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記念講演『中国と日本の草の根の交流について』

衆議院議員
社団法人 全国旅行業協会会長
二 階 俊 博

中国・大連市の東北財経大学名誉教授及び観光学院の名誉学院長の就任に当って
二〇〇四年三月二十二日 
於:東北財経大学講堂

 

 尊敬する于洋書記、邱東学長をはじめとする東北財経大学の皆さま、こんにちは! ご紹介をいただきました二階俊博です。ほとんどの皆さんにははじめてお目にかかりますが、私にはとてもはじめてのような気がしません。

 郷里、和歌山県の同志を中心に、三〇〇名の友人と一緒に、私がはじめて大連を訪れたのは、二〇〇二年の九月でした。大連はアカシヤの花の街として誰もが知っていますが、美しい街並や、経済発展の姿を象徴する大連の港、住んでみたくなるような都市型のみどりに囲まれた住宅街、大規模で伝統に輝くファッションの街としても有名なところです。さらに今、IT先進都市として海外からも注目されている「大連」に接し、深い感動を覚えました。

 最初に大連を訪問したその日は、国際ファッションショーの閉会式に当り、当時の李永金市長さんとご一緒に出席させて頂きましたことを印象深く覚えております。

 翌日には、大連の近代的な街の様子を見学しました。歴史の舞台として有名な、「二〇三高地」や「ステッセルの会見所」なども訪れました。その後、大連から、数多くの観光団が日本にお越しになり、和歌山県にも度々お出かけ頂きました。そして夏徳仁市長や東北財経大学の学長の于洋先生らが来日され、光栄にも東北財経大学の客員教授と観光学院の名誉学院長に就任するようご丁重な要請を頂きました。

 果たして、私がその任に応えることが出来るのか、お返事をためらっている間にも、度々のお誘いを頂き、そのご熱意に圧倒され、この栄誉を受諾することを決意した次第であります。私自身、まさに浅学の身をかえりみず私に与えられたこの貴重な機会に、大連と日本の関係、さらにこれからの日中友好や、両国の文化観光、スポーツ交流などについて、ライフワークとして皆さんとご一緒に学び、活動することができることを喜んでおります。

 

《大連》

 ご承知のように、戦前の大連には多くの日本人が住んでおり、日本とは深い関係がありました。 私の小学校一年生の頃からの親しい友人の一人に、大連から一家で引揚げて来た人がいました。彼は子供ながらに、大連の思い出話を聞かせてくれました。私が外国の都市で最初に覚えた名前は『大連』でした。

 この広大な中国の大地の中でもアカシヤの街・大連は、今も多くの日本人の心の中に、最も懐かしい郷愁として、さらに心の太陽として、格別の思いを抱いております。

 私にとりまして大連ゆかりの方で忘れられない方が何人かおります。そのなかに、大来佐武郎先生がおられます。

 大来先生は今から九〇年前の一九一四年に、この大連市に生まれました。大来先生は第二次大戦後の日本を代表するエコノミストであり、経済成長政策の真のリーダーでありました。大来先生は田中角栄内閣時代、海外協力基金総裁として日中経済関係の発展に尽くされました。さらに大平正芳内閣の外務大臣として日中友好関係の増進に取り組まれましたが、その大来先生は、この偉大な国際都市・大連市に生まれ育ったことを大きな誇りにされていました。

 「日本大連会」はかつてこの大連で活躍された人達で結成されておられます。会長は大連市名誉市民であり、元国務大臣の井上孝先生が務められ、戦後六〇年を経過していますが、今も熱心に活動されております。

 発展著しい現在の大連には、新たなビジネスチャンスを求めて、二八〇〇社を超える大小の日本企業が進出しております。大連への海外からの投資総額では日本が第一位となっております。中国の数多くの有名な都市の中でも、経済的に日本と最も結びつきの強い都市のひとつであります。

 大連は従来の商工業に力を入れるだけではなく、観光産業の振興にも積極的であります。

 日本でも観光産業は鉄鋼業や、繊維産業を抜いて、経済波及効果五〇兆円を超える産業となりました。関連企業を含めて四〇〇万人の人たちが観光業に従事しております。観光は、まさに二十一世紀の基幹産業としての位置づけがなされようとしています。

