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近ごろ想うこと
二階俊博
 政治の世界に身を投じて今年でちょうど三十六年――それは、国会議員の秘書、和歌山県議会議員等を経て、国政に参画してからも、早いもので十七年を経過しました。
 その間、県会議員として二回、衆議院議員として五回、計七回の選挙は、毎回、毎回厳しい試練の連続でありました。幸いにして今日まで連続して当選を重ねることができました。私のような者が今日まで当選を続けることができましたのは、ひとえに地元の選挙民の皆さんをはじめ、多くの内外の皆様の変わらざるご指導とご支援のおかげであります。心から感謝を申し上げる次第であります。

 政治改革、行政改革、経済改革・・・誰かがやらねば明日の日本はない――。
 平成五年、自由民主党を離党して、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三、奥田敬和、愛知和男氏等と共に新生党結成に参加、さらに同士と共に新進党の結党、やがて党が分裂し、私たちは自由党を結党して小沢一郎党首のもとに衆参五一名の同士が結集しました。私は新進党の選挙対策局長を経て、自由党では国会対策委員長として野党の国対を担当し、自由民主党と激しく対峙した。しかし、金融国会における当時の野党第一党の民主党は政権担当の意欲がなく、「金融問題を政局にするつもりはない」との当時の管直人代表の発言により、長蛇を逸することになった。自由民主党から政権奪還の最初にして最後の絶好のチャンスを失いました。その後、「対人地雷全面禁止条約」の問題があり、「中小企業に対する貸し渋り対策」あり、「旧国鉄長期債務二八兆円の問題」があり、政府・自民党は依然として窮地に立ち、薄氷を踏むような思いの国会対策が続いていました。
 そのころ水面下では、政財界やジャーナリスト等の心ある人たちの間では、自・自の間の信頼と協力関係の構築に腐心する努力が重ねられていました。表面にそれが現れたのは、平成十年九月十五日のことでありました。古賀国対委員長と野中官房長官から「対人地雷」について協力の要請の電話がありました。そこからやがて小沢―野中会談に発展し、幾多の曲折を乗り越え、翌年一月十四日、自・自合意が成立しました。
 自・自が合意し、連立しても参議院では依然として一二票足りない。この際公明党に頼んで、自・自・公連立を働きかけ、それが成立したのは十月四日のことでありました。
 十月五日小渕改造内閣において、私は運輸大臣、北海道開発庁長官として入閣することとなりました。
 五日午後一時過ぎ、私は青木官房長官から正式に官邸にきてくださいとのいわゆる「呼び込み」を受けました。
 官邸では、小渕総理と青木官房長官立ち会いのもとに、中馬総括政務次官、鈴木政務次官さらに北海道開発庁の米田総括政務次官が同席の上、小渕総理から、「連立に大変ご努力を頂きありがとう。運輸行政について、今さら大臣に申し上げることはありません。お任せしますからどうかご自由にやってください。北海道開発庁はやがて国土交通省に編入されますからしっかりお願いします。」との指示を受けました。
 その後、控室で梅崎事務次官、小幡官房長等から挨拶を受けると共に、これから行動を共にすることになる花角(運輸)斎藤(北海道)両大臣秘書官、白井、平野両警護官の紹介を受けました。
 続いて行なわれた大臣就任後の官邸での初の記者会見では、運輸大臣としての抱負を次の通り述べました。

