自民党


にかい


がんばってます

(日刊)「わかやま新報」特集 県選出与党6議員国政レポート

■もくじ
-----2013年-----

・ 2013年1月29日  日韓両国の発展に尽力 2度目の叙勲で韓国訪問
・ 2013年4月2日  林業振興と鎮守の森づくり
・ 2013年6月4日  災害から命守る「国民立法」 国土強靭化基本法案を提出
・ 2013年8月20日  事前防災、減災へ全力投球 国土強靭化三法成立に強力を
・ 2013年10月16日  沖縄を訪問
-----2012年-----

・ 2012年2月21日  10年で200兆円の投資 国土強靭化に向け全力
・ 2012年4月24日  「命の道」早期事業化を 国土強靭化に最善を尽くす
・ 2012年6月26日  紀伊半島で世界少年野球 王貞治さん尽力で開催
・ 2012年8月28日  紀伊半島の被災地に勇気 世界少年野球大会が開幕
・ 2012年10月30日  国土強靭化法案の成立を 先覚者・濱口梧陵に学ぶ 
-----2011年-----

・ 2011年3月8日  「ものづくり」への関心を
・ 2011年6月8日  津波防災法の成立を目指して
・ 2011年8月9日  「津波法案」の成立と防災の準備を急げ!
・ 2011年10月12日  避難と減災に配慮を 日頃の対応が重要に
・ 2011年12月13日  国土強靭化へ総力 政治の最重要課題に挑戦
-----2010年-----

・ 2010年3月2日  超党派で解決の道 次世代に通用する日米関係構築を
・ 2010年5月3日  紀州の梅 ピンチをチャンスに! あらゆる人の協力で”元気再生”を
・ 2010年7月26日  真の経済成長戦略 日はまた昇るを求めて
・ 2010年9月28日  アジアの玄関、沖縄への期待 みんなで協力しましょう!
・ 2010年12月28日  日本トルコ友好120周年
-----2009年-----

・ 2009年1月14日  東京国際映画祭と田辺弁慶映画祭 映画は国境を越え人々に感動を(その2)
・ 2009年3月3日  「太陽光発電で世界一奪還を!」 
・ 2009年6月9日  デンマーク大使と走る 初夏のサイクリング大会
・ 2009年7月18日  シュート打ちの名人  山内一弘さんを偲ぶ会
・ 2009年10月20日  小規模企業共済制度の改正を急げ!
・ 2009年12月22日  二人の本塁打王の英姿
-----2008年-----

・ 2008年1月7日  「今年こそ紀伊半島一周の高速道路にメドをつける」
・ 2008年3月10日  地震メカニズムの解明の『地球号』と新エネルギー発見の『資源』スタートへ
・ 2008年4月22日  韓国国会議員選挙   朴智元・元官房長官が大勝利
・ 2008年6月24日  トルコ共和国ギュル大統領の串本町訪問
・ 2008年8月19日  医聖 小山肆成の生誕の地 日置川町久木を訪ねて
・ 2008年10月7日  永年勤続25年受賞に際し「感謝」と「決意」
・ 2008年11月26日  東京国際映画祭と田辺弁慶映画祭
-----2007年-----

・ 2007年1月23日  日中国交回復35周年を迎えて
・ 2007年3月13日  和歌山北IC、和大新駅、高速南伸、和歌山発展願う関係者の努力が結実
・ 2007年5月15日  「日中国交正常化三十五周年に想う」
・ 2007年6月26日  臓器移植の速やかな改正を!  患者の立場で議論を!
・ 2007年9月11日  『総務会長就任、インド、ベトナム経済調査団長、日中交流三万人計画――「新しい波訪中団」団長として』
-----2006年-----

・ 2006年2月7日  「WTOと国際版一村一品途上国の奮起を期待」
・ 2006年3月21日  「日韓の友情を実感〜高校親善ホッケー大会に寄せて〜」
・ 2006年5月 8日  第5回ボアオアジアフォーラム基調演説より
・ 2006年6月11日  めざせ!ワールド・ベスト 有言実行で世界から高い評価の関西空港
・ 2006年8月 8日  「国際コンテンツカーニバル」の開催 2015年20兆円産業に
・ 2006年11月14日  県政の非常事態! 今こそ県民が立ち上がる時
-----2005年-----

・ 2005年2月 3日  鯨のまち 太地町の再興を!
・ 2005年3月15日  フラワーツーリズム 一粒の種が観光協定の調印に
・ 2005年4月26日  関空直行便や蓮の移植 カタールへ"ロータス・ロード”着実
・ 2005年6月 7日  心血注ぎ重責に応える 委ねられた”改革本丸”郵政民営化特別委員長
・ 2005年7月22日  『郵政民営化特別委員会 109時間の審議、粛々と採決』
・ 2005年10月25日  『郵政民営化"生き残り”へ』 26万職員の意識改革に期待
・ 2005年12月13日  「政策金融改革と中小企業」
-----2004年-----

・ 2004年1月14日  観光立国に弾み
・ 2004年2月24日  日本の文化や風土の理解を
・ 2004年4月 6日  中国・大連市を訪ねて
・ 2004年5月25日  大賀蓮に思う
・ 2004年8月31日  インド・ミャンマー・ベトナム駆けある記 アジアの花街道―――ロータス・ロード
・ 2004年10月26日  あらためて「現場に学ぶ」
・ 2004年12月 7日  「観光立国宣言」――中国で翻訳 出版に寄せて
-----2003年-----

・ 2003年1月28日  有田市のウエノ公園・無縁寺の慰霊
・ 2003年3月25日  イラク戦争と我が国の支援
・ 2003年5月13日  中東諸国を訪問イラクへの支援研究で
・ 2003年7月 1日  与党三幹事長が訪中
・ 2003年8月12日  アジア観光の新しい波・香港会議と大賀蓮記念館海南島ボアオに建立
・ 2003年9月23日  特攻の基地 知覧を訪ねて
-----2002年-----

・ 2002年7月30日  地震、雷、火事、おやじ
・ 2002年9月10日  インドネシア訪問
・ 2002年10月22日  インドモービル・スズキインターナショナルを訪ねて
・ 2002年12月 3日  人民大会堂 祝福の両国代表に笑顔