 大連市が力を入れている観光客の誘致ですが日本からの旅行者の数は二〇〇二年が二三万人、二〇〇三年が一七万人で何れも大連を訪れる国別外国人観光客数で第一位となっております。

 観光地として、重要な条件である「治安」や「街の美観の維持」に大連は特に配慮されております。

 大連では、戦前から残る数々の由緒ある建築物や旧跡などの歴史的、文化的な観光スポットの保存だけではなく、美しい自然を利用したリゾート地の建設や斬新な企画の観光イベント、ファッションの街としてのアピールなど、新たな文化観光資源の開発にも極めて積極的に挑戦をされており、大連の持つ魅力に一層の輝きを増しています。

《日中民間交流》

 

日本と中国との国民同志の交流において、今日ほど身近に感じ、盛り上がりを見せている時はありません。

 それは二〇〇二年の日中国交正常化三〇周年、二〇〇三年の日中平和友好条約締結二五周年と、記念すべき年を日中両国の多くの皆さんが心から祝福し、支持を寄せて下さっているからであります。

 私は忘れもしませんが、二〇〇〇年の一月、当時、運輸大臣として初雪の降りしきる北京を訪れ、多くの要人と話し合う機会を得ました。その際、日中双方から、「今年は二〇〇〇年という日中交流の歴史の大きな区切りの年である。日中関係は過去に先人たちの築かれた二〇〇〇年にわたる堂々たる交流の歴史がある。この両国の友好関係はさらに今後新たな二〇〇〇年へと継続発展して行かなければならない。丁度、折り返し点のような記念すべき年に、日中間にこれを記念する行事が何も計画されていない。何か心に残るような記念の行事を企画して頂きたい」という話が出ました。中国では縁起が良いといわれている初雪が舞う、天安門の広場を眺めながら中日友好協会の幹部の皆さんと私たちの一行と、日本の当時の谷野大使らを含めて、熱っぽい意見の交換を続けました。

 私は両国を代表する皆さんの熱意に動かされ、その場で、「二〇〇〇年の年だから、二〇〇〇人の日本からの友人達と一緒に、中国を再び訪れたい。そして、人民大会堂で、今日まで日中友好に貢献された両国の偉大な先人の遺徳をしのぶと共に、これからの日中友好関係をさらに発展させるための催しにしたい」と提案しました。出席者一同は直ちに同意してくれました。

 日本に帰国して、早速「日中文化観光交流使節団二〇〇〇」の結成にとりかかりました。趣旨にご賛同頂いた、多くの関係者の皆さんのご協力で、たちまちにして二〇〇〇名の同志が集いました。私は日中友好協会の会長であり、東京芸術大学の学長である高名な日本画家の平山郁夫先生に団長をお願いしました。

 日中友好の過去を振り返り、将来を展望するという壮大な趣旨に賛意を表する人々が、北は北海道、南は九州・沖縄に至るまで、さらに遠く小笠原島からの参加も頂き、最終的にはついに五二〇〇名を記録することとなりました。

 これ以上は、あの広大な人民大会堂にも入り切れないということで「満員御礼」とさせていただきました。記念すべきミレニアムの年の五月二十日、私は日本の代表団の皆さんと共に、時の国家主席・江沢民閣下、胡錦濤・現主席閣下をはじめ、中国を代表する最高幹部の皆さんと極めて意義の深い会談をさせて頂きました。

 その際、江主席は、私たちの代表団を熱烈に歓迎してくださると同時に歴史的にも意義の深い次のような「重要講話」をお述べになりました。

《重要講話》

 「今回、日中文化観光交流使節団が訪中することは両国国民の友好交流史上かつてないことであり、今回の大型友好交流は必ず両国人民の相互理解と友情の増進に重要な役割を果たすことと確信する」「当面の国際情勢の下、両国国民の相互理解を増進し、両国関係を絶えず推進することは、両国国民とその子孫の根本的利益に合致するばかりでなく、地域と世界の平和と発展にも寄与することになる」と語られました。そして「中日友好は突き詰めれば両国国民の友好である。中日国交回復の実現に際しても、その後の両国関係の発展に際しても、民間友好は極めて重要な役割を果たしてきました。……未来を展望すれば、二十一世紀の中日友好は両国国民、更に両国の青年に希望が寄せられる。われわれは民間友好の伝統と優勢を継続させるだけでなく、これを不断に拡大・強化し、更に青少年の間の友好交流を推進し、中日友好の次の担い手を早急に育成し、両国の友好の旗印を一代、また一代と伝えていかなければならない」。江主席は特に青少年の友好交流の重要性を説かれたのであります。