「只今、小渕総理から運輸大臣を拝命いたしました自由党の二階俊博です。
 この度、就任に際しまして、基本方針を申し述べさせて頂きます。先ず、運輸行政を担うにあたりまして、最も重要なことは「安全の確保」が第一であると考えております。
 次に、利用者である国民の皆さんの声に常に耳を傾けながら、陸海空にわたって、効率的で、質の高い運輸サービスの提供に、官民挙げて取り組んで参りたいと思います。
 特に、地球環境への配慮や高齢化社会への対応、さらに国際化に向けての行政を展開することが重要であります。
 具体的には、次の施策を推進して参ります。
一、JR各社の完全民営化は国鉄改革の悲願であり、その実現に向けて、次の通常国会に     
  法案が提出できるような環境を整えたいと思います。
二、バス、タクシー等の規制緩和については、当然、利用者である国民の立場から生活路
  線の維持、安全の確保等に心を配りながら、交通サービスの確保に努めていきたいと
  思います。
三、我が国の空の玄関口である成田空港、関西空港、中部空港等の整備については、関係  
  地域のご協力を得ながら、重点的に取り組み、早期供用を目指したいと思います。
四、整備新幹線は国土の均衡ある発展、地域格差を是正する観点から、先般の自民・自由
  両党の合意に基づき、建設促進に一層努力を致します。地元のご協力をお願いしてお
  きたいと思います。
五、運輸省は、海の新幹線と呼ばれる「テクノスーパーライナー」、海に浮かぶ夢の大地
  とも言われる「メガフロート」、可変式ゲージにより新幹線と在来線を直通で結ぶ
  「フリーゲージトレイン」等の開発に成功しております。こうした技術陣の今日まで
  の努力に、政治として応えて参りたいと思います。
六、観光産業は平和産業そのものであり、平和な地域や国家にだけ存在する産業でありま
  す。今日、一六〇〇万人の人々が日本から海外に出かける一方、海外からの観光客は
  僅か、四〇〇万人であります。この現状を打開することと、併せて国内観光の振興
  にも努めて参ります。
七、海上警備の強化は急務の課題となっており、先の不審船事件の反省の上に立って、高
  速巡視艇や飛行機の機能向上、また情報収集・情報通信体制の充実を図りたいと思い
  ます。
八、大規模災害から国民の生命、財産を守る危機管理の観点に立って、地震予知、火山監
  視、気象予報関連施策等に万全を期し、併せて地球環境の保全に向け、観測の強化、
  国際協調を推進したいと思います。
 その他、自動車関係諸税のグリーン化の推進、首都圏第三空港の整備についても積極的に取り組んでまいります。
 最後に、二〇〇一年一月に発足する国土交通省を的確に編成し、将来にわたって、総合交通政策を展開できるように組織の体制を確立していきたいと考えております。」
 会見後、急いでモーニングに着替え、皇居に参内しました。小渕総理が侍立される中、天皇陛下よりお言葉を賜り、官記を拝受し、さらに記帳の後、鎌倉宮内庁長官の発声で乾杯が行なわれました。閣僚全員の写真撮影が終わり、皇居を退出した時は既に午後七時をまわっていました。その後、再び官邸に戻り、初閣議、記念撮影の後、これから行政を預かることになる運輸省に初登庁したのは、夜の八時を過ぎた頃でした。
 運輸省には過去二回海部内閣で大野明運輸大臣のもとで、細川内閣で伊藤茂運輸大臣のもとで運輸政務次官として勤めたことがあるだけに、アットホームな感じで多くの幹部の暖かい出迎えを受けました。幹部職員の挨拶、さらに運輸省のOBがお祝いに駆けつけてくれました。翌朝幹部職員が一堂に会し、歓迎式が行なわれました。私の簡単な就任の挨拶の後、職員を代表して梅崎事務次官が挨拶してくれました。「二階大臣、おかえりなさい!」で始まり、一同からは笑いと共に拍手が始まりました。私が、「しっかり頑張って期待に応えなくてはならない」と決意を新たにした瞬間でありました。

