自民党


にかい


LOTUS ROAD  草の根の観光交流


はじめに






記念講演
・「観光産業を語る」
・「アジアにおける観光産業の再生と未来のために」
・『中国と日本の草の根の交流について』
・「いま、観光を考える」
・『これからの観光産業』

寄附講座








寄稿








(本の抜粋内容とは異なり、過去から最新のバックナンバーです)




インタビュー








対談






 










はじめに
・花街道(ロータス・ロード)で観光交流を


衆議院議員 自由民主党幹事長


武部 勤






 この度、自由民主党観光対策特別委員長の二階先生の「草の根の観光交流―LOTUS ROAD」を一読して、観光振興にかける二階先生の情熱にあらためて深く敬意を表したいと思います。


 今、二階先生は、自民党総務局長の要職にあると同時に、小泉内閣が推進する観光立国政策の実質上のプランナーであります。政治家として誰よりも早く「観光立国論」を提唱され、誰からともなく「観光の二階」という言葉が発せられるまでに実績を積まれて来ました。理論と実践のためのシンクタンク「日本観光戦略研究所」を設立し、国や地方自治体、関係業界などに観光の新しい波を起すための戦略を求めて、積極的に活動を展開されています。


 私は自由民主党幹事長として、全国各地を遊説していますが、ものづくりだけではなく、地域づくり・街づくりへの関心が高まってきていることをこの身で感じております。住民は、観光、環境、景観(3K)をキーワードにした「住んでよし、訪れてよし」の地域づくりの芽が育ちつつあることに大きな期待を寄せています。それをさらに発展させるためには、これからの観光を担う指導者の育成が急務であると感じております。二階先生は全国の大学関係者に観光学部の設立を呼びかけ、自らも法政大学に寄附講座を提供し、観光立国論の教壇に立たれるなど、実践の人でもあります。


 観光資源は身近に存在します。自分達が暮らす町を花(フラワー)で飾り、相互に花をモチーフにした交流を行う新しい観光の波が、人々の心を掴んでいます。フラワーツーリズムの到来ですが、フラワーツーリズム推進協議会の最高顧問として先頭に立つ二階先生は国会に登場される前から、お地元の和歌山県でフラワーキャンペーン=花を愛する運動=を今日まで二十年以上にわたって地道に続けて来られました。


 「蓮は東洋の花、アジアの花」という言葉があります。二階先生は中国、インド、ベトナム、ミャンマー、さらに中東のカタール等の各国に「蓮の道(ロータス・ロード)」を呼びかけておられます。観光は平和へのパスポートです。蓮を平和の象徴としてフラワーツーリズムを世界に呼びかけようとしておられるのです。


 今年の秋はベトナムでアジアのフラワーツーリズム促進大会(仮称)の開催を提唱されております。私は日本・ベトナム友好議連の会長として全面的にバックアップしたいと思っております。


 昨年、二階先生の郷里の高野山や熊野の地が世界遺産に登録されました。


 今日、予想をはるかに越える観光客が押し寄せております。


 私の故郷の北海道の知床も今、世界遺産の指定を今か今かと期待に胸をふくらませ、朗報を確信しております。この前、(社)全国旅行業協会の会長の二階先生に候補地を視て頂きました。       


 本書には「新・観光基本法の制定」、「観光庁の設置」といった観光戦略に加え、大賀博士が蘇らせた「蓮は平和の象徴なり」を合言葉に世界に蓮の道を築き、さらに国際交流を活発にされようとしておられる二階先生の情熱がみなぎっています。私は、本書が草の根の観光交流を目指す人々の実践の書として、多くの皆様に読まれ、観光戦略の手引きとなることを期待するものであります。







・二階さんの「術」で観光は大きなうねりに


政治評論家


森田 実






 この度、二階俊博先生の「草の根の観光交流―LOTUS ROAD」が出版されますこと心からお慶び申し上げます。


 二階さんは、観光立国論の主導者であります。政治家として誰よりも早く「観光立国論」を提唱されました。しかも二階さんの偉いのは、口で唱えるだけでなく「行動の人」として国や地方自治体、関係業界などに働きかけるなど、その実現のため積極的に行動されてきたことです。


 私は四〇年以上も前から仕事上、全国各地で講演をしていますが、最近、観光立国への大きなうねりが起こりつつあるように感じます。観光立県、観光都市、町や村も観光で生きていきたいと言います。環境を良くし、地域の伝統と文化を大切にして、多くの人に評価してもらえるような村にしたい、町にしたい、市や県にしたいという静かな、しかし大きな波が確実に起こっております。


 国においても昨年、小泉総理は観光立国を今後の日本の国づくりの目標とすることを政府の方針として決定いたしました。二階先生が提唱した観光立国論は国民の心を掴んだのです。


 ドイツの著名な政治家ビスマルクは「政治は科学ではなくて術である」と言いました。二階先生の活動には「術」があると感じています。それは魔術というか、芸術というか、そういう「術」があると思います。二階先生の不思議な「術」がこういう大きなうねりをつくり出したのだと思います。二階先生の今日までのたゆまぬご努力に対して、深く敬意を表します。


 本書は法政大学での講義、国際観光学会や中国大連市の東北財経大学での客員教授就任の際の記念講演など観光交流と観光立国実現に向けた二階先生の講演などを観光シンクタンク「日本観光戦略研究所」が編集したものであります。いずれも大変にすぐれた講演です。人の心に訴えるものがあります。私は、本書が多くの皆様に読まれ、観光への理解が進み、やがて観光立国の実現に大きく寄与するものになると確信するものであります。







・「観光立国」に範をたれ、実践されている二階先生


成田国際空港椛纒\取締役社長


黒野匡彦






 私は運輸省(現国土交通省)に在籍しているときから二階先生にはいろいろとご指導をいただいております。平成二年二月から十二月まで、平成五年八月から平成六年四月までの二回にわたり運輸政務次官としてお仕えしたほか、平成十一年十月から平成十二年七月まで運輸大臣としてご就任いただいております。  


 私が官房長としてお仕えした二度目の政務次官時代には、すでに(社)全国旅行業会長として「日本の観光を考える百人委員会」を設立され、さらに運輸大臣の時代にはこれをモデルに広域観光振興のため、全国各地に「〇〇地方の観光を考える百人委員会」を設立、今も各地で引続き開催され、官民一体となった広域観光振興に取り組んでいただいています。


 また運輸大臣の際には、本書の中でも触れられておりますが、朴韓国文化観光部長官との大臣会合、何中国国家旅游局長との大臣会合等を中心に日・中・韓の観光交流によるトライアングルの形成を提唱されました。「日中文化観光交流使節団二〇〇〇」での五〇〇〇人の訪中など各国との交流拡大に努められ、今まさに国を挙げて展開中の「ビジットジャパンキャンペーン」の先鞭をつけておられます。


 また有珠山噴火の際の風評被害対策にもいち早く対応していただきました。このときの経験は昨年の新潟県中越地震の観光復興に大いに活かされたことは記憶に新しいところです。


 「観光立国」という言葉は今でこそ人口に膾炙していますが、これは二階先生が自ら範を垂れて実践されるなかでその理念が広がっていった結果だと思います。本書をお読みいただければ、その実践の足跡を共有することができるのではないかと思います。


 「観光立国」は一時的なスローガンではありません。二階先生がおっしゃるとおり平和産業である観光産業の振興は、今後の日本の進む道であります。


 「観光」は「国の光を観る」と書きます。内外の人々に「観」ていただく日本の「国の光」すなわち国土の美しさ、地域の元気さが、ますます光り輝くよう努めなければなりません。


 私はいま日本の外国への玄関、成田空港株式会社を預かっています。


 日本を訪問された外国人旅行客が最初に降り立つ空港の責任者として、「観光立国日本」の一端をしっかりと担わせていただきたいとの決意を述べて、私の推薦の言葉とさせていただきます。


(元運輸省事務次官、前成田空港公団総裁)






記念講演
・「観光産業を語る」
衆議院議員・保守党幹事長


社団法人全国旅行業協会会長


二 階 俊 博

東北・上越新幹線開業二〇周年記念シンポジウム 「二十一世紀は観光の時代」
主 催 : 社団法人東北経済連合会
二〇〇二年十一月二十二日(金) 於:仙台市・ホテル仙台プラザ


ただいま、東北経済連合会の八島会長から丁重な紹介を頂戴しました全国旅行業協会会長の二階俊博でございます。
 東北経済界の皆様は、新幹線の問題等につきまして熱心でありまして、私が最初に海部内閣の運輸政務次官を担当させていただいておりました当時、東北電力の明間会長が大変な熱意でこの問題に取り組んでおられました。爾来、歴代の東北経済連合会の会長初め多くの有力な皆さんがことあるごとに、東京においでの際、立ち寄られて「東北新幹線はどうなっているか」と取り組まれていたことを思い浮かべ、いよいよこの十二月一日に、待望の東北新幹線の八戸までの開通が実現できましたことを、皆様とともに心からお喜びを申し上げたいと思います。おめでとうございます。
 皆さんも既にご承知のとおりでありますが、大宮―盛岡間は、新幹線開通以前は六時間位かかったわけですが、それが新幹線では二時間で走れるということであります。大変、交通の利便性が高まるわけでして、このことが観光の発展にも大きな役割を果たすであろうことを期待するものであります。

 先程ご紹介いただきました全国旅行業協会の会長を引き受けてからもう十年ぐらいになるかと思いますが、これまで、関係者の皆さん、あるいは先輩の皆さんからいろいろ「観光とは」「観光について」を教わってまいりました。様々な方々のお話を伺って、史実や文献等も、もっとよく研究してみなくてはいけないと思っているところであります。
 そもそも観光とは「国の光を観(み)る」ということがその語源で、他の国に出かけて、今でいいますと、他の県に出かけて、それぞれの発展の様子等を学び、それをまたそれぞれの地域の発展に役立てようとしたことが始まりだそうです。そしてこの観光の始まりは徳川期の丸亀藩であると言われております。ここを中心にして、当時はまだ「観光産業」とか「観光立県」なんていう言葉はなかったでしょうが、今から思うと、名前を付ければこのようなことでしょう。丸亀藩の観光が一番盛んであったのが一五八七年頃からということですから、大昔の話であります。
 それから、随分以前に、福島県の須賀川市の皆さんが、当時、須賀川の空港建設に熱心でありまして、同市の四〇周年記念で、地元のテレビ番組に招かれ、須賀川のボタン公園で当時の高木市長さんと観光について語り合ったことを思い起こします。この時に、松尾芭蕉が奥の細道で、一六八七年、元禄二年の、やはりボタンが爛漫と咲いている素晴らしい季節に須賀川を訪ね、またそこから新たな目的地に向かって出発されたということを伺いまして、「花が咲き乱れている」とか「すばらしい気候に恵まれている」というようなことが、旅行、観光の上では大事なことなんだなということを思い浮かべたりしたものでした。



 江戸中期に入り、庶民の旅としてはお伊勢参り、これが一番活発に行われたようであります。文政十三年、一八〇〇年代ですが、このころの半年間の統計で四五七万人がお伊勢参りをされていたと言われております。これは半年間ですから、一年間をその倍として、その頃の日本の人口からしますと、六人に一人か、七人に一人がお伊勢参りに出かけたということになります。三重県に「今いったい何人位参詣に行っていますか」と尋ねましたところ、「阪神・淡路大震災や、なにか大きな事件、あるいは不況時など、時々の社会情勢によって神様にお参りする人が増えるという多少の変化はあるが、今でもまだ六〇〇万人ぐらい」と言うことでした。一八〇〇年代の方がお伊勢参りは盛んであったと言えるわけです。

 私の郷里の和歌山県でも、「蟻の熊野詣」と言って、熊野三山にお参りするということが歴史的な物語となっております。最近そのことが見直されて、「歴史街道熊野古道を歩こう」というようなキャンペーンで博覧会をやったり、旅行業関係の皆さんが全国的なキャンペーンを繰り広げたりしています。近頃は世界遺産に登録される可能性があって(二〇〇四年世界遺産に登録)地元では静かなブームとなっております。先般、東京のある小料理屋へ入ったら、そこにいた人達が「二、三人組んで和歌山へ行って来た」「もう二回熊野古道を歩いた。もう一回歩けば大体踏破できる」「そのためにだけ飛行機に乗って山歩きに行っている」というような話をしているのを聞きまして、お伊勢参りなどとよく似ているんだな、ということを思った次第です。

 作家の田辺聖子さんの「姥ざかり 花の旅笠 小田宅子の東路日記」という大変長い名前の小説があります。これは一八四一年頃に、ある商家の奥さんが仲よしのお友達を四、五人誘って、気楽な旅に出るわけでありますが、なかなかの歌人といいますか、歌を詠む趣味を持っておられる方がおられて、行く先々で互に歌を詠みながら旅を続けるわけです。また、その旅の中では、いつの時代も同じですが、旅の楽しみとして食べること、その土地土地の珍しい食べ物に接するということや、同時にお土産を買う、特に女性の方ですからその土地のお土産品を見て、これはいいということで買い集めます。しかし、一八〇〇年代当時の旅ですから、お土産を買い集めてこれを一体どうするのだろうかと、その本を読みながら思っておりましたら、何とやはり便利なものがあります。今でいう宅急便です。飛脚さんに預ければ、それは自分より早く荷物だけはおうちに届くわけでして、そういう旅をしたということなどが描かれておりました。

 旅行というものはいつの時代にも大変楽しいものとして庶民の間でも広がりを見せていくわけであります。私はそういう歴史的な旅の文化というものをもう一度振り返ってみることも旅行・観光を振興させていく上において大事なことではないかと思っております。自分自身も毎日の忙しさに紛れて、そんなことを電車に乗ったり、飛行機に乗ったときに少し考えたりはするのですがいつもそれで終わってしまう。
 「タイトルに旅という字が一文字でも入っている本を全部ピックアップしてくれ」ということを国会図書館へ頼んでみました。そうしたところ、物すごい数があるそうで、なかなか簡単にさばき切れないそうです。私はかねてより、観光図書館のようなものも作ったら良いのではないかと考えておりますだけに、これはこれで興味深く、さらに研究してみたいと思っておるわけです。



 最初にこの東北地域の皆さんが国際的な旅行・観光の振興にもいかにお力添えをいただいているかということを、ごく簡単に申し上げておきたいと思います。ある時、私がちょうど運輸大臣の時でしたが、韓国の観光担当大臣から「日韓の観光閣僚会議を日本で開いてくれないだろうか。自分の方はどこへでもお伺いする」との話がありました。私は「ちょうどその時、東北、仙台に出張しているときですから」と言って一旦お断りをしたのですが、先方は大変熱心で、「仙台ならちょうどいい。ソウルから直行便があるから仙台へ伺いましょう」とのことでした。それで仙台に来られまして、観光会議をこの仙台の「ホテル佐勘」で開かせていただいたことを思い起こします。今、日本で言いますと内閣官房長官のようなお仕事をされている、朴智元(パクチオン)という当時の観光大臣が、私と会う度に、仙台のことがとても印象的であったと、思い出しては語ってくれます。国際会議というのは東京で開かれることが常になっておりますが、これを自然も豊かで人情も細やかな、それぞれの地方都市で開催するということがいかに大事か、ということに尽きるようです。当時、中曽根元総理の令息が文部大臣をやっておりました。相手の朴大臣は文化観光大臣でありまして、私一人で相手をするよりも文部大臣もお相手になった方がいいだろうということで、中曽根弘文先生に「あなたも仙台に来ないか」とお誘いしました。文部大臣も駆けつけてまいりまして、ご一緒に有意義な日韓閣僚会議をさせていただいたことを思い起こすわけであります。

