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寄附講座
法政大学寄附講座 「観光立国論」
衆議院議員・社団法人全国旅行業協会会長
二 階 俊 博

二〇〇四年十月六日(水) 
於:法政大学 六二年館二五二号室


【今橋隆 法政大学教授】
 それでは、今日の観光立国論を始めたいと思います。
 既に先週お配りした予定からもわかっていただけると思いますけれども、今日は非常に豪華な講師陣をお迎えして寄附講座の「観光立国論」を日本観光戦略研究所のご支援によりまして行うことができました。
 小泉内閣になりましてから、観光政策というのが非常に重視をされるようになりました。当然のことながら、日本が二十一世紀、アジアの中で経済的な優位性を保っていくという上で、観光産業というのは非常に重要な産業ということです。これまで日本はどちらかというと、海外に出かけるアウトバウンドの観光というものが中心だったわけですけれども、これからは逆にアジアあるいはヨーロッパ、アメリカといった国々の方々に、日本を見てもらう、日本でさまざまな体験をしていただくということが大事になってきています。それがこの観光立国論の一つのねらいであります。そういったことですから、社会的に大変な広がりのある観光産業ということを考えるに当たって、この講座では各界のトップクラスの方々に来ていただいて講義をするという、大変豪華な講師陣ということになっています。
 まず、日本観光戦略研究所専務理事で、もちろん前国会議員西川太一郎先生に、全体のあいさつをしていただきます。それから衆議院議員としての重鎮でいらっしゃいます二階俊博先生は、同時に東北財経大学という中国の大学の客員教授であり、同大学の観光学院の名誉学院長をされておられますので、そういうふうなお立場でお話をしていただきます。さらに、日本の観光戦略というものを中心的に立案している官庁は国土交通省ですが、総合観光政策審議官の鷲頭誠先生にビジット・ジャパン・キャンペーンという、日本に対して海外から観光客を来てもらおうというキャンペーンの実施について、ご説明をいただこうと思います。大変多彩な講師陣の方々に、観光政策あるいは観光立国論についてお話を伺うということですので、学生の皆さんはこういうよい機会を活用して、しっかり学習をするようにしてください。
 それでは、西川先生、よろしくお願いいたします。

【西川太一郎 日本観光戦略研究所専務理事】
 皆さん、ご苦労さまでございます。
 ご紹介をいただきました日本観光戦略研究所の専務理事を務めております西川太一郎でございます。
 もう既に前の今橋教授の授業で私どもの講師の一覧を、学生の皆さんにはお配りされていると伺っておりますが、私どもは日本のこれからのスター産業として、我が国の観光というものをしっかりと育てていこうという考えから、全国の大学に講座を寄附させていただいて、私どもが寄り抜きの講師陣の方にお願いを申し上げ、日本では初めてのすばらしい観光立国講座を行っていきたいと考えております。その一番初めの講座を快くお引き受けくださいました、今橋教授はじめ法政大学ご当局に感謝をまず申し上げなければいけないと存じます。
 また、今日は鷲頭総合観光政策審議官にお出ましをいただいておりますが、国土交通省も全面的にバックアップをしてくださる。そして、二階俊博先生が会長をお務めでございます、全国に六〇〇〇社ございます中小の旅行業の皆様――ANTA(ALL NIPPON TRAVEL AGENTS ASSOCIATION)、さらに、後の授業で講師を務めていただきます船山先生―JTBの会長さん、大手の旅行業界のJATAの会長でもいらっしゃいます。さらには日本航空の兼子さんとか、ほんとうに我が国の観光事業のトップに立って、この授業を成長させようというふうにお考えの先生方に、この法政大学においでをいただいて、私たちも頑張っていきたいと思っています。そして、この後、この講座は東京大学や早稲田大学や慶応義塾大学にも一年、二年、三年おくれで移していきたいというふうに考えておりまして、法政大学が全国で初めてということになるわけでございます。
 きょう、トップバッターでお話をいただきます二階俊博先生につきましては、ただいま教授からご紹介がございました。東北財経大学と申します大学は、皆様も中国の大都市の一つとして東北地方にございます大連というところをご存じだと思います。大連の中にございます東北財経大学はあの広い中国で北京大学と肩を並べるランキングで、アメリカや中国では大学をランキングしておりまして、その全国二番目に値する大学であります。ちなみに一橋大学と姉妹関係にある大学でございます。二万五〇〇〇人の学生を擁する大学の中に、観光を専ら専門に勉強するカレッジがございます。そのカレッジまたはファシリティーといっていいと思うんですが、そうしたところの名誉学院長を日本人で初めて、おそらく中国にそういう立場でご就任になられた先生はいらっしゃらないと思いますが、私も中国へお供をいたしましたが、二階先生が盛大な就任式でこの名誉をお受けになりました。
 なぜそうなったのかということは、きょうのレジュメを皆様にお配りしてございまして、後ほど二階先生が日本と中華人民共和国との間の観光のネックの問題等についてお触れになると存じます。しかし、二階先生のご努力はこれのみならず、世界全体と我が国とが平和を維持するために一番のポイントが、観光を盛んにすることだという哲学に基づいて、努力をせられた結果であるということを、皆様に一点のみご紹介をしておきたいと存じます。さらに、二階先生は観光学科もしくは観光学部を日本の大学の中に設置をしていこうと、今その運動の先頭に立たれていることも、この機会にご紹介をさせていただきたいと思っております。
 これから一月にかけて一一回の講座が予定されております。それぞれ専門の立場から皆様に少しでもお役に立つ授業になりますように、私ども縁の下の力持ちをこれからやっていきたいと思います。目的といたしますところは、観光という我が国のスター産業のほんとうの意味での支え手である、すぐれた人材をこの法政大学から輩出したい、この思いでございますことを最後に申し上げまして、どうかこれから授業をお受けになりまして、ご感想等があり、またはご注文等がございましたら、ご遠慮なく今橋教授を経由して私どもにお伝えいただければ、改善の努力を惜しまないものでございます。
 以上、申し上げまして私どもの日本観光戦略研究所が、全国に先駆けて私学の雄であります法政大学で、こうした講座ができますことを皆さんとともに喜び合いながら、開会のごあいさつとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)。