■もくじ
-----2013年-----

・ 2013年1月29日掲載  
日韓両国の発展に尽力 2度目の叙勲で韓国訪問


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博


 来る一月三十日午前十時より、韓国青瓦台において、私は韓国の李明博大統領より外国の産業人としての最高位の大韓民国の国家勲章「金塔産業勲章」(勲一等)が授与されることになった。党本部からは、林幹雄総務会副会長、党県連から吉井幹事長、中村副会長(紀の川市長)等が同行頂くことになった。
今回の韓国からの叙勲は、私にとって二度目のことである。今から十二年前、小渕内閣の運輸大臣の当時、「修交勲章光化章」(一等級)の叙勲の栄誉を頂戴した。
この度の産業勲章は、先の韓国の麗水万国博覧会の韓国開催決定に際し、自民党の総務会長として、さらに直接担当の経済産業大臣として些か尽力させて頂いたこと。博覧会開催中に観光客の送客に努めたこと。二〇一〇年万博の会場建設中に、姜東錫建設委員長の招きにより現場視察に韓国を訪問したこと。昨年の万博開催中に開会式をはじめ、四回にわたって麗水を訪問して素晴らしい経験を持つことが出来たこと等、鮮明に想い出すことが出来る。
しかし、それと同時に、この機会に「韓国と私」について少々想い起してみたい。
県会議員の時代にMBC(大邱文化放送梶j主催の韓国高校ホッケー選手権大会に当時の御坊商工のチームが日本代表として招待され、私が団長を引き受け、韓国を訪問することになった。今でもその縁で和歌山県ホッケー協会の会長を勤めている。この韓国遠征の際に、当時県会議員の先輩の藁科義清氏が韓国で先生をしておられた時の教え子の韓元福氏が、試合場に石炭箱いっぱいのリンゴを持って選手に喰べさせて下さいと言って訪ねてくれました。四〇年前の日本人の先生との師弟愛は、かくもあたたかく、素晴らしいものかと感動させられました。
私は政界に出て、韓国訪問の機会は度々ありましたが、印象に残る訪問は、小渕内閣の運輸大臣・北海道開発庁長官としてソウルにおける日韓定期閣僚会議に臨んだ際のカウンターパートは運輸観光大臣の朴智元大臣であった。今は国会議員として活躍されており、お互いに夫々訪問の際にお会いして旧交をあたためている。最初の朴大臣の日本訪問は仙台の秋津温泉であった。日本の旅行観光関係の代表が集る中で、私たちは義兄弟の契りを結ぶことになり、その関係は十二年を経て今日なお続いている。前に、私の叙勲の際には、内閣官房長官として、当時の金大中大統領と共にご高配を頂き感謝している。作家の神坂次郎先生の著作「海の伽耶琴」の韓国での出版記念会をソウルで開催の際も、大統領の名代として朴官房長官のご臨席を頂いたことは、日本の関係者の間で今も語り草となっている。今回も昼食を共にしながら、博覧会以来の再開を楽しみにしている。
私の二人目の義兄弟は朴三求錦湖アシアナグループ会長である。運輸大臣の時代に人格的にも優れた朴氏と意気投合の結果、今や私の最も信頼する韓国を代表する経済人である。
三人目は先の麗水万博の際の交流を通じ、親しくなり義兄弟となった釜山の許南植市長である。
今、日韓関係は順風の中にいるわけでもない。しかし、両国は一衣帯水の国であり、引越しの出来ない隣国である。両国の友好親善に力を尽すことは国会議員として当然の責務であると考えている。
博覧会を通じて、何回も何回も往来を重ねた姜東錫麗水万博組織委員長は二度に渡り建設大臣として活躍され、仁川空港の建設委員長等を歴任された実力者であり、今回の訪問で再開出来ることを楽しみにしている。
両国が共に力を併せて、日韓両国の発展に力を尽すことが両国リーダーの崇高な義務でもある。
今回の叙勲による韓国訪問の機会に、私の果すべき役割も理解しているつもりである。



・ 2013年4月2日掲載
林業振興と鎮守の森づくり


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博


 去る三月二十四日、田辺市のガーデンホテルハナヨにおいて「県森林・林業活性化促進大会」が盛大に開催された。自民党県連、県森林組合連合会、県木材懇話会が共催で、六百人を超える関係者が集まり、林業の衰退に歯止めをかけることを目的に関係者のご努力で、林業の今日の状況を憂ゆる人々の集会となった。
 会場には、仁坂知事、県選出の与党の主な国会議員、ほとんどの県会議員、県下の市町村長等も熱心に顔をそろえてくれた。 
 さらに、林野庁から古久保森林整備部長、近畿整備局の紀伊山地砂防事務所の桜井所長等も参加してくれた。
 意見発表もあり、紀州林業の復権を求め、大会宣言を行い熱気につつまれた大会となった。
 その二日後の三月二十六日、今度は自民党本部で四十四回目の「自民党国土強靭化総合調査会」が開かれた。
 講師は横浜国立大学の森林問題の大家の宮脇昭名誉教授をお迎えして、森林林業を通じての国土強靭化についてご意見を伺うことになった。 
 宮脇名誉教授のお名前は、私は四十年近く前から林業の権威として承知しておりました。私が郷里で県会議員に初当選の頃、昭和五十年の頃ですが、御坊市に関西電力の火力発電所の建設がはじまり、日本でもはじめての試みでしたが、海上埋立の地に発電所を建設することになり、地元は賛否両論でした。
 そこで、関電の当時の錦織所長は、東大土木出身で公害の問題にも理解を示されている宮脇先生のもとに辿りついたのでしょう。先生の指導で海上埋立発電所に木を植え、海上の森の中に発電所を建設することになりました。潮風が吹き荒れるような地に木を植え、潮風と塩水の中で果たして森が育つだろうかと誰もが疑問に思うところを、宮脇先生は、自信満々、錦織所長のよきパートナーを得て森林は順調に育ち、今では、確かに海上の森の中に火力発電所が堂々と建っていると言う感じで、これは環境問題に配慮された立派な世界的な成功例です。
 この後、関西国際空港が建設されました。面積は、関電の四十六倍ですが、これも宮脇理論の実践は世界に誇ることの出来る見事な成功例であります。巨大地震と大津波の襲来にどう備えるか、先生は今、東北の復興に力を込めて、持前のスピードと実行力を持って、さらに研究に取組まれている姿に接し、強靭化調査会は感動させられました。
 先生はさらに資源の少ない「日本が危機をチャンスとし、『鎮守の森』のノウハウと新しい命と環境の総合科学を基礎にして今後発展できるか世界は注目している。」と述べられました。宮脇名誉教授のご提案は、東北の海岸に震災瓦礫を使い、幅100m、南北300qの盛土をつくる。震災瓦礫を全て焼却すれば、地球温暖化となる。盛土の有害物質を取り除き、30pのポット苗を植えれば、20年後には23mの緑の壁が出来る。津波が来ても破砕効果が見込める。緑は大事だが、植物の進化から見れば、松は過去の植物であり、現在は被子植物、シイ、タブ、カシ類の時代である。陸前高田では、松を植えてしまったので、7万本の中で一本しか残らなかった。
 御坊火力発電所や関空や東電の扇島発電所、広野火力発電所等において森をつくることを提案され、現在立派な森として成長している様子をスライドで説明されながら説得力のあるご講演が続いた。山東昭子参議院議員(元副議長)から感想は一言「やるしかない」みんなで宮脇理論の実践者として、森づくりの努力を誓い合いました。
 一週間の間に地元で森林大会、東京での国土強靭化総合調査会では、宮脇先生の巾広い崇高なご高説を伺い、今、頭の中は、みどりの森づくりと林業振興でいっぱいになっている。
 自民党の県連でも、「自民県連の平成の森つくり」の計画をはじめてくれている。誰でも出来る森づくり、みんなで力を併せて、頑張ろうではありませんか!