 また、韓国と日本とが、その後、WTO(世界観光機関)の総会を、韓国と日本で共同開催するということになっておりました。その前夜祭ということで盛り上げている最中に、東北経済連合会の皆様が韓国においでになるということがありました。当時、明間会長がリーダーで、私もちょうど韓国に出張することになっていましたので、「それでは向こうでお会いしましょうか」と、韓国の閣僚や関係者の皆さんを集めておりましたところ、明間さんが都合が悪くなり、今の村松仙台商工会議所会頭、東北経済連合会副会長さんにおいでを願ったという経緯がありました。一緒に東北地方と韓国の観光振興について語り合ったことを、つい先ごろのように思い出すわけであります。
 また、先般、国交三〇年を記念して一万三〇九〇人の人が中国を訪問いたしました。その際に、東北経済会の皆さんも観光関係の皆さんとともに多数ご参加をいただき、その時も八島会長と私が、中国の何光?(カコウイ)観光大臣と一緒に会談の場を持ったことを思い起こします。
 このようにして、地域を挙げて観光振興に取り組んでいただいておりますことに、私は心から敬意を表する次第であります。

 まず、観光問題につきまして、お互いに共通の認識を持っておくためにご参考になるかと思いまして、観光に関するデータをプリントし、お配りしました。少しだけそれを開いていただきたいと思います。最初に「ツーリズム産業の範囲」ということを書いてあります。例えば祝日三連休という法案を、国会に提出してこれを通すということになった場合に、ここで記されている「観光産業」というものがどれほどの政治力があるか、どれほどのパワーがあるかといいますと、数はそろっているのですが、残念ながら、案外パワーとなって現れてくるというほど大きな力を持ち合わせておりません。

 この中でも随分お力添えいただいた方もいらっしゃいますので一概には言いにくいのですが、私が運輸省で働いておりました時に、一緒に仕事をしてくれました観光部長に、藤野公孝君という人がいて、みんなに請われて参議院全国区から自由民主党公認で立候補されるということがありました。政党は異なりますが、同じ目的に向かって進んでまいりました同志でありますから、ぜひ当選してもらいたいとの思いがありました。

 我々の党には扇千景さんという今の国土交通大臣が立候補しておりますし、自由民主党の藤野君を応援するというのはなかなか容易なものではありません。あの当時一〇万票集めると当選できたのですが、彼は残念ながら次点でした。(現在は参議院議員)観光産業というのは裾野を全部合わせますと四〇〇万人が従事していると言われる産業です。それで何も観光部長が偉いとは言いませんが、ドライブインの経営者の方であれホテルの経営者の方であれ、だれか観光産業からひとつみんなの仲間を国政に送り出そうということになった場合、三人も五人も一遍にというわけにはまいりませんが、たった一人ぐらい送り出すことができないだろうかということが、私が言わんとするところであります。

 全国旅行業協会会長という肩書をいただいておりますと、年末から年始にかけていろんな観光関係の雑誌やあるいは新聞の新年号や「ことしを振り返って」というようなタイトルで対談などに呼び出されることがあります。私は呼び出されたらきっちり今のことを言うことにしております。必ず相手方は「観光産業にもっと政治力を持たなければいかん。観光産業にもっとパワーを持たなければいかん」ということを言われるわけです。そのような時、「ちょっと待ってください。そういうことをおっしゃるなら、四〇〇万人もおられるのですから、その中で一〇万人、いろんなところで票を頂くわけですから、別に観光産業だけで当選するということはないとしても、観光産業でせめて三万人でも協力してもらえてれば、当選できたのです」という話をします。



 今日はこのようなことを話に来たのではありませんが、とにかく、「もっと観光産業は力を持たなければいけない」ということをいつもよく言われます。力を持つということは、何かやるときにはみんなで一致して協力し合うということです。別に選挙でなくても良いのです。ほかのことでも一緒に協力し合うということがなければ、観光産業が大きな広がりを見せていくことにはならないのではないでしょうか。せっかく広がりを見せていくことのできる素質、条件を備えているにもかかわらず、なぜこれが一体化してやれないのかという思いが私にはあったものですから、ちょうど運輸大臣になりましたときに観光関係の代表の皆さんに集まっていただきまして、「これは皆さんのためになることであるが、観光産業全体が集まって、いわゆる観光の経団連のようなもの、言いかえれば観光版経団連というものをお作りになってはどうか」というようなことをお話しいたしました。産業の広がりから見ますと、本来日本の経団連でも、たまには経団連のトップ、あるいはその次の人、その次の人ぐらいに観光関係の代表が入ってもおかしくないのですが、たまに部会長のすみの方に入ったことはありますが、トップクラスに観光関係の代表が入らないのが常識のようになっております。この常識を打ち破らなくてはならないと思っております。

 ちょうど、このツーリズム産業連合会の発会を考えておりました日が予算委員会の真っ最中でした。観光産業の、いわゆるツーリズム産業のスタートが大事だということで予算委員会を途中退席して、発会式へ向かった時のことを今も昨日のことのように覚えております。

 さて現在、観光産業の生産、雇用への経済波及効果は約二〇兆円を超える状態になっております。私たちがもっと力を入れていくことによって、この先、非常に明るい展望が待ち受けている産業であると考えることができます。先ほども申し上げましたように雇用創出効果は三九三万人ということで、約四〇〇万人の経済効果があります。以前、自動車メーカーの日産が二万人のリストラをやったときに、当時の牧野労働大臣がこのことに対して、閣議でまさにテーブルをたたかんばかりにして悲憤慷慨しておりました。私はちょうどその隣におりましたから、「よし、その二万人、観光産業で引き受けましょう」という気持ちで、今でいう財務大臣、当時の大蔵大臣に話をして平成十一年度の補正予算で七億六〇〇〇万円の予算を緊急に計上してもらって、観光産業に従事したい人に一定期間、勉強してもらうことにしました。いろいろと勉強してもらって、この人なら観光産業、ホテルでもどこでも使ってもらえるというような状況をつくって、それで観光関連業界に就職をしていただくようにしました。当時としては一万二〇〇〇人ぐらいまでは達成できたかなということであります。二万人という目標達成のためには役所側からの説明、PR等に限界があったのかなという思いもしております。

 先般JR東日本の幹部の方にお目にかかりましたら、観光産業にもう少し政府が力を注いで、そしてもう少し景気がよくなれば、観光産業であと二〇〇万人は大丈夫ですよというお話が出ました。二〇〇万人が実現するかどうかは別としまして、相当の数を吸収することができる産業であるということを、我々はここで確認をしておく必要があろうと思います。

 この頃、観光産業は二十一世紀の基幹産業だという呼び声が高まってまいりましたが、GDPに占める割合や、すべての雇用者に占める割合などをご覧いただければ理解いただけるように、観光産業は、大変大きな地位を占めるに至っております。
 ところが、日本は国際観光の後進国で、外国人旅行者の訪日促進を図らなければなりません。日本人海外旅行者数も少し減っております。これはテロ、その他の要因もあるわけでありますが、今、一六二一万人程度が海外に出かけ、外国から日本に来る人たちは四七七万人程度ということであります。これを今後どうにかしていかなければならないということでありますが、私は、昨日一応の決着を見ました十四年度の補正予算に関し、いろんな重要案件を議論した際に、「外国の青年あるいは留学生にもっと安い価格で日本国内の旅行を楽しんでもらうために、何か方策を考えてはどうか」との話をいたしました。例えばユースホステルなどは、昔は大はやりだったわけですが、このごろは若い人たちも、もう少しレベルの高いところへということで、開店休業になっているところも全国にはたくさんあるわけであります。これを政府でリニューアルして、ここに安い価格で外国の青年男女を迎える。そういうことのために公的なものも活用してはどうかということで、多少取り組むことにいたしておるところであります。

 ところで、我が国の国際観光の状況、そして、外国人旅行者受入れの国際的なランキングではどの辺にあるでしょうか。日本は外国へ出かけていくのは随分上の方にありまして、年によっては異なりますが、三番から四番にランクされています。しかし、日本に観光でお越しになる方々の順番ということでは、残念ながら、韓国より下の方にありまして、三十四位に甘んじている。このことは、これから一層国際化時代が進展する中で、大いに考えるべき問題であり、原因や対策がどの辺りにあるのかということをみんなで十分考えて、取り組んで行く必要があります。

 私達の田舎では、年寄りが「人が訪ねて来ないような家は駄目だ。なるべく人様が訪ねて来るような家でなければ駄目だ」と言います。私は、これは東北でもどこの国でも同じだと思います。これからは、どんどん日本へ外国からも訪ねてきてくれるようにする必要があります。日本は遠いからとか、あるいは物価が高いからと言って、自分達でお客様があまり来ないことを納得してしまっているわけですが、今や韓国よりも劣っているような状況にあるわけです。何も韓国の上にならなくてはいけないということはありませんが、国の広さや経済規模からすれば、上回ってしかるべきであるにもかかわらず、劣っているのであります。

 もっとも、地球的な広い視野から見れば、韓国も日本も同じ位置かもしれません。二つの国を平気で間違う人がいたりすることもある位です。

 この間、ウズベキスタンという中央アジアの国に行ってまいりました。同国へは、現在、大阪の関西空港から直行便が出ておりまして、今度成田空港との間にも新たな直行便が開設されることになっています。この直行便の機内に、どこの国に飛行機が飛んでいるかという図が書いてありまして、この図をよくよく見ますとオーストラリアのところに関西空港を図示してあるわけです。

 お互いに海外のことになりますとそんなことはよくあります。航空会社が間違うなんていうのはとんでもないことですけれども、事実あるのです。間違いを怒っているよりも、間違われないようにもっとしっかりPRをしなければいけないのではないかとも感じます。



 今からもう大分前のことですが、「日本ウズベキスタン友好議員連盟というものをつくって欲しい」ということを関係者から言われて、「それではやりましょう」ということになりました。細川内閣か羽田内閣とかいうそんな時代でした。そして、その設立総会に行く途中、私に「ウズベキスタンってどこにあるのですか」と聞く人もおられました。こっちはそんなことを説明している時間もないから、「行ってみればわかるから」などと言いながら立ち上げました。それからちょうど一週間たつかたたないかの内にウズベキスタンのカリモフ大統領が日本にお見えになりました。

 今や、ウズベキスタンという国はエネルギー問題はもとより、アフガニスタンの問題等を考えても、国際的にも重要でありまして、私もこの国を今後一層大切にしていかなければならないと考えているところであります。
 このようなこともあり、「関西国際空港の中にウズベキスタンのお土産物のショップなどをこっちで開いてはどうか。経営はもちろんウズベキスタンの航空会社なり、しかるべきところでやってもらうとしても、そういうことの道案内をこちらがやってはどうか。他にも日本には、文化が異なり、名前も、どこにあるかもわからないような国の人がまだいっぱいいる。そういう国に対して、それ位のサービスをしてはどうか」ということを申し上げているわけであります。今度関西空港でウズベキスタンのお店が出店されます。お土産物をみんなで見ていただいたり買っていただくことによって、その国に対しての旅行、観光への興味がわいてくるわけであります。このごろはインターネットで簡単に調べられるわけですから、そういうことをきっかけにして興味を持ってもらうことが先ず大切であろうと思っております。

 次に、これからツーリズム市場を大きく広げていくために、我々は何をしなければならないかということ、同時にツーリズム産業の将来というものは非常に明るいものであるということなどについて触れてみたいと思います。



 二〇〇一年の我が国のツーリズム市場と今後の消費の波及効果などは、地域にとっても、そしてその国にとっても、重要な位置付けとなっております。特にこの産業は、とりわけ雇用の面で大きな影響力を持つわけであります。国際観光市場の状況は、現代は七億人の人たちが国際交流をしており、大交流時代の到来といっても過言ではないでしょう。先ほど申し上げたWTOという世界観光機関の調査予測では、二〇二〇年には一六億人になるだろうということが言われておるわけです。

 このように、世界の観光交流が一六億人というときに、外国から我が国に来られる人がわずか四七七万人という今の尺度のままでは、時代とズレてしまうのではないか。ここは相当の覚悟と決意を定めて、国、地方、共に協力しながら取り組んでいかなくてはならないと思います。

 そのような状況であるにもかかわらず、今まで、国政においても、地方の行政の中においても、私には、「観光」というものの位置付けが、常にセンターよりちょっと、少し隅っこの方に置かれ過ぎていたのではないかという思いがあるわけです。いろんな観光関係の会合などに出席される、都道府県の観光の責任者、それぞれ呼称は異なっておりますが、大概は一番上の方で課長さんです。国土交通省も一番上が観光部長です。他国はどうかといいますと、観光大臣というものを置いておるわけです。その観光大臣と我が国では観光部長とがいろんな協議をするということでありますから、これはなかなか容易なことではありません。位取りで物を言うのは、あまり好きではありませんが、役所の中でいろんなことを発言し、また説明をしていく上において、位取りもまた大事な要素であります。

 私が一〇年ほど前に全国旅行業協会の会長になりましたときに、地方支部の会議に出向いていきますと、それぞれの県で「大体この会には課長さんか課長補佐しか来てくれない」と言いますので「そんなことはない。ここの県の知事さんは東京に来るたびに私の部屋へ寄ってくれます。ちょっと電話して下さい」と言ったら、慌てて知事が吹っ飛んで来てくれて、「来年の会合からは、知事が出られないときは副知事が、副知事が出られないときには部長が」と言って、今まで課長補佐だったのがぱっとランクが上がりました。役所というのは前の年の事例が慣例となるものですから、一度上がれば放っておいても次の年から何も言わなくても上の方が来てくれます。これはまずはすばらしい力といいますか、効能があるわけです。
 私が知り合いの知事さんにお会いしたときも「全国旅行業協会のメンバーはあなたの県にも大体六〇人から七〇人ぐらいいるのですよ。これは県が許可した業界なのですよ」と言うと「わかりました」ということになります。

 観光振興のために「何をすればいいのか」ということがよく言われます。しかし、実は何をどれだけやればいいというようなものではないところにこそ観光のおもしろ味があります。言いかえれば妙味もあるし、難しさもあるんだろうと思います。その地域の経済環境にも大きく左右されるものでありますが、旅行でいらっしゃるお客さまのニーズの違い、言いかえれば若人、男女、あるいは老人、そういう相手方の意識の違い、変化をどうこちらでとらえていくかということ、こうしたこともまた極めて大事なことであります。旅に来る人たちと受け入れる側との間のミスマッチぐらい悲しいことはありません。これに対応し、協調できれば、いい結果がもたらされると思うわけです。

 交通体系の整備がよく言われますが、幸いにして東北の交通体系は、皆さんの多年のご努力によりまして、今度の新幹線に象徴されますように、あるいは仙台空港に象徴されますように、随分立派に整備されておりますから、この面の心配はほとんどないと言えます。そして観光地の整備といった面でも、随分力を入れていただいておりますし、立派な老舗の旅館もたくさんあるわけですから、宿泊施設の整備という点でもほとんど満点であります。ですから今後は、宣伝効果をどう広げていくかということが大事だと思います。

 私は若いころ代議士の秘書を務めたことがあるのですが、私の師匠は「政治家というのは総和なのだ」ということをよく言いました。曰く「人間の能力の総和が大事なのだ。足は遅いよりは早い方がいいし、けんかも弱いよりは強いがよかろう。酒も飲めないよりは飲める方がいいし、学校も行ってないよりは行っていた方がいいかもしれない。しかしそれだけで選挙に勝つかといったらそうもいかない。そのためには、すべての点でトータルで評価されるのだ」ということでした。観光という問題もそういう点が大いにあろうと思います。富士山だけあればもうそれでいいのかというと、なかなかそうもいきません。

 この間、静岡のある催しの案内があった際に、中国国家旅游局の首席代表に、「日中国交正常化三〇周年を記念して各種イベントを実施するということが書いてあるので、中国からもあなたが代表して出席してあげたらどうか」と言って私がお誘いしたら、「喜んで行ってきます」とその催しに参加されました。そこでのディスカッションの場で、その中国の方が「今日、静岡の方に言われるまで、ずっと富士山は山梨県のものだと思っていたことに気がついた」と、おっしゃり、静岡の方が「はっと気がつき、ショックと同時に反省した」と言っておられた。静岡の人は富士山を静岡のものと思い込んでいるわけです。一方で山梨の人は山梨のものと思い込んでいるのかもしれないのです。