 この感銘深い「重要講話」は、中国国内でも、新聞、テレビで大きく報道されました。この場に臨席した私たちは、この「重要講話」は広く、長く、後世に伝えなければならない重要な意味を持つものと認識して深く心に刻んでおります。

 何故ならば、江主席もお述べになられた通り、国と国との友好関係は、結局は人と人との関係によるものであり、末永い友好関係は、常に若い世代の交流へと継続発展させなければ、到底お互いの目的を果たし得ないからです。

 江前主席が、いつもお目にかかる度にお話しされる「若い世代の交流」は今後日中両国の友好関係を永く継続させるため極めて重要な点を示唆されています。

 また一昨年、二〇〇二年の年の五月には、胡啓立中国人民政治協商会議副主席を団長に、何光イ国家旅游局長をはじめ中国から四〇〇〇人を越える友人達を東京にお迎えして、小泉総理をはじめ、多くの国会議員も参列の上、「日中友好文化観光交流式典」が盛大に挙行されました。その年の九月、国交回復三〇周年の式典には、一万三〇〇〇人を越える日本国民と八三名の国会議員が人民大会堂に集結しました。この時も当時の江沢民主席、胡錦濤副主席をはじめ、国を挙げてあたたかく歓迎していただき、交流大会は大成功を収めました。その際の参加者によって、万里の長城に一万三〇〇〇本の記念植樹が行われました。参加の皆さんは深い感激を覚えるとともに、今もこの時の感動の様子を日本の津々浦々で熱く語りつがれています。

 お互いの交流は、大規模なイベントも大切ですが、「草の根の交流」「心の交流」も、また大切であります。

《大賀蓮》

 次に、「大賀蓮の物語」についてご紹介いたします。一九五一年、東京の近くの千葉県検見川にある東京大学グランドの地中から発見された三粒の蓮の実は、古代蓮の研究家である大賀一郎博士の手によって、見事発芽に成功しました。二〇〇〇年の眠りから覚めた古代蓮の蓮の実は今、日本の各地、世界の各地において、鮮やかな紅の可憐な花を咲かせ、多くの人々に、二〇〇〇年の壮大な歴史を想い起こさせてくれます。

 大賀蓮はその後、博士の愛弟子であり私の高校時代の恩師であった阪本祐二先生や、東京大学大学院の南定雄先生達に受け継がれ、研究が続けられています。

 私は中国への渡航が容易でなかった、今から二十数年前に、私の恩師の阪本先生に「中国へ今日までの研究の成果を発表にいかれたらどうですか、そして大賀蓮を中国の地に里帰りさせてはいかがですか」と進言しましたが、残念ながら約束が実現しないうちに、先生は他界されました。

 昨年、海南島のボアオ・アジアフォーラムの常設会議場の一角に、関係者の協力のもとに、大賀蓮の池を造って頂き、「大賀蓮」「日中友誼蓮」「舞妃蓮」など三種類の蓮根を日本から移植することに成功しました。

 ボアオ・アジアフォーラムでは今年の秋には「ボアオ東方文化苑」という、立派な「蓮資料館」が作られることになりました。

 しかし、この日中友好の象徴として、二〇〇〇年の歴史を持つ大賀蓮の研究は、この「大連」から始まったことを最近になって、私ははじめて知りました。

 木村遼次氏という大連生まれ、大連育ちの音楽家の書かれた本の中に、次のように記されております。「満鉄教育研究所の教官としての大賀博士は満州に一六年の間、在住され、前半の七年は大連の住人として過ごされました。その際、普蘭店において中国人の親しい友人から、化石のようになっていた古い蓮の実をもらいうけ、研究を重ね、発芽する可能性があることを確認されました。日本に帰られてからも大連の地で得た確信に基いて、古代蓮の探究に、執念を燃やし続け、遂に一九五一年、三粒の蓮の種の発見に到達されました。