運輸行政について
 就任早々、私は「運輸行政の要諦は安全にある」と内外に宣言しました。まず、就任後直ちに運輸省内に事務次官を議長とする「運輸安全戦略会議」を発足させ、この会議を通して積極的に「安全」に関する情報発信を行なうこととしました。これは、全国三万七〇〇〇人の運輸省職員一人一人の安全意識の再徹底が改めて必要と考えたからです。また、約二〇万社、関連就業者の数、約三五〇万人といわれる運輸業界の第一線、現場で働く方々の安全意識の向上を図るためには、各社の幹部の方々にしっかりとした自覚を持って頂き、強いリーダーシップを発揮してもらう必要があると感じたからなのです。
 巡り合わせというのは、皮肉なもので、私が安全第一を第一声で述べたのにもかかわらず、まず、山陽新幹線のトンネルコンクリート剥落事故、休むことなく、北海道の礼文浜トンネルコンクリート剥落により一週間にわたって列車の運行を停止しなければならないようなことになり、さらに地下鉄日比谷線脱線事故など国民の安全に対する運輸の信頼を揺るがすような事故が続きました。国会でも厳しい質問を受けて、まさに矢面に立つようなことがしばしばありました。しかしその都度私は先頭にたって、危機管理の意識のもとに真正面から事故対策に取り組んで参りました。
 これまで、自民党時代と新生党時代に運輸政務次官を二度務め、運輸行政の一端に携わって参りましたが、最近改めて思うことは、運輸行政は実に守備範囲が広く、奥が深く、そして課題が山積しているということです。
 伝統的な運輸行政ともいうべき、空港、港湾、新幹線、地下鉄等の国民生活や経済を支えるインフラ施設の整備については、一層の効率化、重点化を進めながらも、長い目を持って着実に整備を進めていかなければならないことは当然であります。
 しかし、運輸行政は単にそれだけではない筈であります。私はこの際、明日の運輸省のためには、環境問題に対しても、福祉行政に対しても、運輸省自身がもっと積極的な対応ができなければならないと思っています。この信念に基づき、自動車関係税制のグリーン化及び重度の交通事故被害者の救済等は、運輸省が先頭に立って努力を傾けるべき重要な課題であります。当然これらの対策は自動車メーカー等にとっていろいろ問題があることも承知の上のことです。しかし、これらのことに背を向けて、自動車公害や自動車事故の重度の被害者の方々やその家族に対し見て見ぬ振りは許される時代ではない。これはメーカー等の関係者だけではなく、運輸省もまた同じ責任を負わなければならないと考えています。今日のような状況が続くとすれば、やがて自動車社会そのものの持続的発展さえ危うくしかねない問題であると認識しています。従って、最初は反対されてもやがては分かってもらえる日がくると私は当初から信じておりました。近頃は自動車工業会、自動車販売連合会等、その他の諸団体も率先してご理解やご協力を頂けるようになりつつあることを私はうれしく思っています。特に交通バリアフリーについてもご理解を頂いていることに感謝したいと思っています。

○自動車関係税制のグリーン化とは、
 地球温暖化防止を目的として、自動車ユーザーが二酸化炭素排出量の少ない(燃費の良い)車を購入することを促すため、自動車関係諸税について燃費の良い車の税額を安く、燃費の悪い車の税額を高くすることにより、CO2排出量を税制を活用して抑制しようとするものです。
 私は閣議においても「グリーン化の旗はおろさない」と発言しております。今後、関係者の間で前向きな議論をさせて頂くつもりでおります。

○重度の交通事故被害者救済対策とは、
 交通事故被害者は一〇〇万人を超え、寝たきりなど重度の後遺障害に苦しむ方が、最近の十年間で約二倍に急増する中で、その救済のあり方が社会問題化しており、「くるま社会」の関係者の理解と協力の下、自賠責制度を活用して救済方策を拡充していくことが必要な状況であります。
 私は後遺障害部会を新たに設置して、障害者の父兄にも参加して頂いて、有識者の間で検討を進めて頂いております。みんなが支えあって生きる社会を目指したいと思っております。

○交通バリアフリーとは、
 鉄道駅、道路等における段差の解消等移動経路上における物理的な障壁を除去し、高齢者、身体障害者等が安全かつ円滑に移動できるよう、公共交通機関、歩行環境等の施設・設備を整備すること。また、これらの方々の移動を困難にしている、社会的、制度的、心理的な全ての障壁を除去するという意味であります。
 現在、国会に(交通)バリアフリー法案を提出し、ご審議頂いております。今国会で必ず成立させて、直ちに実行したいと考えています。アメリカではすでに一九九〇年から施行されている「障害を持つアメリカ人法」(ADA法)に遅れること一〇年でありますが、運輸省、建設省、自治省、警察庁と四省庁が足並みを揃えて、バリアフリー社会の実現を目指しています。やがてアメリカに、フランスに追いつき、追い越す日が来ることを信じています。そして法案の審議の過程において、私は「人々の心のバリアフリーこそ大切だ」と繰り返し述べて参りました。文化国家日本は交通弱者と言われる人々に対し、「心のバリアフリー」を標榜にしながら、全ての国民の皆さんが、この運動に参加して下さることを期待しています。

 さらに運輸行政が真剣に取り組むべき課題として、羽田空港の深夜・早朝の国際チャーター便の運航など既存の運輸インフラ施設をできるだけ有効活用していくための努力や、バス、タクシー、航空、港湾運送など各種運輸産業の規制緩和等による活性化も重要であります。目の前のこれらの課題に向かって、私は解決できるものは、任期中に早く解決しておきたいと考えております。

