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 平成十二年二月十四日、与党の幹部たちが衆議院の伊藤宗一郎議長と渡部恒三副議長を料亭「金田中」に招き、「衆議院議長・副議長を慰労する会」を開いた。
 渡部は、その席上でこう挨拶した。
「いまの国会の最大の問題は、与党が強すぎて、野党が弱すぎることだ。野党には、数もさることながら、人材も足りない。せめて国会を立派にするためには、古賀、二階、大島(議員運営委員長)の三人を野党に譲ったらどうか」
 自民党の古賀誠国対委員長は、加藤紘一と自自公路線で意見が分かれている。ポスト小渕を目指す加藤にすれば、党利党略・派利派略で国会はうまくいかないほうがいい。小渕政権が行き詰まれば、自分の出番になる。だが、古賀は、小渕政権を懸命に支えている。それゆえ、派内から非難されているのだ。
 しかし、渡部は、古賀の党内における信用は加藤の数十倍も上になっていると思っている。加藤に嫌われたからといって、これからの政治的立場が悪くなるということにはならない。これは、小沢一郎における二階俊博にも同じことがいえる。
 古賀も、二階も、これほど国会内で信用を得れば、加藤に嫌われようが、小沢に嫌われようが、関係ない。加藤がいくら古賀を嫌っても、小沢がいくら二階を嫌っても、加藤は古賀の力を頼みにし、小沢は二階の力を頼みにするしかない。
 渡部は、古賀と二階についてこう評価する。
「政治家というのは、人にゴマをすって生きていくタイプと、自分の独立した考え方で生きていくタイプの二つのタイプがある。古賀と二階は、自分の独立した考え方で堂々と生きていく。人のいいなりにならない。国会になくてはならない存在だ」
 古賀誠は、二階を高く評価している。
「二階さんは、約束したことは必ず守る。駆け引きもできる。いまの政界で政局をつくることができる人は、野中幹事長、二階さんほか、数人だけだろう」
 野中広務も、二階を高く評価する。
「二階さんは、第二次小渕内閣で運輸大臣に就任された。二階さんは、これまで運輸政務次官を二回も経験し、運輸行政についても誰よりも抜群の実績を持った政策マンだ。運輸行政全体について、強力なリーダーシップを持って取り組んでもらっている。将来、日本の大きな柱として期待する政治家だ」
 平成十二年三月二十七日、自由党の小沢一郎党首は、党常任幹事会で連立政権への今後の対応について、離脱問題をめぐって党内調整に入る意向を明らかにした。
「二十九日の全議員懇談会で、最近の状況について申し上げたい。意見のある人は、個別に言ってきてほしい」
 小沢は、三月四日に小渕首相と会談した際に、自民党と自由党が総選挙前に解党して新党を結成することも視野に「両党間の完全な選挙協力をする」「両党間で新たな政党合意を交わす」などを申し入れた。
 しかし、選挙協力はわずか五選挙区にとどまった。小渕首相は、総選挙前の自自合流はないとの見解も示した。
 小沢は、自民党に不満を募らせ、講演などで発言していた。
「約束した政策を実行しないのなら、連立していても意味がない」
 自由党は、これまでにも昨年八月の通常国会会期末、公明党が政権参加した十月、暮れの臨時国会の会期末と三回に渡って「離脱騒ぎ」を起こしてきた。今回で、じつに四回目であった。
 党内は「連立を離脱して、自由党本来の政策や主張を貫くべきだ」という連立離脱派と「いや、あくまで連立にとどまり、自自公体制のなかで選挙を戦うべきだ」という連立維持派に分かれ、分裂ぶくみの状況となった。
 二階俊博運輸大臣のもとに、若手議員が何人も訪ねてきた。かれらは、みな涙ながらに訴えてきた。
「なんとか、分裂を回避してください」
 二階は危機感を強めた。
〈国会議員は、みなそれぞれ選挙区を抱えている。解散の時期も近い。みな命懸けだ。ここは、なんとしても分裂は避けなければいけない〉
 三月二十八日、二階は記者会見で離脱問題について触れた。
「小渕内閣の閣僚という責任ある立場で、軽々しくそうした問題に言及するつもりはない」
 閣僚である二階の去就は、多少なりとも政局に影響をおよぼすことには違いない。自らの態度を内外に明らかにするのは、最後の最後まで慎重でなければならない。そう考えていたのである。