【二階俊博 全国旅行業協会会長】
 ご紹介いただきました衆議院議員の二階俊博でございます。
 私は和歌山県の出身でありますが、今日はこうして今橋先生とのご縁で、法政大学で観光問題について、皆さんとご一緒に勉強できますことを、大変うれしく思っております。
 先ほど西川専務理事からのお話で大学のランキングの話が出ておりましたが、私も「今、大変力を持っている日本の大学ベスト三〇」という雑誌の企画で、立命館、早稲田、慶応、その次が法政大学だということを拝見しました。このすばらしい大学で皆さんとご一緒に観光問題について勉強できますことを、嬉しく思っている次第であります。特に「経営改革力」という点におきましては、全国五〇の大学の中で、法政大学がナンバーワンだそうでございます。そういう歴史もあり、伝統もあり、多くの先輩を輩出されております著名な大学で、観光問題を積極的に取り上げていただくことは、私ども観光問題こそ我が国の二十一世紀の産業として、極めて重要だという認識を持っている者にとりましては、力強く思うものであります。
 観光という言葉については、もう皆さんも何回も色々な場所でお聞きになっておられると思いますが、中国の言葉であって、四書五経の一つである易経の一文で「国の光を観(み)る」という意味だそうです。相手の国、相手の地域の力量、県であるとか、国であるとか。どの程度の力量であるかということは、訪ねてみればわかるわけで、そこからまた、自らの国の進展について考え、研鑽に励む。こういうことが古くから行われ「観光」という言葉が生まれたようです。
 日本では観光というと、何か遊びのようなことが先に出ておりまして、今までは、観光というテーマで、このように大学で講義が行われるなどということは、夢のまた夢のようなことであったわけです。
 そういう意味で、今橋先生のご努力によりまして、こうした機会を与えていただき、皆さんが観光問題を勉強してみようという気概を持って、臨んでおられることに敬意を表したいと思うわけであります。
 観光問題はもう言うまでもなく、近ごろでは大変勢いを持ってまいりまして、二十一世紀の我が国のリーディング産業だということも言われております。具体的にそのような実績も上がってまいりました。同時にこの観光問題を考えていく上において、やはり私たちの周辺、地域、また、日本が持つ素晴らしい自然環境等が、私どもが観光問題を進めていく上においての大きな財産であるわけでありますが、もう一度再評価をする、そして、再認識をするということが大事ではないかと思っております。
 先ほどご紹介にもありましたとおり、私が今から一〇年ちょっと前、全国旅行業協会という協会の会長を仰せつかったときに、観光について全く素人の私がこういう問題に取り組む以上は、できるだけ多くの諸先輩のご意見を伺うことが、大事ではないかと考えまして「日本の観光を考える百人委員会」というものを設けて、一〇〇人程度の有力な皆さんにアドバイザーとして、ご意見を頂戴する、そして年に何回かその一〇〇人の会議を開かせていただく、プロ野球監督の王貞治さんにもご参加をいただいたり、あるいはまた、作家の神坂次郎先生や、女優の水谷八重子さん等、いろいろな面で活躍されている各方面の有力な皆さんに、参加いただき、いろいろ貴重なお話を伺いました。

