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記念講演「いま、観光を考える」

衆議院議員
社団法人全国旅行業協会会長
二 階 俊 博

国際観光学会における二階全国旅行業協会会長の記念講演より
二〇〇四年十月十日(日)
 於:流通経済大学

 日本の観光をどう開いていくかということに思いをいたしている者として、国際観光学会にご出席の皆さんとともに勉強させていただきたい――今日はこういう気持でお伺いしました。先ほど、流通経済大学学長の野尻先生から、当大学の国際観光学科設立に際してのエピソードをお話いただきましたが、大学は今日、このように大きく発展されており、先生としては軽いお気持といいますか、タッチでお話しされたと思いますが、私は、国際観光学科設立に至るご苦労のほどを身にしみて承知しております。観光大学、観光学部、観光学科という形はともかくとりあえずスタートさせること、どんな規模でも形でもいいから、これを出発させることが大事だということを私は当時から思っておりました。今、野尻学長のご苦労のほどを伺いまして、政治に携わる者として、半分は申しわけないなという気持とともに、よくぞここまで開学、発展させていただいたということに改めて敬意を表します。私自身、この観光学科、観光学部の発展に努力をさせていただくことができれば幸いであります。

 私は、観光問題に関しては全くの素人ですが、ご紹介にありましたように運輸政務次官を二度務めた経験があります。その一度目のときの一九九〇年、アメリカのワシントンで行われた日米観光協議の共同議長を務めるというのが観光に携わる最初のスタートでした。今ちょうどご当地に関係の深い成田空港株式会社のトップの松橋会長さんが、JTB、あのころは日本交通公社の社長に就任されるちょうどそのころでした。三〇名ぐらいの日本の観光の専門家の皆さんとご一緒にアメリカ・ワシントンに参りまして、政府といろいろな協議をし、その後一〇日間ぐらいかけて、アメリカの各地を訪問いたしました。

 観光に関するアメリカの取り組みというものを垣間見るときに、これは日本もぼやぼやしてはおれないなというふうに感じました。よく「もてなし」ということを言われますが、「もてなし」なんかは日本の方がはるかに上手だというふうに我々は思い込んでいました。皆さんもそう思っておられるのではありませんか。アメリカは分厚いステーキに代表されるような、大まかといいますか、いいかげんだとは言いませんが、大体、荒っぽいという感じがするわけです。体格の大きさも、国の大きさも影響しているんでしょう(笑)。しかし、彼らがひとたび研究し、勉強して対応しようというときには、すごいなと思いました。いろいろなパーティーへ参りますと、あちらこちらに日本にしかないものが並んでいるのです。例えば、枝豆のゆでたものとか。普通は、アメリカで青い枝豆がパーティーに出てくるとは思わないでしょう。それが用意してくれているんです。それから、簡単な記念品の交換があったりしますね。こういうコップ一つにしましても、ここにメンバーの名前を彫り込んであるんです。そんなことは、日本は得意ですがアメリカは得意じゃないとみんな思っている。とんでもないことです。あるところへ伺ったらワインを出してくれたのですが、我々ミッションの名前を書いたラベルをそのワインに貼ってあるんです。みんな大変喜ばれて、記念に持って帰ろうなどと言っておりました。アメリカでも、ちょっと頭をひねって日本に詳しい人からいろいろなことを聞き、調理人なんかは日本人の調理人が、この州のこの市のどこにいるかということを調べて、臨時に雇ってきているわけです。魚なんかはどこからでも集めてこられる時代ですが、料理など、大変気の利いたことをされていたことを思い起こすわけです。

 二度目の運輸政務次官の時は、ちょうどカナダとの交流のときでした。私は、二回にわたる政務次官の間にアメリカやカナダの観光問題に、旅行業界、観光業界の専門家の皆さんと共に参加させていただき、観光の問題についていろいろなことを学ばせていただきました。

 その後、ほどなくして、全国旅行業協会、これは、比較的小さい旅行業者の皆さんが、六〇〇〇社ばかり集まっているんですが、そこの会長をやれというようなことになりました。私が、そのとき思ったことは、旅行観光ということでは誰もが一家言を持っている。誰もが経験を持っている。これらの皆さんのいろいろなご意見をお伺いし、そこから新しい知恵といいますか、旅行観光の振興についてのアイデアを吸収していきたいと思いましたので、遠慮なくお願いできるような人を一〇〇人ばかり選びまして、「日本の観光を考える百人委員会」というのを立ち上げました。そして、第一回目は神坂次郎さんという作家をお招きして、お話を伺ったわけでございますが、その話の中で大変印象に残ったことは、日本の旅行の最初は金毘羅さんにお参りすることであった、そして、今、高野山や熊野古道が世界遺産に選ばれて大変にぎわっておるわけですが、歴史的には「蟻の熊野詣」ということで、これまた有名であります、そしてさらには、お伊勢参り、四国のお遍路さん、これらすべてが観光である――こういうお話を伺い、観光というのは、歴史、文化に根差したもの、そういう出発点が大事だということを改めて感じたものであります。

