令センターなどを視察した。
 二階は、平成十一年十一月二十八日にJR北海道の礼文浜トンネルで起きた事故を視察するため、一月二十三日に現地に出向いた。零下四度という極寒のなかトンネルに入り、安全の再点検をしてきた。そのとき、同行したJR北海道の坂本眞一社長に言った。
「落下事故は、大変残念なことではあったが、このことを常に記憶にとどめておこう。そして、落下した日から一年後に、みんながこのトンネルの周囲に集まり、安全の誓いをしようではないか」
 数日後、JR北海道の坂本社長が大臣室に訪ねてきた。坂本社長は言った。
「今度、大きな自然石で『トンネル安全の誓い』というものをつくり、毎年その前に集まり、あの日のことを忘れないようにしたいと考えています」
 二階は大きくうなずいた。
 三月八日、営団地下鉄日比谷線の脱線事故が起こった。死者まで出るという大惨事となった。
 三月三十日、頻発する鉄道事故に心を痛めていた二階は、鉄道局長に命じ、日本全国のすべての鉄道事業者を一同に集めて訴えた。
「鉄道に対する安全神話は崩れつつある。われわれは、いま一度気を引き締めて頑張らねばならない」
 その挨拶は、自らの経験、体験を含めた生の声で厳しく、しかし、愛情をもって魂と良心に訴えるというものであった。
 二階は思った。
〈公共交通機関等に従事するひとは無休で仕事をしろ、とは言わないが、人の命を預けられているという緊張感と仕事に対する誇りだけは常に持続してほしい〉

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