・ 2013年6月4日掲載
災害から命守る「国民立法」 国土強靭化基本法案を提出


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




「防災・減災等に資する国土強靭化基本法案」は、去る五月二十日、公明党の賛成を得て、私が提案代表者となって衆議院 鬼塚誠事務総長に提出しました。


 提出の際に、二十名を超える自民・公明の議員が同行して頂きました。事務総長も「こんなに多くの議員の皆さんが提出にお越し頂き、如何に重要な法案であるか良く承知しました。」と感想を述べておられました。


 特に印象深い事は、この後、今日限りで参議院議員を辞することになる大江康弘氏が、今国会の最後の仕事として、国土強靭化法案の国会提出に立ち会ってくれたことでした。


 この夏の参議院選挙に、自民党公認で堂々と当選され、国土強靭化の論客として、自民党参議院議員の中核となって活躍されるよう、今から期待を申し上げたい。


 法案の「基本理念」は、国土強靭化の推進に当たって、東日本大震災から得られた教訓を踏まえ、必要な事前防災及び減災その他迅速な復旧復興に資する施策を、総合かつ計画的に実施することが重要であるとともに、国際競争力の向上に資することに鑑み、明確な目標の下に、大規模災害等からの国民の生命・身体及び財産の保護並びに大規模災害等の国民生活及び、国民経済に及ぼす影響の最小化に関連する分野について、現状の評価を行うこと等を通じて、当該施策を適切に策定し、これも国の計画に定めること等により、行われなければないこと。


 


 基本方針 


※人命の保護が最大限に図られること。


※国家及び社会の重要な機能が致命的な障害を受けず、維持され我が国の政治、経済及び社会の活動が持続可能なものとなるようにすること。


※国民の財産及び公共施設に係る被害の最小化に資すること。


※迅速な復旧復興に資すること。




施策の策定・実施の方針


※既存社会資本の有効活用等により、費用の縮減を図ること。


※施設又は設備の効率的かつ効果的な維持管理に資すること。


※地域の特性に応じて、自然との共生及び環境との調和に配慮すること。


※基本理念及び基本方針を踏まえ、実施されるべき施策の重点化を図ること。


※民間の資金の積極的な活用を図ること。




いよいよ法案は国会に提出の運びとなり、議論がはじまりますが、特に重要な論点は、財政的に堪えられますか!と言う点です。このことは財政の健全化を憂慮する当然の主張でありますが、財政的な問題だけで、あなたはあの恐ろしい大災害を目前にして、何もしなくていいのですかという問いに何と答えるかが大問題であります。私たちは責任ある与党として、今日まで二年間、各方面の有識者と意見を交わして来ました。その間、自民党国土強靱化総合調査会は約六十回開催、出席議員は延べ二、〇〇〇人を超えております。審議の模様は、党の各県連を通して伝えておりますし、国土強靭化「日本を強くしなやかに」は三冊の出版物にして内外に公表しております。会議はマスコミの皆さんにもフルオープンにしています。


過去の大災害の教訓に学び、平時において、万全な備え怠ることなく、政治は@人命は何としても守り抜く。A地域コミュニティの強靱化。B情報通信ネットワークの強靱化。C森林等の保全、自然林の復活。D「命と国土を守る」そのために必要なことは全てやらなければならない。当然、計画的に実行する。無計画な「バラマキ」等、誰も考えていません。議員提案の法案ですから、議員立法と呼びますが、私は全ての心ある国民の皆さんが参加する「国民立法」と呼ばれるような重要な法案であり、みんなで災害から人々の尊い命とくらしを守ることに全力で取組みましょう!






・ 2013年8月20日掲載
事前防災、減災へ全力投球 国土強靭化三法成立に強力を


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 「国土強靭化」について、多くの国会議員や著名な学識経験者、県知事、市町村長等のお力添えを頂き、六十二回の調査会を精力的に重ねました。全国で約八回のシンポジウムの開催、調査会等に出席の国会議員も延べ二〇〇〇人を越えるご参加頂き、討論に加って頂きました。


 外交、防衛、農業、林業、エネルギー、物流、通信、バイオ、ゲノム、宇宙、医療、経済、歴史、文化、離島等々、実に多岐に亘る分野について、わが国の第一人者の先生方に、国の将来について、まさに国土の強靭化について、貴重なご示唆を頂きました。


 自民党本部での会議は、誰でも参加して頂ける、勿論マスコミ関係者の皆さんにもフルオープンでご参加頂けるようにしました。


 しかし、全国の皆さんがいつでも出席頂けるわけでもありませんので、会議の模様を一人でも多くの皆さんにご理解を頂くために、国会議員の討論の内容等も本にして出版させて頂いております。第一部六二一ページ、第二部七四六ページ、資料集一九三ページ、合計で一五六〇ページに及ぶレポートをすでに出版させて頂いております。九月末を目標に、第三部の出版すべく準備を急いでおります。


 国土強靭化の法案については、すでにご承知の通り、私が提案者代表となって、平成二十五年五月二十日に議員立法として自民党、公明党の共同提案で「防災、減災等に資する国土強靭化基本法案」と「東南海、南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別立法の一部を改正する法律案(南海トラフ対策特別措置法案)を提出しております。


 さらに、六月十九日に、自民党、公明党共同提案で「首都直下地震対策措置法案」を提出しております。三法案は、何れも継続審議となっております。次の国会で本格的審議に入りますが、災害が頻繁に発生する今日の状況から判断して、これまでにも増して強靭な国土づくりの必要性を訴え、具体的な防災減災への取組みを一層加速しなければなりません。


「稲むらの火」の浜口梧陵は、高台の自らの田に火をつけて、村民を避難誘導したことは有名ですが、震災後の復興対策として、高さ五メートル、延長七〇〇メートルにも及ぶ堤防を自費で築くことによって、村人たちに日銭がわたるように配慮をする等、現在の災害復旧においても学ぶべき点が多くあります。


 今でこそ「国土強靭化」の言葉は広く国民に知られるようになりました。


 しかし、これまでの過程では、「国土強靭化は土建屋に仕事をバラまくためだ」等と言う悪意に満ちた批判も、随分受けました。


 国民の借金を減らしていくために、予算を出来るだけ減らしていくことは、当然のことであり、そのための不断の努力を重ねなければなりません。


 人命を何としても守る!さらに行政、経済社会も致命的な損傷を負わないためには、狭い意味での「防災」の範囲を超えて事前防災、減災のための国土強靭化三法の成立に全力投球を誓うものです。ご協力を願う次第であります。