 従って、二階は、連立離脱派、連立維持派のどちらのグループの集まりにも、あえて参加していなかった。
 この夜、二階は小沢党首と都内のホテルで会談し、意見交換した。
 小沢党首には、自分についてきてくれた若手議員を全員当選させたいという情の部分がありありとうかがえた。
 いっぽう、二階を頼ってくる若手議員もいる。二階は、信義を重んじる田中政治、竹下政治、金丸政治の中で育ってきた。若手議員を見殺しにし、「あなたは、何もしなかったのか。自分だけよければ、それでいいのか」ということになってはならない。
 二階は悩んだ。
〈自分の損得勘定で行動するのではなく、どうすれば一人でも多くの同志を救うことができるのかを考えなければならない〉
 二階の地元では、「離脱をするな」という声が後援会の幹部や市町村長の間で、圧倒的に多かった。二階は、自自公連立の決意を示すために後援会や党首に配る今年のカレンダーに、「自自公連立の成果を今年こそ」と書き入れている。
 同じ和歌山県選出の中西啓介国対委員長も、二階に言っていた。
「地元は、『離脱をするな。二階さんと協調して頑張れ』という声が多い」
 三月二十九日午後五時、自由党の全議員懇談会が開かれた。小沢党首は、スライドなどを使って独自の世論調査結果として、自自公連立政権の支持率がいかに低下しているかを説明した。
「このままいったら、選挙は勝てない。自民党は、小渕首相をはじめ危機感が欠如している。健全な保守主義を標榜して戦うことが必要だ。私が邪魔なら、私がどいてもいい。保守勢力は危機的状況にある。新しい保守勢力をつくらないと大変なことになる。聞き入れられなければ、外に出て批判勢力の受け皿になることも考えている。そのときにどうするのか。諸君も、自分の立場で考えてもらいたい」
 そのうえで言った。
「近く、小渕首相とも話をしなければならない。その段階で判断することが大事だ」
 いっぽう、政権への残留を目指す野田毅前自治相は、この懇談会に先立って行なわれた小沢党首との会談で、自由党がもし政権を離脱するなら、新党を結成する考えを伝えた。
 三月三十日、自民党の森喜朗幹事長と自由党の藤井裕久幹事長が国会内で会談した。森幹事長は、選挙協力は現状の五選挙区から上積みするのは困難との認識を伝え、両党の協議が最終的に決裂した。
 また、自由党の連立離脱問題をめぐって自民党、自由党、公明党の党首会談が四月一日夕方に首相官邸で開かれることも正式に決まった。
 二階は、複雑な心境であった。二階の今日までの政治活動における大きな拠り所は、小沢党首であった。小沢党首の存在があったからこそ、ここまで野党の時代も苦楽を共にして、頑張り抜いてきた。
 しかし、自分を慕ってくれる若手議員が「連立の維持」を真剣に訴えてくるのを見たとき、自らの政治判断だけで物事を決めるわけにはいかない。
 しかも、二階は閣僚である。閣僚の立場でなければ、もっと行動もできるし、発言もできるが、閣僚である以上は内閣に迷惑はかけられない。小渕内閣の足を引っ張るようなことはつつしまないといけない。
 二階は悩んだ末、肚をくくった。
〈場合によっては、閣僚として党首会談に同行を求められるだろう。私は、自由党から入閣した大臣だ。仮に会談が決裂し、小沢党首が政権離脱を決めたときには、辞表を提出しよう。私は、微力ながら国対委員長として自自連立を実現するために努力してきた。自由党がようやく、ここまでたどりつけたのに、途中でこれを放棄するのは辛いが、だからといって閣僚の座に恋々としているわけではない。やりのこしの仕事がある。仕事の途中で辞めてしまうのは関係者の皆さんに大変申しわけないと思う。しかし、そこはきちんとけじめをつけておきたい〉
 二階は、運輸省の役人をせかした。
「頼んでいた仕事だが、急いで片づけてほしい」
 いつ辞任してもいいように、仕事の区切りだけはつけておこうと思ったのである。
 この日、二階は、参議院交通・情報通信委員会に出席し、民主党の谷林正昭委員の質問を受けた。
「北海道・有珠山は、噴火の可能性が高まっています。大臣の所属する自由党も爆発寸前のような感じがいたしますが、ぜひひとつ心境をよろしかったらお聞かせ頂きたいと思います」
 二階は、有珠山について答弁した。