 東北、特に仙台に参りまして、改めて思うことは、仙台は東北大学に象徴されるように技術の面でも、非常に幅広く奥行きの深いものを持っているということです。そして、そうしたことが中心となって、東北の今日の発展の基礎が出来ているということを前々から私どもは聞かされておりました。東北六県の人口は九八二万人、約一〇〇〇万人の人口を擁しておられるわけですが、これは国連加盟国の順番でいいますと、ハンガリーとかチュニジア、あるいはこの間のサッカーワールドカップ出場国のセネガル、こういう国に匹敵する人口だそうで、世界で七九番目だそうです。経済ではどうかといいますと、東北域内の総生産が三三兆六〇〇〇億円、ドルにすると二五〇〇億ドル、順番では、スイス、ベルギー、ロシアとちょうど同じだそうで、何と世界の一八番目にランクされる実力を持っている地域だということであります。ついでに、それでは宮城県は一体どうか。宮城県は、人口が二四〇万人、世界で一三七位にランクされております。これはクウェートなどと同じだということを言われているのですが、八兆六〇〇〇億円の県内総生産から換算すると、チリやパキスタンと同じぐらいで、世界で四三番目だそうです。

 こうしてみてきますと、私たちの日本経済というのは大きいんだということを改めて認識させられます。日本は経済大国だということを言われながらも、このごろはすっかり自信を喪失しています。五兆円の補正予算を組むのでも内閣がこんなに揺れるほどの騒ぎをします。私たち与党三党も、当然のことでありますが、二〇一〇年、プライマリーバランスを黒字にすることに同意するということで、ようやく五兆円の補正予算を昨日組むことができました。延長戦にもつれ込みますと、私はこちらにお伺いできなくなりますので、何としても昨日のうちに決着をつけないといけないと思いながら政府与党の協議にあたり、本日お伺いさせていただいた次第であります。

 今の実体経済から見ますと、もっと思い切った対策を講じなければならないという思いでありますが、何せ今の小泉総理大臣は非常に、いい言葉で言えば信念の強い人でありまして、一回言ったら動かさないのです。ですから国債発行三〇兆円の枠をここまでもってくるまでに、我々は「こだわることはない。政策の変更だとか、政策を転換したとか言われたって、そんなことは当たり前ではないか」と何回も申し上げて参りました。ハンドルを握っている人は前を向いたら真っすぐ前だけを向いて走ればいいというのではなく、その時の状況に応じて、たくみなハンドルさばきをしなくてはならない。日本経済も回復の道を歩むことによって初めて、不良債権処理もスムーズにいくわけであります。銀行をつぶせば不良債権処理ができるように思っていることは大きな間違いであって、もっともっと国民の皆さんに、「そうだ、元気を出そう」そして、「旅にも出よう」という気持ちになっていただくことによって、この経済の回復につながっていくのであります。ですから、自信を取り戻すということは極めて大事であります。
 そういう意味で、観光問題を重要視する同志の皆さんが、観光産業を進展させることによって地域の産業を引っ張っていく、国の産業を引っ張っていくというくらいの気概をもって、今後取り組んでいかなくてはならないと思っております。

 観光産業が日本経済に貢献した一例を挙げれば、私どもが中心となって議員立法で成立した「祝日三連休化」があります。これについては、一時、老人クラブに、「敬老の日を勝手に動かすとはなにごとだ」と怒られました。更にはカレンダー業界からも、「カレンダーというのは前の年から印刷し、それから東北電力さんとか、どこそこのホテルさんとかに、広告を取りに行くので、祝日があっちに行ったりこっちに行ったりするとカレンダーが違ってくるので売れない。私たちの死活問題です」と言って座り込まれたときには、私もこれはちょっと予期せぬことであったなと思ったりもいたしました。そうしたいろんな問題を乗り越えて祝日三連休化を実行しますと、秋のベストシーズンの三連休(敬老の日、体育の日)だけで一兆円の経済効果が新たに追加されることとなったわけです。しかも日本政府が一円の予算も使わずに一兆円の経済効果が出る。これは観光産業に従事する皆さんの総意、努力によって成り立つわけであります。まだ日本人は働き蜂といいますか、みんな働くことに熱心ですから、休暇を取らない。ですから東北経済連合会では「ちゃんと有給休暇は取りなさい」ということを奨励していただきたい。それだけで日本経済に一一兆円もの経済効果が及ぶというのです。



私はこの間、総理も出席の政府与党経済関係閣僚会議におきまして「今、なぜ休暇を取らないか。休暇を取ると、ずっとそのまま休んでいてくれということを言われたら大変だからです」と申し上げました。そこまで言いますと、総理も気が付いて、今の皆さんのように笑い始めました。もう長く説明しなくてもこのことはおわかりでしょうが、これに対し、政府はどうするかということを考えなければならない。休暇を取りたくても取れない。一方でこの頃では、働き過ぎて「過労死」などという問題も発生しています。そういうことに関しても、観光が一役買うことができるのです。

 私が一番ほのぼのとした感じを持つことのひとつは、列車に乗ったときに、ご家族で、また、おそらくは、もうリタイアされたご夫婦で、和やかな会話を交わしながら旅行されているのを見かけることであります。

 昨日は朝の八時から夕方の六時過ぎまでぶっ続けで予算の仕事をしておりましたが、お昼の時間だけ、アメリカのベーカー駐日大使と与党三党の幹事長で昼食懇談会を約束しておりましたので、北朝鮮問題、あるいはイラク問題なども含めて日米関係の問題を話し合いました。まず、ベーカー大使より「アメリカが今、日本の国際貢献に対して大変感謝をしている。今日ぐらい日本とアメリカとが気持ちの上でぴったりいっているときはない。今後もいろんなことがあった場合に、常にご相談し合いながらやっていきたい」との発言がありました。また、大使は政治家としての経験も豊富ですから「政治家の皆さんとお話することは非常にアットホームな感じがして楽しい」としながら「もしイラクが約束に応じず、アメリカがイラクに対して攻撃をしかけるというようなことになった場合、同盟国である日本に必ず事前に説明します。米国大使として、この問題を平和的に解決したいというブッシュ大統領の言葉をお伝えしたい」とのお話がありました。

 ここで、この新幹線のお祝いに際して申し上げたいのは、この懇談の際にベーカー大使が「自分がこの日本へ来て何が一番楽しいかというと、新幹線に乗って旅をすることだ。そして家内と連れ立って新幹線に乗ってしょっちゅう旅行に行くんだ」とのお話をされていました。これは是非皆さん、大使を東北へ新幹線に乗って遊びに来るように、お誘いをして頂きたいと思います。私も「東北へ行って来た。十二月一日から東北新幹線が八戸まで開通する」ということを、今度改めて大使ご本人に申し上げておきたいと思います。非常にフランクな方でして、いつも家族と一緒にホテルオークラへ食事に来られる時などは、一般の席に座るので、アメリカの大使だとは気がつかない人もいるような状況だということを友人から聞いておりましたので、その話をしましたら大変喜んで「私はそういうことが好きなのです。ですから個室を取ってそこで特別に、ということはしないんです」とおっしゃっておりました。ぜひ東北へもお伺いされるようなチャンスがあればいいと思っております。

 きょうは大勢の皆さんに、話を聞いていただきましてありがとうございました。観光産業の振興のために微力でありますが、今後一層頑張っていきたいと思います。どうか観光先進県であります東北地方の皆さんの、一層の奮起を心からお願いを申し上げまして話を終わらせて頂きます。ありがとうございました。





・「アジアにおける観光産業の再生と未来のために」
衆議院議員


社団法人全国旅行業協会会長


二 階 俊 博

新たなパラダイムにおける観光振興の国際協力会議(アジア観光活性化会議)において日本の観光産業界を代表して講演
二〇〇三年七月十四日 於:香港


「観光について一言」 ――近ごろ、全国各地の知事や市町村長で観光を語らない人はいないくらい、それぞれの地域が工夫を凝らし競い合っています。ブームのようになりつつある観光振興に火をつけたのは、小泉総理の「観光立国宣言」であります。総理自らが先頭に立って旗振りをされるだけで、これだけ大きな流れになりつつあります。担当大臣の扇国土交通大臣、福田官房長官、竹中金融担当大臣、さらには内閣府特命顧問の島田晴雄慶大教授等、まさにトップリーダーの人たちが、正面から取り組んでおります。
 去る七月十四日、香港で開催された「新たなパラダイムにおける観光振興の国際協力会議(アジア観光活性化会議)」に、我が国の観光産業を代表する新町光示日本旅行業協会(JATA)会長をはじめとする、三〇名の皆さんと一緒に私も全国旅行業協会会長として出席しました。アジア各国を中心に参加四十八カ国、約一〇〇〇名の観光関係のリーダーたちの集いでした。今年はSARSという思いがけない災難が、特にアジアの観光産業を直撃しました。しかし、困難な時こそ、お互いに団結して立ち上がろうというのがこの「香港会議」の狙いでもありました。総会では、シプリー前ニュージーランド首相に続き日本の観光産業界を代表して次のようなスピーチを行い、アジアの団結と協力を呼びかけました。

 ロン・ヨンツー議長、アジア各国の閣僚の皆さま、そして、列席の世界各国の観光に関わる指導者の皆さまに対し、日本の観光産業関係者を代表してご挨拶を申し上げます。
 
 突然、アジアの国々を襲ったSARSの災難から、ようやく、立ち上がろうとしている時に、私たちアジア各国の政府代表、観光機関、観光産業の皆さんが、再起を誓って、ここ香港に結集いたしました。アジア観光活性化のための香港会議は、観光交流の再活性化に向け、アジア的規模における観光振興の相互支援戦略や、未来に向けての建設的な意見を交換する有意義な機会となるでありましょう。この会議を企画された「ボアオ・アジアフォーラム」「WTO(世界観光機関)」そして「香港政府」に対し、心から敬意を表するものであります。

 世界における観光の現状、特に、アジアにおける観光産業の厳しい状況から、今回の会議がスタート台となり、一日も早い回復に大きな弾みがつくことを心から期待しております。
 観光産業は二十世紀の後半より、世界の各地で著しい発展を遂げてまいりました。その中でも「国際観光」は国境を異にする国民が相互に交流し、多様な文化や歴史、国民性に接することにより、国境を越え、言語の障壁を越え、相互に理解し尊敬の念を深めることにより、やがては世界平和にも貢献する崇高な任務を発見するに至ったのであります。

 全ての国において、観光産業は経済の活性化や雇用の拡大の面で重要な役割を果たしております。世界各国では一〇人に一人ないし一五人に一人が、観光産業に従事していると言われております。日本においては、約四〇〇万人の人々が観光の現場で活動しております。経済波及効果はすでに五〇兆円(約四〇〇〇億ドル)に達し、観光産業こそ、日本の新しい時代の基幹産業と位置づけられているのであります。勿論、観光産業は新しい世紀の世界のリーディング産業でもあります。

 特に、人口三七億人、世界の六割を占める私たちの地域アジアは、今後、観光交流が急速に拡大するための中心的な役割が期待され、同時に、アジア諸国は大きな責任も担っているのであります。WTOの予測においても、二○○○年から二○一○年にかけて、東アジア・太平洋における国際観光客の到着数の伸び率は、年平均で実に七・七%と最も高い成長が予想されております。まさに、地球規模の大交流時代の幕開けにおいて、アジアは群を抜いて先頭に立っているのであります。
 しかし、順風満帆に見えたアジアの観光も近ごろは経済の不況、テロやSARSなどの厳しい試練に直面しております。特に今年に入り、テロのショックが冷めやらぬうちに、イラク戦争、SARSの発生などが加わり、海外渡航が制限されたため、旅行需要に深刻な打撃を与えているのであります。
 アジアの国々では世界的な感染拡大を阻止するための指導者の決断と各国の相互の協力により、ようやくSARSの流行が終息を迎えたことに大きな喜びを覚えるものであります。私自身、与党三党の幹事長として、SARS問題が燃え盛っている北京に、胡錦濤国家主席ら中国の首脳を訪ねました。中国政府のSARS撲滅への並々ならぬ決意の程を伺い、近い将来必ず終息するという確信を抱いたものであります。SARSの終息によって、これまで海外旅行を手控えていた世界中の旅行者の皆さんの旅行意欲が、再び地球的な規模で急速に高まってくることが予想されるのであります。

 今、観光をめぐる「新しい波の到来」を世界中が待望していると同時に、観光分野のリーダー達の具体的で果敢な行動を見守っているのであります。私たちは、今日の共通の試練を乗り越えるための具体的なアクションを起こすことを期待されています。
 具体的なアクション・プログラムとは、ここに集う指導者の皆さんが、先ず自ら先頭に立ってアジア域内の相互の観光交流に力を尽くすべきであります。日本はアジア地域における主要な観光客の送り出し国の一つであります。したがって、今後私たちの国に対する観光キャンペーンが行われる際には、官民挙げてこれに積極的に協力するつもりであります。先ほど、シプリー前ニュージーランド首相が述べられた「観光交流のための新しい提案」に、この際、全面的に賛成を致します。

 また、我が国では、小泉総理自ら「観光立国」を唱えられ、国民の先頭に立って世界の国々からわが国を訪れる旅行者を大幅に増加させるための、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を、本年より開始いたしたところであります。隣人であるアジアのより多くの方々に、わが国を訪れていただくための取り組みを抜本的に強化してまいります。また、近隣の国々と連携した共同の誘客キャンペーンの実施についても、すでに検討を始めました。特に域外からアジアへの旅行者を増加させるための施策は重要であります。また、国境を越えて旅をする人々の不安を解消するために、正しい旅行情報の提供に努め、安心安全の確保に各国がさらに連携を強化することは何よりも大切であります。

 今回の会議の重要性をあらためて認識し、私たち日本の代表団には、全ての観光産業に携わる政府及び民間の重要な立場の専門家が、観光産業の未来への大きな期待を胸に、勢揃い致しました。アジアの主な国々の有力な皆さまがご参加の下に開催されたこの集いが、実り多い会議となり、世界の観光産業の回復に明るいメッセージを発信できることを強く願うものであります。そしてお互いの努力により、再び大交流時代の訪れを世界に向かって宣言することができるよう、我が国の代表団は大いに貢献する決意であります。各国の政府と民間が共に力を併せて、効果的な観光促進策を継続して実施できることを心から期待するものであります。

 議長及び各国閣僚の皆さん!そして観光専門家の皆さん!もう一度アジアにおける「観光産業の再生と未来のために」共に力を尽くすことをここに誓い合おうではありませんか!
 「砂漠の掟として、後にくる旅人のためにオアシスを必ずきれいにするという約束」がありますが、今、私たち観光旅行産業に関わる責任ある立場の仲間たちが、次の時代を展望しながら、共に責任を果たそうではありませんか!