・ 2013年10月16日掲載
沖縄を訪問


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 先日、派閥(二階派)の研修会で久し振りに沖縄を訪問させて頂いた。激しかった沖縄での決戦で二十数万人に及ぶ尊い命を失った。その霊に花束をお供えすると共に、二度と戦争を起こしてはならないと誓いを込めて、諸霊に対し祈りを捧げた。沖縄到着の後、最初に訪問させて頂いたのが、先の大戦で尊い命を失われた多くの英霊が眠る摩文仁の丘でした。その後、私たちは沖縄の基地を訪問、続いて米軍の活動の拠点でもある海兵隊の基地を視察させて頂いた。外務省は、パスポートを持参せよ等と難しいことを言っていたが、私はこれはおかしい。日本の国会議員のグループが米軍基地を訪問するのに、どうしてパスポート等が必要なのですかと私は事前にアメリカ大使館の主席に申上げておいた。直ちに私の意見に同意され、訪問を歓迎しますとのことであった。我々一行はパスポートの提示を求められることもなく、フレンドリーに歓迎され、丁度、待機中のヘリのオスプレイにも案内され試乗もさせてもらった。3・11の東北大震災の際に救援に駆けつけてくれた海兵隊の「トモダチ作戦」に対して、感謝の言葉を述べると共に、やがていつか再び我が国が災害に襲われた時、米軍海兵隊の「トモダチ作戦」のお世話にならなくてはならない日が来るかもしれない。


私は今、自民党の国土強靱化調査会の責任のある立場で、災害に備え、国民の皆さんの命を守るという崇高な使命に向かって、あらゆる努力を傾けようとしている。米軍の「トモダチ作戦」にも、国会議員として感謝し、さらに今後私たちが、日常の交流を通じ、相互の協力関係を密接にし、いざという時に備えておく必要があると痛切に感じているからである。


 そのためには、先ず海兵隊の歴史や、米軍における海兵隊の位置づけ等、少しでも直接活動の一端に触れて理解する努力が必要と判断したからであった。私は沖縄海兵隊の幹部に、自民党本部で開催する「国土強靭化総合調査会」に幹部の方に出席をお願いして、調査会の多くの議員の皆さんにも聞いて頂く、マスコミの皆さんにも勉強してもらったらどうだろうかと協力を求めたところ、喜んで参加させてもらうと約束してくれた。


 十月十一日、国土強靭化総合調査会へ、ロバート・D・エルドリッヂ米国海兵隊太平洋基地政務外交部次長(政治学博士)、ジョウナサンC・ゴフ米国海兵隊大佐のお二人の幹部が出席された。いつもの党本部七階の会場は満員で、国会議員も五十数名も出席し、政府の役人も多く参加した。


 平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災に対して、災害救助、及び復興支援において「トモダチ作戦」の名のもと多大な貢献を果たされたことは誰もが知っている。合衆国政府は四月六日、展開している「トモダチ作戦」の予算が六十八億円、アメリカ海軍、海兵隊、空軍が連携し、統合軍として活動。作戦には二万四千人の将兵、一九〇機の航空機、二十四雙の艦艇が派遣されている。この救援作戦が如何に大がかりなものであったかを物語っている。調査会における講演の内容は次の機会に述べさせていただくことにする。






-----2012年-----

・ 2012年2月21日掲載
10年で200兆円の投資 国土強靭化に向け全力


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 「国土強靭化総合調査会」は、先の自民党大会の前日、党本部において、政策セミナー・パネルディスカッションを開いて、党員の皆さんからもご意見を聞かせて頂いた。パネラーは、高橋はるみ北海道知事、尾ア正直高知県知事、政治評論家の森田実氏、武部勤会長代理、会長の二階、コーディネーターの福井照強靭化総合調査会事務総長のメンバーで約一時間にわたって徹底討論を行った。その中で、調査会長として、今後の基本方針を求められたので、「今日までの調査会で述べて頂いた著名な学者や、政治評論家や経済人などの傾聴すべき貴重なご意見を中心に、400ページ程度の本にまとめます。さらに調査会としての基本的な考え方を記します。約一万部を初版として発表します。そして広く多くの皆さんのご意見を求めます。」私たちの共通の目標として、災害に簡単に屈することのない国土の強靭化を目指すと同時に、経済的にはデフレの解消を求め、思い切った対策を打つことを訴える」『以上のような対策を実現するために、今後10年間を集中投資期間と定め、10年間に2百兆円を投資する。そのために、「国土強靭化基本法」、「高速道路ミッシングリンク解消促進法」、「国土強靭化関係施設整備促進法」の成立を期す』等を骨格に、今年の六月頃をめざして全力を尽くす決意でいる。




 次に、先の党本部で行われたパネルディスカッションを全国各地で行ってはどうかという要望の強い地方に出向いて「ふるさとキャンペーン」を行う。一番乗りは千葉県に伺うことになり、調査会の林幹雄筆頭副会長の地元で盛大に開催して頂くことになった。地方巡業に際しては、時には谷垣総裁や大島副総裁にも出張して頂くことになっている。ゲストの中には、女性や青年部の代表にも参加して頂く。すでに党の支部長に就任している次期選挙の新人候補の一区支部長の門博文氏のような人も、積極的にパネラーに起用したいと考えている。党本部における調査会も日に日に熱気を帯びて来ている。講師陣も、今年に入ってから 




●「阪神・淡路大震災発生17年目にあたり」


  安昌寿鞄建設計代表取締役副社長


  指田孝太郎鞄建設計執行役員管理部門代表


  濱田信生元気象庁地震火山部長




●「稲村の火〜濱口梧陵に学べ〜作家大下英治氏




●「しなやかで強靱な国土〜21世紀への課題と展望〜竹村公太郎(財)リバーフロント整備センター理事長、




●「エネルギー政策と政治のリーダーシップ」〜田中角栄氏を回顧しながら〜小長啓一(財)経済産業調査会会長、




 立派な先生方から豊富なご経験に基づいたご提言を頂戴している。




 これから登場願うゲストとして 




●御手洗冨士夫キヤノン椛纒\取締役会長兼CEO 




●天坊昭彦石油連盟会長・出光興産椛纒\取締役会長 




●太田房江元大阪府知事・エアウォーター且謦役 




●松井孝典東京大学名誉教授、




●八木誠関西電力且謦役社長・電気事業連合会会長にご内諾しており、また、今後更に講師に予定されるゲストとして 




●谷口博昭芝浦工業大学大学院教授  




●山本孝二元気象庁長官 




●荒井正吾奈良県知事 




●山田吉彦東海大学海洋学部教授 




●高野宏一郎全国離島振興協議会会長




 等から、すでにご内諾を頂いている。




 国土強靭化の道について、私は「災害には自然災害と人為的災害があるが、いかなる災害が起きようとも、国民の生命と財産を守ることは政治の責務である。東日本、紀伊半島の復旧、復興は道半ばである。さらに広域的に大災害発生のおそれ大である。強靭な国土の建設は急務である。10年を超えるデフレ不況脱却のため、強靭な経済、社会・産業構造をつくり上げなければならない。強靭な国土の建設のため都市と農村が共に繁栄するための社会資本の整備を急がれなければならない。「コンクリートから人へ」の空しいキャッチフレーズ等を超えて、長く政権を担当してきた自由民主党は「人と自然の共生」を前提に、今こそ国土も人々の精神も、ともに「強靭な日本の建設」に向かって私達は勇気をもって前進しなければならない。






・ 2012年4月24日掲載
「命の道」早期事業化を 国土強靭化に最善を尽くす


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 「国土強靭化総合調査会」は、内外の有識者及び、党内の同志の皆さんのご協力を頂き、熱心に作業を進めて頂いております。