 この神秘のような大賀蓮の研究が、大連から出発したことを知った私は、蓮の花を通しても大連とご縁が深いことをうれしく思うものであります。

 ご当地においても労働公園には、八万本もの蓮の花の咲く、大きな池があり、蓮の研究が続けられていると伺っております。

 私の知る範囲では、中国の雲南地方、杭の杭州植物園、海南島、そして大連でありますが、日本の蓮研究とネットワークを構築することによって、研究の成果をさらに、発展させることが出来ると考えています。

 蓮は「東洋の花」であり、「アジアの花」であり、日中両国の親善交流の象徴であると共に、さらに誰もが知る「仏教の花」であり「平和の花」でもあります。

 大賀博士は「蓮は平和の象徴也」と揮毫を残されていますが、博士は平和への願いを蓮の花に託し、毎年初夏の頃、私たちに平和の尊さを語ってくれているような気がしてなりません。

 今年の五月未には、私の郷里から二〇〇名の皆さんが海南島へ渡る「大賀蓮の観賞の旅」を計画しています。

《日中関係の課題と世界の中の日中関係》

 次に日中関係の課題について在席の皆さんと共に考えてみたいと思います。

 今や、日中の友好関係の継続発展は、順調に進んでいますが、残念ながら、友好関係に水を差すような言動がないわけではありません。

 一つは靖国神社への参拝の問題に象徴されるような、歴史認識の問題であります。また、日本国内には依然として高い伸び率を示す中国の国防費に対する懸念の声もあります。日米ガイドライン関連法の制定当時のように、日米安保の動向に関する中国側の懸念による安全保障上の問題もあります。これらの問題について、特に国民レベルの相互理解を深めることが何よりも重要であります。時にはお互いに耳の痛い話であっても、冷静に話し合うことが大切であります。

 歴史問題について、誠に残念なことでありますが、日本が過去の一時期、中国との関係において軍国主義という誤った道を歩み、中国をはじめとする多くのアジアの人々に言葉に表せないような多大なご迷惑をかけ、損害を与えたことであります。

 日本政府は謝罪を繰り返すと共に、大多数の日本の人々も「申し訳ないことをした。あのような誤りは二度と繰り返してはならない」と深く心に誓っています。

 日本は誤った国策に対する厳しい反省の上に立って、戦後、平和国家建設への王道を歩んで参りました。従って戦後の日本は、軍事大国を断固排除して参りました。当然、日本は、国際紛争解決の手段として、武力による威嚇、又は武力の行使を放棄することを憲法に明記して、攻撃的ミサイルを持ちません。長距離爆撃機などの戦略兵器を持つことも拒んで参りました。

 日本は外国に一切の武器を輸出しておりません。自衛隊は専守防衛に徹しています。アジアの平和と、発展の中にこそ、日本の未来があり、日本の平和と、繁栄が確保されるという考え方に立って、アジアの国々に対する積極的な経済協力を中心に懸命な努力を重ね、多くの国民もこれを支持してきたところであります。日本の経済援助は九一年以来、一〇年連続世界最大規模となっております。

 近ごろは、一部の人たちから、日本は再び軍事大国への道を歩もうとしているのではないかという疑問を投げかけられることがあります。我が国の国会も、大多数の国民も軍事大国にならないという基本方針を全面的に支持しており、私たちも不戦の誓いは永遠のものであると信じております。

 これらの点について、私たちは中国の友人の皆さんに機会ある毎に理解を求める努力を重ねております。しかし両国が「歴史認識」の問題を乗り越えるまでには、まだまだ残念ながら、時間がかかるかもしれません。