 最初の時にメインゲストとして、私の郷里の作家の、神坂次郎先生においでいただきました。その神坂さんが、観光についての由来といいますか、古くからの歴史を語られ、四国の金毘羅さんにお参りするというのが観光の出発点であった。それから、最近、世界遺産に登録されて有名になってまいりました熊野古道、「蟻の熊野詣」と言われる昔からの古道を歩く。そして、四国のお遍路さん。これは最近どこかの政党の元の党首が、お遍路姿で歩いているといって有名ですが、それでなくともこのお遍路さんは、未だに地域の観光の中心になっているということを伺うわけであります。
 そこで、この観光問題について、いろいろな方の意見を聞いている中で、一番大事なことは何かというと、私は、この観光というのはどこから見ても「平和産業」である、このことが一番大事なキーワードだと思っております。そして、観光交流を進めていくことは、世界に平和をもたらすということにもつながるのではないかと考えております。
 人間関係の間でも、あまり好意の持てないような人とでも、一回話し合ってみたり、一回食事をともにしたりする中で「ああ、この人にもこんな良いところがあるんだな」と、お互い見直すこともあるわけでありますが、国と国との場合にも、そんな場合がたくさんあるわけです。
 それと同時に、観光は平和でなければ成り立たない産業であるということも、皆さんが認識をする必要があるわけであります。後ほど申し上げますが、SARSの問題や、あるいはイラク戦争だとか、あるいはイスラエルとパレスチナの戦争が、ずっと続いているような状況の中で、観光産業の振興を語ってみたところで、誰もそれにうなずく人はいない。平和と観光は切り離すことができない産業であります。
 ですから、各国は観光に予算をある程度計上しているわけですが、各国が費やす防衛予算、あるいはまた、戦争などで費やす予算を考えれば、もっともっと観光産業等に予算を費やすことのほうが、それぞれの国にとっても、世界の平和にとっても有益なことだということを、私は常々思っております。そういう面でも観光を進めていくことは大事なことであります。
 また、文化の交流が橋渡しとなって、国と国との間の理解につながっていきます。三日ほど前でありますが、私は浜松へ行って参りました。日本観光協会が中心になって進めておりますフラワー・ツーリズムという「お花を中心にして観光産業を振興させていこう」という狙いでありますが、その第二回目の全国大会が浜松市で開かれていました。ご承知の方もいらっしゃると思いますが、今月の十一日に閉会になるのですが、花博をやっております。ちょうど私どもが参りました日が、目標の入場者五〇〇万人を突破した日でありまして、関係者が大変喜んでおられました。

 浜松はスズキ自動車をはじめ、製造業も活発なところであります。しかし、そうした観光産業以外の関係の皆さんも「花いっぱい運動」あるいは「花を愛する運動」などの大切さを痛感されていました。そして、「お花でもって博覧会を開いたら五〇〇万人もの人が、この浜松にお出かけいただいた」と、改めて驚嘆し、大変喜んでおられました。またNHK等でも大変盛んにPRしていただいたということも喜んでおられました。いずれにしても大成功で終わったわけであります。
 その開催中に、少し規模の小さい花の博覧会が熱海温泉でも開かれましたが、それもわずか二カ月ぐらいの間に二八万人の人が、この熱海の花博に参加しておるわけであります。浜松でそういう催しが行われながら、また一方、熱海でもそうした博覧会が成功しているという事例であります。
 次に「大賀ハスの神秘」について述べてみたいと思います。これはどういうことかといいますと、これもたまたま今橋先生とも縁がなくはないのですが、今橋先生が前に関係をされておられました、東京農大の教授であられた大賀一郎博士という博士にまつわる大賀ハスのことについてでありますが、ご存じの方も多いと思います。

 

 実はこれは戦後でありますが、千葉県の検見川にある東京大学のグラウンドの地中から、丸木船とともに三粒のハスの種が発見されました。そのハスの種は周辺の丸木船等の炭素の検査によって、二〇〇〇年前のものだということが国際的にも認められたわけであります。その三粒のハスの中で、確か二粒が開花しました。つまり二〇〇〇年の眠りから覚めてハスの花が咲いたわけであります。この大賀一郎博士の愛弟子の一人が、実は私の高等学校の阪本祐二という先生でした。高等学校の生物の時間にはもう最初から最後まで、ハスの話ばかりされるものですから、私どもも大体そこの学校を出たものは、大賀ハスのことについては、もう随分詳しくなっていたものです。
 私は社会人となってからでありますが、この高等学校の恩師に「先生、結局あのハスは中国から来たんじゃないですか?」と聞いたところ「いや、丸木船ということもあるから、そういうことも言えるんだが、今のところはまだ確たる、いわゆる確証を得るには至っていない」ということでありました。私が「いずれにしてもハスは東洋の花であり、また仏教の花でもあるわけで、中国との関係も深いでしょうから、この大賀ハスを中国へ持っていかれたらどうか」ということを提案しましたところ、阪本先生は大変お喜びになられました。