 今朝(4月13日)8時には、党本部に25人目の講師として、電気事業連合会長の八木誠氏(関西電力社長)をお招きして「国土強靭化に向けた電気事業者の取り組み」と題して、貴重なご意見を伺いました。




 昨年10月、当調査会発足の後、猛スピードで精力的に取り組んで参りました。「国土強靭化構想」も国土強靭化基本法、高速道路ミッシングリンク解消促進法「国土強靭化関係施設整備発足法」の成立を目指して懸命に取り組んでおります。




 これからの対策を実現し、デフレ解消に向かうため、今後十年間に2百兆円を投資の大方針を打ち出すつもりであります。




 やがて、これらの財源の捻出や償還方法等についても、明らかにするつもりであります。




 先日、高速自動車道紀南延長促進協議会の皆さんが上京されました。湯浅御坊道路四車線化の事業化及びミッシングリンクであるすさみ〜太地間、新宮〜大泊間の調査開始を喜んでくれていました。




 これからの課題は、ミッシングリンクの早期解消のため、法律をつくること。「すさみ〜太地間」「新宮〜大泊間」計画段階評価を速やかに実施、事業化を急ぐ。「有田〜田辺間」四車線化は待望久しいものがあり、早々に実現を急がなくてはなりません。「御坊〜田辺間」はすぐに麻生内閣の当時、誰もがご承知の通り、整備計画が策定され、用地取得済みであり、着工寸前のところへ「コンクリートから人へ」との間違った政策判断により、引き伸ばされ、今日まで無為に過ごしてまいりました。有田〜御坊に引き続き、急いで早々に事業化することが、急務であります。いつやってくるのか分からない災害に備えて、一日も早い着工によって引き伸ばされて遅れてしまっている分と、早期取り戻すことが、「命の道」として心配されている紀伊半島にとって極めて重要な課題であります。




「国土強靭化総合調査会」は発足以来すでに25回の会議を開き、調査検討の内容を来るべき解散総選挙の際の自民党の重要政策の柱として党を挙げて主張し、実現に向けて力強い第一歩を踏み出すチャンスにしたいと考えています。県民の皆様の力強いバックアップをお願いします。柱の一つは勿論、災害対策であり、復旧復興も極めて重要でありますが、災害が来る前に事業の対策が重要であります。デフレ対策について、積極果敢な手を打っていくことが重要であり、新しい経済成長戦略が望まれています。




 国土強靭化に向けて、今こそ政治は最善を尽くすべき時と考えています。






・ 2012年6月26日掲載
紀伊半島で世界少年野球 王貞治さん尽力で開催


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 「世界のホームラン王の王さんがやってくる」ーーーそれを聞いただけでも、野球少年だけでなく、大人も子供もみんなワクワクする気持ちにさせるのは、勿論、現役時代の王さんの超人的なご活躍の姿を今もファンは脳裏に焼きつけて忘れていないこと。現役を離れて指導者としても素晴しい実績を持っておられる。今なおソフトバンク球団会長として野球界の発展に力を尽くされているからでしょう。その上、私が感心するのは、今から二十年ももっと以前から、世界少年野球推進財団を自ら創設され、多忙の中、理事長を勤められ、回を重ねられて、今年で二十二回目の大会を紀伊半島で開催されることになりました。これも王理事長の決断で決められたと伺っていますが、誠に適切なご判断であったと思っています。6月4日、東京ドームで記者発表の際、三重県の鈴木知事、奈良県の荒井知事、和歌山県の仁坂知事が揃ってご同席されました。私も招かれて出席させて頂きました。さすが「世界の王」さんの人脈と長い間のご努力の成果を物語る立派なご協力をくださってる方々がお揃いでした。




 先日、王さんが県庁に仁坂知事を表敬訪問されました。折角の機会ですから、ロイヤルパインズホテルで有志による「王さんを囲む朝食会」を開催しましたところ、県内各地から有力な皆さまにお集まり頂き、盛大な王さんの「ファンクラブ」のような集いとなりました。ご出席ご協力頂いた方々にあらためて感謝を申し上げたいと思います。




 今回の第22回の世界少年野球大会は、カナダ、インド、コートジボワール、スペイン、中国、韓国等、世界16カ国の少年たちが紀伊半島に集まって来ます。三重県熊野市、奈良県下北山村、和歌山県新宮市で世界各国の少年、少女たちが野球教室と国際交流試合が7月22日〜30日まで開催されることになっています。




 災害で大きな被害を受けた紀伊半島に、王理事長のご配慮で世界の子供たちが集まって来てくれることは、被災地を励まして頂くという意味で地元としても素晴しい快挙と言えると思います。




 王さんは記者会見の際、「子供達は国の宝であり、地球の宝である。災害の地の皆さんも前に進まなくてはならない。野球を通じて世界の子供達と友情の輪を拡げ、国際親善につなげたい。」と言われました。ここから先は、紀伊半島三県が夫々心のこもる歓迎の準備をはじめなくてはなりません。歓迎は心の問題であり、予算の問題だけではないのではないかと思っています。海や川での遊び体験、これも王理事長のご提案で7月30日(月)9時から13時まで、御坊市(御坊総合運動公園多目的グランド)で野球教室を開催頂くことになりました。指導頂く講師は王理事長のほか、水上善雄(ロッテOB)、西崎広幸(日ハムOB)、屋鋪 要(巨人OB)と往年日本プロ野球を沸かせた名選手であります。申し込みその他はこれからお知らせいただけることになっています。なお、王理事長さんは私の求めに応じて、日の岬パークを訪れ、王さんのジャイアンツ時代のユニフォーム姿と、アメリカ大リーグのハンクアーロンのユニフォーム姿が展示されている様子をご覧頂くことになっています。随分前になりますが、私が以前、エチオピアの駐日本大使のアベベケベデ氏より、アメリカのホームラン王ハンクアーロン氏のユニフォームを頂き、いつか適当な場所に陳列して、野球ファンに見て頂きたいと思っていました。




 日の岬パークの大杉氏や設計の古久保氏等のご協力で、美浜町、日高町の協力も頂き、だんだん形が整って来たところ、日米のホームラン王のユニフォームを飾りたいということになり、王理事長のご配慮で巨人軍時代の想い出がいっぱいの貴重なユニフォームを届けて頂きました。王さん曰く「ハンクアーロンと僕のユニフォームが並んで飾られているところは、世界中で日の岬パークだけしかありません。」その王さんが7月30日に日の岬にお越しになることになりました。みんなで心から「世界の王」さんをお迎えしたいと思います。




・ 2012年8月28日掲載
紀伊半島の被災地に勇気 世界少年野球大会が開幕


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




「世界のみんながおなじ夢で結ばれる」―――第22回 世界少年野球大会 三重・奈良・和歌山大会は2012年7月22日(日)〜7月30日(月)山崎運動公園(三重県)、下北山スポーツ公園(奈良県)、くろしおスタジアム(和歌山県)で開催され、炎天下の中、若鮎のような世界中からの若者たちの笑顔がこぼれる楽しい夏の国際的行事が、紀伊半島において大成功の裡に閉幕式を迎えました。