 日中両国の未来を想うとき、我々は、この問題の前に立ち尽くしている時ではありません。解決に向けて、さらに一歩前進することが重要であります。しかし私たちは、日本の若い世代に向けて、この面での教育を一層充実させると同時に中国の皆さんには、今日の平和に徹した日本人の生き様を正しく理解して頂く努力を、今後とも粘り強く続けて行きたいと考えております。

 そして「世界の中の日中関係」の重要さを、私たちは、改めて、認識する必要があります。

 今日の日中関係に辿りつくまで、多くの先人たちのたゆまない努力と大きな決断があって、ようやくここまで到達出来たものであります。

 今や私たちの二国間は善隣友好を唱える関係から、さらに両国が力を併せて「世界の中の日中関係」へと成熟した関係に発展させることが、二十一世紀の日中関係であると確信しております。

《経済協力》

 ご承知の通り、最近、特に活発化しているのは、経済協力の関係であります。例えば、二〇〇三年の日中間における貿易総額は、前年に比べ三〇%増え、米ドル換算では約一三二四億ドルに上り、中国は日本にとって、米国に次ぐ第二位の貿易相手国であります。一九七二年の日中国交正常化時点における貿易総額は僅か一一億ドルでした。両国の政府及び国民の努力により、三一年間で約一二〇倍にも増加したのであります。

 日中両国が貿易という側面で切っても切れない密接な関係を築き上げているのであります。しかも地理的には、お互いに引越しが出来ない間柄であります。昨年、我が国が、中国から輸入した総額は七五一億ドルで、国別の順位では、中国が第一位となっています。今や中国は、日本経済にとって、アメリカと並ぶ極めて重要な貿易相手国であり、企業活動も大きく発展して参りました。最近では、貿易や投資や製造にとどまらず、販売網の相互活用、新しい商品の企画、設計、研究開発などにも及んでいます。

 日中間の経済活動は、密接な相互補完の関係が構築されつつあります。日中平和友好条約の締結の翌年である一九七九年以降、日本は円借款を実施しており、二〇〇二年度までの総額は、交換公文ベースで約三兆円に及んでおります。

 中国に対する経済協力について、二〇〇一年秋に「対中国経済協力計画」を策定して以来、従来のような沿岸部の経済インフラ中心の支援から内陸部を中心とした環境、人材育成等の重点分野へと対象の絞り込みを行ってきております。

 中国側もこうした日本の考え方を理解され、本年度(二〇〇三年度)の要請案件は環境保全と人材育成分野に集中しております。日本政府としては、これに基き、中国の経済社会の開発のみならず、日中間の人的交流が促進される等、日本にとっても意義のある「互恵性」のある案件に対して、円借款を供与するとの考え方に立っております。

 その結果、本年度の供与約束総額は約九六七億円となる見込みであります。内訳は、環境案件が約五一〇億円、人材育成案件が約四五七億円であります。総額では、昨年度の供与約束額一二一二億円と比較し、約二〇%の減となります。

 近年はODAも削減の傾向にありますが、それは中国経済の着実な発展の証でもあります。中国の安定した発展と、日中両国の友好関係の構築を願って、日本が提供したODAが中国の国づくりにお役に立つことを、日本の国民は願っております。

 今日の中国が抱える課題に対する協力へ、重点を移すものであり、以前と同様に中国の発展に一層貢献する決意であります。

《民間交流》

 私たちの日本と中国との良好な関係は数限りなく、古の時代から今日まで続いております。中でも、日中間で多くの人々が共に尊敬を寄せる、最も有名な歴史上の二人の人物について申し上げたいと思います。

 一人は中国の鑑真であり、一人は日本の空海であります。この偉大な人物が果たされた計りしれない大きな役割に、私たちはあらためて敬意を表しながら、遠く想いを馳せてみたいと思います。

 鑑真和上は中国を代表する高僧として尊敬を一身に集めておられましたが、日本の朝廷の招きにより、高い理想を抱いて日本への渡航を試みました。五度の失敗と失明という不運に見舞われながらも、苦難の末、十二年の歳月をかけて六度目に日本へ到達されました。七五九年、奈良県に唐招提寺を創建され、仏教と中国文化を日本に伝承された名僧として、日本国民の間では余りにも有名であります。