 しかし、今と違って、中国へ行くといっても簡単に行けるような時代ではありませんでした。そこで「私もお供しますから、先生、中国へ行きましょう」と言ってご一緒に行く事になりました。先生は中国へ大賀ハスの蓮根を持って伺うことを大変楽しみにされておりましたが、ご病気のためにその寸前にお亡くなりになりました。しかし、私は先生の奥様とご一緒に関係者一六〇人ばかりをお誘いし、中国の杭州の植物園へ持っていきました。「ハスは見事に咲いた」という連絡だけはあったのですが、その後、紅衛兵運動でハスが消息を断ってしまいました。ハスのことですから幾ら紅衛兵が首をちょん切ったところで、下からまた生えてくるわけですから、絶滅ということはないでしょうが、一時は消えてなくなったということでありました。
 そこで、私は中国へ行くたびに、もう少しこのことを大事にしてくれる人はいないだろうかと、北京市長をはじめ、数え切れないほど色々な方々に相談を持ちかけてみました。そこで思ったことは、心のある人は得てして力を十分に持ち合わせていない、力のある人は心がないということです。心と力を持っている人を見つけなきゃいけないということで、大変至難のわざではありました。

 しかし、最近、海南島のボアオでアジアフォーラム副理事長をしておられる蒋暁松さんという有力なパートナーを見出すことができました。この海南島にはボアオ・アジア・フォーラムという常設の国際会議場が建設されておりますが、そこの場所に新しく池をつくって大賀ハスを移植する。移植は成功しまして、今、大きく茂っております。

 先ほど西川専務理事からお話がありましたようなことで、私が大連の大学に関係することになって以来、書物などを見ておりますと、大賀一郎博士は、そもそも戦前、満州鉄道の教習所の先生をしておられ、その際に大連の近くに普蘭店というところがありまして、そこで中国人から何粒かの化石のようになった古いハスの種をもらったのだそうです。そのハスの種を見て、必ず古代バスがこの世に存在するんだという確信を抱かれた。そして日本へ帰って、その後もずっと研究を重ねている間に、先ほど申し上げた東京大学のグランドで、ハスの種を発見するに至ったわけであります。

 それ以来、私があちこちでこの話をしておりますと、どんどんハスに関する色々な資料が、私のところへも届けられるようになりました。その普蘭店のハスの研究家からも「一三〇〇年前のハスの種だけれども、三粒あるから、これをあなたに差し上げる」と言って届けてくれました。しかし、私がそれをちょうだいしても、猫に小判みたいなところがありますから、これをまた東大の研究所へ持っていき「ここで咲かせていただいて、また愛好者の皆さんにお配りをしてあげていただきたい」ということを申し上げているわけです。

 その後、私はインドへ参りました。インドはお釈迦様の話を一つとってみましても、仏教発祥の地で有名な国でもありますから、ハスは大変有名な花です。前の与党のインド人民党(B・J・P)という党のシンボルマークはハスであります。

 それから、私がミャンマーに参りましたときも、日本とのハスのつながりが大変注目を浴びておりました。

 またミャンマーの次に訪れたベトナムは、皆さんもお乗りになったことがあるかもしれませんが、ベトナム航空のシンボルマークはハスであります。そして、ベトナムはハスの本拠地だということで、みんなが誇りにして大切にしております。

 そのようなご縁のある国々から、「二〇〇〇年の歴史を持つ神秘のハスの苗を、我々のところにもいただけないか」という依頼がありまして、私は、そのかつての恩師の奥様や、あるいはまた、東大の研究所の先生方とも相談をしまして、大賀ハスの苗や種を関係者にお配りをしてまいりました。

 この頃は、そういう方々同士の文通や写真の交換等がはじまりまして、「シルクロード」ならぬ「ロータスロード」をつくったらどうだというような提案が、あちこちから起こってまいりました。やがてこれらが実を結んでロータスロードが、お互いに平和の花を咲かせながら発展していくであろう、そして、観光交流、さらには文化交流にもつながっていくのではないかと期待をし、喜んでおります。

 

 次に、観光という問題はやはり家族との語らいや、家族の絆、または友人同士が心を通わすチャンスでもあります。お互いに素晴らしい観光地へ出かけたときなんかは、誰かともう一度来たい、誰かに教えてあげたいということを、それぞれみんなが思うわけでありまして、観光は我々にそのチャンスを与えてくれるわけであります。

 そして、観光によって生きがいを感ずる。ですから、このごろはよく「年をとったら何を希望されますか」というようなアンケートに、旅行というのがいつでも上位のほうに出てまいります。