北海道開発行政について
 小渕改造内閣において、運輸大臣兼任で、第七十一代目の北海道開発庁長官を拝命しました。
 郷土出身の、山口喜久一郎元衆議院議長が、昭和三十三年から三十四年まで、第二次岸内閣において第十七代目の北海道開発庁長官に就任されています。
 かねてより、南国紀州の育ちの私にとって、北海道はあこがれの北の大地でありました。北海道に旅をすれば、すぐヨーロッパを想い出し、ヨーロッパに旅すれば、また北海道を想い出す……。
 就任以来、二〇〇一年から国土交通省に再編される北海道開発庁の将来のことを思うと、私は自らを最後の北海道開発庁長官であると位置づけて、今日までの北海道内外の関係者の御努力に加え、将来の北海道開発の道筋をつけておくことを最大の任務としています。
 やがて総選挙が行なわれ、新しい内閣が発足することですから、正確には、もう一人、本当の最後の長官が就任することになります。
 しかし、北海道開発庁としての最後の予算に当たる「平成十二年度北海道開発予算」を組むのは私の仕事であり、事実上、最後の長官の意気込みを持って、北の大地の発展に些かでも寄与したいと願って来ました。
 平成十二年度予算編成における大臣折衝は、十二月二十二日の午後五時から始まりました。
 私は、宮沢大蔵大臣に対し、「これが北海道開発庁としての最後の予算編成となります。北海道の経済の深刻な状況を想うと、この際、格段のご配慮をお願いしたい。敢えて私は金額は申しません。宮沢大蔵大臣としての北海道への政治的なご配慮をお願いしたい」
 宮沢大蔵大臣は、直ちに、「北海道の状況に対する認識は全く同じであり、大いに同情すべき状況にあるということは、理解できる」とのご回答があり、過去最高の予算額を確保することができました。
 従来は、北海道開発庁の仕事は、建設、農林、運輸等の公共事業が中心であり、関係者の関心も、そちらを向いており、北海道公共事業庁のような感覚であったような気がしていました。
 私は、この公共事業部門でも過去最高の予算を確保するとともに、今後の北海道開発の種になるような事業に取り組み、将来の北海道、二十一世紀の北の大地に新たな希望の芽生えとなるようなことを一粒でも二粒でも播いておきたいと就任のときから考えていました。
 その一つが、北海道広域医療情報ネットワーク(大学病院と自治体病院等を結ぶ医療情報ネットワーク)の整備であり、これが成功すれば日本の過疎地域に住む人々にとって福音となることが期待されています。もう一つは、産業クラスター創造プロジェクト支援事業(産学官連携による新しい産業の創出のための研究開発支援)です。
 いずれも非公共分野の事業であるが、やがて真白いジャガイモの花が大地を一面に埋め尽くしているように、二十一世紀の到来を北の大地全体に伝えてくれるような新しい芽生えの新規事業が次々に誕生し、成功することを願っています。
 確かに、北海道の新しい友人たちと語り合っていると、新たな時代への挑戦に向かって、静かな息遣いと胸の鼓動が聞こえてくるような興奮を覚えています。

 札幌医科大学教授 辰巳治之さんは語る、
「『インターネットを活用して、地方に住んでいる人たちにも大都市住民と同じような最先端の医療を受けられるようにしたい』そんな地方の医療に携わる人の声に、公共事業しかやらないものとばかり思っていた北海道開発庁に取り上げて頂き、現在、札幌の大学病院と道南、道東の二つの町立病院をインターネットで結んで、遠隔診断や遠隔治療の実験をしています。北海道でのこの知見が、日本の過疎地で、さらには世界中で役立つ日がくることを確信しています」

北海道経済団体連合会 戸田一夫会長は語る、
「数年前、北海道の民間人のグループが、地域の技術や資源を生かして起業化に結びつけられないかと始めた産業クラスター運動。疲弊しきった北海道の民間の力の限界を痛感せざるを得ない状況にまで追い込まれていましたが、北海道開発庁に六〇〇〇万円の予算をつけて頂き、息を吹き返しています。現在、全道で一七もの研究会が生まれ、小さいながらも商品化に成功したグループもあります。確かに、今はほんの小さな芽でしかありませんが、こうした試みの中から、明日の北海道、明日の日本を担うようなビジネスを育てていくべく北海道の経済人が結集し、全力で取り組みたいと思っています。」