「まず、有珠山のことにつきましてご意見、ご指摘がございましたが、この問題につきまして昨日から小渕総理とも連絡を取り合いながら、官邸の中に万一に備えての体制をすでに整えてございますし、私自身も昨日、委員会終了後気象庁にまいりまして、気象庁の体制などを再確認すると共に、一刻も早く情報を的確に送達できるように常々やっておりますが、いま改めて再確認して万一に備えるようにと気象庁長官にも命じてまいりました。
 なお、滝川気象庁長官においては、ちょうどこの年度末、人事異動を考えておりまして、閣議了解の人事でございますから、小渕総理の了解を得ておったところでございますが、昨日夜、すでに内定を頂いております長官の人事異動を撤回いたしまして、小渕総理のご了承を頂いた上で、現長官が引き続きこの任に当たるようにいたしております。現場におきましても、すでに十分な体制を整えておりまして、避難はすでに完了いたしておりますし、新しい観光客などの受け入れは、極力避けるように指示をいたしております。
 私も、今日は一日国会でございますし、明日も午前中どうしても外せない日程があり、午後ぐらいに北海道の現場に赴くつもりで、いま運輸省を出てくる際に日程の調整を指示してきたところですが、私は北海道開発庁長官も兼務いたしておりますので、両々相まって万全の体制を期するようにいたしております」
 そして、離脱問題について触れた。
「なお、私の党内の問題につきまして大変親切なご質問を頂きましたが、今日はここは政府の立場でお答えをするところでございますが、私は相撲でもそうですが、制限時間いっぱい、常に最後の五分までというのが、私の信条でございますから、皆さまの激励を頂きながら、いわゆる有珠山の問題につきましては、そういうことが杞憂に終わることを願いながら、万全の体制をしいて、最終まで責任はまっとうしたいと考えております」
 その後、二階は、藤井裕久幹事長、中井洽元法務大臣、中西啓介国対委員長の四人で話し合った。「再度自民党に選挙協力を含めた自自両党の合意事項の実行を迫り、仮に決裂しても、その五分前まで努力をすべきではないか」ということで一致した。
 この夜も、二階は小沢党首と会談した。三晩連続で小沢党首と腹を割って話し合った。
 二階は、できれば小沢党首に慎重になってほしいという思いが強かったが、小沢党首は離脱に傾いていた。
 二階は思った。
〈小沢党首は、あれほどの政治家だ。新保守勢力の結集などいろいろと思い描く戦略があるのだろう。小沢党首は、もう一度大きな勝負に出ようとしている。現状の政治に非常に大きな危機感をもっている。歴史観や国家観においても小沢党首の主張は正しいが、その理想を一挙に達成するには、もう少し時間がかかる〉
 さらに思った。
〈交渉次第では、選挙協力が可能な選挙区は上積みできるかもしれない。しかし、小沢党首が満足する数になるかどうかは、きわめてむずかしい。自民党は、支部や組織が古いだけあって一応しっかりしている。せっかく小選挙区から出るための準備をしているのに、自由党に譲れ、となれば、後援者や自民党員の不満が噴き出す。そう簡単に調整はできないだろう。それに、小沢党首は選挙協力よりも政策が命だと言われる。いよいよ自民党にとって難しい話になってくる。もともと自民党は、大政党で、政策の転換などは、あまり得意でない〉
 三月三十一日午前、閣議が開かれた。
 二階は報告した。
「数日以内に噴火する可能性が高く、厳重に警戒する必要があり、本日、私自身も現地にまいる所存です」
 その後、参議院本会議に出席した。
 二階は、口元を引き締めた。
〈明日の党首会談の結果によっては、大臣として最後の参議院本会議への出席となるかもしれないな……〉
 この本会議で、大臣就任後初の法律となる港湾法の改正が成立した。
 退席する際、期せずして声が上がった。
「運輸大臣、ガンバレ!」
 さらに、励ましの拍手まで起こった。
 二階は、万雷の拍手を背に受けながら議場を後にし、有珠山視察のため直ちに羽田空港基地に向かった。
 ファルコン(海上保安庁捜索海難救助機)に乗り込み、北海道の新千歳空港に向けて出発した。
 運輸省官房長の小幡政人、北海道開発庁総務監理官の斉藤徹郎、気象庁予報部長の山本孝二、海上保安庁警救部長の久保田勝の四人が随行した。