 私は選挙区の関係で紀伊半島のほうへ帰ることが多いわけでありますが、列車等で帰りますと、観光客の人たちが乗っているのは、一目でわかるわけでありますが、こうした皆さんがこのごろ、だんだん増えてまいりました。私たちの紀州も高野山、それから熊野古道が今度ご承知のように世界遺産に登録されたことによって、観光客がどっと増えているわけであります。観光という問題と、文化と歴史とが大きなつながりを持っているということの証の一つであろうと思っております。

 旅行産業の消費額等を数字で簡単に申し上げますと、直接の経済効果は今日二一兆円を超えるようになってまいりました。経済の波及効果を考えますと五〇兆円になろうとしている、このような状況が続いているわけであります。

 また、祝日三連休化という動きがあります。今までは、お休みの日がウィークデーの真ん中にポツンとある場合があったわけであります。例えば成人の日、あるいは海の日、敬老の日、体育の日、これはみんな週の真ん中にある場合があった。これを月曜日に寄せますと土曜日と日曜日と連なって三連休になるということで、私どもが運動を展開しまして、議員立法でこの法律を成立させました。

 この四つの三連休化には合わせて約一兆五〇〇〇億円の経済効果があるとの調査結果があります。政府が一文の予算も投ずることなく、これだけの効果を得ることができるようになった。祝日法という法律を一行変えただけで、このような成果がもたらされたわけであります。
 三連休ありますと、毎日ゴルフへ行くというわけにもまいりませんから、ご主人もそれぞれの家庭で子どもとキャッチボールをしたり、自転車に乗ったり、近所の川原へ遊びに行ったり、色々なことができるわけであります。日ごろ家族同士で意見を交わす機会のないような家庭であっても、三連休というものが家庭の平和のためにも、立派な役割を果たしていると思うのであります。その上、観光の経済的効果に一兆五〇〇〇億もの効果を上げておるということを、ぜひ、ご認識いただきたいと思うのであります。
 そして、今、一番問題になっている雇用の問題でありますが、ちょうど経済波及効果が国内の生産額の約五・四%を占めているのと同じように、現在、雇用の問題におきましても総雇用の六%、約四〇〇万人が観光によって雇用されている状況であります。
 私がちょうど運輸大臣のときでありましたが、日産自動車のリストラ問題で当時の牧野労働大臣が閣議で悲憤慷慨をされておられました。二万人の人が直ちにリストラになる、このことに対して政府は何も手を打つことができない、こういうことでありました。労働大臣はちょうど私の隣に座っておられたので、「その二万人を全部引き取るわけにはいかないが、観光産業でその一部を引き受けることを考えてみましょう」と申し上げ、私は観光産業で、どれだけ吸収できるかということをやってみました。直ちに二万人の日産の人を、そのまま雇うというわけにはまいりませんが、ホテルであるとか、あるいは、ドライブインであるとか、そういう色んな関係先で多くの人を採用してもらったという実績があります。
 観光関連産業、つまり四〇〇万人もの人々がホテルや鉄道会社や旅行会社のみならず、すそ野の広い関連産業に勤めているわけであります。そういう状況の中で、観光産業の層の広さは、観光に出かける場合の帽子、靴の買いかえに及ぶ場合があるわけです。虫さされの薬も必要だと言う。これはある県の知事が言っていたことですが「うちの県では家庭医薬が大変盛んなのですが、そんな薬も観光によって売れるのですよ」と喜んでおりました。
 話は途中になりましたが、私が言わんとするところは、これからの観光産業の振興のためには、先程来申し上げましたように、まず大事なことは国の安全保障という問題、これはもういずれの時代であっても大事なことであります。
 例えばSARSが発生した場合には、わずか二カ月で日本の観光産業はマイナス二六%の打撃を受けたわけでありますが、中国では、まさに閑古鳥が鳴くというふうな状況でした。私は当時、胡錦濤主席と話し合うことがありましたので、SARSのさなかといえども、当時の与党三党の幹事長で北京を訪れたことがあります。日本から乗っていく飛行機、全日空でしたが、私たちの一行は八名で、定員二五〇人ぐらいの飛行機に、わずか二八名しか乗っていない。二八名ということは私たちの八名を除くと二〇人しか乗っていないんです。私は思わず航空会社の方に「何人乗らなきゃ飛行機の油代が出ないんですか」と聞くと「五〇人乗ってもらわないと油代も出ない」ということでありました。ほどなくSARSの問題は一応の解決を見まして、今、新たに中国との間にも回復の兆しが見えておりますが、そんなことがありました。
 そして、イラクの戦争によって、あるいは、イラクのみならず各地で起こっています噴煙のもとには、観光客は誰も行かない。
 私が非常に印象的だったのは、イスラエルやパレスチナへ行って、シャロン首相とかアラファト議長にお会いをした時のことです。その時も与党三党の幹事長と一緒だったのですが、エルサレムの嘆きの壁で、自民党の山崎さんと、公明党の冬柴さんのご両人から「二階さん、あなたは観光の専門家だけれども、これは観光としてはどういう価値がありますか」と言われました。私は「これは観光としては素晴らしいと思う。やっぱり宗教の問題もあり、また、国柄の違い、日本とは全く異なるわけですから、そういう異教徒、異国へのあこがれのようなものは、みんなが持っているわけですから、行ってみたいという気持ちはあるでしょう。でも、とてもこんな危ないところへは来れない」と申し上げた。