 三重県の山崎運動公園での閉幕式には、大会関係者に敬意を表す意味で私も鈴木三重県知事等と共に出席させて頂きました。


 王理事長は次のような挨拶をされました。『世界各国・地域の少年少女たちが、言葉の壁や人種を超えて野球の基本を学び、友好と親善の輪を広げる「第22回世界少年野球大会 三重・奈良・和歌山大会」が、紀伊半島の三重、奈良、和歌山の三県内で盛大に開催できました。主催者としてこのうえない喜びです。大会は昨年秋の台風12号で大きな被害を受け、その爪跡がいまだに残っている被災地の方々に、元気に白球を追う世界の子どもたちの姿がいくらかでも勇気を与えることが出来れば、と願って開催いたしました。大会が三つの県にまたがるのは、大会史上初めてのことです。それだけに、大会を支えていただいた三県の関係者の皆様には、並々ならぬご苦労をかけ、感謝の念でいっぱいです。今大会には、南太平洋の島国フィジーとアフリカのコートジボワールの子どもたちが初めて参加しました。1990年にアメリカ・ロサンゼルス市で開催した第一回大会の参加国・地域は23でした。両国の参加で、第一回大会以来の参加国・地域は89を数えました。このように多くの国や地域から子どもたちが参加して大会を継続して開催できるのは関係自治体の協力や企業各社の協賛のお陰です。野球の基本を学ぶとともに、参加した子どもたちの友情を育み、国際交流を深めよう、というのも大会の目的のひとつです。国内で大会を開催するのは二年ぶりのことです。海外の子どもたちには、日本の歴史や文化に触れて日本を良く理解していただければ、と思っています。大会を引き受けていただいた三重、奈良、和歌山の三県の関係者の皆様のお骨折りに、改めて感謝申し上げます。皆様方の献身的なご協力のお陰で、子どもたちは楽しい思い出を作られたことでしょう。最後になりましたが、大会にご協賛いただいた企業各社並びに全国各地のWCBF会員の皆様に、主催者を代表して改めてお礼申し上げます。』


 昨日は、お忙しい王理事長が態々、議員会館の私の部屋をお訪ね頂き、大会や御坊市での野球教室、日の岬パークに於ける王さんとハンクアーロンの日米のホームラン王の現役時代のユニホーム展示場での王さんの歓迎行事、世界的な中国琵琶の奏者 ? 善祥先生(中国宣春学院大学芸術学院名誉教授)の演奏、当日多くお集まり頂いた地元の皆さんに対する王さんからの丁重な御礼の言葉がありました。律儀な王さんの誠実なお人柄にあらためて今、私たちが見習うべきことが沢山あることを教えられた思いであります。


 この際、専務理事の村田兆治氏(ロッテOB)は遠く離島の子どもたちへの野球指導にも出かけて頂いております。御坊市での野球教室をご指導頂いた水上善雄氏(ロッテOB)、西崎広幸氏(日ハムOB)、屋敷要氏(巨人OB)等の熱血指導にもあらためて感謝を申し上げます。






・ 2012年10月30日掲載
国土強靭化法案の成立を 先覚者・濱口梧陵に学ぶ


衆 議 院 議 員


国土強靭化総合調査会会長


二 階  俊 博




「国土強靭化ーー日本を強くしなやかに」は、三本の法律「国土強靭化基本法」「国土強靭化関連法」「首都直下型地震対策法」にまとめ先の国会に提出している。


 防災対策は、まさに「転ばぬ先の杖」が大事で、先手先手で対策を講じていくことが求められている。それだけに、国会で与野党がかけ引きで、法案の案議に時間がかかり、結果、対策が遅れをとらないように今度こそ気合をかけて取り組むことが重要である。


 国土強靭化レポートの第一巻は、十六名の「知の巨人」と言われる各界の代表的論客に参加して頂き、重要なご意見を頂戴しました。


 レポートの第二巻は二十六名の方々を講師として迎えて、熱心な討論を重ねて、資料編を添えてこの程出版を致しました。約千六百ページに及ぶ大部なものになりましたが、大災害に備えての事前防災の哲学や長引くデフレの状況を脱却するための対策を論じれば、この程度の準備は当然必要だと考えている。


 重なる災害の発生と同時に、今あらためて「稲むらの火」が注目され、広川町の「濱口記念館」等は、千客万来で町はうれしい悲鳴を上げている。十月二十八日には千葉県知事で有名な森田健作先生がブレーンの方々と共に「広村堤防」等を視察に来られ、濱口家はヤマサ醤油で千葉県の銚子等ともご縁が深いだけに熱心に見学され、「これからは濱口梧陵のご縁で、是非千葉県は和歌山県とも交流を深め、また千葉県の鴨川シーワールドと和歌山県のくじらの町太地町とのご縁もあり、両県のさらなる発展に努めたい」と本県にとってもうれしいご発言をされていました。


 森田千葉県知事は、元東京都選出の国会議員として活躍され、特に運輸、交通関係の論客として有名でした。今、知事と私は、「日本の観光振興」に共に力を尽くそうと意見が一致しており、全国版の森田知事の力を借りて、観光と同時に国土強靭化にも協力願いたいと思っている。


「稲むらの火」−濱口梧陵物語が、著名な作家 大下英治氏が豊富な資料に基づき書き加えられた力作が近く講談社から出版されることになっている。


早くもいくつかの国から翔訳出版の申し込みが寄せられているようで期待が膨らんでいる。


テレビや映画化等もささやかれて、日本体育大学(松浪健四郎理事長)では、卒業記念品に「稲むらの火」が検討され、千葉県銚子市からも申し込みが殺到しており、発売以前からも濱口梧陵ブームの到来が感じさせれれる昨今である。


あらためて津波記念日の十一月五日と共に、先覚者濱口梧陵の生涯を想起し、見習わなければなりません。






-----2011年-----

・ 2011年3月8日掲載
「ものづくり」への関心を


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 昨年の12月19日の日曜日、御坊市立体育館にて、「きのくにロボットフェスティバル2010」が盛大に開催されました。今回で4回目を迎えることができました。


5年前のお正月、当時の和歌山高専の韮沢校長先生より、高専がロボコンで全国準優勝に輝いたことを知りました。私はこのことを契機に、御坊の地でロボットフェスティバルを開催してはどうかと提案しました。御坊市、御坊市商工会議所、さらに和歌山県、経済産業省などにも大いにバックアップして頂いて、内容も充実し、参加者も年々増えて、提案した一人として、大変うれしく思っています。


 私は、経済産業大臣を小泉、福田、麻生の各内閣でつとめました。その折、直面するピンチをチャンスに変え、新たな成長の道を切り開いて難関を突破していく必要を感じ、成長戦略の策定を行いました。


 ロボットも、その中で大いに取り上げました。労働力人口の減少や少子高齢化、そして医療介護などへの必要性から、ロボットがさらに重要さを増してくると強く実感し、国内のロボット産業の充実、振興についての政策の強化を指示しました。その一環で、現在、どこまで使えるロボットが我が国にあるのかを、国民に示すことも重要だと考えました。