・『中国と日本の草の根の交流について』
衆議院議員


社団法人 全国旅行業協会会長


二 階 俊 博

中国・大連市の東北財経大学名誉教授及び観光学院の名誉学院長の就任に当って
二〇〇四年三月二十二日 於:東北財経大学講堂


 尊敬する于洋書記、邱東学長をはじめとする東北財経大学の皆さま、こんにちは! ご紹介をいただきました二階俊博です。ほとんどの皆さんにははじめてお目にかかりますが、私にはとてもはじめてのような気がしません。

 郷里、和歌山県の同志を中心に、三〇〇名の友人と一緒に、私がはじめて大連を訪れたのは、二〇〇二年の九月でした。大連はアカシヤの花の街として誰もが知っていますが、美しい街並や、経済発展の姿を象徴する大連の港、住んでみたくなるような都市型のみどりに囲まれた住宅街、大規模で伝統に輝くファッションの街としても有名なところです。さらに今、IT先進都市として海外からも注目されている「大連」に接し、深い感動を覚えました。

 最初に大連を訪問したその日は、国際ファッションショーの閉会式に当り、当時の李永金市長さんとご一緒に出席させて頂きましたことを印象深く覚えております。

 翌日には、大連の近代的な街の様子を見学しました。歴史の舞台として有名な、「二〇三高地」や「ステッセルの会見所」なども訪れました。その後、大連から、数多くの観光団が日本にお越しになり、和歌山県にも度々お出かけ頂きました。そして夏徳仁市長や東北財経大学の学長の于洋先生らが来日され、光栄にも東北財経大学の客員教授と観光学院の名誉学院長に就任するようご丁重な要請を頂きました。

 果たして、私がその任に応えることが出来るのか、お返事をためらっている間にも、度々のお誘いを頂き、そのご熱意に圧倒され、この栄誉を受諾することを決意した次第であります。私自身、まさに浅学の身をかえりみず私に与えられたこの貴重な機会に、大連と日本の関係、さらにこれからの日中友好や、両国の文化観光、スポーツ交流などについて、ライフワークとして皆さんとご一緒に学び、活動することができることを喜んでおります。



《大連》
 ご承知のように、戦前の大連には多くの日本人が住んでおり、日本とは深い関係がありました。 私の小学校一年生の頃からの親しい友人の一人に、大連から一家で引揚げて来た人がいました。彼は子供ながらに、大連の思い出話を聞かせてくれました。私が外国の都市で最初に覚えた名前は『大連』でした。

 この広大な中国の大地の中でもアカシヤの街・大連は、今も多くの日本人の心の中に、最も懐かしい郷愁として、さらに心の太陽として、格別の思いを抱いております。

 私にとりまして大連ゆかりの方で忘れられない方が何人かおります。そのなかに、大来佐武郎先生がおられます。

 大来先生は今から九〇年前の一九一四年に、この大連市に生まれました。大来先生は第二次大戦後の日本を代表するエコノミストであり、経済成長政策の真のリーダーでありました。大来先生は田中角栄内閣時代、海外協力基金総裁として日中経済関係の発展に尽くされました。さらに大平正芳内閣の外務大臣として日中友好関係の増進に取り組まれましたが、その大来先生は、この偉大な国際都市・大連市に生まれ育ったことを大きな誇りにされていました。

 「日本大連会」はかつてこの大連で活躍された人達で結成されておられます。会長は大連市名誉市民であり、元国務大臣の井上孝先生が務められ、戦後六〇年を経過していますが、今も熱心に活動されております。

 発展著しい現在の大連には、新たなビジネスチャンスを求めて、二八〇〇社を超える大小の日本企業が進出しております。大連への海外からの投資総額では日本が第一位となっております。中国の数多くの有名な都市の中でも、経済的に日本と最も結びつきの強い都市のひとつであります。

 大連は従来の商工業に力を入れるだけではなく、観光産業の振興にも積極的であります。

 日本でも観光産業は鉄鋼業や、繊維産業を抜いて、経済波及効果五〇兆円を超える産業となりました。関連企業を含めて四〇〇万人の人たちが観光業に従事しております。観光は、まさに二十一世紀の基幹産業としての位置づけがなされようとしています。

 大連市が力を入れている観光客の誘致ですが日本からの旅行者の数は二〇〇二年が二三万人、二〇〇三年が一七万人で何れも大連を訪れる国別外国人観光客数で第一位となっております。

 観光地として、重要な条件である「治安」や「街の美観の維持」に大連は特に配慮されております。

 大連では、戦前から残る数々の由緒ある建築物や旧跡などの歴史的、文化的な観光スポットの保存だけではなく、美しい自然を利用したリゾート地の建設や斬新な企画の観光イベント、ファッションの街としてのアピールなど、新たな文化観光資源の開発にも極めて積極的に挑戦をされており、大連の持つ魅力に一層の輝きを増しています。

《日中民間交流》


日本と中国との国民同志の交流において、今日ほど身近に感じ、盛り上がりを見せている時はありません。

 それは二〇〇二年の日中国交正常化三〇周年、二〇〇三年の日中平和友好条約締結二五周年と、記念すべき年を日中両国の多くの皆さんが心から祝福し、支持を寄せて下さっているからであります。

 私は忘れもしませんが、二〇〇〇年の一月、当時、運輸大臣として初雪の降りしきる北京を訪れ、多くの要人と話し合う機会を得ました。その際、日中双方から、「今年は二〇〇〇年という日中交流の歴史の大きな区切りの年である。日中関係は過去に先人たちの築かれた二〇〇〇年にわたる堂々たる交流の歴史がある。この両国の友好関係はさらに今後新たな二〇〇〇年へと継続発展して行かなければならない。丁度、折り返し点のような記念すべき年に、日中間にこれを記念する行事が何も計画されていない。何か心に残るような記念の行事を企画して頂きたい」という話が出ました。中国では縁起が良いといわれている初雪が舞う、天安門の広場を眺めながら中日友好協会の幹部の皆さんと私たちの一行と、日本の当時の谷野大使らを含めて、熱っぽい意見の交換を続けました。

 私は両国を代表する皆さんの熱意に動かされ、その場で、「二〇〇〇年の年だから、二〇〇〇人の日本からの友人達と一緒に、中国を再び訪れたい。そして、人民大会堂で、今日まで日中友好に貢献された両国の偉大な先人の遺徳をしのぶと共に、これからの日中友好関係をさらに発展させるための催しにしたい」と提案しました。出席者一同は直ちに同意してくれました。

 日本に帰国して、早速「日中文化観光交流使節団二〇〇〇」の結成にとりかかりました。趣旨にご賛同頂いた、多くの関係者の皆さんのご協力で、たちまちにして二〇〇〇名の同志が集いました。私は日中友好協会の会長であり、東京芸術大学の学長である高名な日本画家の平山郁夫先生に団長をお願いしました。

 日中友好の過去を振り返り、将来を展望するという壮大な趣旨に賛意を表する人々が、北は北海道、南は九州・沖縄に至るまで、さらに遠く小笠原島からの参加も頂き、最終的にはついに五二〇〇名を記録することとなりました。

 これ以上は、あの広大な人民大会堂にも入り切れないということで「満員御礼」とさせていただきました。記念すべきミレニアムの年の五月二十日、私は日本の代表団の皆さんと共に、時の国家主席・江沢民閣下、胡錦濤・現主席閣下をはじめ、中国を代表する最高幹部の皆さんと極めて意義の深い会談をさせて頂きました。

 その際、江主席は、私たちの代表団を熱烈に歓迎してくださると同時に歴史的にも意義の深い次のような「重要講話」をお述べになりました。

《重要講話》


 「今回、日中文化観光交流使節団が訪中することは両国国民の友好交流史上かつてないことであり、今回の大型友好交流は必ず両国人民の相互理解と友情の増進に重要な役割を果たすことと確信する」「当面の国際情勢の下、両国国民の相互理解を増進し、両国関係を絶えず推進することは、両国国民とその子孫の根本的利益に合致するばかりでなく、地域と世界の平和と発展にも寄与することになる」と語られました。そして「中日友好は突き詰めれば両国国民の友好である。中日国交回復の実現に際しても、その後の両国関係の発展に際しても、民間友好は極めて重要な役割を果たしてきました。……未来を展望すれば、二十一世紀の中日友好は両国国民、更に両国の青年に希望が寄せられる。われわれは民間友好の伝統と優勢を継続させるだけでなく、これを不断に拡大・強化し、更に青少年の間の友好交流を推進し、中日友好の次の担い手を早急に育成し、両国の友好の旗印を一代、また一代と伝えていかなければならない」。江主席は特に青少年の友好交流の重要性を説かれたのであります。

 この感銘深い「重要講話」は、中国国内でも、新聞、テレビで大きく報道されました。この場に臨席した私たちは、この「重要講話」は広く、長く、後世に伝えなければならない重要な意味を持つものと認識して深く心に刻んでおります。

 何故ならば、江主席もお述べになられた通り、国と国との友好関係は、結局は人と人との関係によるものであり、末永い友好関係は、常に若い世代の交流へと継続発展させなければ、到底お互いの目的を果たし得ないからです。

 江前主席が、いつもお目にかかる度にお話しされる「若い世代の交流」は今後日中両国の友好関係を永く継続させるため極めて重要な点を示唆されています。

 また一昨年、二〇〇二年の年の五月には、胡啓立中国人民政治協商会議副主席を団長に、何光イ国家旅游局長をはじめ中国から四〇〇〇人を越える友人達を東京にお迎えして、小泉総理をはじめ、多くの国会議員も参列の上、「日中友好文化観光交流式典」が盛大に挙行されました。その年の九月、国交回復三〇周年の式典には、一万三〇〇〇人を越える日本国民と八三名の国会議員が人民大会堂に集結しました。この時も当時の江沢民主席、胡錦濤副主席をはじめ、国を挙げてあたたかく歓迎していただき、交流大会は大成功を収めました。その際の参加者によって、万里の長城に一万三〇〇〇本の記念植樹が行われました。参加の皆さんは深い感激を覚えるとともに、今もこの時の感動の様子を日本の津々浦々で熱く語りつがれています。

 お互いの交流は、大規模なイベントも大切ですが、「草の根の交流」「心の交流」も、また大切であります。

《大賀蓮》
 次に、「大賀蓮の物語」についてご紹介いたします。一九五一年、東京の近くの千葉県検見川にある東京大学グランドの地中から発見された三粒の蓮の実は、古代蓮の研究家である大賀一郎博士の手によって、見事発芽に成功しました。二〇〇〇年の眠りから覚めた古代蓮の蓮の実は今、日本の各地、世界の各地において、鮮やかな紅の可憐な花を咲かせ、多くの人々に、二〇〇〇年の壮大な歴史を想い起こさせてくれます。

 大賀蓮はその後、博士の愛弟子であり私の高校時代の恩師であった阪本祐二先生や、東京大学大学院の南定雄先生達に受け継がれ、研究が続けられています。

 私は中国への渡航が容易でなかった、今から二十数年前に、私の恩師の阪本先生に「中国へ今日までの研究の成果を発表にいかれたらどうですか、そして大賀蓮を中国の地に里帰りさせてはいかがですか」と進言しましたが、残念ながら約束が実現しないうちに、先生は他界されました。

 昨年、海南島のボアオ・アジアフォーラムの常設会議場の一角に、関係者の協力のもとに、大賀蓮の池を造って頂き、「大賀蓮」「日中友誼蓮」「舞妃蓮」など三種類の蓮根を日本から移植することに成功しました。

 ボアオ・アジアフォーラムでは今年の秋には「ボアオ東方文化苑」という、立派な「蓮資料館」が作られることになりました。

 しかし、この日中友好の象徴として、二〇〇〇年の歴史を持つ大賀蓮の研究は、この「大連」から始まったことを最近になって、私ははじめて知りました。

 木村遼次氏という大連生まれ、大連育ちの音楽家の書かれた本の中に、次のように記されております。「満鉄教育研究所の教官としての大賀博士は満州に一六年の間、在住され、前半の七年は大連の住人として過ごされました。その際、普蘭店において中国人の親しい友人から、化石のようになっていた古い蓮の実をもらいうけ、研究を重ね、発芽する可能性があることを確認されました。日本に帰られてからも大連の地で得た確信に基いて、古代蓮の探究に、執念を燃やし続け、遂に一九五一年、三粒の蓮の種の発見に到達されました。

 この神秘のような大賀蓮の研究が、大連から出発したことを知った私は、蓮の花を通しても大連とご縁が深いことをうれしく思うものであります。

 ご当地においても労働公園には、八万本もの蓮の花の咲く、大きな池があり、蓮の研究が続けられていると伺っております。

 私の知る範囲では、中国の雲南地方、杭の杭州植物園、海南島、そして大連でありますが、日本の蓮研究とネットワークを構築することによって、研究の成果をさらに、発展させることが出来ると考えています。

 蓮は「東洋の花」であり、「アジアの花」であり、日中両国の親善交流の象徴であると共に、さらに誰もが知る「仏教の花」であり「平和の花」でもあります。

 大賀博士は「蓮は平和の象徴也」と揮毫を残されていますが、博士は平和への願いを蓮の花に託し、毎年初夏の頃、私たちに平和の尊さを語ってくれているような気がしてなりません。

 今年の五月未には、私の郷里から二〇〇名の皆さんが海南島へ渡る「大賀蓮の観賞の旅」を計画しています。

《日中関係の課題と世界の中の日中関係》


 次に日中関係の課題について在席の皆さんと共に考えてみたいと思います。

 今や、日中の友好関係の継続発展は、順調に進んでいますが、残念ながら、友好関係に水を差すような言動がないわけではありません。

 一つは靖国神社への参拝の問題に象徴されるような、歴史認識の問題であります。また、日本国内には依然として高い伸び率を示す中国の国防費に対する懸念の声もあります。日米ガイドライン関連法の制定当時のように、日米安保の動向に関する中国側の懸念による安全保障上の問題もあります。これらの問題について、特に国民レベルの相互理解を深めることが何よりも重要であります。時にはお互いに耳の痛い話であっても、冷静に話し合うことが大切であります。

 歴史問題について、誠に残念なことでありますが、日本が過去の一時期、中国との関係において軍国主義という誤った道を歩み、中国をはじめとする多くのアジアの人々に言葉に表せないような多大なご迷惑をかけ、損害を与えたことであります。

 日本政府は謝罪を繰り返すと共に、大多数の日本の人々も「申し訳ないことをした。あのような誤りは二度と繰り返してはならない」と深く心に誓っています。

 日本は誤った国策に対する厳しい反省の上に立って、戦後、平和国家建設への王道を歩んで参りました。従って戦後の日本は、軍事大国を断固排除して参りました。当然、日本は、国際紛争解決の手段として、武力による威嚇、又は武力の行使を放棄することを憲法に明記して、攻撃的ミサイルを持ちません。長距離爆撃機などの戦略兵器を持つことも拒んで参りました。

 日本は外国に一切の武器を輸出しておりません。自衛隊は専守防衛に徹しています。アジアの平和と、発展の中にこそ、日本の未来があり、日本の平和と、繁栄が確保されるという考え方に立って、アジアの国々に対する積極的な経済協力を中心に懸命な努力を重ね、多くの国民もこれを支持してきたところであります。日本の経済援助は九一年以来、一〇年連続世界最大規模となっております。

 近ごろは、一部の人たちから、日本は再び軍事大国への道を歩もうとしているのではないかという疑問を投げかけられることがあります。我が国の国会も、大多数の国民も軍事大国にならないという基本方針を全面的に支持しており、私たちも不戦の誓いは永遠のものであると信じております。

 これらの点について、私たちは中国の友人の皆さんに機会ある毎に理解を求める努力を重ねております。しかし両国が「歴史認識」の問題を乗り越えるまでには、まだまだ残念ながら、時間がかかるかもしれません。

 日中両国の未来を想うとき、我々は、この問題の前に立ち尽くしている時ではありません。解決に向けて、さらに一歩前進することが重要であります。しかし私たちは、日本の若い世代に向けて、この面での教育を一層充実させると同時に中国の皆さんには、今日の平和に徹した日本人の生き様を正しく理解して頂く努力を、今後とも粘り強く続けて行きたいと考えております。

 そして「世界の中の日中関係」の重要さを、私たちは、改めて、認識する必要があります。

 今日の日中関係に辿りつくまで、多くの先人たちのたゆまない努力と大きな決断があって、ようやくここまで到達出来たものであります。

 今や私たちの二国間は善隣友好を唱える関係から、さらに両国が力を併せて「世界の中の日中関係」へと成熟した関係に発展させることが、二十一世紀の日中関係であると確信しております。

《経済協力》
 ご承知の通り、最近、特に活発化しているのは、経済協力の関係であります。例えば、二〇〇三年の日中間における貿易総額は、前年に比べ三〇%増え、米ドル換算では約一三二四億ドルに上り、中国は日本にとって、米国に次ぐ第二位の貿易相手国であります。一九七二年の日中国交正常化時点における貿易総額は僅か一一億ドルでした。両国の政府及び国民の努力により、三一年間で約一二〇倍にも増加したのであります。

 日中両国が貿易という側面で切っても切れない密接な関係を築き上げているのであります。しかも地理的には、お互いに引越しが出来ない間柄であります。昨年、我が国が、中国から輸入した総額は七五一億ドルで、国別の順位では、中国が第一位となっています。今や中国は、日本経済にとって、アメリカと並ぶ極めて重要な貿易相手国であり、企業活動も大きく発展して参りました。最近では、貿易や投資や製造にとどまらず、販売網の相互活用、新しい商品の企画、設計、研究開発などにも及んでいます。