 さらに、深層水の開発利用に熱心に取り組んでおられる岩内町の岩城成治町長にご登場願います。
「太陽の光が届かない深い海の中をゆっくり循環している深層水は、ミネラルなどの栄養分に富む雑菌の極めて少ない魔法の水です。この深層水を使った食品や薬品が続々と市場に登場していますが、中でも北海道の深層水は、より低温で雑菌の数も少ないという利点を持っています。こんな素晴らしい資源を、北海道の沿岸漁業の振興や新たな商品開発に活用するべく、二階大臣のご支援の下、中央省庁を巻き込んだ取り組みが始められております」

 北海道はやはり観光産業の振興であります。就任の挨拶まわりのようなことで北海道を最初に訪問したとき、北海道の観光について一言語れということになり、現在年間六〇〇万人である北海道への観光客を今後十年間で一〇〇〇万人に拡大しようということを申し上げました。「一〇〇〇万人観光案」が一人歩きをするので、早速、堀知事とご相談の上、北海道内外の観光産業に関係する有識者や各界の有力な方々にお集まり頂いて、「北海道の観光を考える百人委員会」を発足させました。
年間四パーセント増やし続ければ、一〇〇〇万人を超えることになるのです。
 北海道新時代の創造に向けて取組みを始めた矢先に、私を襲った二つの大きな火山がありました。一つはもちろん三月三十一日の有珠山の噴火であり、もう一つは、自由党の連立内閣の離脱騒ぎ、自由党の分裂でありました。

 火山性地震が頻発し、噴火のおそれがある中で、北海道開発庁長官として、気象庁を預かる運輸大臣として、現場の指揮と避難生活を送られている皆さんへの激励を行なうべく、私は三月三十一日に現地に入り、千歳の空港から海上保安庁のヘリコプターで現地の有珠山周辺に向かっているまさにその時に、有珠山は噴火したのです。
 ヘリコプターの無線で、これから官邸で災害対策の関係閣僚会議が開かれるとの連絡を受けました。早速、現地で堀知事や増田国土庁総括政務次官等と打ち合わせを行なうと共に、伊達市の避難所におられる被災者の方々のお見舞に伺い、その日のうちに東京に帰ってまいりました。総理がお待ちだということで、その足で官邸に向かい、小渕総理に詳しく報告を申し上げました。
 有珠山については、大規模な噴火の可能性が低くなったとして一部地域で避難指示が解除されましたが、依然として火山活動は続いており、引き続き厳重な警戒が必要であります。油断が大敵であるという状況には変わりありません。
 私は、四月八日、再び伊達市の現地対策本部を訪ねると共に、JR北海道の坂本社長、JR貨物の伊藤社長から輸送状況について報告を受け、直ちに平常時の八割の輸送力を確保するよう努力することを命じました。その後、長万部町において避難所で生活されている方々への激励を行ないました。この日は、結党したばかりの保守党の扇千景党首や、中村鋭一、泉信也、三沢淳の各国会議員がお見舞いに駆けつけてくれて、早速「働く保守党」として頑張って頂いていることをうれしく思った次第でした。
 私は、自らが中学生の時に郷里和歌山県を襲った大水害の経験や、五年前の阪神淡路大震災の体験等を話し、「今は人命が第一ですから、避難生活の不自由にもしばらく耐えてください。政府は必ず皆さんと力を合わせてこの災難を乗り越えるための努力は惜しまない」ことを丁寧に説明しました。
 現地では、被災市町村ばかりでなく、周辺の市町村やボランティアの方々が支援に汗を流しておられ、また、全国からいろんな救援の品々が送られており、北海道だけではなくて、全国から暖かい支援の手がさしのべられています。加えて、国会からも、各党各派の議員の皆さんが、次々と現地においでになり、様々な支援策等について御指導頂くと共に、避難生活を送られている皆さんをお見舞いくださっています。北海道開発庁長官の立場から、心から感謝を申し上げたいと思います。このことは、参議院の本会議においても答弁の際に申し上げました。
 今回の有珠山の噴火に伴う経済的被害の規模は、有珠山の周辺地域にとどまらず、北海道拓殖銀行の破綻以後、落ち込みが大きかった北海道の産業や経済全般に深刻な影響を及ぼすことが懸念されております。
 このような状況を踏まえ、観光関係については、四月十八日に全国の旅行業者、交通事業者、北海道庁、地元観光関係者等に参加頂いて「有珠山の噴火に伴う北海道観光対策連絡会議」を開催し、関係者が一致協力して、北海道を訪れる旅行者に対して道内の観光情報の正確な提供に努めること、六月以降の北海道観光のトップシーズンに向けて、関係者間で連絡をとって北海道への観光促進キャンペーンに取り組んでいくこと等の当面の対応方針を決定致しました。さらに、北海道の経済を支えるため、北海道の皆さんに元気を出して頂くために私は、森総理、青木官房長官、さらに閣議においてもご了承を頂いた上で、北海道開発庁長官の「私的懇談会」を発足、座長を瀬島龍三先生にお願いして、次のような著名な方々に参画して頂き、北海道経済の支援策を協議することになりました。