 きのくにロボットフェスティバルは、和歌山高専や関係者のご努力により、その時々の最先端のロボットが、この和歌山の地に集結して、ロボット技術の最高峰を見学することができます。今回は、3.5メートルものティラノザウルス型ロボットの迫力などに、会場から驚きの歓声が上がりました。


 また、日本の産業のこれからを考えると、子ども達の「ものづくり」への関心を高めていくことも非常に大事です。この意味からも、単にコンピュータを操ることだけではなく、自分の手を使い、実際にロボットを作ってみるということを通じて、子ども達のものづくりの力や夢を伸ばしていくことができます。その大切な機会を、このきのくにロボットフェスティバルの中で行われる小学校・中学校・高校の「ロボットコンテスト」や高専の「ロボコンパフォーマンス」が果たしてくれている。参加した子ども達の目の輝きを見て、この催しは成功していると強く実感しています。日本の、そして郷土の未来は明るいものだと、改めて、強く感じました。


 今回のロボットフェスティバルには、7000人もの方々が集まるほどの人気でした。お呼びした中国や韓国からのロボットも素晴らしく人気があり、国際交流にも一役を果たしてくれています。


 これからも、このロボットフェスティバルが、着実に発展していくことと、日本中にこれが拡がっていくことを願っています。そして、やがて将来ロボットに関係する企業も当地に進出されることを、密かに期待しています。


 仁坂知事は、経済産業省の時代はこの道の専門家としてご活躍頂きましたが、常に「御坊をロボットの甲子園にしたい」と提唱されています。私としても、ロボットを通じた「人づくり」「産業づくり」に、今後とも、郷土の皆さんと一緒に、がんばっていきたいと思います。


ロボコンの開催にお力を頂いている中国や韓国の友人の皆さん、堀江和歌山高専校長はじめ教職員の皆さん、西博義衆議院議員(元和歌山高専)、柏木御坊市長、中村県会議員、吉田御坊商工会頭等、多くの地元の有力な皆さん、会場周辺を整理して下さるボランティアの皆さん、ふるさとの銘産を並べて大会を盛り上げて頂いている地元の皆さんに心から感謝を申上げ、今、あらためて理科教育の推進のためにも、「頑張れロボコンのエール」を贈ります。






・ 2011年6月8日掲載
津波防災法の成立を目指して


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 昨年2月28日の日曜日のことであったと記憶している。自民党が全国一斉に街頭演説を計画、和歌山県でも実行することになった。私は、新宮市役所前を皮切りに北上することになっていた。その日はチリ津波が押し寄せて来ている最中で、やがて紀伊半島にも到達することになっていた。            


 新宮市でも津波がやがてやってくることを市民に知らせると同時に、市長が陣頭指揮をとって頑張ってくれていた。県にも連絡すると知事が全県に向かって災害に対する万全の体制をとってくれているとのことでした。街頭演説を早々に切り上げて次の会場へ向かった。みんな津波のことを気に掛けながら集まってくれていた。「演説は早く切り上げますから、低いところの人は高いところへ逃げて下さい!」と県から教えられた通り、私もマイクを通じて訴えた。しかし、様子を見ているとほとんど逃げる気配がない。後で聞くと県全体で避難した人は十五%位だということであった。




 翌日上京して早速何人かの国会議員にその状況を説明し、これは「法律をつくって、津波に対する国民的知識を向上させて頂くと同時に、ハザードマップの整備や、地域の避難場所の設置や津波に関する知識の普及、日常から備えの重要性を徹底すること。そのために年一回国民みんなで津波のことを考える日にするため「津波の日」をつくる等、議員立法でやることを訴え幸い同志の国会議員の賛同を得ることが出来た。このことを推進する母体として「津波災害に関する議員連盟を結成することになった。災害等の専門家である泉信也参議院議員が会長に選ばれた。




 4月21日に、自民党四役に対し、津波対策について法制化することに対し同意を得て、党四役も全面的な協力を約束され、議連にも直ちに入会して頂いた。




 議員立法で国会に提出する以上、しっかりとした理論武装が必要であり、そのため、各界の有識者等を招いて、説明を受けると共に、熱心な意見交換を数回にわたって行った。




 現地調査も必要とのことで、調査団は和歌山県を訪問、県庁、海南市役所及び船上からも浮上式防波堤事業を想定している下津港湾を視察し、地元の関係者からも説明を受けた。一行は、さらに「稲むらの火」で有名な広川町を訪問、津波防災センターと浜口悟稜記念館で津波に対する浜口悟稜翁の素晴らしい偉業に心打たれるものがあった。




 6月11日(昨年)に法律案は自民党、公明党の党内手続きを終えて、私を筆頭提出者とし、7名の提出者、59名の賛同者をもって、衆議院に提出された。しかし間もなく国会の閉会を迎え、本法案は継続審議となった。今国会で議員生活を終える泉信也先生の在職中に法案を成立させることが出来ず残念であった。




 しかしもっと残念なことは、翌年の3月11日観測史上最大といわれる大津波が東北地方に押し寄せ、地震、津波、原発によって多くの尊い人命や財産を一瞬のうちに奪い去った。災害から間もなく三ヶ月を迎えようとしているのに、未だに復旧復興のメドすら立っていない。いよいよ法案審議という時に、内閣の不信任案で、また審議が引き延ばされ、切歯扼腕している今日この頃である。成立に向けて私は、心ある同志と共に、執念を燃やして、政治の責任を果たしたいと考えている。




・ 2011年8月9日掲載
「津波法案」の成立と防災の準備を急げ!


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




「津波法案」は、昨年の六月十一日に、私が代表者になって、自民、公明共同で議員立法として衆議院に提出したことは、全ての国会議員もマスコミも周知の事実。しかし、なかなか具体的な審議は一向に進むことはなかった。そのうちに今年、運命の三月十一日を迎えた。歴史上、かねてこのような大災害に遭遇したことのない大惨事を招いた。今更誰の責任というようなことは問わない。しかし「津波法案」が成立していれば、今度の大災害をどれ程防ぐことができたか、今頃ようやくこのような議論が行われている。「政治にとって最も大事なことは国民の生命と財産を守ることだ」と私たちは先輩から聞かされて来た。全くその通りであり、今あらためて、「国民の生命財産」を如何にして守るかを政治は真剣に考えなければなりません。


 国会に法案提出の後、一年と六日間、三百七十一日の月日を費やし、ようやく成立したこの法律を活用して、被害を最小限に止めなくてはなりません。ハザードマップの再検討。市町村単位の避難路の確認、災害が夜襲来した時の避難の方法について検討が必要、避難の後、食糧の確保、高齢者、障害者、外国人など要援護者の対策等数え上げればキリがありませんが、それでも検討を必要とするものは、急がなければなりません。「津波法」の成立を受けて、近ごろは政府でも、津波防災等の準備をはじめ、さらに、法律を提案の準備をはじめている。野党としても強力にバックアップして、被害を少なくする努力をしたいと思っている。地方でも住宅を建てる際、高台へ建設するよう努めるようなりつつある。全国各地において高台を求めるような傾向になりつつあると聞いている。県、市町村の議会でも避難所の整備が大きな課題となっている。もう待ったなしで、今から対策を急がなくてはなりません。