 日中間の経済活動は、密接な相互補完の関係が構築されつつあります。日中平和友好条約の締結の翌年である一九七九年以降、日本は円借款を実施しており、二〇〇二年度までの総額は、交換公文ベースで約三兆円に及んでおります。

 中国に対する経済協力について、二〇〇一年秋に「対中国経済協力計画」を策定して以来、従来のような沿岸部の経済インフラ中心の支援から内陸部を中心とした環境、人材育成等の重点分野へと対象の絞り込みを行ってきております。

 中国側もこうした日本の考え方を理解され、本年度(二〇〇三年度)の要請案件は環境保全と人材育成分野に集中しております。日本政府としては、これに基き、中国の経済社会の開発のみならず、日中間の人的交流が促進される等、日本にとっても意義のある「互恵性」のある案件に対して、円借款を供与するとの考え方に立っております。

 その結果、本年度の供与約束総額は約九六七億円となる見込みであります。内訳は、環境案件が約五一〇億円、人材育成案件が約四五七億円であります。総額では、昨年度の供与約束額一二一二億円と比較し、約二〇%の減となります。

 近年はODAも削減の傾向にありますが、それは中国経済の着実な発展の証でもあります。中国の安定した発展と、日中両国の友好関係の構築を願って、日本が提供したODAが中国の国づくりにお役に立つことを、日本の国民は願っております。

 今日の中国が抱える課題に対する協力へ、重点を移すものであり、以前と同様に中国の発展に一層貢献する決意であります。

《民間交流》
 私たちの日本と中国との良好な関係は数限りなく、古の時代から今日まで続いております。中でも、日中間で多くの人々が共に尊敬を寄せる、最も有名な歴史上の二人の人物について申し上げたいと思います。

 一人は中国の鑑真であり、一人は日本の空海であります。この偉大な人物が果たされた計りしれない大きな役割に、私たちはあらためて敬意を表しながら、遠く想いを馳せてみたいと思います。



 鑑真和上は中国を代表する高僧として尊敬を一身に集めておられましたが、日本の朝廷の招きにより、高い理想を抱いて日本への渡航を試みました。五度の失敗と失明という不運に見舞われながらも、苦難の末、十二年の歳月をかけて六度目に日本へ到達されました。七五九年、奈良県に唐招提寺を創建され、仏教と中国文化を日本に伝承された名僧として、日本国民の間では余りにも有名であります。

 次は空海であります。空海は、弘法大師として、高野山を開き、密教の聖者、日本の名僧として人々の尊敬を集めておられます。

 高野山は私の郷里、和歌山県に所在し、今年の七月には世界遺産にも登録されようとしている名刹であります。

 空海は八〇五年、唐の都、密教恵果阿闇梨を受け継ぎ、帰国の後の八二八年、真言密教を拡げると同時に、理想教育の私学を最初に開設する等、近代日本への端緒を開いた高僧であります。

 これらのお二人の教えに象徴されるように、日本は中国文化の大きな影響を受けていることは申すまでもありません。

 しかし、鑑真や、空海のような、偉人の往来も極めて重要でありますが、国民相互の交流も、また重要な役割があります。お互いに相手の国を理解し合う、これは観光の要諦であり、易経によれば観光には、お互いが学ぶという大事な視点があり、互いに尊重し認め合う中から、新しい時代の日中関係の構築へとステップアップが期待出来るのであります。そして若い世代は、修学旅行のような形で相互交流を活発にしたいと考えております。

 修学旅行は、ホテルを利用するだけではなく、互いにホームステイ等を通じ、両国の子供達が友人となり、仲良く言葉を交わす、スポーツや音楽を楽しむ事が大切であります。

 私はこの際、中国からの訪日団体観光客の受け入れについて、何が問題となって、交渉が難渋しているかについて率直に申し上げたいと思います。

 それは、日本の治安の問題が、今、大きな社会問題となっているからであります。観光ビザで訪日され、そのままオーバーステイとなってしまっている人もいます。司法当局は、近ごろの日本国内における中国人の犯罪の増加に伴い、このことに極度に神経質になっております。私たちは日中友好のためにもこのような時にこそ、お互いに言うべきことを述べ合い、両国政府の協力によって治安の回復に努力しなければなりません。

 しかし、観光を目的で来日される人とパスポートの偽造等による不法入国の人とは、はっきりと区別して考えるべきであり、両国の旅行観光関係の方々の努力や、両国政府の治安当局の積極的な取り組みによって、早い機会に、このような問題が解消されるよう、今後も懸命の努力を重ね、本来の国民交流がより発展する方向で、日中両国の指導者の一層の奮起を期待するものであります。

 団体観光客ビザの発給対象地域の拡大について申し上げます。現在は北京、上海、広東のみでありますが、三地域を更に拡大する方向で調整を重ねております。私も中国の友人の皆さんからの再三の強いご要望に応えて、拡大実現の努力を重ねて参りました。

 私は昨年五月の訪中の際、胡錦濤主席と与党三党幹事長との会談においても八項目にわたる改善すべき問題点について、申し入れました。

 また、私は現在、自由民主党観光対策特別委員長として、「訪日観光円滑化問題小委員会」を設置して、ビザ発給地域の拡大について積極的に取り組んでおります。このことに関し、小泉総理や福田官房長官や各閣僚も陣頭指揮にあたり、実現に努めて参りました。武駐日大使にも、ご努力を頂いております。その結果、ようやく新たに四省一市、遼寧省をはじめ、江蘇省、浙江省、山東省、天津市に拡大する方針を固め、現在日中両国の政府間の担当責任者による具体的な事務折衝に入ろうとしております。

 両国政府が決定することではありますが、私の判断によりますと、遅くとも今年の夏の頃までに、今回拡大する地域の第一陣の訪日観光客をお迎えしたいと考えております。

 その際、私は遼寧省から、そして大連から、多くの友人の皆さまを一番にお迎えしたいと思っています。今回の拡大が互いに成功し、問題がなければ、極めて近い将来日本政府は、これを中国全土に拡大する方針であります。

 最後に申し上げます。かねてより私の尊敬する中国の有名な天才詩人の蘇東坡先生の「水調歌頭」の中に『ただ願わくば、人の長久に、千里嬋娟を共にせんことを!』という私の好きな一節があります。

 本日を機会に私は東北財経大学の皆さんと、「例え千里離れていようとも、お互いに同じ月を眺めている」ことを信じながら、大学の発展と皆さまのご健勝をお祈りしつつ、私の記念講演を終わります。ありがとうございました。



・「いま、観光を考える」
衆議院議員


社団法人 全国旅行業協会会長


二 階 俊 博


国際観光学会における二階全国旅行業協会会長の記念講演より
二〇〇四年十月十日(日) 於:流通経済大学


 日本の観光をどう開いていくかということに思いをいたしている者として、国際観光学会にご出席の皆さんとともに勉強させていただきたい――今日はこういう気持でお伺いしました。先ほど、流通経済大学学長の野尻先生から、当大学の国際観光学科設立に際してのエピソードをお話いただきましたが、大学は今日、このように大きく発展されており、先生としては軽いお気持といいますか、タッチでお話しされたと思いますが、私は、国際観光学科設立に至るご苦労のほどを身にしみて承知しております。観光大学、観光学部、観光学科という形はともかくとりあえずスタートさせること、どんな規模でも形でもいいから、これを出発させることが大事だということを私は当時から思っておりました。今、野尻学長のご苦労のほどを伺いまして、政治に携わる者として、半分は申しわけないなという気持とともに、よくぞここまで開学、発展させていただいたということに改めて敬意を表します。私自身、この観光学科、観光学部の発展に努力をさせていただくことができれば幸いであります。

 私は、観光問題に関しては全くの素人ですが、ご紹介にありましたように運輸政務次官を二度務めた経験があります。その一度目のときの一九九〇年、アメリカのワシントンで行われた日米観光協議の共同議長を務めるというのが観光に携わる最初のスタートでした。今ちょうどご当地に関係の深い成田空港株式会社のトップの松橋会長さんが、JTB、あのころは日本交通公社の社長に就任されるちょうどそのころでした。三〇名ぐらいの日本の観光の専門家の皆さんとご一緒にアメリカ・ワシントンに参りまして、政府といろいろな協議をし、その後一〇日間ぐらいかけて、アメリカの各地を訪問いたしました。

 観光に関するアメリカの取り組みというものを垣間見るときに、これは日本もぼやぼやしてはおれないなというふうに感じました。よく「もてなし」ということを言われますが、「もてなし」なんかは日本の方がはるかに上手だというふうに我々は思い込んでいました。皆さんもそう思っておられるのではありませんか。アメリカは分厚いステーキに代表されるような、大まかといいますか、いいかげんだとは言いませんが、大体、荒っぽいという感じがするわけです。体格の大きさも、国の大きさも影響しているんでしょう(笑)。しかし、彼らがひとたび研究し、勉強して対応しようというときには、すごいなと思いました。いろいろなパーティーへ参りますと、あちらこちらに日本にしかないものが並んでいるのです。例えば、枝豆のゆでたものとか。普通は、アメリカで青い枝豆がパーティーに出てくるとは思わないでしょう。それが用意してくれているんです。それから、簡単な記念品の交換があったりしますね。こういうコップ一つにしましても、ここにメンバーの名前を彫り込んであるんです。そんなことは、日本は得意ですがアメリカは得意じゃないとみんな思っている。とんでもないことです。あるところへ伺ったらワインを出してくれたのですが、我々ミッションの名前を書いたラベルをそのワインに貼ってあるんです。みんな大変喜ばれて、記念に持って帰ろうなどと言っておりました。アメリカでも、ちょっと頭をひねって日本に詳しい人からいろいろなことを聞き、調理人なんかは日本人の調理人が、この州のこの市のどこにいるかということを調べて、臨時に雇ってきているわけです。魚なんかはどこからでも集めてこられる時代ですが、料理など、大変気の利いたことをされていたことを思い起こすわけです。

 二度目の運輸政務次官の時は、ちょうどカナダとの交流のときでした。私は、二回にわたる政務次官の間にアメリカやカナダの観光問題に、旅行業界、観光業界の専門家の皆さんと共に参加させていただき、観光の問題についていろいろなことを学ばせていただきました。



その後、ほどなくして、全国旅行業協会、これは、比較的小さい旅行業者の皆さんが、六〇〇〇社ばかり集まっているんですが、そこの会長をやれというようなことになりました。私が、そのとき思ったことは、旅行観光ということでは誰もが一家言を持っている。誰もが経験を持っている。これらの皆さんのいろいろなご意見をお伺いし、そこから新しい知恵といいますか、旅行観光の振興についてのアイデアを吸収していきたいと思いましたので、遠慮なくお願いできるような人を一〇〇人ばかり選びまして、「日本の観光を考える百人委員会」というのを立ち上げました。そして、第一回目は神坂次郎さんという作家をお招きして、お話を伺ったわけでございますが、その話の中で大変印象に残ったことは、日本の旅行の最初は金毘羅さんにお参りすることであった、そして、今、高野山や熊野古道が世界遺産に選ばれて大変にぎわっておるわけですが、歴史的には「蟻の熊野詣」ということで、これまた有名であります、そしてさらには、お伊勢参り、四国のお遍路さん、これらすべてが観光である――こういうお話を伺い、観光というのは、歴史、文化に根差したもの、そういう出発点が大事だということを改めて感じたものであります。

 言い古されたといいますか、だれもが知っていることでありますが、観光というのは、中国の四書五経の一つにあります「易経」の一文で、「国の光を観(み)る」という意味です。ややもすれば物見遊山のように言われている観光にも、やはり学ぶという視点がそこにあるんだということを我々は忘れてはなりません。相手の国、相手の地域を訪問して、そこから学ばせていただく、また、その地域の光を見る、改めて発見する、再認識するということが大事だということであろうと思います。

 この観光問題、いろいろ難しい問題に遭遇することがあります。このごろは自信を持って申し上げることができますが、何としても二十一世紀の我が国のリーディング産業は観光であるというようにしなくてはならない。これは観光に携わるすべての皆さんがそういう認識を持っていらっしゃると思います。そのために、私たちは、この美しい日本に生まれ、そして、改めて魅力ある日本をそれぞれの地域で創造していくという努力、これが観光に取り組むこれからの私たち、あるいは市町村、県、ご当局等、多くの政治、行政、そして、この観光産業に携わる幅広い多くの皆さんがそれぞれの力を結集することが大事であります。力を結集することによって、実現が可能だというふうに私は思っております。

 今では、観光を語らない知事だとか、市町村長は、ほとんどおりません。何かのたびに観光ということを言われます。政府もまた、このごろは盛んに観光、観光と言う。観光を言ってくれるのは大いに有難いのですが、観光をもっと引っ張っていくためには、何をしなければならないかということを考えなければいけない。二言目には、観光は大事だということを言ってはくれるが、大事と言われるならば、施策の上ではどうするのか、予算ではどういうことをするんだ、法律ではどうするんだということがなくてはなりません。



 例えば、中国と日本との観光交流の問題があります。中国の方々にできるだけ日本に来ていただきたいとビジット・ジャパンということで頑張っているわけでありますが、それならば、中国の方々が日本においでになるためのバリアを取り除く努力がなくてはなりません。ごく最近までかかり、平成十六年九月十五日にようやく拡大できたのですが、中国からの団体観光客のビザの発給地域の拡大につきまして大変な問題がございました。片一方でビジット・ジャパンと言うならば、中国のみならず諸外国の人たちが日本にお越しになった場合に、言葉の問題もある、あるいは交通機関の問題もある、外国からお越しになったすべての方々に、もっともっと親切な日本でなければならないはずです。そして、政治や行政はどうサポートすべきかということを具体的に実行に移す時期に来ておると思うのであります。

 そこで、この「観光」の全体像を考えてみますと、やはり、特徴は平和産業であるということが言えるわけであります。観光交流というのは、まさしく世界平和に貢献することが出来る重要な役割を担っていると思っております。戦争が起こっている、噴煙が立ち込めている、ドンパチをやっているような地域で観光を語っても始まらない。私たちは、観光交流を広く進めていくことによって世界平和に貢献していくことができる。もっと言えば、戦争に費やすあの莫大な、しかも馬鹿馬鹿しい予算を、たとえ一〇分の一でも、観光に回すことによって、お互いに交流を深め、理解し合い、戦争を回避できる場面というのがたくさんある。

 例えば、私の地元の和歌山などでは、いわゆる「アメリカさん」と言われるぐらい、戦前からアメリカに移民された方が大勢おられます。そういう人たちは、私たちの子供のころに「アメリカというのはこういう国だ。アメリカはすばらしい」ということを随分言って聞かせてくれたものであります。しかし当時、もっともっと多くの人たちがアメリカという国を理解していれば、あの戦争に進んでいっただろうかと思うのであります。

 皆さん、アメリカへ旅行されて、第一番目にそういうことを感じませんか。ほとんどの皆さんが、この国と戦争しちゃだめだということを思う筈です。中国もまたしかりであります。我々はそういうことで、井の中のカワズといいますか、世界を知らなさ過ぎたということを大きな反省材料として、次の時代に、このことを語り継いでいかなくてはならない大きな責任があると思っております。

 先ほど冒頭でも申し上げましたが、文化という問題が交流の橋渡しに大きな役割をしています。この点で、これから取り組んでいかなくてはならない問題はたくさんあります。



 先ほど高野山の話を申し上げましたが、高野山の空海が中国へ勉強に出られてから、ちょうど今年で一二〇〇年になるわけです。高野山は歴史的な宝物、また歴史的な書物、文化財をたくさん持っておりますが、最近、世界遺産の指定を受けるとともに、このことが脚光を浴びておりますので、各地で高野山の展覧会をやっております。この間、大阪でやっておりましたので、最終日に私も伺ってみました。文化だ、宗教だと言っている場合じゃなく、芋洗いみたいになっている会場から、どうして外へ出ていくかという位の大変な賑わいでございました。それは最終日だったからかもしれませんが、各地で賑わっております。今度、名古屋でやるようであります。