 その時は五ミリぐらいの厚さの防弾ガラスの車での移動だったのですが、それも大使館に一台しかありません。同行の記者の人たちには我々が動くときには、大使館かホテルで控えていてもらったというような状態でしたから、とても観光客があちこちするようなことは不可能な状況でありました。
 私は、今、自民党の観光対策特別委員会という職をお預かりしています。そこで、訪日観光客を増やしていくためには、ビザの問題をはじめとして色々なバリアがあり、これを除去することを考えていかなければいけないということで、党に専門の小委員会をつくりました。それと、私は、古くからこのことを希望しているわけですが、修学旅行をもっともっと国際的なものにしていく必要があるのではないかと考えています。
 今は、中学校の先生でも、高等学校の先生でも、もし海外旅行中に怪我人が出たり、事故が起こったらどうするかということが心配で、後ずさりをするわけであります。勇気を持ってこういうことに挑戦していただくためには、国を挙げて対応していく必要があると考え、今、国際修学旅行の問題等についても自民党に小委員会をつくり、対応を検討しております。
 その結果、以前は教育委員会等で「海外旅行に行っちゃいかん」と言っていた県が三つありましたが、ようやく今、それらの県も考えを改めていただいているようであります。
 我々が皆さんの年ごろのような若い時に、友達と連れ立って修学旅行で海外に行くことが出来ただろうかとよく考えます。この前、小泉総理にも「総理の地元の湘南のほうは進んでいるようだけど、修学旅行で海外へ行くようなことはあっただろうか。また、思ったことはありましたか」と尋ねてみましたら、「とてもとても、そんなこと自分たちの子どもの時代、学生の時代には考えも及ばなかった」と言われました。しかし、今なら行けるじゃありませんか。
 そして、皆さん、育英資金というのがありましたね。この方法で育英修学旅行というのはどうでしょうか。修学旅行にはまず行っていただく。お金は卒業してから払う。それだっていいじゃありませんか。その対応を今、党で勉強しているところであります。必ずこれは実行に移したいと思っております。
 というのも、若い頃に海外を知っているかどうかということが、将来の本人の進路、あるいは本人の物の考え方、その人が国の重要な将来を決定するような立場に立ったときに、小さいときに、そういう経験を持っている人と、持ってない人とでは、考え方の幅が全然違うわけであります。
 また、私はある代議士とピラミッドやスエズ運河へ行ったことがあります。そのときに「おい、中学校や高等学校のときに、お互いにピラミッドの話もスエズ運河の話も習ったよな。だけど、その時に、ここに来られると思ったか」と聞きましたら「いや、思わなかった」と答えました。私はその時、学校の先生が「このクラスの半分以上の皆さんは、ピラミッドへ行こうと思ったら行けるようになる」ということを、しっかり教えてくれたかということが、大事なことだと思いました。しかし今では、修学旅行で海外に旅行することが出来るようになってきました。そして中国などでは、既にこの制度が出来ております。
 私がもう一つ付け加えておきたいことがあります。皆さん、この前のワールドカップサッカーのときに、大分県の中津江村という村へ、アフリカのカメルーンのサッカーチームがやってきましたね。あの時は、村を挙げて大騒ぎになりました。私は修学旅行等で海外から色々な国の人たちが、それぞれの村へ、それぞれの町へ来てもらうことによって、日本国中が「中津江村」になったらいいじゃないか、そうすれば国際化という問題が、村民みんなの心の中に芽生えてくるのではないかと思っております。
 中国の団体観光ビザの問題等につきましては色々な曲折がありました。後程お話しいただく鷲頭さんたち国土交通省の皆さん方や、外務省、警察庁、法務省等の方々に大変ご努力をいただいたおかげもあり、今まで対象地域になっていた北京、上海、広東省に加え、今度の九月十五日から江蘇州と浙江省、山東省と遼寧省、さらに天津市を加えて、これで三億七〇〇〇万人の中国の人たちが、日本に団体で来ようと思えば来られるようになりました。
 私は、これでその後、特段の問題がなければ、やがて中国全土にビザ解禁を広げていきたいと思っております。そういうことをやって初めて、あの「ビジット・ジャパン・キャンペーン! 訪日外国人一〇〇〇万人」ということが実現するのであって、入口のところでブロックしておいて、「ビジット・ジャパン!ビジット・ジャパン!」と幾ら言ってみたって始まらない。あなた方のやっていることを漫画に描いてみたら、ほんとうに何とも言えない漫画になっちゃうんだということを政府の方々によく言うんですが、最近ようやく、そのことに対しても理解するようになってまいりました。
 我々は犯罪人を輸入するつもりは全くありません。しかし、観光客で来る人も、犯罪を犯す人も、一緒に考えて物事を判断するというのは、大きな間違いであると思っております。
 観光は「ビジット・ジャパン」ということを大声で叫び、あるいは、テレビやコマーシャルをいっぱい打つことで、たくさん観光客が来てくれるかというとそんなことはありません。私は観光とは双方向性であって「のこぎり」のようにやらなきゃだめだということを常に言っております。