 言い古されたといいますか、だれもが知っていることでありますが、観光というのは、中国の四書五経の一つにあります「易経」の一文で、「国の光を観(み)る」という意味です。ややもすれば物見遊山のように言われている観光にも、やはり学ぶという視点がそこにあるんだということを我々は忘れてはなりません。相手の国、相手の地域を訪問して、そこから学ばせていただく、また、その地域の光を見る、改めて発見する、再認識するということが大事だということであろうと思います。

 この観光問題、いろいろ難しい問題に遭遇することがあります。このごろは自信を持って申し上げることができますが、何としても二十一世紀の我が国のリーディング産業は観光であるというようにしなくてはならない。これは観光に携わるすべての皆さんがそういう認識を持っていらっしゃると思います。そのために、私たちは、この美しい日本に生まれ、そして、改めて魅力ある日本をそれぞれの地域で創造していくという努力、これが観光に取り組むこれからの私たち、あるいは市町村、県、ご当局等、多くの政治、行政、そして、この観光産業に携わる幅広い多くの皆さんがそれぞれの力を結集することが大事であります。力を結集することによって、実現が可能だというふうに私は思っております。

 今では、観光を語らない知事だとか、市町村長は、ほとんどおりません。何かのたびに観光ということを言われます。政府もまた、このごろは盛んに観光、観光と言う。観光を言ってくれるのは大いに有難いのですが、観光をもっと引っ張っていくためには、何をしなければならないかということを考えなければいけない。二言目には、観光は大事だということを言ってはくれるが、大事と言われるならば、施策の上ではどうするのか、予算ではどういうことをするんだ、法律ではどうするんだということがなくてはなりません。

 例えば、中国と日本との観光交流の問題があります。中国の方々にできるだけ日本に来ていただきたいとビジット・ジャパンということで頑張っているわけでありますが、それならば、中国の方々が日本においでになるためのバリアを取り除く努力がなくてはなりません。ごく最近までかかり、平成十六年九月十五日にようやく拡大できたのですが、中国からの団体観光客のビザの発給地域の拡大につきまして大変な問題がございました。片一方でビジット・ジャパンと言うならば、中国のみならず諸外国の人たちが日本にお越しになった場合に、言葉の問題もある、あるいは交通機関の問題もある、外国からお越しになったすべての方々に、もっともっと親切な日本でなければならないはずです。そして、政治や行政はどうサポートすべきかということを具体的に実行に移す時期に来ておると思うのであります。

 そこで、この「観光」の全体像を考えてみますと、やはり、特徴は平和産業であるということが言えるわけであります。観光交流というのは、まさしく世界平和に貢献することが出来る重要な役割を担っていると思っております。戦争が起こっている、噴煙が立ち込めている、ドンパチをやっているような地域で観光を語っても始まらない。私たちは、観光交流を広く進めていくことによって世界平和に貢献していくことができる。もっと言えば、戦争に費やすあの莫大な、しかも馬鹿馬鹿しい予算を、たとえ一〇分の一でも、観光に回すことによって、お互いに交流を深め、理解し合い、戦争を回避できる場面というのがたくさんある。

 例えば、私の地元の和歌山などでは、いわゆる「アメリカさん」と言われるぐらい、戦前からアメリカに移民された方が大勢おられます。そういう人たちは、私たちの子供のころに「アメリカというのはこういう国だ。アメリカはすばらしい」ということを随分言って聞かせてくれたものであります。しかし当時、もっともっと多くの人たちがアメリカという国を理解していれば、あの戦争に進んでいっただろうかと思うのであります。

 皆さん、アメリカへ旅行されて、第一番目にそういうことを感じませんか。ほとんどの皆さんが、この国と戦争しちゃだめだということを思う筈です。中国もまたしかりであります。我々はそういうことで、井の中のカワズといいますか、世界を知らなさ過ぎたということを大きな反省材料として、次の時代に、このことを語り継いでいかなくてはならない大きな責任があると思っております。

 先ほど冒頭でも申し上げましたが、文化という問題が交流の橋渡しに大きな役割をしています。この点で、これから取り組んでいかなくてはならない問題はたくさんあります。

 先ほど高野山の話を申し上げましたが、高野山の空海が中国へ勉強に出られてから、ちょうど今年で一二〇〇年になるわけです。高野山は歴史的な宝物、また歴史的な書物、文化財をたくさん持っておりますが、最近、世界遺産の指定を受けるとともに、このことが脚光を浴びておりますので、各地で高野山の展覧会をやっております。この間、大阪でやっておりましたので、最終日に私も伺ってみました。文化だ、宗教だと言っている場合じゃなく、芋洗いみたいになっている会場から、どうして外へ出ていくかという位の大変な賑わいでございました。それは最終日だったからかもしれませんが、各地で賑わっております。今度、名古屋でやるようであります。