 間もなく、来年(平成十七年)北京、上海、あるいは大連で、今度は逆にこちらから中国に行って展覧会を開きます。こうしたことが日中両国の学生諸君含め、多くの人々に、歴史的なつながり、文化的な交流を改めて再確認、再発見してもらうということが大変大事な意味合いを持つのではないかと思っております。

 それから、最近でありますが、「フラワーツーリズム」という言葉がはやってまいりました。最近まで、成田空港公団の総裁をやっておられ、運輸省の事務次官も勤めた、日本観光協会の中村徹会長が中心になりまして、フラワーツーリズムの推進協議会というのを全国的な規模でつくっております。そして、花の国・日本運動というのをやっておりまして、第二回目の大会が、今、花博をやっております浜松市で開かれております。その際「おかげさまで浜松花博も五〇〇万人を突破しました」と喜んでおられました。浜松の新幹線駅の電光掲示板にも入場者数が誇らしげに点灯され、関係者の皆さんが、「やってよかった」「花が中心になって、こんなに観光だ、文化だと日本中の人たちから注目をされ、大変うれしかった」と、こういうお話をあちらこちらで聞かせていただきました。そして、同じ開催期間で規模は少し小振りになりますが、熱海でも花博が開かれ、これにも二三万人の人が集まったという実績があります。

 花を申し上げたついでに、ここは千葉県でございますから、「大賀蓮」のことについて、簡単に申し上げてみたいと思います。この大賀蓮というのは、ご承知の方もいらっしゃると思いますが、今からちょうど五十五、六年前、千葉県の検見川の東京大学農学部のグラウンドの地中から三粒の蓮の種が発見されました。ラジオカーボンテストによりまして、二〇〇〇年前のものであるということが、科学的に証明されたのであります。その蓮の種を大賀一郎博士が研究し、見事開花させたのが「大賀蓮」です。この大賀博士の愛弟子で、東京農大で一緒に研究をされておりました阪本祐二さんという先生がおられまして、たまたま私の高校時代の生物学の先生でした。その阪本先生が黒板に蓮の絵をかいて、蓮の生い立ちから、大賀博士が発見され、開花に至るまでの苦労等を、情熱を持って、教壇で語られたことを今でも覚えております。

 ある時、私は阪本先生に「ちょうど蓮の種が地中から発見された時に、丸木舟も一緒にあったということからして、これは中国から渡ってきたのではないかと言われるようですが、どうですか」ということを質問したところ「まだ、中国だということを断定する証拠がないんだが、いずれにしても、仏教や東洋の花としての蓮の存在からして、大賀蓮も中国との交流の糸口になればいいと思っている」と言われたものですから「先生、それじゃ、その蓮のレンコンを持って中国へ行こうじゃないですか」と申し上げました。私が当時、和歌山県会議員だった頃で、日中間は、まだまだ交流の難しい時代でありました。しかし、道を開くことはできるだろうと思って相談し、先生も大変楽しみにしておられました。しかし、残念ながら出発を待つことなく先生はご他界されてしまわれました。そこで、先生の奥さんがそのことを全部知っておられましたものですから、後に、私たちは奥さんと一緒に、杭州の植物園へ、この大賀蓮をお届けしたわけです。最初はよかったのですが、例の紅衛兵運動で蓮の池が全部壊されてしまったということで、一時は頓挫していたのです。

 私は、蓮の話がそこで立ち消えとなってしまったのでは困るので、何とかして誰か中国側に跡を継いでくれる人を見つけなければいけないと思って、北京へ参りましたときとか、あるいは上海へ参りましたとき、いろいろな方々にお話をしました。



 心のある人は、なかなか力がない、力のある人は心がない。心と力とを両方持ち合わせている人を見つけなきゃいけない、こう思っておりましたところ、海南島で、その心と実行力のあるパートナーを見つけることができました。蒋暁松さんというボアオ・アジア・フォーラムの副理事長であります。ご承知のように、海南島には、ボアオ・アジア・フォーラムといって、アジアの首脳が集まって討議をする常設の会議場があります。その常設の会議場の周辺に、蓮の池を九つ造ってくれました。なぜ九つも池が必要かといいますと、繁殖力も生命力も強力でありますから、セメントのちょっとした壁ですと小さいツルが越えていっちゃって、また向こう側へレンコンをつくってしまうものですから、どの種類の蓮も、この種類の蓮もみんな混ざっちゃって、どうも研究とかということには向かない。そういう理由で池が幾つか要りますので、九つ造ってくれました。今ここで大賀蓮が盛んに咲いて、多くの人たちがこれを見に来られます。

 大連の東北財経大学というところで、私が講演に行ったときにその話をしました。この大賀一郎博士は、旧満鉄の教習所の先生として一六年間、満州、つまり中国におられたそうで、大連の郊外に普蘭店というところがありますが、その普蘭店で中国の友人から化石のようになった蓮の実を譲り受け、そこで古代蓮の存在に確信を持つようになり研究を始めたそうです。戦争が終わった後、引き揚げてこられ、日本で研究を続けておりましたが成果が上がらず、ほとんど研究も挫折しようかとしておった、そういう時期に、この千葉県の検見川で三粒の蓮の種を発見するに至ったという劇的なお話であります。

 私が時々こんな話をしておりますので、インドの首相を務められたこともあるバジパイさんが小耳にはさんだらしく、「蓮の問題に関心を持ってくれているということは大変うれしい。今度会うときに、大賀蓮をインドへ持ってきてくれないだろうか」ということを秋田工芸美術短大の石川学長を通じて言ってきました。今は政権の座から離れておりますが、少し前まではインド人民党(B・J・P)という政権党であり、その政党のシンボルマークは、何と蓮の花であります。ですから、そういう意味で、ぜひ、と言われておりましたので、先般、インドへ参りましたときに、この政党に立ち寄りましたら、もう既に池をつくって、植えるばかりにして待ってくれておりました。蓮のことに理解が深いとみえて、関係者は大変興味、関心を持って、大勢の人が集まってくれておりましたが、おかげさまでその蓮はうまく根付かせることができました。



 インドの国会議員で、蓮の問題で立派な著書「蓮は平和の象徴である」というふうなタイトルであったかと思いますが、そういう本を出された議員がおりまして、お目にかかって、その本も頂戴してまいりました。この本をこの国会議員が書くことになった由縁は、バジパイさんと同じ政治経歴を持つこの議員が「いよいよきちんと政党を立ち上げる。そのときにはシンボルマークは蓮にするから蓮にちなんだ本を書け」と、バジパイさんから言われてその本を書いたとのことでした。大変立派なものであります。その中には、蓮は仏教の花であると同時に東洋の花である、と同時に、氷河で凍りついたような地域と砂漠は別にして、あとは世界中、どこにでも成育するということが書かれております。かつては北米の五大湖にも蓮が大変盛んであった歴史など、インドのことだけではなくて世界中のことに触れておられますし、驚いたことに、この著書の中に、大賀蓮もはっきり、詳しく、そして正確に掲載されていました。

 時間がございませんので、それぞれの国の内容について申し上げられませんが、インドネシア、ミャンマー、ベトナムも蓮との由縁が深いものがあります。特に、ベトナムでは観光で関係の深いベトナム航空のシンボルマークは蓮でございます。この間、ベトナムの服部大使は、二階から蓮について、初めてこんな話を聞かせてもらったということを、ある雑誌に書いて、そのコピーを閣僚に送ったところ、六人の閣僚から「一度話に来てくれ」と誘いを受け、行ってみたら「日本の大使は、こんなことにまで心を砕いて、我が国のことを理解しようとしてくれているのか」と言われたそうで、このごろは、私にも大使から蓮の便りを送ってくれます。



 政治では大変難しい関係のインドとパキスタンですが、パキスタンでも蓮は盛んなようであります。私はパキスタンのムシャラフ大統領にも三度お会いしたことがありますから、そのうち手紙でも出して「インドとパキスタンの話の難しさはお互いに理解するところであるが、このことに関して、今、大賀蓮の点在するところに新しく、シルクロードではありませんが、ロータスロードをつくってはどうだろうということを、各地の皆から声が上がっている。そのときにパキスタンを外すというのはどうかと思うが、入ってくれるか、入りたくないか」ということを説けば、政治家として判断されるだろうと思っているんです。そういうことが、また平和産業としての観光が果たす役割の一つにもなるんじゃないかと思っております。

 先ほど清水専務理事から三連休のお話がありました。今日はまさに三連休でございまして、観光業専門の方にとっては一番の稼ぎ時でございますが、そのときに台風にぶつかったということは大変残念であり、申し訳ないような感じがいたします。三連休というのは、ご承知のように、成人の日と、海の日と、敬老の日と、体育の日、これを、それぞれ式典の日を月曜日に移すことによって、土・日・月と三連休にしよう、こういうことであります。

 世の中のこと、特に政治では、誰かが喜ぶと誰かが反対する。誰かがもうかると誰かがまた被害を受けるというようなことが間々あります。この三連休こそ、みんなが喜ぶだろうと思っていたのですが、なかなかそうでもないようです。私の所属する全国旅行業協会の中からも「これ以上、休みをつくられたらかなわない」と、経営者の立場から言ってきました。「休みをつくるんじゃなく、週の中ほどの休みを月曜日に移すんだ。第一、旅行業社が文句を言うことはなかろう。旅行業は、これでもうかるんだから、文句を言われる筋合いはない」と言って説明をしたんですが、最初のうちはそんなところからの出発でした。

 今、私は自民党ですが、当時は自民党ではありませんでした。そんなころ自民党が「困った、困った」と言うから「何が困った?」というと、『敬老の日を動かすということに対して、八〇〇万人いる老人クラブから「以後、自民党の応援なんかしない」と文句を言われちゃった』と言って困り果てているのです。それで当初は、私の方の保守新党と公明党とで、議員立法として法案を提出したのですが、自民党は「我々のやっていることで人が困ることになったらいけないから」と言って参加をしなかった。参加すると老人クラブから怒られるわけです。

 それで我々が老人クラブの方々を説得することになったんです。老人クラブというのは、今日ここにおいででないかもしれませんが、偉い人が多いんです。例えば、我々のグループには海部俊樹さんという文部大臣もおやりになった総理大臣経験者がおられますが、その海部さんに、その老人クラブのうちの一人が「海部君、あなたも随分偉くなったね」と、こう言うんです。それは、そのお爺さんが若いころ応援していた国会議員のところに行った時に、当選早々の海部さんが部屋へ遊びに来たんだそうです。そうすると、その先輩議員が「海部君、海部君、これは私の後援会の大事な人なんだが、国会の中を見て歩きたいというから、君、ちょっとこの人を見学に連れていってくれないか」と言われて、一年生代議士の海部さんは、その人を連れてずっと国会の中を案内して回った。その時の人が今、老人クラブの早く言うと “政調会長”のような仕事をしておりまして、「君も偉くなったね」と、こういう話になったわけです。

 そんなことがありましたが、これは多くの皆さんに喜んでいただけることですから、反対を表明しておられる人に対しては、理解、納得を得られる努力を出来るかぎりすべきだと思い、二、三時間を費やして老人クラブ代表の皆さんのお話を伺い、ご協力をお願いしました。そして、一日だけの敬老の日じゃなく、その週全部を敬老週間とし、みんなで、先輩方の今日までのご努力に敬意を表するという形で、これからの対応を考えますということでご理解をいただいたわけであります。

 先ほど申し上げました四つの祝日の中で、体育の日が旅行のベストシーズンでございまして、これは他の月とは比べ物にならないくらい多くの観光客が動きます。今のところ、この四つの週を合わせますと、一兆五〇〇〇億ぐらいの経済効果を生んでおるわけであります。

 一般的に、いろいろな施策を打ったからといって、すぐそれが業界全体の利益に結びつくとは限らないわけでありますが、この法律だけは、国が一円の予算も投入することなく、法律をただ一行変えただけで、このような成果を生むことができたわけであります。

 それと、この三連休は、そういう経済効果だけではなくて、家族との触れ合いの場を増やすということにも役立っています。このごろは少し下火になってまいりましたが、今までは、休みといえば、家庭をほったらかしておいて、会社の接待でゴルフに出かけ、仕事の延長線上のように得意気にゴルフに行っていたお父さんが沢山いました。アメリカでは、ゴルフへ三週も続けて行くと離婚の原因になる。離婚訴訟をされたときには負けちゃうそうです。日本は「それでみんなに飯を食わせているんだ」と威張って出かけていた。その間に家庭はどうなっているかということを考えるべきですが、三日間も休みがあれば、三日とも接待ゴルフに出かけていく人はいなくなるでしょう。そうすれば、子供とキャッチボールをやったり、サイクリングをしたり、山へ行ったり、野原へ行ったりする中で、子供がいま何を考えているか、子供が親に何を求めているかということもわかるわけですから、そういう意味でも、三連休の効果というのは、一兆五〇〇〇億円なんていう経済効果のみじゃなく、もっと大きな効果をもたらしてくれる。しかし、現実に効果をあらわすためには国民運動のような形で、みんなの協力を得なければなりません。三日間全部、横になって寝ているだけでは、家庭の問題に対して積極的に取り組みをしたということにはならないわけです。そして、旅行にも出かけていただくということがいいのではないかと思っております。

 この経済波及効果等については、皆さんが既にご承知のとおり、観光全体で五〇兆円産業と言われています。ここが、まさしく二十一世紀のリーディング産業だと言われる由縁でありますが、我々は、これをもっともっと増やしていくことを考えていかなきゃいけない。そして観光産業に携わっておられる方々は四〇〇万人、日本の総雇用数の六%は観光ということになるわけです。これも、もっともっと伸びていくであろうと言われております。

 観光産業は、大変すそ野の広い産業でございまして、そこに列挙しているように、たくさんの観光関係の産業があるわけであります。旅行へ行こうとすると、帽子も買うだろう、靴も新しくする場合もある、そういうことで言っていきますと、ずっと広がるわけです。先日、ある知事と、この話をしておりましたら「正露丸はうちの県のものでありますが、旅行が盛んになると、正露丸は旅行の必需品としてよく売れるんだ」と言って喜んでおられましたが、そんなところにも波及していくことが大きいわけであります。そして、観光産業、観光関連産業を発展させていくということは、地域おこしとも大変重要なかかわり合いを持っていますので、新たな産業を見出していくということが大変大事なことであると思っております。

 先ほど、冒頭、観光は平和産業だということを申し上げました。私は、SARS(新型肺炎=重症急性呼吸器症候群)の最中に、中国の胡錦濤さんとお話し合いをしなければいけないことがあり、当時、与党三党の幹事長として一緒に中国を訪問しました。実際、あまり楽しい旅行ではありませんでした。いきなり大きなマスクを付けさせられて行ったわけでありますが、中国に着いてみると、空港に出迎えてくれた大使だとか、中国の高官の皆さんは、だれもマスクをしていない。我々だけがマスクをしているんです。情報って、いかにいいかげんかということを思いました。走っている通勤バスの中で半分ぐらいの人はマスクをしておりましたが、していない人もいっぱいいた。しかし、厳重警戒の中で我々は会談をしました。ホテルへ入ってこられる人も全部検査ですし、新聞記者も、みんな、一度記者会見をして出て行って、記事を送って帰って来たら、また検査というようなことでありました。我々も帰国後、検査をされて、三日ほど外へ出ていくんじゃないというようなことでした。我々政治家の仕事は、三日も出ていかなければ、世の中変わっちゃうわけです。与党三党の幹事長の役割をしている者が三人とも日本へ帰ってきているのに、SARSの予防のために家で寝ているんだというわけにはいかないんです。でも、そんなことでした。



 SARSでマスクが売れると、マスクをつくれば大変な数が売れるじゃないかと思って、一目散にそういう方向へ走る人もいる。しかし、中には美談もありました。後に上海の市長に会ったときに、SARSの問題で、一番先にマスクを作る機材を提供してくれたのが日本だったということで大変喜んでおられた。私が上海総領事の杉本さんにその話を聞きましたら、全くそのとおりで、本省で予算がつけば、じきに送ってくれるということがはっきりしたものですから、我々は直ちにその手当てをした、そして、早速、提供しました、結果的に日本がSARS支援で一番だったということが大変評価されたということであります。

 このSARSのときに、中国行きの飛行機に乗ったのは私たちのグループが八名で、その他の人はずっと後ろに乗っておられましたが、全員で二八名でした。これじゃあ航空会社も大変だなと思い、私は航空会社の方に「何人乗れば油代が出ますか」と聞きましたら「五〇人乗らないと油代も出ません」とのことでした。「油代の半分もなくて飛んでいることになるんだね」という話をしたんですが、ほんとうに大変でした。

 その間二カ月間でしたが、日本の観光は大変ひどいことになって、例年より二六%観光客が落ち込みました。これは業界にとっては致命的な数字でありまして、よくぞ回復したものだと思っています。

 そしてイラク戦争、これは、これ以上申し上げませんが、ご承知のとおりであります。戦争の影響によって、観光などということは思いも及ばないような状況になっているわけであります。

 そして、私たち与党三党の幹事長は、いろいろな国へ外交問題のため出向きました。イスラエル、そしてパレスチナ、それぞれの首脳、リーダーたちといろいろと話をする機会がありました。厚さ五センチぐらいの防弾ガラスの車が私たちを運んでくれたんですが、一つの国に一台しか防弾ガラスの車がないわけです。周辺諸国から集めてきたわけですが、しかし、ついてきている新聞記者の皆さんを乗せていくわけにはいかずに、ホテルにいてくださいというような状況でした。そして、エルサレムの嘆きの壁へ参りましたときに、二人の幹事長から私に「二階さん、あなたは観光の方面に詳しいはずだが、このエルサレムの嘆きの丘というのは、観光的にはどの程度の価値があるだろうか」と、こう言われましたから、「これはすばらしい!宗教、歴史、いろいろな意味で、これを見てみたい、行ってみたいと思っている人たちが世界中にいっぱいいるだろうし、日本にもいっぱいいる。しかし、今日のように、相手が鉄砲を構えているような状況の中、観光客が来れますか?