 新千歳空港到着後、海上保安庁のヘリコプターに乗り換えて現地上空に向かった。
 その後、まもなく噴火の第一報が入った。
 噴火から十分後に現地上空に到着した。
 真っ黒の噴煙がヘリコプターよりも高く三二〇〇メートルの上空まで噴き上がり、強烈な硫黄の匂いが機内まで立ち込めた。眼下の街にも、火山灰が広がっていた。
 長い気象庁の歴史のなかでも、大臣がこのような大規模自然災害の現場に直面したのは、初めてのことであった。
 二階は、ふと五年前の阪神・淡路大震災を思い起こした。当時、新進党の「明日の内閣」国土・交通政策担当だった二階は、すぐさま現場に急行した。惨状を目の当たりにした二階は、政府の対応を激しく糾弾した。
 二階は思った。
〈もし、私がここで、途中で職務を投げ出したならば、そのときの言動との説明がつかないな……〉
 その後、二階は、伊達市に到着後、直ちに国土庁の増田総括政務次官、堀道知事、菊谷  伊達市長、菊池伊達市議会議長と打ち合わせをした。さらに、伊達市役所にて現地連絡会議を開催。伊達市役所にて記者会見後、市内の避難所に移動し、避難民を激励した。
 避難民の話を聞いたとき、二階は、自然に「頑張ってください」という言葉を繰り返していた。改めて、しっかりした対応をしなければ……と心に誓った。
 新千歳空港にもどると同時に、総理秘書官から連絡が入った。
「いま、総理は公式行事に出かけておりますが、大臣が帰京されるころには官邸に帰ってきております。官邸でお待ちしておりますので、よろしくお願いします」
 二階は腕時計を見た。あと一五分もすれば、中山正暉災害対策本部長(国土庁長官)が空港に到着する。
 二階は判断した。
〈できれば中山本部長と打ち合わせをしたかったが、総理を長く待たすわけにもいかない。中山本部長宛に、手紙を書いておこう〉
 置き手紙を書き終えるやいなや、ファルコンに乗り込んだ。
 午後七時三〇分、ファルコンは羽田空港に到着した。二階は、長靴、防災服姿のまま大臣公用車に乗り込み、夜の高速道路を、先導するパトカーに引っ張られるようにして官邸に向かった。
 午後八時三分、二階は、総理執務室に入った。小渕首相に現地の情勢を三〇分に亘ってくわしく報告した。
 小渕首相は、いつになく顔が引き締まっていた。
 二階は思った。
〈今日は、いい顔をしておられるな〉
 このとき、二階は、まさか翌日に小渕首相が倒れるとは夢にも思わなかった……。
 小渕首相は、引きつづき対策の指揮をとるよう指示をした。
「被災者の生活環境、避難に万全をつくすように」
 そして自然と、話題は党首会談に移った。
 小渕首相は、さきほどまでの険しい表情から打って変わって柔和な表情になった。
「ぼくと小沢君は、竹下内閣の官房長官、副長官という間柄だ。経世会の後継会長を決めるとき、周りは小渕が年上だから、先にやって、次に小沢さんがやればいいという雰囲気だった。そのとき、ぼくも『いつまでも長くやるつもりはないから、ぼくの次に小沢君がやればいいじゃないか』ということを言ったんだ。でも、小沢君は納得せず、飛び出していかれた。ぼくは、小沢君のあの性格も好きだし、主張も立派だと思っている。できるだけ小沢君の主張を聞き、協力してやりたいんだが、うちは所帯も大きいからな。そんなに簡単にはいかないよ。いずれにしても、明日、小沢君とよく話してみるよ」
 二階は深々と頭を下げた。
「総理、いろいろとお世話になりました。総理のご指導や周りの人たちに親切にしてもらって、私はずいぶん仕事をさせてもらいました。運輸省の仕事も、北海道開発庁の仕事も、精一杯やらせてもらいました……」
 自由党が政権を離脱したときは、閣僚を辞任する旨を暗に伝えたのである。
 小渕首相は、手を横に振った。
「いやいや、大臣として頑張ってくれ。それぞれの役所も、あなたにしっかり支えていってもらわないといけない」
 報告を終えた二階は、一礼し、執務室を出ようとした。すると小渕首相は、わざわざドアまで送ってくれた。
 小渕首相は、右手を差し出し、ふたりはがっちりと握手を交わした。
「いろいろ、ありがとう。しっかり頼むよ」
 これが、二階と首相在任中の小渕との最後の会話となった。
 いっぽう、この日、二階のもとに中西啓介国対委員長から連絡があった。