 間もなく、来年(平成十七年)北京、上海、あるいは大連で、今度は逆にこちらから中国に行って展覧会を開きます。こうしたことが日中両国の学生諸君含め、多くの人々に、歴史的なつながり、文化的な交流を改めて再確認、再発見してもらうということが大変大事な意味合いを持つのではないかと思っております。

 それから、最近でありますが、「フラワーツーリズム」という言葉がはやってまいりました。最近まで、成田空港公団の総裁をやっておられ、運輸省の事務次官も勤めた、日本観光協会の中村徹会長が中心になりまして、フラワーツーリズムの推進協議会というのを全国的な規模でつくっております。そして、花の国・日本運動というのをやっておりまして、第二回目の大会が、今、花博をやっております浜松市で開かれております。その際「おかげさまで浜松花博も五〇〇万人を突破しました」と喜んでおられました。浜松の新幹線駅の電光掲示板にも入場者数が誇らしげに点灯され、関係者の皆さんが、「やってよかった」「花が中心になって、こんなに観光だ、文化だと日本中の人たちから注目をされ、大変うれしかった」と、こういうお話をあちらこちらで聞かせていただきました。そして、同じ開催期間で規模は少し小振りになりますが、熱海でも花博が開かれ、これにも二三万人の人が集まったという実績があります。

 花を申し上げたついでに、ここは千葉県でございますから、「大賀蓮」のことについて、簡単に申し上げてみたいと思います。この大賀蓮というのは、ご承知の方もいらっしゃると思いますが、今からちょうど五十五、六年前、千葉県の検見川の東京大学農学部のグラウンドの地中から三粒の蓮の種が発見されました。ラジオカーボンテストによりまして、二〇〇〇年前のものであるということが、科学的に証明されたのであります。その蓮の種を大賀一郎博士が研究し、見事開花させたのが「大賀蓮」です。この大賀博士の愛弟子で、東京農大で一緒に研究をされておりました阪本祐二さんという先生がおられまして、たまたま私の高校時代の生物学の先生でした。その阪本先生が黒板に蓮の絵をかいて、蓮の生い立ちから、大賀博士が発見され、開花に至るまでの苦労等を、情熱を持って、教壇で語られたことを今でも覚えております。

 ある時、私は阪本先生に「ちょうど蓮の種が地中から発見された時に、丸木舟も一緒にあったということからして、これは中国から渡ってきたのではないかと言われるようですが、どうですか」ということを質問したところ「まだ、中国だということを断定する証拠がないんだが、いずれにしても、仏教や東洋の花としての蓮の存在からして、大賀蓮も中国との交流の糸口になればいいと思っている」と言われたものですから「先生、それじゃ、その蓮のレンコンを持って中国へ行こうじゃないですか」と申し上げました。私が当時、和歌山県会議員だった頃で、日中間は、まだまだ交流の難しい時代でありました。しかし、道を開くことはできるだろうと思って相談し、先生も大変楽しみにしておられました。しかし、残念ながら出発を待つことなく先生はご他界されてしまわれました。そこで、先生の奥さんがそのことを全部知っておられましたものですから、後に、私たちは奥さんと一緒に、杭州の植物園へ、この大賀蓮をお届けしたわけです。最初はよかったのですが、例の紅衛兵運動で蓮の池が全部壊されてしまったということで、一時は頓挫していたのです。

 私は、蓮の話がそこで立ち消えとなってしまったのでは困るので、何とかして誰か中国側に跡を継いでくれる人を見つけなければいけないと思って、北京へ参りましたときとか、あるいは上海へ参りましたとき、いろいろな方々にお話をしました。

 心のある人は、なかなか力がない、力のある人は心がない。心と力とを両方持ち合わせている人を見つけなきゃいけない、こう思っておりましたところ、海南島で、その心と実行力のあるパートナーを見つけることができました。蒋暁松さんというボアオ・アジア・フォーラムの副理事長であります。ご承知のように、海南島には、ボアオ・アジア・フォーラムといって、アジアの首脳が集まって討議をする常設の会議場があります。その常設の会議場の周辺に、蓮の池を九つ造ってくれました。なぜ九つも池が必要かといいますと、繁殖力も生命力も強力でありますから、セメントのちょっとした壁ですと小さいツルが越えていっちゃって、また向こう側へレンコンをつくってしまうものですから、どの種類の蓮も、この種類の蓮もみんな混ざっちゃって、どうも研究とかということには向かない。そういう理由で池が幾つか要りますので、九つ造ってくれました。今ここで大賀蓮が盛んに咲いて、多くの人たちがこれを見に来られます。