 この頃なかなか使わなくなりましたが、この「のこぎり」というのは押したり引いたり、引いたり押したりしなきゃ切れない。押すばかりでも駄目、引くばかりでも駄目です。同じように観光も行ったり来たり、行ったり来たりすることが大事なのです。日本から海外へ観光客が多い時で一六〇〇万人ぐらい出て行き、海外からは五四〇万人ぐらい来ます。これではいかにも少ない。日本が考え直さなきゃいけない点がたくさんあります。今、市町村に至るまでご協力を願って、姉妹都市等も活用しながら国際交流を深めていこうということであります。
 今後は海外の方々に日本の自然やお寺などを見ていただくだけではなくて、日本の持つ産業、あるいは技術立国としての今日までの堂々たる実績を見てもらうためのいわゆる「産業観光」という面にも大いに力を入れようと考えております。この講義の中でも、その道の専門家のJR東海の須田寛さんにお見えいただくようですから、このお話はお譲りしまして飛ばします。
 この頃はよく世間で、公共事業について色々言われますが、観光振興のためにもインフラの整備が大事であります。空港、鉄道、港湾、道路ということをちょっとピックアップしてみますと、例えば空港ですと、成田空港や羽田空港や関西空港のような日本を代表するような空港が、しっかりした受け入れ態勢が出来ていなければ、ビジット・ジャパンも何もないわけでありまして、まずは空港の整備が必要です。
 同時に、今、静岡空港の建設が進んでおります。静岡というのは富士山がありますから、世界中から大変注目をされている。こういう空港も大事でありますし、小笠原という離島にも空港の計画があります。もし空港ができれば、観光地としても随分大きな役割を果たしてくれるだろうと思っております。
 また、鉄道の問題におきましても、ミニ新幹線だとか、あるいはフリーゲージ・トレインなど、在来線から新幹線へ直通運転するという技術が開発されています。ここ二年ぐらいの間には運行できる目途が立つように思います。
 そして、港湾ですが、私は海を活用した観光という面は大変大事だと思っております。テクノスーパーライナーという船、皆さんは聞きなれない言葉かもしれませんが、時速九三キロで荒れた海でも走れる船が開発されました。今はまだ建造中ですが、来年から東京と小笠原との間を、この船が走ることになっております。これからは世界の観光産業の中に、日本の持つ技術、時速九三キロの船が活用される日も必ずやくると思っております。
 高速道路の問題も随分無駄な公共事業などという冠をかぶせられ、色々と問題になりましたが、観光を語る場合には、この高速道路の必要性ということは、絶対に大事なことであります。
 先ほど、私が申し上げました高野山だとか熊野古道へ行く場合に、インターチェンジはどこで下りればいいですかと、尋ねられることがしばしばあります。この間も著名な方からそういう電話を頂きました。私は「いつごろ行かれるんですか」って聞いたんです。そして「一〇年のうちに行くとか二〇年のうちに行くというのなら、それまでに造っておきましょう」と答えておいたのですが、今は残念ながら、その傍までインターチェンジが延びておりません。高速道路が延びてないものをインターチェンジが延びないのは当たり前のことですが、世界遺産にさえ車が近づけないという問題もあるわけであります。これはもっと広い視野で観光産業がもたらす影響というものを、国民的レベルで十分理解していただき、そうした問題の解決に、必要なものは造っていくことが大事だと思っております。
 また、景観を大切にしようということで、十六年度、初めて景観形成事業推進費として二〇〇億円の予算を計上することになりました。これはこれでだんだんと成果を上げていくと思います。
 そして、私どもが年来考えておりますのが、観光専門の大学ができてもいいのではないか、四〇〇万もの人が従事するという産業でありますから、その程度のことがあってもいいのではないかということであります。
 これを当時の文部省に理解させるということは容易なことではありませんでした。ようやくこの頃は、その必要性を認めるに至りましたが、残念ながら、全国一二一七校の大学・短大の中で、観光学部・学科があるのはわずかに一九校であります。専門学校にしましても二一校しかない。来年度の予算で、国立では琉球大学と山口大学に観光学科を設置することになっております。次の一八年度には和歌山大学が観光学部を作ろうという希望を持っております。
 こういうことは直ちに観光客を増やすという問題にはなりませんが、先ほど西川先生からもお話がありましたように、観光を進めていくにしても結局は「人」です。人が大事であります。そういう意味で、この法政大学におきまして、観光問題等について、このように熱心に取り組んでいただいていることに対して、私は大変感銘を深くいたしております。これからの観光問題について、ご一緒に勉強していきたい。また、法政大学の今橋先生を通じて、観光問題について、学生の皆さんのご協力も得たい。いろいろな調査等にも協力をしていただきたいし、また、実体験という意味においても、皆さんが参加してくれるということが、社会といいますか、一般を動かす上でも、大変重要な役割を持っているわけであります。
 時々、世間では短絡的なことで、観光省を創ればいいだとか、観光大臣を創ればいいというようなことを言う向きもありますが、そんなものをわざわざ創らなくても、もう既にあるのも同じであります。この次に登壇される鷲頭さんは、今で言う日本の観光大臣のようなものであります。観光省を創れといっても、今、省や役所を減らそうという時代ですから、新たに一つ創るというのは試合中にルールとは全然別の方向へ走るようなもので簡単にはいかない。