 そういうことから考えると、観光という問題と、平和の問題とは、密接不可分の関係であって、我々はこのことをもっともっと真剣に考えていかなきゃいけない」と申し上げたことを覚えております。

 もう時間も迫ってまいりましたので、プラスの面を申し上げます。私はこの間、河南省の省長及び各市長さんたち、一〇名ぐらいと衛星テレビを通じて、約一時間のテレビ討論をしました。「日本から河南省へどうぞおいでください」ということで、省を挙げてのアピールだったわけですが、その河南省で四〇〇〇年前の、いわゆる大都市の遺跡が発見されました。そして、それは中国最古のものであるということが分かってまいりますと、この河南省が新たな中国の観光の一大スポットとして大変大きく注目を浴びるのではないかと思っております。

 その省長さん達とお話し合いをした時に「あなた方は日本のどこがいいか」と聞いたら「日本では、紅葉の日本が大変印象深い」ということを言っておりましたので、私は「もう日本は紅葉が一番盛んなシーズンになったから、早くいらっしゃい」ということを、近く言わなきゃいけないと思っております。

 また、世界遺産ということにちょっと触れておきますが、今さら申し上げるまでもありませんが、私の郷里の高野山や熊野古道が世界遺産に選ばれた。今までも観光客は来ていたのですが、今では全く違います。もう様変わりでして、だれもかれも、みんなどんどんやって来る。



 白浜というところに空港があって、そこから一日に三便ほど東京に飛行機が飛んでおるわけでありますが、今はもう満員で、みんなリュックサックを背負っている。熊野古道を歩いて見学するという人たちが大変多いということで、世界遺産に大変関心が寄せられておることの証拠であります。

 ビザの問題を申し上げようと思いましたが、時間がございません。今、中国の方で、団体観光ビザで日本に訪れる人たちは三億七〇〇〇万人に相当します。しかし考えてみれば、残り一〇億近い人たちがまだ残っておるということになりますから、私は、三億の皆さんが日本に来て特別の問題が起こらなければ、その次はもうオール中国、中国全土にこのことを広げるようにしなきゃならんと思っております。今日、ここに座っておられる皆さんは、学問的にも、あるいはまた、実際、観光業等についても深いかかわり合いを持っておられる方々が多くいらっしゃいますが、どうぞ、皆さんからも声を上げてください。

 私は、自由民主党に戻りましたら、直ちに、観光対策特別委員長というのをやれということになりました。「それじゃあ、好きにやらせていただくよ」ということを言っております。

 この訪日観光客の問題に関しても、日本に入ってくることに対して一方でストップをかけておいて、そして、片一方でビジット・ジャパンとバッジまで作って、宣伝にこれ努めているというのはおかしいじゃないかと申し上げております。「来い、来い」と言いながら、バレーボールのブロックではありませんが、みんながストッパーのようにジャンプをしている。バレーボールのブロックというのは自ずと限界がありますが、まだ日本へのアクセスを希望している沢山の省にとっては、コートの端から端までストッパーが並んでいるような感じでした。

 私は、政府とも随分やり合いました。つまり「犯罪を犯す人と、観光客を一緒に考えちゃだめです」ということであります。中国の公使があるとき、党の会議に見えまして「日本の人は雑草と花とを一緒くたに考えている。これはちょっとおかしいじゃありませんか」とこんなふうに言われました。

 今、フランスでは、外国から観光で七〇〇〇万人からの客がやってくる。やってくるところは、一生懸命「観光においでください」ということで、トップセールスに出向いて行ってやっているわけです。今回、日本でもそうでしょう、トップが出向いて行ってやっているんです。ですから、日本も、もっともっと、言っていることと、していることを一致させなくてはならないと思っております。しかし、我々が言うと角が立ちますから、どうぞ、この権威ある国際観光学会から色々と提言をしていただきたい。その声が、私の前を通過するときには「その通りだ」と言いますから、どうぞ、みんなで日本の観光を発展させましょう。そして、井の中のカワズみたいにして威張っているこんな状況ではなくて、もっともっと世界へ門戸を開いていってほしいと思います。そのことが平和につながっていくんだと考えております。

 それから今日は流通大学へお邪魔しているから言うんじゃありませんが、結論として一つだけ申し上げたいのは、この業界に四〇〇万人が携わっているといっても、人材がなくてはなりません。人の数は四〇〇万人あるかもしれないが、これをリードする人材を育てて頂かなくてはいけないのです。そのためにも、今日は流通大学で、冒頭からも大変有益なお話を伺って、私はうれしく思っているんです。

 最近、国立大学がみんな、だんだんと民営化に近いようなことを考えている、そういう風潮になってまいりました。今度、国立大学の中で、山口大学と琉球大学が、観光学科を新設したいということで手を挙げてきました。私の地元の和歌山大学では再来年ですが、観光学部をつくりたいというから、私は「大いにおやりください」と応援しながら、激励しております。日本にも、たくさんの大学がございますが、その中でも観光学部、観光学科を持っている大学は、まだまだ極わずかです。これではビジット・ジャパンと言っていても定着しないんです。

 それから、今日はそのメンバーの方もお見えいただいておりますが、私は観光業界がもっともっと表へ出て、大きな影響力を持たなきゃいけないんじゃないかと思っておるんですが、まだまだ観光業界には発言力がない。例えば経団連。経団連だけが偉いとは申しませんが、たまには観光業の関係者が経団連の会長になったとか、副会長になったとか、重要なポストにつくということがあってもいいと思うんですが、そういう状況には全然なっていない。

 私は盛んに産業界の中での観光業の位置づけをもっとセンターへ持ってらっしゃいと申し上げています。しかし、どうしてもそれが難しいならば、こっちが観光専門の観光版経団連というのをつくってやろうということで、私は、関係者の皆さんにお願いして「観光産業振興フォーラム」というのを立ち上げ、今、それを発展させ、社団法人の日本ツーリズム産業団体連合会ができ上がりました。これから、もっともっと力をつけ、そして、こうした大学に対しても側面から協力できるような、そういう組織であると同時に、卒業生を受け入れるということにも、もっと積極的であってもらいたいと思っております。



 私は、頼まれて、大連の東北財経大学の客員教授ということもやらせて頂いております。そこに、やはり観光学院というのを持っておりまして、そこの名誉院長もやっております。流通大学とも今日を機会に、ご縁を結ばせていただくことができれば、私は大変ありがたいと思っております。

 我々は、この東北財経大学の校庭に先日、五〇〇本の桜の木を植えてまいりました。もう、来年は、桜祭り、そしてアカシアの大連。ここで写真展とかいろいろなことをやって交流の場にしていきたいと考えております。

 先日のサッカーのアジアカップのときに、日本の試合の際の中国人サポーターの様子が放映されましたから、今、日中関係といったら、この話ばかりです。多くの人たちの中にはああいう人たちもおりますが、日本にもいるじゃないですか。一方で同時に、素晴らしい人たちも、あの一三億の中国の人たちの中にはおります。特に若い世代の人たちは素晴らしい。

 私は七〇〇人ぐらいの学生たちを前に話をしたことがあります。そこで何かがあったときには、これはまた別の国際問題に発展してはマズイなというふうに思っておりましたが、そんなことは全くありませんでした。

 またある時、私は休みの日に大学を訪問したことがあり、二〇〇人ばかりの学生が出てきてくれていました。言葉は通じなくても、嫌々来てくれているのか、本気で来てくれているのかはわかります。

 それから、特に、大学の教授の中にも日本に留学した経験を持っている人が相当おられるんです。その人たちが「日本の留学時代はほんとうにつまらなかった。日本の人たちは親切じゃなかった」と文句をいっぱい言われるのかと、ちょっと思っていたのですが、そうじゃありません。「日本はすばらしい、私の子供たちにも、また日本で学ばせたい」とおっしゃるのです。

 私は、お土産に鯉のぼりを持っていったのですが、そうしましたら、その鯉のぼりを校庭でひるがえして「私は、今度の休みに子供を必ずこの校庭へ連れて来て、日本で見ていたこの鯉のぼりを子供に見せるんだ」と懐かしそうに語ってくれました。こういう日本の友人たちも中国にはいっぱいいるわけです。今度、中国からも日本へ留学に来られます。地味なことではありますが、一歩一歩進めていくということが大事だと思っております。国際観光学会が大変積極的な活動を展開していだだいていることに心から感謝を申し上げます。最後に「伝えたいふるさとの百話」という本があります。時間がありませんから、国際観光学会へ置いていきますが、この本は当時、自治省に「それぞれの地域に、ぜひ伝えておきたいという立派な話がある。それが村おこし、町おこし、ひいては観光にもつながるんだ。あなた方なら日本全国から伝えたい逸話を百話探してくるのは簡単だろうから探してほしい」とお願いしまして作りました。ですから、今度は国土交通省にも「日本のすばらしい家を百探して下さい」と、お願いしました。林野庁にも「日本の森のすばらしいのを百探して来て下さい」と言いました。漁港だってそうです、港湾だってそうです。改めて見てみますと、我々の周りにも観光に活用できることがたくさんあるんです。この本には千葉県のことも出ておりますので、ぜひ、後ほどご参考にしていただきたいと思います。

 それでは、時間も少しオーバーしましたが、これをもって、私の話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

【司会】 二階先生、ありがとうございました。二階先生の思いのほんの一部を承った感じがいたします。また、機会を見て、ぜひお運びをいただきまして、ご高説を賜りたいと思います。改めて二階先生に御礼を申し上げます。ありがとうございました。



・『これからの観光産業』
衆議院議員


社団法人 全国旅行業協会会長


二 階 俊 博

「第27回新春講演会」
主 催 : トラベル懇話会
二〇〇五年一月七日(金) 於:虎ノ門イイノホール
 
 ご紹介いただきました二階俊博でございます。
明けましておめでとうございます。



 今日は新年早々から観光関係に特にお力を頂いております錚々たる皆さんが、全国からお集まりを頂き、このような素晴らしい会が、しかも今日で二十七回目の会だということを先ほど承りまして、関係者の皆さんのご努力のほどに、心から敬意を表したいと思っております。

 鷲頭誠・国交省総合観光政策審議官の到着が官邸の会議で少し遅れているということですが、私は詳しい内容を聞いておりませんが、今朝から何回か会いしましたから、おそらく良いお話だろうというふうに思っております。

 観光を進めていく上において、例えば先程来、糟谷会長のご挨拶にもございましたとおり、観光立国、そして一〇〇〇万人の観光客を我が国にお迎えしようと意気込んでみたところで、ビザの問題をはじめ、色々な障害があるわけでございます。相手国と我が国との距離の問題、あるいは旅費の問題、いろいろな制約があるわけですが、そういう制約を乗り越えたとしても、ビザの問題はかなり厄介な問題であります。このたび台湾から愛知万博の期間中ノービザで入れるということとなりました。韓国にもそのような対応をするわけですが、それでは中国に対しては一体どうなのかと言いますと、これはなかなか難しい問題があります。

 私も六年ばかりこの問題に携わってまいりましただけに、そう簡単なことではないと思っております。日中関係が難しいだけではなくて、国内問題でもあるからです。中国から日本に観光客として来ても一〇〇人の団体で来られて一〇〇人で帰っていただければ良いのですが、そのまま不法滞在になったり、あるいは思わざる事件に遭遇したり、そういうふうなことがあって、我が国の司法当局はこのことに対して大変緊張しておるのが現状であります。

 我々が中国の皆さんに団体観光ビザを許可した地域は、ご案内のとおり沿海の比較的豊かな所でありますが、昨年の九月十五日をもって、対象地域を拡大し、ちょうど三億七〇〇〇万人の人々を我が国に迎えることができることになったと言えるわけであります。しかし、あと一〇億の人々が残っています。立場を変えて言えば、「自分はその三億七〇〇〇万人のエリアの中に入ってない。しかし日本へ行って万博を見たい。近所の人たちも合わせて、学校のお友だちも皆合わせて三〇人ばかりで行きたい」と言ったときに「貴方の省は、日本との間で、そういう許可を得ておりませんから駄目です」と言うのでは、それこそ日中友好だとか言ってみたところで始まらないのではないか。

 そこで今朝ほど、そうした問題で、北側一雄国土交通大臣と話し合いをしました。実は私も、この十一日から二日間の旅でありますが、中国へ行ってまいります。当然この話が話題になるわけですが、その際の対応として、しっかりやらなきゃいけないということで、昨日、自由民主党の観光対策特別委員会の幹部会を開きました。関係省庁は国土交通省、外務省、法務省、警察庁でこれだけの役所がビザの問題に関与しているのですが、国土交通省以外はそれぞれ大変難しいことを言っております。北側国土交通大臣は問題点をよく理解されて「一〇億の皆さんが今度の愛知万博に限りビザを供与するということで、なんとかならないか閣内で努力をする」とおっしゃっていかれたわけでありますが、先程ちょうど十二時から観光関係の新年の会がございまして、そこで大臣自らが「そういう方向で取り組む」という決意を表明されておりました。

 今、いよいよ、この問題についての大詰め、今日は金曜日でございますが、私どもの出発は十一日ですのでもう今日しかありません。おそらく官邸の中でも、この問題に対しての協議が続いていることだと思います。良い方向に進んでいくであろうと思っておりますが、まだまだ予断を許しませんので、これからも一層の努力をしなければなりません。

 私は、ここで観光振興の「ふたつのトライアングル」について申し上げたいと思います。それは日本と中国、そして台湾も含め、さらに韓国、こうした関係におけるトライアングルを形成し、いろんな場面で、この日、中、韓の三カ国が協調、協力しあうことが大事だということを機会ある毎に訴えてまいりました。

 例えば、観光担当大臣が一堂に会して協議をする。あるいは、政府の役人レベルでも協議をしてもらう。あるいは、観光関係団体の代表がそれぞれ協力しあう。航空会社の皆さんが話し合う。船会社も話をしてもらう。こうして、関係者が三カ国で協力しあおうという、そういう体制を作っていくことが大事だということを申し上げておるわけであります。

 先般、私はJATAの新町会長と、ある新聞社が企画した対談で色んな話をしている中で、新町さんは、海外旅行、国内旅行、そしてインバウンド、この三つを言い換えれば、「三位一体」とも表現されておりましたが、こうしたことに大いに力を注いでいかなくてはならない、とおっしゃっておられました。私が申し上げる「三カ国のトライアングル」と、この新町さんのおっしゃる「トライアングル」とを、ちょうど掛け合わせていきますと、具体的な姿が見えてくるわけであります。

 国内旅行につきましては、もうご案内のとおりでありますが、おそらく三億二七〇〇万人の移動というのは過去最高のものであろうということを、大手旅行業界も認めておりますし、私もその通りだと思っております。

 また、海外旅行につきまして、SARSの問題だとか、あるいは先般のインド洋津波の災害等において、少し出足といいますか、これから上り調子になっていくところを挫かれたようなところはありますが、それでも二〇〇〇万人を目標にしているところを一七四〇万人に達している。

 インバウンドは、まだまだ一〇〇〇万というところへは少し距離がありますが、今年は七〇〇万人ぐらいは確保できるのではないかと言われています。で、このごろは「ビジット・ジャパン」という言葉が大変流行ってまいりました。これはお集まりの皆さんのご努力の結果です。この「ビジット・ジャパン」でインバウンドを増やすことと我々が提唱することは、これは大変良いことだとは思いますが、旅行、観光の場合は一方的なことではなくて、行ったり来たりするということが大事だと思います。私はいつも「鋸のようにやらなきゃ駄目だ」ということを言っておるのです。鋸は押すばっかりでも駄目、引くばっかりでも駄目。押したり引いたりすることで鋸の機能を発揮するわけであります。観光においても、お越しいただくこと、我々も出かけること、これが大事であります。

 そうした観点から、例えば、中国のビザの問題にしても、一方的に沿海地域だけを「この辺の人はお金も持ってるだろうから大丈夫」というふうな判断だけでいいのかというと、これはもう誠に間違った考えであります。

 私は和歌山、紀州の出身ですが、中国にも貴州という名前の所があります。字は違うのですが、キシュウはキシュウです。そして、その貴州へ私が仮に行って「また皆さん、紀州にもおいでください」と、こう言うでしょう?