 大連の東北財経大学というところで、私が講演に行ったときにその話をしました。この大賀一郎博士は、旧満鉄の教習所の先生として一六年間、満州、つまり中国におられたそうで、大連の郊外に普蘭店というところがありますが、その普蘭店で中国の友人から化石のようになった蓮の実を譲り受け、そこで古代蓮の存在に確信を持つようになり研究を始めたそうです。戦争が終わった後、引き揚げてこられ、日本で研究を続けておりましたが成果が上がらず、ほとんど研究も挫折しようかとしておった、そういう時期に、この千葉県の検見川で三粒の蓮の種を発見するに至ったという劇的なお話であります。

 私が時々こんな話をしておりますので、インドの首相を務められたこともあるバジパイさんが小耳にはさんだらしく、「蓮の問題に関心を持ってくれているということは大変うれしい。今度会うときに、大賀蓮をインドへ持ってきてくれないだろうか」ということを秋田工芸美術短大の石川学長を通じて言ってきました。今は政権の座から離れておりますが、少し前まではインド人民党(B・J・P)という政権党であり、その政党のシンボルマークは、何と蓮の花であります。ですから、そういう意味で、ぜひ、と言われておりましたので、先般、インドへ参りましたときに、この政党に立ち寄りましたら、もう既に池をつくって、植えるばかりにして待ってくれておりました。蓮のことに理解が深いとみえて、関係者は大変興味、関心を持って、大勢の人が集まってくれておりましたが、おかげさまでその蓮はうまく根付かせることができました。

 インドの国会議員で、蓮の問題で立派な著書「蓮は平和の象徴である」というふうなタイトルであったかと思いますが、そういう本を出された議員がおりまして、お目にかかって、その本も頂戴してまいりました。この本をこの国会議員が書くことになった由縁は、バジパイさんと同じ政治経歴を持つこの議員が「いよいよきちんと政党を立ち上げる。そのときにはシンボルマークは蓮にするから蓮にちなんだ本を書け」と、バジパイさんから言われてその本を書いたとのことでした。大変立派なものであります。その中には、蓮は仏教の花であると同時に東洋の花である、と同時に、氷河で凍りついたような地域と砂漠は別にして、あとは世界中、どこにでも成育するということが書かれております。かつては北米の五大湖にも蓮が大変盛んであった歴史など、インドのことだけではなくて世界中のことに触れておられますし、驚いたことに、この著書の中に、大賀蓮もはっきり、詳しく、そして正確に掲載されていました。

 時間がございませんので、それぞれの国の内容について申し上げられませんが、インドネシア、ミャンマー、ベトナムも蓮との由縁が深いものがあります。特に、ベトナムでは観光で関係の深いベトナム航空のシンボルマークは蓮でございます。この間、ベトナムの服部大使は、二階から蓮について、初めてこんな話を聞かせてもらったということを、ある雑誌に書いて、そのコピーを閣僚に送ったところ、六人の閣僚から「一度話に来てくれ」と誘いを受け、行ってみたら「日本の大使は、こんなことにまで心を砕いて、我が国のことを理解しようとしてくれているのか」と言われたそうで、このごろは、私にも大使から蓮の便りを送ってくれます。

 政治では大変難しい関係のインドとパキスタンですが、パキスタンでも蓮は盛んなようであります。私はパキスタンのムシャラフ大統領にも三度お会いしたことがありますから、そのうち手紙でも出して「インドとパキスタンの話の難しさはお互いに理解するところであるが、このことに関して、今、大賀蓮の点在するところに新しく、シルクロードではありませんが、ロータスロードをつくってはどうだろうということを、各地の皆から声が上がっている。そのときにパキスタンを外すというのはどうかと思うが、入ってくれるか、入りたくないか」ということを説けば、政治家として判断されるだろうと思っているんです。そういうことが、また平和産業としての観光が果たす役割の一つにもなるんじゃないかと思っております。

 先ほど清水専務理事から三連休のお話がありました。今日はまさに三連休でございまして、観光業専門の方にとっては一番の稼ぎ時でございますが、そのときに台風にぶつかったということは大変残念であり、申し訳ないような感じがいたします。三連休というのは、ご承知のように、成人の日と、海の日と、敬老の日と、体育の日、これを、それぞれ式典の日を月曜日に移すことによって、土・日・月と三連休にしよう、こういうことであります。

