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寝た切りの祖母


栗生 守


 寝た切りになった祖母に娯楽を、との思いから、彼女を車で近くの神社仏閣や地蔵尊へ連れて行ったことがある。久々の外出が嬉しいのか、生き生きとした表情で、神仏に両手を合わせていたことを思い出す。その後も私の時間が許す限り彼女を車で連れ出したのだが、そうした何でもない娯楽でさえ、寝た切り老人や身体障害者を抱える家では、予想以上に大変だという。
 私の場合、祖母の介護を始めたのが二十九歳という若い時で、カにも自信があったので、老いてやせ細った彼女を抱き上げるぐらい訳はなく、それほど負担に感じなかった。ところが老人や身体障害者を介護している人は中高年から高齢者が多く、それも女性が大半を占めているのが実情である。それぞれの家庭介護は大変で、悪くすれば家庭が崩壊する事すらあるという。バリアフリー法の制定はそういう意味では歓迎だが、それで終わりではなく、そこからが始まりなのだということを知ってもらいたい。
 自立できなかった弱者が、様々な制度の制定や機械化の進展で、どうにか健常者並みに一人で外出できるようになったと仮定しょう。しかしそれで自立できなかった人が、自立できるようになったとは言えないのである。外出した彼らには、常に多くの視線がつきまとい、疎んじられることもあるだろう。
 本当のバリアフリーとは、二階俊博前運輸大臣がよく話しているように、心のバリアフリーであることは誰も否定できない。
 町行く人々が気軽に、それも自然に弱者に手を貸し、弱者も快くそれを受け入れられる状態。そうした町づくり、人々の意識改革を目標に、ようやく第一歩を踏み出したのが今の日本なのであり、実現までには気の遠くなるような時間と、多くの人々の努力が必要だろう。しかしそうした町づくりができて初めて、日本が本当の先進国、福祉大国になったと言えるのではなかろうか。


  (第一回健友館ノンフィクション大賞受賞 「枯れ逝く人」著者)

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