 次は空海であります。空海は、弘法大師として、高野山を開き、密教の聖者、日本の名僧として人々の尊敬を集めておられます。

 高野山は私の郷里、和歌山県に所在し、今年の七月には世界遺産にも登録されようとしている名刹であります。

 空海は八〇五年、唐の都、密教恵果阿闇梨を受け継ぎ、帰国の後の八二八年、真言密教を拡げると同時に、理想教育の私学を最初に開設する等、近代日本への端緒を開いた高僧であります。

 これらのお二人の教えに象徴されるように、日本は中国文化の大きな影響を受けていることは申すまでもありません。

 しかし、鑑真や、空海のような、偉人の往来も極めて重要でありますが、国民相互の交流も、また重要な役割があります。お互いに相手の国を理解し合う、これは観光の要諦であり、易経によれば観光には、お互いが学ぶという大事な視点があり、互いに尊重し認め合う中から、新しい時代の日中関係の構築へとステップアップが期待出来るのであります。そして若い世代は、修学旅行のような形で相互交流を活発にしたいと考えております。

 修学旅行は、ホテルを利用するだけではなく、互いにホームステイ等を通じ、両国の子供達が友人となり、仲良く言葉を交わす、スポーツや音楽を楽しむ事が大切であります。

 私はこの際、中国からの訪日団体観光客の受け入れについて、何が問題となって、交渉が難渋しているかについて率直に申し上げたいと思います。

 それは、日本の治安の問題が、今、大きな社会問題となっているからであります。観光ビザで訪日され、そのままオーバーステイとなってしまっている人もいます。司法当局は、近ごろの日本国内における中国人の犯罪の増加に伴い、このことに極度に神経質になっております。私たちは日中友好のためにもこのような時にこそ、お互いに言うべきことを述べ合い、両国政府の協力によって治安の回復に努力しなければなりません。

 しかし、観光を目的で来日される人とパスポートの偽造等による不法入国の人とは、はっきりと区別して考えるべきであり、両国の旅行観光関係の方々の努力や、両国政府の治安当局の積極的な取り組みによって、早い機会に、このような問題が解消されるよう、今後も懸命の努力を重ね、本来の国民交流がより発展する方向で、日中両国の指導者の一層の奮起を期待するものであります。

 団体観光客ビザの発給対象地域の拡大について申し上げます。現在は北京、上海、広東のみでありますが、三地域を更に拡大する方向で調整を重ねております。私も中国の友人の皆さんからの再三の強いご要望に応えて、拡大実現の努力を重ねて参りました。

 私は昨年五月の訪中の際、胡錦濤主席と与党三党幹事長との会談においても八項目にわたる改善すべき問題点について、申し入れました。

 また、私は現在、自由民主党観光対策特別委員長として、「訪日観光円滑化問題小委員会」を設置して、ビザ発給地域の拡大について積極的に取り組んでおります。このことに関し、小泉総理や福田官房長官や各閣僚も陣頭指揮にあたり、実現に努めて参りました。武駐日大使にも、ご努力を頂いております。その結果、ようやく新たに四省一市、遼寧省をはじめ、江蘇省、浙江省、山東省、天津市に拡大する方針を固め、現在日中両国の政府間の担当責任者による具体的な事務折衝に入ろうとしております。

 両国政府が決定することではありますが、私の判断によりますと、遅くとも今年の夏の頃までに、今回拡大する地域の第一陣の訪日観光客をお迎えしたいと考えております。

 その際、私は遼寧省から、そして大連から、多くの友人の皆さまを一番にお迎えしたいと思っています。今回の拡大が互いに成功し、問題がなければ、極めて近い将来日本政府は、これを中国全土に拡大する方針であります。

 最後に申し上げます。かねてより私の尊敬する中国の有名な天才詩人の蘇東坡先生の「水調歌頭」の中に『ただ願わくば、人の長久に、千里嬋娟を共にせんことを!』という私の好きな一節があります。

 本日を機会に私は東北財経大学の皆さんと、「例え千里離れていようとも、お互いに同じ月を眺めている」ことを信じながら、大学の発展と皆さまのご健勝をお祈りしつつ、私の記念講演を終わります。ありがとうございました。

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