 世の中のこと、特に政治では、誰かが喜ぶと誰かが反対する。誰かがもうかると誰かがまた被害を受けるというようなことが間々あります。この三連休こそ、みんなが喜ぶだろうと思っていたのですが、なかなかそうでもないようです。私の所属する全国旅行業協会の中からも「これ以上、休みをつくられたらかなわない」と、経営者の立場から言ってきました。「休みをつくるんじゃなく、週の中ほどの休みを月曜日に移すんだ。第一、旅行業社が文句を言うことはなかろう。旅行業は、これでもうかるんだから、文句を言われる筋合いはない」と言って説明をしたんですが、最初のうちはそんなところからの出発でした。

 今、私は自民党ですが、当時は自民党ではありませんでした。そんなころ自民党が「困った、困った」と言うから「何が困った?」というと、『敬老の日を動かすということに対して、八〇〇万人いる老人クラブから「以後、自民党の応援なんかしない」と文句を言われちゃった』と言って困り果てているのです。それで当初は、私の方の保守新党と公明党とで、議員立法として法案を提出したのですが、自民党は「我々のやっていることで人が困ることになったらいけないから」と言って参加をしなかった。参加すると老人クラブから怒られるわけです。

 それで我々が老人クラブの方々を説得することになったんです。老人クラブというのは、今日ここにおいででないかもしれませんが、偉い人が多いんです。例えば、我々のグループには海部俊樹さんという文部大臣もおやりになった総理大臣経験者がおられますが、その海部さんに、その老人クラブのうちの一人が「海部君、あなたも随分偉くなったね」と、こう言うんです。それは、そのお爺さんが若いころ応援していた国会議員のところに行った時に、当選早々の海部さんが部屋へ遊びに来たんだそうです。そうすると、その先輩議員が「海部君、海部君、これは私の後援会の大事な人なんだが、国会の中を見て歩きたいというから、君、ちょっとこの人を見学に連れていってくれないか」と言われて、一年生代議士の海部さんは、その人を連れてずっと国会の中を案内して回った。その時の人が今、老人クラブの早く言うと “政調会長”のような仕事をしておりまして、「君も偉くなったね」と、こういう話になったわけです。

 そんなことがありましたが、これは多くの皆さんに喜んでいただけることですから、反対を表明しておられる人に対しては、理解、納得を得られる努力を出来るかぎりすべきだと思い、二、三時間を費やして老人クラブ代表の皆さんのお話を伺い、ご協力をお願いしました。そして、一日だけの敬老の日じゃなく、その週全部を敬老週間とし、みんなで、先輩方の今日までのご努力に敬意を表するという形で、これからの対応を考えますということでご理解をいただいたわけであります。

 先ほど申し上げました四つの祝日の中で、体育の日が旅行のベストシーズンでございまして、これは他の月とは比べ物にならないくらい多くの観光客が動きます。今のところ、この四つの週を合わせますと、一兆五〇〇〇億ぐらいの経済効果を生んでおるわけであります。

 一般的に、いろいろな施策を打ったからといって、すぐそれが業界全体の利益に結びつくとは限らないわけでありますが、この法律だけは、国が一円の予算も投入することなく、法律をただ一行変えただけで、このような成果を生むことができたわけであります。

 それと、この三連休は、そういう経済効果だけではなくて、家族との触れ合いの場を増やすということにも役立っています。このごろは少し下火になってまいりましたが、今までは、休みといえば、家庭をほったらかしておいて、会社の接待でゴルフに出かけ、仕事の延長線上のように得意気にゴルフに行っていたお父さんが沢山いました。アメリカでは、ゴルフへ三週も続けて行くと離婚の原因になる。離婚訴訟をされたときには負けちゃうそうです。日本は「それでみんなに飯を食わせているんだ」と威張って出かけていた。その間に家庭はどうなっているかということを考えるべきですが、三日間も休みがあれば、三日とも接待ゴルフに出かけていく人はいなくなるでしょう。そうすれば、子供とキャッチボールをやったり、サイクリングをしたり、山へ行ったり、野原へ行ったりする中で、子供がいま何を考えているか、子供が親に何を求めているかということもわかるわけですから、そういう意味でも、三連休の効果というのは、一兆五〇〇〇億円なんていう経済効果のみじゃなく、もっと大きな効果をもたらしてくれる。しかし、現実に効果をあらわすためには国民運動のような形で、みんなの協力を得なければなりません。三日間全部、横になって寝ているだけでは、家庭の問題に対して積極的に取り組みをしたということにはならないわけです。そして、旅行にも出かけていただくということがいいのではないかと思っております。

 この経済波及効果等については、皆さんが既にご承知のとおり、観光全体で五〇兆円産業と言われています。ここが、まさしく二十一世紀のリーディング産業だと言われる由縁でありますが、我々は、これをもっともっと増やしていくことを考えていかなきゃいけない。そして観光産業に携わっておられる方々は四〇〇万人、日本の総雇用数の六%は観光ということになるわけです。これも、もっともっと伸びていくであろうと言われております。