「明日、党首会談の前に、二人で小沢党首に会おう」
 二階は答えた。
「われわれで、最後の説得をしましょう」
 同じ和歌山県出身の中西と二階は、自民党離党から自由党結成にいたるまで政治行動を共にしてきた。平成十年七月の参院選では、和歌山選挙区から弱冠三十一歳の鶴保庸介を擁立し、命懸けで当選に導いた。自由党が地方区で得た唯一の議席であった。
 そのような関係にある中西と二階が別々の道に別れたら、どうなるか。和歌山県は大騒ぎとなり、せっかく誕生させた鶴保参議院議員の政治生命にも大きな影響をおよぼすことにもなるであろう。
 そこでふたりは、がっちりとスクラムを組み、どのようなことがあっても行動を共にしようと話し合ってきたのである。
 党首会談を二時間後に控えた四月一日午後四時、ふたりは小沢党首のもとを訪ねた。
 小沢党首は、はっきりと言った。
「離脱という気持ちはないよ」
 そういわれれば、こちらがあまり執拗に聞く必要もない。
 中西は安堵した。
〈この言い方だと、離脱はなさそうだ〉
 中西は、以前から何度も小沢党首に進言していた。
「自自公連立の調子が悪いからといって、選挙の期間だけ連立を抜けるというわけにはいきませんよ。選挙後また組もう、といったって通用しません。政治は、数が大切です。数がなければ、自分たちの政策を実現することはできない。離脱した後、いったいどことパートナーを組むんですか。野党第一党の民主党ですか。民主党の半分は、左ですよ。それに、石井(一)さんや熊谷(弘)さんとは、いろいろとわだかまりがある。民主党と組めるわけがない。離脱しても、展望が立たないじゃないですか。ですから、こんな話はおくびにも考えるべきではありません」
 そのとき、中西には小沢党首も納得してくれたように思えた。それゆえ、「離脱という気持ちはない」という言葉から、自民党を少しでも揺さぶろうという手段だと認識したのである。
 中西は思った。
〈自民党は、巨大政党だし、したたかだ。その政党と組んだ以上、それなりに耐えるところは耐えないといけない。党首の大先輩でもある岩手県出身の原敬元首相も、耐えに耐えて最後に大輪の花を咲かせた。党首も、そのつもりでいるのだろう〉
 話題は、有珠山に移った。
 小沢党首は訊いた。
「有珠山を視察に行こうと思っている」
 二階が言った。
「現地は、ごった返していて、なかなか対応がうまくいかないと思いますよ。ヘリコプターに乗ることもできないし、避難民の方を慰問するくらいしかできませんよ」
 小沢党首は言った。
「それで、現地の様子は、どういう状況なのか」
 二階は、噴火の状況や避難民の生活についてくわしく説明した。話し合いは、なごやかな雰囲気のなか一時間近くにおよんだ。何かと忙しい身の三人が、これほど長い時間に亘って話したのは、じつに久しぶりのことであった。
 二階は思った。
〈党首は、この際、連立離脱問題を一時棚上げし、災害対策を中心に対応しようという気持ちになっているようだな〉
 帰り際、中西は小沢党首に声をかけた。
「それでは、頑張ってください」
 小沢党首は答えた。
「月曜日に、みんなに話をするから」
 午後六時、小渕首相、自由党の小沢一郎党首、公明党の神崎武法代表の与党三党首による会談が行なわれた。
 小沢は、三党連立の合意文書を提示し、安全保障基本方針の策定や国連平和維持軍(PKF)の凍結解除などを強く求めた。
「今国会中に政策合意を実現すべきだ」
 しかし、小渕首相は拒否した。
「今国会でこれを実現することは不可能といってもいい」
 会談には、青木官房長官も同席したが、途中の二〇分間は小渕首相と小沢党首が別室で会談した。
 会談後、小渕首相は森幹事長と協議し、その後、記者団に自由党との連立を解消する意向を表明した。
「連立の運営について協議したが、基本的な考えが一致せず、信頼関係の維持が困難になった。私と神崎代表は、自民、公明・改革クラブで引き続き連立を維持することで一致した」
 小沢も、記者会見で表明した。
「粘り強く政策合意を求めていくというのはもう無理だ」
 自由党の政権離脱が、事実上決まった瞬間であった。
 中西は思った。
〈自民党は、度重なる離脱騒ぎに、度がすぎると解釈したのだろう〉
 小沢党首は、四月三日午後四時からの全議員懇談会で正式に決定することを決めた。