伊藤 義郎(社団法人北海道商工会議所連合会会頭)
遠藤 安彦(二〇〇二年FIFAワールドカップ日本組織委員会事務総長)
兼子  勲(日本航空株式会社代表取締役社長)
黒野 匡彦(株式会社東海総合研究所常勤顧問)
児島  仁(社団法人北海道倶楽部理事長)
坂本 春生(株式会社西武百貨店代表取締役副社長)
真田 俊一(北海道副知事)
瀬島 龍三(伊藤忠商事株式会社特別顧問)【座長】
月尾 嘉男(東京大学大学院教授)
戸田 一夫(北海道開発審議会会長、北海道電力株式会社取締役相談役)
野村吉三郎(全日本空輸株式会社代表取締役社長)
藤井 治芳(日本道路公団副総裁)
舩曵 寛眞(株式会社日本エアシステム代表取締役社長)
松田 昌士(東日本旅客鉄道株式会社社長)
松橋  功(社団法人日本旅行業協会会長)
涌井 洋治(社団法人日本損害保険協会副会長)

 北海道の新生に向けて、このような各界識者からの御意見を頂き、北海道の産業経済が幾多の困難を乗り越えて、活力に満ちた二十一世紀のスタートを切ることができるよう、緊急にとるべき対策について直ちに検討を開始してまいりたいと考えております。

 噴火による影響が懸念される北海道経済の活性化支援のため、今、私は関係者に北海道産品の購入キャンペーンを呼びかけています。
 閣僚懇談会においても、農水大臣や通産大臣、郵政大臣、自治大臣など関係大臣にお話をしたところ、積極的な協力を約束してくれました。どれほど大きな経済効果を生むかは別として、多くの国民に北海道が直面する困難な状況に対し連帯感を持って頂き、さらに大きな支援の輪が拡がっていくことを願っています。 
 北海道開発庁は、やがて国土交通省に再編され、今年度中に五十年の歴史を閉じますが、北海道開発の重要性はいささかも変わりがありません。「最後の長官」は、有珠山の噴火を始めとする北海道の抱える宿命的な課題に、果敢に挑戦し、自らの任務を全うしていく決意を固めております。
 そのことが、引き続いて私を再任して頂いた森総理はじめ、決死の覚悟でルビコンを渡ってこられた「保守党」の同志に対して、さらに今日までご支援下さった方々にも報いる道だと信じています。
 このことに対する評価は、やがてこれから政治の歩みの中で是非が問われることがあるかもしれません。今となっては、自らの決断に悔いはない。連立内閣が実現して以来の私自身の今日までの言動においても、最終的には選んだ道が自らの言動に忠実であったと思っております。
 政治は、所詮は政治活動においても、選挙活動においても、常にマラソンランナーのようなもので、山も坂もあり、心臓破りの丘もあり、時には酸素が希薄で息苦しい時もあります。ペースもコースも究極は自らが決断しなければならないことであります。もう少し時間が許されれば、他に選択の方法を必ず見いだすことができたであろうと思う気もします。しかし、自由党は残念なことながら二つの道をそれぞれに歩むことになってしまいました。日本の政治の現況は、私たちが、いつまでも感傷にふけっている場合でもありません。
 森新内閣の閣僚として、自民党、公明党、保守党の三党の連立の成果を国民の皆さんの前に示すことができるよう、今、全力投球すべき時であると思う昨日、今日であります。

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