 これを言わない人はいないと思うんです。言わない人は、どうかしている。しかし、それを言ったからといって、その貴州の人たちは現在の観光ビザ発給対象地域からはずれているので紀州には来れないんです。そんな状況を作っておいて、そして、アジアの中の日本だとか、世界の中の日本だとか、観光立国だとか、そんな綺麗事ばかりを言ってみたところで流行らない。そこのところを、もっと真剣に考えなきゃならん、ということを言っておるわけです。

 私は、この講演が終ったら、もう一度党本部に帰り、先ほど申し上げましたビザ関係の各省のトップを招いて、我が国としての最終的な考え方をまとめようと思っている次第でございます。皆さん方の一層のご協力をお願い申し上げる次第であります。

 観光につきましては、ここにお集まりの皆さんの顔ぶれを見ておりますと、私よりも遥かに専門家の皆様ばかりでございまして、私が勝手な事を申し上げるのは如何かとは思いますが、私が常々考えていること、また皆さんにご協力を頂戴していることの中で、いくつか拾ってみますと、観光は、まさに「平和のパスポート」であり、これは平和な地域にのみ存在しうる産業です。

 私はかつて与党三党の幹事長として、パレスチナを訪問したことがあります。そして、当然イスラエルにも行きました。危険極まりない状況の中で、防弾ガラスの車があるのですが、一つの大使館に一台しかなく、残念ながら日本も一台しか持っていない。よその国からひとつ借りてきて二台ですが、マスコミの方々を乗せるわけにはいかない。そういう状況の中で、私たちは何に守られているかと言いますと、たった一本の日の丸の旗です。日の丸の旗が車の前に付いているだけであって、何ら我々を守ってくれるものはない。そういう命懸けの中を、与党三党の幹事長は危険極まりない地域へ行って参りました。



 現地で山崎拓前自民党幹事長、あるいは冬柴鐵三公明党幹事長は、私に「二階さん、あんたは観光の専門家だ」と言うわけです。私は専門家でも旅行業者でもなんでもないのですが、まあ、彼らはそう言う。そこで「なんですか?」と聞いたら「この地域は観光としては、どういう値打ちがあるか?ステイタスがあるか?」と言われる。私は「ステイタスはあります。我々は異教徒でしょう。そして我々の日本とは似ても似つかない文化的な生活環境にあるわけですから、日本人はみんな歴史的にも興味を持っておる。しかし、残念ながら、平和がこの地域に訪れない以上は観光としての価値はゼロだ」ということを申し上げました。

 事実、まあ、「あそこへ観光に行きましょう」なんて、いくら勇気のある旅行業者でも募集するわけにはいかない。日本政府も「そこへ行ってもらっちゃ困る」と、こう言わざるを得ない。そういう意味で「平和のパスポート」という意味は、よく理解できるわけであります。私は、この「平和のパスポート」=「観光産業」をいかに有効に使うかということによって、日本の外交、あるいは日本の防衛、日本の平和戦略というものが、自と浮かんでくるのではないかと思っております。

 観光産業というと、何か遊びの産業みたいなことを言う人もたまにおりましたが、この頃は周りの皆さんが一生懸命やっていただいておりますから、そういう馬鹿なことを言う人は少なくなってまいりました。それでもまだそういう人がいないとは言えない。そういう状況の中、私たちは「観光」がいかに重要な産業であるかということを、我が国の産業界の中に位置付けていかなければなりません。先程来申し上げておりますように、お互いの国と国とが仲良くしなくては、本当に平和な関係を築いていかなくては旅行も観光も成り立たないのだということを、皆さんに認識いただくことが大変大事なことであります。

 そして、私は外国との国際交流を続けていく上においても、もっと政府がしっかり力を入れるべきではないかと考えております。ここに外交官のOBの方もいらっしゃいますし、失礼な事を申し上げるつもりはないのですが、私が運輸大臣の時に、外務大臣は今の衆議院議長の河野洋平さんでした。私は河野さんに「日本の外交官は外交官として高い立場で重要な問題を担っておられることは、これは当然のことでありますが、しかし『私たちの国においでください』というこの平和的な正に外交的な呼び掛けができなければ、本当の意味での外交とは言えないんじゃないか。したがって、外交官にもパスポートを失った人が駆け込んでくるということを扱うだけではなくて、観光について、もっともっと立派なことをやってもらってはどうだ」ということを申し上げ「外務省の出先の各公館に対して訓令を出してもらいたい」ということを申し上げました。当時の河野外務大臣は「それは大変重要なことだ」ということで直ちに訓令を発してくださったことを思い出します。

 また、私が北海道開発庁長官をやっておりました時に、北海道にある領事館というのが六つございました。世間でいうところの「トンカチ官庁」と言われている北海道開発庁ではありますが、それでも「北海道全体の発展になることはやればいいんだ。だから、その領事の皆さんを一度、北海道開発庁がお招きし、お食事でも差し上げ『日本の、北海道の問題について外国の高官の立場から意見を頂戴したい』ということを申し上げてみたらどうだ。当日、自分は北海道までは来れないが役所で一度やってみたらどうだ」と申し上げ、そして、やってみました。



 領事館の中にはまだ三〇歳に達しないぐらいの若い総領事を置いているオーストラリアのような国もありました。その総領事曰く「私が今度、国へ帰る時に、北海道のお友達を三〇人旅行に行ってもらおうと思い、いま一生懸命がんばっている。もう二五人は集まった。あと五人集めて三〇人にして帰る。そして私の国へ来ていただいたら、自分の家へも寄ってもらいたい」。プールも庭もあるという相当のお家であるからでもありましょうが、「そこでバーベキュー・パーティーでも開いて、我々の国の状況についてもご理解をいただきたい」と、こう言っていたそうです。そのようなことを言ってくれる日本の外交官がどれほどいてくれるかということを思い、私は河野大臣にお願いせざるを得なかったのであります。

 そして、今、司会の方が「今日は政治家を呼んだのではない」と言われました。失礼ですけど、全国旅行業協会が逆立ちしたって、こうした問題に対して、どれだけの影響力を発揮することができますか?

 私はそれを思うときに、政治も、行政も、そして民間も一体となって、日本の観光ということについて考えていかなければいけないと思っております。ですから、私は教育的効果から訪日国際修学旅行の促進ということを考え、自民党の中に委員会を作りました。いわゆるジュニア・マーケットでありますが、まだまだこれからであります。

 旅行というと直ぐに、お年寄りは暇だからとか、お金を持っているからとか、お年寄りを連れていけば良いと言われますが、そりゃ、旅行業の今までの経験に基づいて営業として、おやりいただくことは大事でありますが、日本の子どもたちに海外を見せるということが、どれほど国の将来にとって大事なことかということは、もう重ねて申し上げる必要もないでしょう。

 しかし、そうしたことが今なかなか出来ないわけです。学校の先生方、教育委員会、関係者の皆さんが責任を取るということに対して、極めて警戒的になっている時代であります。ちょっと何かの事故があったら、それでもうペシャーンとなってしまう。事故はあって良いというわけではありませんが、そうしたことだけで物事を判断するのではなく、我々の次の時代を担う子どもたちに海外を理解してもらうことが、どれほど子供たちの将来にとって大事なことかを考えていただきたい。

 同時に、私は海外の学生やいろんな若者たちを日本にお呼びしたいと思っています。日本でも遊んでいる公的な機関の宿泊施設等がたくさんあるわけです。民間会社でも研修所を遊ばせている所や、週に一回しか使わないような所もいっぱいあるわけですから、そんな所を開放して外国の人たちをそこへお招きする。その中に、やがてその国を背負う人、その国の経済界を担う人、その国の学会を担うような人が、どんどん出てこないとも限らないのです。

 もう与えられた時間が迫っておりますので、これ以上多くを語ることはできませんが、私は、観光問題に取り組んでいく上におきまして、例えば、「祝日三連休」という問題に取り組んだことがあります。

 今、それなりの効果を上げてきておりますが、先般は一部の新聞におきまして、ある学者から、この祝日三連休に対して批判がありました。当然のことであります。しかし同時に、あの不況で滅入ってしまっているような状況の中で、私たちは議員立法でこの法律を提案し、成立させ、そして、この祝日三連休の効果によって約二兆円程度の経済効果を上げた経験があります。今でも年間一兆五、六千億円程度の効果を上げつつあるわけであります。

 一方で、日本人の習性として、なかなか休みがあっても、有給休暇があっても休暇を取らない人が多い。そんなときに祝日三連休によって三日間休みがあれば、色んなことができるわけであります。三日間とも接待ゴルフで出かけて行く人も、今ではもういないでしょう。そして三日間とも家を放ったらかしといて、自分だけどこかへ遊びに行く人もいないはずです。三日間あれば子どもとキャッチボールをしたり、サイクリングに出かけたり、いろいろなことが出来るわけですから、何も旅行観光のためだけの三連休ではなく、家庭円満や子供の教育のための三連休でもあるわけですから。私はこれからも、この施策はぜひしっかりと進めていきたい。しかも充実した三連休にしていくためには、ここにお集まりの観光関係の皆さんの知恵、力を頂戴したいというふうに思っております。

 次に、私は日本の歴史文化、特に世界遺産等を観光振興の起爆剤にしてはどうかという提案をさせて頂いております。



 二年程前に屋久島に行ってまいりました際、世界遺産というのは「なるほど」という思いがしました。しかし、同時に、地元の人たちからは「世界遺産のために大勢の人たちが来てくれるのはいいんですが、これによって町は大変な負担がかかる。このことに対して国にもっと対応をしてもらいたい」という悲鳴のような声も聞きました。私は内心、明日は我が身だなという思いでおりました。と言いますのも、高野山、熊野古道というのが私の郷里にもあるのですが、この二つの地域が昨年の七月に世界遺産に登録されました。このことによって思いもよらなかった、思いも掛けなかったような人たちが、今どんどんどんどん高野山へ、熊野古道へと来てくださっております。

 次に世界遺産として立候補している地域に北海道の知床半島があります。私はこの前、機会があって知床半島にも行ってまいりましたが、ここもやはり素晴らしい。こうした新たに誕生する世界遺産等が観光の大きな起爆剤になるということを改めて認識した次第です。

 今、産業ツーリズムだとか、グリーン・ツーリズム、あるいはエコ・ツーリズムだとか、旅行観光を活用したそれぞれの業の発展を計画していただいております。誠にありがたいことであります。



 最後に、私は「ロータス・ロード」ということについて申し上げます。これは大賀一郎という博士が長い研究の成果で二千年前の蓮の種を開花させたことがきっかけになっています。いわゆる二千年の眠りから蓮を目覚めさせた。日本でも六〇箇所ぐらいに、この大賀先生の大賀蓮を植えているわけですが、私はその大賀博士の愛弟子の先生の又弟子であります。その愛弟子の方は私の高等学校の生物の先生でした。明日発売の月刊誌・文藝春秋に、大賀博士がおっしゃっておられた「ハスは平和の象徴なり」という言葉をタイトルとしてお借り、私が若干の拙文を寄稿しておりますので、機会があればご覧いただきたいと思います。

 時間がありませんので、これ以上触れるわけにはいきませんが、その大賀蓮を各地に植えることによって、シルク・ロードならぬ「ロータス・ロード」というものを構築していってはどうかという皆の励ましを戴きながら、私は、今、それに取り組んでいるところであります。

 中国の海南島のボアオに、おそらく今年の三月の末には「東方文化苑蓮花館」という立派な記念館が完成するという段取りになっています。(三月二十五日オープン)

 最後に、これはむしろ専門の鷲頭総合観光政策審議官からお話いただいたほうがいいのかもしれませんが、若干、役人では言いにくいところもあるでしょうから、私から申し上げておきます。観光基本法というのが出来てもう約四〇年位になります。この法律ができた頃、まだ私は代議士の秘書でしたが、この法律の審査の経過を多少知っております。しかし、その頃の観光基本法というのは、熱海や伊東の温泉街をどう繁栄させるかという発想でありました。しかし、今は世界の平和というところにまで観光の使命が大きく伸びていっているわけですから、この観光基本法を見直し、新しい観点に立った観光基本法を国際的視野に立って、再構築する必要があると思うのです。



この法案を作成するのに、大変ご尽力をいただいた中村徹元運輸事務次官と、先程ちょうどパーティーで会いましたので「貴方が作ってくれた法律も、もう四〇年を経過するので、そろそろこれを再検討したいと思いますが、どうでしょう?」と言ったら「大賛成だ」とおっしゃっていただきました。そこで、ちょうどその横にいた北側国土交通大臣にも早速その話をしましたら「直ちに省内に検討委員会を作って、この問題に対処する」ということをおっしゃっていただきました。

 それから「観光庁」についても一言。本来よく、観光省を作ってはどうか、観光大臣を作ったらどうだとか、皆さんおっしゃいます。それは大変結構なことでありますが、今の制度、今の状況の中で、新たに省を作るということは、殆ど不可能なことであります。箱根の駅伝を逆に走るようなものであって、とてもそれは、ちょっとルール違反じゃないかと言われかねない。そこで私は、皆さんもご承知のとおり、例えば農林水産省には林野庁というのがあるように、あるいは経済産業省には中小企業庁があるように国土交通省にも「観光庁」を作り、そこに長官を置くことの方が良いのではないかと考えています。そうすれば国際的な場面で各国の代表と堂々と渡り合っていただくことも出来るし、それだけ我が国が観光に力を入れているということが、外から見てもわかるようになると思うのです。この問題も一朝一夕にはいきませんが、しかし、誰かが言わなければなりません。もし私たちが国会で観光基本法の改正を審議することができれば、「観光省」というのは時機尚早でも、「観光庁」の設立については急いでこれをやるべきだと、少なくとも附帯決議の中に入れるぐらいの努力はしていくつもりであります。

 このことを皆さんにお約束し、同時に関係の皆さんの今日までのご努力に、改めて感謝を申し上げながら、皆さんの力で観光立国の実現に努力をする――こういうことを、ぜひお伝え申し上げて、私の話を終わらせていただきたいと思います。 ありがとうございました。