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二 階 俊 博

 「観光」――ようやく我が国の政策の柱の一つとして、クローズアップされるようになって参りました。観光基本法が成立して、今年で四十一年が経過し、今、「観光基本法」が見直しの検討に入ろうとしています。
 観光が各方面から注目を集め、小泉総理が施政方針演説で「観光」を語り、ビジットジャパンキャンペーンで自らテレビコマーシャルにも出演(本誌一三一頁)され、観光振興に政府挙げて取組んでおります。
 今年は間もなく愛・地球博――愛知万博がオープンします。万博が中部国際空港(セントレア)の開港とともに、日本の観光産業が新しいステージに立つ象徴になりそうです。
 今、自民党観光対策特別委員会では「訪日観光円滑化問題小委員会」、「国際修学旅行に関する小委員会」を設け、観光振興への新たな一歩を踏み出そうとしています。
 若い頃、ご縁があって富士山や伊豆半島などの観光地を選挙区に持つ静岡県の政治家の下で、議員秘書として政治の修行をさせて頂いた時代がありました。その最初の頃に、観光基本法の検討がなされていた日のことを今でも鮮明に記憶しております。郷里の私の選挙区も、南紀白浜温泉や那智勝浦温泉などに代表される観光の盛んな町が存在すると共に、やがて附近の過疎町村も観光産業で生きていく道を開いていく必要があることを漠然と考えていました。
 一九九〇年、海部内閣で運輸政務次官に就任したその年にワシントンで開かれた第一回日米観光協議の共同議長をつとめると同時に、日本から参加した約三十名の観光の専門家の皆さんとご一緒にアメリカの各地を二週間程かけて、日米の観光対話の行脚を続けて参りました。
 一九九三年九月、細川内閣で二度目の運輸政務次官に就任の際は、カナダのモントリオールで開かれた第一回日本カナダ観光協議でも共同議長をつとめると共に、観光の専門家の皆さんと広大なカナダの観光を勉強させて頂きました。
 二〇〇〇年五月、「日中文化観光交流使節団二〇〇〇」を計画、五二〇〇名に及ぶ全国からのご協力を頂き、日本画家の平山郁夫先生(現・東京芸術大学学長)に団長をお願いし、北京の人民大会堂で江沢民国家主席、胡錦涛副主席(何れも当時)等、中国の最高実力者列席のもとに日中文化観光交流事業を成功させることが出来ました。
 国内では、観光政策審議会の瀬島龍三会長のリーダーシップにより行なわれた、「九〇年代観光振興行動計画(TAP九〇S)」という観光の現場で、瀬島先生や多くの観光業界の皆さんから学ぶ機会を与えられました。
 一九九二年、当時の奥田敬和運輸大臣から、社団法人全国旅行業協会(ANTA)の会長に就任するよう命ぜられ、西も東も分からぬままに、約五八〇〇社の会員が集まる団体をお引き受けすることになりました。早速、「日本の観光を考える百人委員会」を設立、各方面の有識者のご意見、ご協力を頂戴してまいりました。
 一九九九年十月、小渕第二次改造内閣において、運輸大臣・北海道開発庁長官を拝命、「観光は観光産業の発展のみならず、異なる国や地域の人々、歴史や文化とのふれあいの中から、二十一世紀に向けた新たな日本を再発見し、二十一世紀の基幹産業への道を歩むであろう」と提唱して参りました。
 近ごろは、グリーン・ツーリズム、エコ・ツーリズム、フィッシング・ツーリズム等、新しいスタイルの旅行、観光が頑張ってくれています。中でもフラワー・ツーリズムが盛んになって参りました。浜松の花博も熱海の花博も関係者の努力により多くの観光客を集め、見事に結実しました。また宇宙旅行の夢さえ、旅行商品として企画される時代になってまいりました。これからも、新しい観光分野への拡がりを期待しつつ、私はライフワークの一つとして、出来る限りのお手伝いを続けたいと思っています。
 花と言えば、大賀蓮の大賀一郎博士の愛弟子の阪本祐二先生が、私の高校時代の恩師であった関係で大賀蓮との不思議なご縁が出来ました。
 二〇〇〇年の歴史を誇る大賀蓮は私が直接関係しただけでも、中国の杭州植物園、中国海南島のボアオ国際会議場の東方文化苑及び蓮花館、中国大連市の普蘭店の蓮研究所、東北財経大学校庭、インド人民党本部広場、ミャンマー日本人墓地公園、ベトナムはハノイの文廟、カタール植物園等に拡がっております。