 私は今、「観光庁」というものにしてはどうかと思っております。経済産業省の中に中小企業庁がある。ああいうふうなものに仕上げていきたいのです。国際会議等で外国と色々やり合う場合でも、中国では部長といえば大臣ですが、日本では部長は部長ですから、観光部長で、まだうちには局長もいるんですというのでは、なかなか交渉も切れがよくない。そういう意味で、今度、後程ご登壇の鷲頭さんに観光担当の総合観光政策審議官になって頂きました。この鷲頭さんは既に局長を経験された大物でありまして、こういう方を据えておいて、行く行くは、観光庁を早いうちに立ち上げたいと思っております。
 最近は国土交通省だけではなく、他の省も「観光、観光」と、みんな言い出してくれております。大変結構なことですから、私は相談に来てくれるたびに「大いにやってください」と言っております。農林省は「グリーン・ツーリズム」、環境省は「エコ・ツーリズム」というのをやっております。
 私どもの「新しい波」という政策グループの鶴保さんという参議院議員が、今朝ほど、自民党の水産部会長になりましたと言われるから、私は直ちに「フィッシング・ツーリズム」ということをやって下さいと言いましたら「それは大事ですね」と言っておりました。私は日本の漁業の振興のためにも絶対大事な事だと思っております。そういうことにも、法政大学の皆さんのご理解やご協力が得られれば、大変ありがたいと思っております。
 最後に、私は観光について色々なことをやろうと発表し、皆さんのご協力をいただきながら、法律をつくったり、予算をつくったりしてまいりましたが、最後にまだ一つ残っているのが「観光図書館」の創設で、それはまだ非力で出来ておりません。
 北海道のあるホテルに行きましたら、ホテルの陳列に北海道の観光に関する北海道の文化、北海道の歴史に関する書物がずらっと並んでいました。私が学生だったら三日ほどここへ泊まって、北海道の勉強をさせてもらうのにということを思い、北海道へ行くたびに、そのホテルでちょっと陳列をのぞいてみるのですが、これを大きくした「観光図書館」というものをオールニッポンで立ち上げたらいいと、今も控え部屋で鷲頭さんに陳情申し上げておきました。
 「日本へ観光客大勢いらっしゃい」と言う前に、観光図書館などで日本の観光、歴史の素晴らしさを外国の人に説明するための基礎をつくっていかなきゃいけない。同時に観光の映像ライブラリーをつくってもらいたい。これは観光図書館で一緒にやったらいい。例えば流氷を北海道へ見に行くにしても、流氷ってこんなものだということを知って、北海道へ行くと余計に勉強にもなりますし、観光にも深みが増してくるのです。
 皆さん、観光という問題は考えれば考えるほど幅の広い産業であります。法政大学のような立派な大学から、「自分も卒業して観光の分野でひとつ働いてやろう」というような人材が、一人でも多く出ていただくことが、私どもの願いであります。どうぞ皆さんのこれからのご活躍を心からお祈りして、私の話を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)

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