 観光産業は、大変すそ野の広い産業でございまして、そこに列挙しているように、たくさんの観光関係の産業があるわけであります。旅行へ行こうとすると、帽子も買うだろう、靴も新しくする場合もある、そういうことで言っていきますと、ずっと広がるわけです。先日、ある知事と、この話をしておりましたら「正露丸はうちの県のものでありますが、旅行が盛んになると、正露丸は旅行の必需品としてよく売れるんだ」と言って喜んでおられましたが、そんなところにも波及していくことが大きいわけであります。そして、観光産業、観光関連産業を発展させていくということは、地域おこしとも大変重要なかかわり合いを持っていますので、新たな産業を見出していくということが大変大事なことであると思っております。

 先ほど、冒頭、観光は平和産業だということを申し上げました。私は、SARS(新型肺炎=重症急性呼吸器症候群)の最中に、中国の胡錦濤さんとお話し合いをしなければいけないことがあり、当時、与党三党の幹事長として一緒に中国を訪問しました。実際、あまり楽しい旅行ではありませんでした。いきなり大きなマスクを付けさせられて行ったわけでありますが、中国に着いてみると、空港に出迎えてくれた大使だとか、中国の高官の皆さんは、だれもマスクをしていない。我々だけがマスクをしているんです。情報って、いかにいいかげんかということを思いました。走っている通勤バスの中で半分ぐらいの人はマスクをしておりましたが、していない人もいっぱいいた。しかし、厳重警戒の中で我々は会談をしました。ホテルへ入ってこられる人も全部検査ですし、新聞記者も、みんな、一度記者会見をして出て行って、記事を送って帰って来たら、また検査というようなことでありました。我々も帰国後、検査をされて、三日ほど外へ出ていくんじゃないというようなことでした。我々政治家の仕事は、三日も出ていかなければ、世の中変わっちゃうわけです。与党三党の幹事長の役割をしている者が三人とも日本へ帰ってきているのに、SARSの予防のために家で寝ているんだというわけにはいかないんです。でも、そんなことでした。

 SARSでマスクが売れると、マスクをつくれば大変な数が売れるじゃないかと思って、一目散にそういう方向へ走る人もいる。しかし、中には美談もありました。後に上海の市長に会ったときに、SARSの問題で、一番先にマスクを作る機材を提供してくれたのが日本だったということで大変喜んでおられた。私が上海総領事の杉本さんにその話を聞きましたら、全くそのとおりで、本省で予算がつけば、じきに送ってくれるということがはっきりしたものですから、我々は直ちにその手当てをした、そして、早速、提供しました、結果的に日本がSARS支援で一番だったということが大変評価されたということであります。

 このSARSのときに、中国行きの飛行機に乗ったのは私たちのグループが八名で、その他の人はずっと後ろに乗っておられましたが、全員で二八名でした。これじゃあ航空会社も大変だなと思い、私は航空会社の方に「何人乗れば油代が出ますか」と聞きましたら「五〇人乗らないと油代も出ません」とのことでした。「油代の半分もなくて飛んでいることになるんだね」という話をしたんですが、ほんとうに大変でした。

 その間二カ月間でしたが、日本の観光は大変ひどいことになって、例年より二六%観光客が落ち込みました。これは業界にとっては致命的な数字でありまして、よくぞ回復したものだと思っています。

 そしてイラク戦争、これは、これ以上申し上げませんが、ご承知のとおりであります。戦争の影響によって、観光などということは思いも及ばないような状況になっているわけであります。

 そして、私たち与党三党の幹事長は、いろいろな国へ外交問題のため出向きました。イスラエル、そしてパレスチナ、それぞれの首脳、リーダーたちといろいろと話をする機会がありました。厚さ五センチぐらいの防弾ガラスの車が私たちを運んでくれたんですが、一つの国に一台しか防弾ガラスの車がないわけです。周辺諸国から集めてきたわけですが、しかし、ついてきている新聞記者の皆さんを乗せていくわけにはいかずに、ホテルにいてくださいというような状況でした。そして、エルサレムの嘆きの壁へ参りましたときに、二人の幹事長から私に「二階さん、あなたは観光の方面に詳しいはずだが、このエルサレムの嘆きの丘というのは、観光的にはどの程度の価値があるだろうか」と、こう言われましたから、「これはすばらしい!宗教、歴史、いろいろな意味で、これを見てみたい、行ってみたいと思っている人たちが世界中にいっぱいいるだろうし、日本にもいっぱいいる。しかし、今日のように、相手が鉄砲を構えているような状況の中、観光客が来れますか?