 その国々の人々の善意の結晶によって、やがて紅の大賀蓮が異国の地に花開き、香りは万里に満ちて再び人と人との往来を促してくれることと期待しています。
 二〇〇〇年の長い眠りからさめた三粒の神秘の蓮の種が国と国との交流にも大いに役立ってくれると同時に、泥の中に咲く優雅な花が、平和な社会を築くことにも貢献してくれるという素晴らしい物語であります。
 大賀蓮が咲く国々を線で結ぶとロータス・ロードになると教えてくれた人がいます。勿論、ロータス・ロードはまだ点と点の段階ですが、これがやがて線になり、当然のことですがシルクロードの時代と違って、ロータス・ロードは空を飛びます。一歩一歩交流が前進し、「大賀蓮」を愛好する人々の往来によって、文化・観光・スポーツの交流も伴い、自然の姿で新しいロータス・ロードが形成されていくのではないかと期待しています。
 二〇〇四年の四月、中国の海南島に九種類の蓮の花が咲く東方文化苑が完成され、今年の三月、ロータス・ロードのアジアのセンターとも言うべき、蓮の記念館「蓮花館」が海南島のボアオに見事に完成しました。海南島の観光拠点の一つになると共に、ダボス会議と肩を並べるボアオアジアフォーラムに、さらに新しい歴史物語とさわやかな彩りを添えることになりました。これも一つの「草の根の観光交流」の出発へのシグナルであります。
 昨夜は、観光プロモーションで日本を訪れた「MERCOSUR(メルコスール)」の代表団の皆さんと懇談する機会がありました。
 メンバーであるラテンカルチャーの国、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイの四カ国が協力して、世界の観光市場に乗り出そうとしています。事務所を東京に設置し、パラグアイに本部事務所を設けるようであります。ブラジルは間もなく移民一〇〇周年を迎えようとする日本とは比較的なじみの深い国であります。
 その代表団の一人が「ブラジルも外国人観光客は年間六〇〇万人位です。日本も六〇〇万人位です。共に観光後進国です」と言われました。今日まで、日本が特に観光の先進国とは思っておりませんでしたが、後進国という意識もありませんでした。それだけに、ややショッキングな話であり、今あらためて観光政策も「これでいいのか日本の政治」という視点から謙虚な反省を迫られた場面でもありました。
 この稿を認めている最中に、中国の何光い国家旅游局長(観光大臣)が、中国人民政治協商会議全国代表大会にて委員に当選され、同時に全国委員会の人類資源及び環境保護委員会副主任に就任されました。さらに後任には、旧知の雲南省人民政府副省長のショウキ偉氏が就任されるとの報に接しました。
 何光い氏とは二〇〇〇年一月から今日まで、日中交流について、共に国民レベルの交流こそ両国の発展と国際平和につながるとの強い信念に基いて、個人的にも親しく友情を温めて参りました。日中国交三十周年記念式典には、一万三〇〇〇名に及ぶ我が国の同志が人民大会堂に集結しました。さらに、万里の長城の近くの八達嶺に一万三〇〇〇本の記念植樹を行いましたが、何光い局長の今日までの貢献に深く敬意を表したいと思います。
 今私は、ボランティアによるシンクタンク「日本観光戦略研究所」をスタートさせ、観光産業の可能性と未来への展望を語り合っています。そんな中で、時には、観光をテーマに日ごろの想いを語れと言われることがあります。
 そこで、この辺で一度振り返って、今日まで発言を繰り返して来たことで、何が実行でき、何が実現できていないか、それは何故に実現が困難なのか、自らに問いかけてみることが大事だと考えていました。そんな時に、「日本観光戦略研究所」の仲間の皆さん等のお勧めに応じて、これまでの観光に関する発言等を集めて出版させて頂くことにしました。
 この機会に観光産業の新しい飛躍のためにご高見を賜ることができれば、望外の幸せであります。
(自民党観光対策特別委員長・(社)全国旅行業協会会長)

   二〇〇五年三月二十三日


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