 二階の心は揺れた。二階は、政界に入って以来、常に行動を共にしてきた小沢党首の改革の志、政治家としての優れた資質を高く評価し、尊敬していた。
 だが、二階は常々自自連立および自自公連立を実現した中心人物の一人として「連立の成果を今年こそ」という政治の責任も果たさなくてはならないとも考えていた。
 従って、有珠山の大災害の対策にも全力で取り組む責任も痛感していた。
 二階は思った。
〈国務大臣としての任務をまっとうすることが、被災者や今日まで自分を支えてくれた方々に報いる道だろうな……〉
 四月二日午後十一時半、思わぬ事態が明らかになった。青木官房長官が緊急記者会見で言った。
「小渕首相は、本日午前一時頃、過労のために緊急入院した。現在検査中であり、結果については判明次第発表する」
 このニュースが全国を駆けめぐって一夜明けた四月三日午後四時、自由党の全議員懇談会が開かれた。
 小沢党首は、連立政権への対応をめぐって発言した。
「大変な非常事態なので、この際、わが党のうんぬんはちょっと置いて、しばらくの間どのような事態にも対応できるように推移を見守りたい」
 しかし、自民党と公明党は、すでに連立解消を明らかにしている。推移を見守っても状況は変わらない。
 野田毅が、すかさず手を挙げた。
「結党以来、いろいろ先頭に立ってご苦労さんでした。長い間、お世話になりました」
 懇談会は、三十分で終了した。
 連立維持派は、この夜直ちに新党の設立総会を開くことを決めた。
 二階は決断した。
〈北海道の被災地の復旧をなし遂げ、さらに政局を安定させ、現在の日本の危機的な状況を乗り切るためにも、この際、連立内閣を支える努力を重ねることが重要だ。私は新党に参加しよう。しかし、小沢党首とわれわれは政策理念では変わることはない。やがてまた日本の新しい時代に、共にその中軸を担う時が必ずくる〉
 運輸省にもどった二階は、記者会見で明らかにした。
「新党に参加し連立政権を維持します」
 午後八時半、キャピトル東急ホテルで新党・保守党の設立総会が開かれた。自由党全国会議員五〇人のうち二六人が参加した。
 党首には、海部俊樹元首相、野田毅らの名前が上がったが、そもそも自民党と連立を組むことになった最大の理由は、参議院対策である。それに、衆議院議員は総選挙が間近に控えている。全体を見ながら、自分の選挙を戦うのは大変なことだ。そこで、参議院の象徴として扇千景を党首に決めた。幹事長には、野田毅が就任した。
 扇党首、野田幹事長は、直ちに青木官房長官、自民党の森幹事長、野中幹事長代理らと会談し、連立への参加を申し入れた。
 四月四日、小渕内閣は総辞職。
 翌五日、自民党の森喜朗新総裁を首班とする自公保連立政権が発足し、二階は、運輸大臣・北海道開発庁長官に再任した。
 二階は改めて思った。
〈自由党は、まさに日本丸が沈没しようとしていた平成十年十一月、景気回復が第一だと考え、これまでのわだかまりを捨てて自民党と連立を組むことになった。平成十一年一月に連立政権が発足するやいなや、一万三〇〇〇円台まで落ち込んでいた株価が二万円を越えるところまできた。株価が上昇すると共に小渕内閣の支持率も上がった。
 しかし、いかんせん参議院では数が足りない。それなりに努力もしたが、一歩どころか半歩も前進しない場面もあった。結論としては、公明党に協力を得る以外になく、自自公連立が発足した。公明党にふりまわされるという人もいたが、連立を組んだ以上は当然のことだ。普段は外にいて、参議院の票決のときだけ協力してもらうなどというのはムシがよすぎる。お互いに我慢するところは我慢し、粘り強く、自らの党の政策を連立の枠組みの中で実現していくことが大切だ〉
 二階はさらに思う。
〈今回、残念ながら小沢さんと別々の道を歩まざるをえなくなった。小沢さんは、五十年に一人、あるいは百年に一人しか出てこない政治家だ。私は、いまでも尊敬し続けている。また、いつかご一緒願う日も必ずくるだろう。ただし、いましばらくはこのままの状態で静観する以外にない。小沢さんが、自らの理想を初志貫徹され成功されることを心の中で祈っている〉

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