 

 そういうことから考えると、観光という問題と、平和の問題とは、密接不可分の関係であって、我々はこのことをもっともっと真剣に考えていかなきゃいけない」と申し上げたことを覚えております。

 もう時間も迫ってまいりましたので、プラスの面を申し上げます。私はこの間、河南省の省長及び各市長さんたち、一〇名ぐらいと衛星テレビを通じて、約一時間のテレビ討論をしました。「日本から河南省へどうぞおいでください」ということで、省を挙げてのアピールだったわけですが、その河南省で四〇〇〇年前の、いわゆる大都市の遺跡が発見されました。そして、それは中国最古のものであるということが分かってまいりますと、この河南省が新たな中国の観光の一大スポットとして大変大きく注目を浴びるのではないかと思っております。

 その省長さん達とお話し合いをした時に「あなた方は日本のどこがいいか」と聞いたら「日本では、紅葉の日本が大変印象深い」ということを言っておりましたので、私は「もう日本は紅葉が一番盛んなシーズンになったから、早くいらっしゃい」ということを、近く言わなきゃいけないと思っております。

 また、世界遺産ということにちょっと触れておきますが、今さら申し上げるまでもありませんが、私の郷里の高野山や熊野古道が世界遺産に選ばれた。今までも観光客は来ていたのですが、今では全く違います。もう様変わりでして、だれもかれも、みんなどんどんやって来る。

 白浜というところに空港があって、そこから一日に三便ほど東京に飛行機が飛んでおるわけでありますが、今はもう満員で、みんなリュックサックを背負っている。熊野古道を歩いて見学するという人たちが大変多いということで、世界遺産に大変関心が寄せられておることの証拠であります。

 ビザの問題を申し上げようと思いましたが、時間がございません。今、中国の方で、団体観光ビザで日本に訪れる人たちは三億七〇〇〇万人に相当します。しかし考えてみれば、残り一〇億近い人たちがまだ残っておるということになりますから、私は、三億の皆さんが日本に来て特別の問題が起こらなければ、その次はもうオール中国、中国全土にこのことを広げるようにしなきゃならんと思っております。今日、ここに座っておられる皆さんは、学問的にも、あるいはまた、実際、観光業等についても深いかかわり合いを持っておられる方々が多くいらっしゃいますが、どうぞ、皆さんからも声を上げてください。

 私は、自由民主党に戻りましたら、直ちに、観光対策特別委員長というのをやれということになりました。「それじゃあ、好きにやらせていただくよ」ということを言っております。

 この訪日観光客の問題に関しても、日本に入ってくることに対して一方でストップをかけておいて、そして、片一方でビジット・ジャパンとバッジまで作って、宣伝にこれ努めているというのはおかしいじゃないかと申し上げております。「来い、来い」と言いながら、バレーボールのブロックではありませんが、みんながストッパーのようにジャンプをしている。バレーボールのブロックというのは自ずと限界がありますが、まだ日本へのアクセスを希望している沢山の省にとっては、コートの端から端までストッパーが並んでいるような感じでした。

 私は、政府とも随分やり合いました。つまり「犯罪を犯す人と、観光客を一緒に考えちゃだめです」ということであります。中国の公使があるとき、党の会議に見えまして「日本の人は雑草と花とを一緒くたに考えている。これはちょっとおかしいじゃありませんか」とこんなふうに言われました。

 今、フランスでは、外国から観光で七〇〇〇万人からの客がやってくる。やってくるところは、一生懸命「観光においでください」ということで、トップセールスに出向いて行ってやっているわけです。今回、日本でもそうでしょう、トップが出向いて行ってやっているんです。ですから、日本も、もっともっと、言っていることと、していることを一致させなくてはならないと思っております。しかし、我々が言うと角が立ちますから、どうぞ、この権威ある国際観光学会から色々と提言をしていただきたい。その声が、私の前を通過するときには「その通りだ」と言いますから、どうぞ、みんなで日本の観光を発展させましょう。そして、井の中のカワズみたいにして威張っているこんな状況ではなくて、もっともっと世界へ門戸を開いていってほしいと思います。そのことが平和につながっていくんだと考えております。

 それから今日は流通大学へお邪魔しているから言うんじゃありませんが、結論として一つだけ申し上げたいのは、この業界に四〇〇万人が携わっているといっても、人材がなくてはなりません。人の数は四〇〇万人あるかもしれないが、これをリードする人材を育てて頂かなくてはいけないのです。そのためにも、今日は流通大学で、冒頭からも大変有益なお話を伺って、私はうれしく思っているんです。

 最近、国立大学がみんな、だんだんと民営化に近いようなことを考えている、そういう風潮になってまいりました。今度、国立大学の中で、山口大学と琉球大学が、観光学科を新設したいということで手を挙げてきました。私の地元の和歌山大学では再来年ですが、観光学部をつくりたいというから、私は「大いにおやりください」と応援しながら、激励しております。日本にも、たくさんの大学がございますが、その中でも観光学部、観光学科を持っている大学は、まだまだ極わずかです。これではビジット・ジャパンと言っていても定着しないんです。

 それから、今日はそのメンバーの方もお見えいただいておりますが、私は観光業界がもっともっと表へ出て、大きな影響力を持たなきゃいけないんじゃないかと思っておるんですが、まだまだ観光業界には発言力がない。例えば経団連。経団連だけが偉いとは申しませんが、たまには観光業の関係者が経団連の会長になったとか、副会長になったとか、重要なポストにつくということがあってもいいと思うんですが、そういう状況には全然なっていない。

 私は盛んに産業界の中での観光業の位置づけをもっとセンターへ持ってらっしゃいと申し上げています。しかし、どうしてもそれが難しいならば、こっちが観光専門の観光版経団連というのをつくってやろうということで、私は、関係者の皆さんにお願いして「観光産業振興フォーラム」というのを立ち上げ、今、それを発展させ、社団法人の日本ツーリズム産業団体連合会ができ上がりました。これから、もっともっと力をつけ、そして、こうした大学に対しても側面から協力できるような、そういう組織であると同時に、卒業生を受け入れるということにも、もっと積極的であってもらいたいと思っております。

 私は、頼まれて、大連の東北財経大学の客員教授ということもやらせて頂いております。そこに、やはり観光学院というのを持っておりまして、そこの名誉院長もやっております。流通大学とも今日を機会に、ご縁を結ばせていただくことができれば、私は大変ありがたいと思っております。

 我々は、この東北財経大学の校庭に先日、五〇〇本の桜の木を植えてまいりました。もう、来年は、桜祭り、そしてアカシアの大連。ここで写真展とかいろいろなことをやって交流の場にしていきたいと考えております。

 先日のサッカーのアジアカップのときに、日本の試合の際の中国人サポーターの様子が放映されましたから、今、日中関係といったら、この話ばかりです。多くの人たちの中にはああいう人たちもおりますが、日本にもいるじゃないですか。一方で同時に、素晴らしい人たちも、あの一三億の中国の人たちの中にはおります。特に若い世代の人たちは素晴らしい。

 私は七〇〇人ぐらいの学生たちを前に話をしたことがあります。そこで何かがあったときには、これはまた別の国際問題に発展してはマズイなというふうに思っておりましたが、そんなことは全くありませんでした。

 またある時、私は休みの日に大学を訪問したことがあり、二〇〇人ばかりの学生が出てきてくれていました。言葉は通じなくても、嫌々来てくれているのか、本気で来てくれているのかはわかります。

 それから、特に、大学の教授の中にも日本に留学した経験を持っている人が相当おられるんです。その人たちが「日本の留学時代はほんとうにつまらなかった。日本の人たちは親切じゃなかった」と文句をいっぱい言われるのかと、ちょっと思っていたのですが、そうじゃありません。「日本はすばらしい、私の子供たちにも、また日本で学ばせたい」とおっしゃるのです。

 私は、お土産に鯉のぼりを持っていったのですが、そうしましたら、その鯉のぼりを校庭でひるがえして「私は、今度の休みに子供を必ずこの校庭へ連れて来て、日本で見ていたこの鯉のぼりを子供に見せるんだ」と懐かしそうに語ってくれました。こういう日本の友人たちも中国にはいっぱいいるわけです。今度、中国からも日本へ留学に来られます。地味なことではありますが、一歩一歩進めていくということが大事だと思っております。国際観光学会が大変積極的な活動を展開していだだいていることに心から感謝を申し上げます。最後に「伝えたいふるさとの百話」という本があります。時間がありませんから、国際観光学会へ置いていきますが、この本は当時、自治省に「それぞれの地域に、ぜひ伝えておきたいという立派な話がある。それが村おこし、町おこし、ひいては観光にもつながるんだ。あなた方なら日本全国から伝えたい逸話を百話探してくるのは簡単だろうから探してほしい」とお願いしまして作りました。ですから、今度は国土交通省にも「日本のすばらしい家を百探して下さい」と、お願いしました。林野庁にも「日本の森のすばらしいのを百探して来て下さい」と言いました。漁港だってそうです、港湾だってそうです。改めて見てみますと、我々の周りにも観光に活用できることがたくさんあるんです。この本には千葉県のことも出ておりますので、ぜひ、後ほどご参考にしていただきたいと思います。

 それでは、時間も少しオーバーしましたが、これをもって、私の話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

【司会】 二階先生、ありがとうございました。二階先生の思いのほんの一部を承った感じがいたします。また、機会を見て、ぜひお運びをいただきまして、ご高説を賜りたいと思います。改めて二階先生に御礼を申し上げます。ありがとうございました。

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