 県でもすでに浜口梧陵の「十一月五日の津波防災の日」の準備がはじまっている。


 被災を受けられた東北地方の人々にはお見舞いの言葉もありませんが、復旧の進んでいない現場の状況を見るにつけ、間もなく災害から5ヶ月を迎えようとしていますが、私たちは自らの出来ることは何でも進んで取り組むべきだと痛切に感ずる今日この頃です。ひまわりの種を植えるキャンペーンを提唱し、私は同志と共に、自民党の組織を挙げ取り組む努力を続け、この程、十万袋の種の配布を達成することが出来ました。一説によるとひまわりの花は、放射能を吸い上げる効果があると言われているが、何よりも黄色い大きな花は、人々に元気を与えることになると好評です。菜の花も同じような効用が期待されるので、夏の終わりには「菜の花キャンペーン」を大々的に取り組むようにしたいと思っている。


 八月一日から三日間、中国の海南島を訪れた。温家宝総理が五月に被災地訪問の際、東北地方の小中学生を五百人、中国へ招待してくれた。第一陣として百名の小中学生が訪問することになり、元国家公安委員長の林幹夫代議士や政治評論家の森田実先生、国交省の山田審議官等とご一緒に、日本側の代表として感謝の気持ちを伝え、日中の相互交流の促進について有益な意見の交換を行うことが出来た。何よりも元気な姿の被災地の小中学生の笑顔が忘れられない。






・ 2011年10月12日掲載
避難と減災に配慮を 日頃の対応が重要に


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 3・11の東北の大災害は、私たち国民はもとより、世界中の人々に大きなショックを与えた。


しかし、紀伊半島を襲った台風十二号も私たちの地元、和歌山県にも大変な衝撃でした。今、市町村、県、国、JR等総力を挙げて復旧に取り組んで頂いていることは、感謝に耐えない。道路、河川、鉄道、農業、漁業、森林、学校、社会体育施設、文化施設等あらゆる分野において甚大な被害となり、本県だけでも一千億円を越える大きな被害を受けた。


尊い命を犠牲にされた方々が五十名に及び、あらためて哀悼の意を表したい。


災害発生に伴い和歌山県庁に災害対策本部をつくり、私たち自民党和歌山県連においても、災害対策本部を直ちに立ち上げました。県議会議員を中心に県と市町村の間の連携を密に国に対しても力を尽くして頂いている。


谷垣自民党総裁の来県に続いて、(社)全国治水砂防協会の会長の綿貫元衆議院議長が現地視察をされることになっている。


全国治水砂防協会の理事として、私も災害の現地のご案内をさせていただくことになっている。


「津波対策の推進に関する法律」は私が提唱し、ご理解を寄せてくれる自民、公明の協力で曲折を乗り越えて、最終には、衆参両院共に全会一致で、全員の賛成を得て提案の日より一年と六日間を要しましたが、法案を成立させることができた。


「十一月五日」を全国的に津波の日と定め、濱口悟陵先生の遺徳を賞賛し、全ての国民が再び津波の被害で命を失うようなことのないよう国民みんなの誓いの日にしたいと考えている。


 その日を記念して、今、記念行事を内閣府でも県でも懸命に工夫をしてくれている。


私は県と相談し、俳優の杉良太郎氏の協力を得て、太鼓の名人に依頼して、「稲むらの火太鼓」を作曲してもらっている。


やがて曲が出来て、勇壮に奏でる日を想像している。


 昨年の二月二十七日のチリ沖地震津波の日、太平洋岸の避難指示・避難勧告の対象人員一六八万人に対し、避難した人は僅か三・八%、約六万四千人という結果に愕然とした。   


法律を作って、本格的に国民の皆さんに避難とその訓練を呼びかけなければ、大変なことになると判断した。その上、3・11の被害ぶり、これからは国を挙げて「避難」を実行しなければならないと痛感している。


我々は、「避難」と同時に減災に対する配慮がなくてはならない。台風十二号の被害をみても、日頃の対応の重要性を物語っている。「コンクリートから人へ」と寝言のようなことを言っている人たちが、今でもそんな無責任なことを言っておれますかと尋ねてみたい。


津波から人々を救った稲むらの火の教えは、小学校の教科書に掲載されており、リーダーの濱口悟陵の決断と、村人を復興に導いた快挙は、今日あらためて世間の賞賛を集めている。広川町の「稲むらの火記念館」は観光客で押すな押すなの盛況が続いている。有名なヤマサ醤油の「稲むらの火」も完売でうれしい悲鳴が聞こえて来ている。濱口悟陵の生涯はベストセラー作家の大下英治氏によって、克明に描かれ、講談社より近く出版される日を楽しみにしている。






・ 2011年12月13日掲載
国土強靭化へ総力 政治の最重要課題に挑戦


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 「国土強靭化(きょうじんか)総合調査会」が、自民党に新設された。強靭な国土の建設のためには、あらゆる英知を集め、今こそ自民党は、文字通り総力を挙げて取組まなくてはならない。


 人類が自然と共生し、都市と農村が共に栄える社会資本の整備を急がなければならない。「コンクリートから人へ」などと言うまるで寝言のようなキャッチフレーズに誘導されて、人と自然の共生という人類の発展の大前提さえも崩されようとしていた日本社会も、3・11の大災害や、9月の紀伊半島の台風による豪雨がもたらした空前の被害により、「これではおかしい」と人々が誰もが気がつき、強靭な国土の建設に前進することこそ、最大の政治の責務ではないかとささやかれるようになっている。


 自民党もたとえ野党であっても、人類や日本の危機とも言える今日の事態を前に、立ち上らなければならないと力を結集しようとしている。


 私は押されて、この大調査会の会長に就任することになった。


 我が国は考えてみれば、自然災害に常におそわれ続けている。それに対する対策が手薄になっている。


 コンクリートから人へという全く寝言に等しいような無責任な言葉を得意気にくり返し、未だに何の反省もない人たちに国民の尊い命や、汗の結晶である財産も委ねている状況について、今こそ各界の意見を結集して再検討を加え、多くの国民の皆さんの共感のもとに、来年の六月頃を目指して結論を出そうとしている。


 今日の日本の政治の最重要課題へ挑戦することにより、日本国民の生存と発展の方向を研究し、国土再生の戦略を策定することを目標としてスタートしたもの。


 先ずは、日本の代表的な有識者などのご意見を拝聴することにしている。


 第1回目は藤井聡 京都大学大学院工学研究科教授による「国土強靭化について〜強くしなやかな国を目指して〜」を皮切りにヒヤリングを開始している。




○評論家 石川好氏による「国土強靭化とは〜国土の強靭化のカギは日本海側にあり〜」




○政治評論家 森田実氏による「国土の強靭化とは」




○大石久和 早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授による「国土の強靭化とは」




○西村英俊 東アジア・アセアン経済研究センター事務総長による「東アジアのネットワークの中での日本の強靭化について」




○石原信雄 財団法人地方自治研究機構会長による「国土の強靭化とは〜国政運営のあり方について〜」




○伊藤元重 東京大学大学院経済学研究科教授による「日本経済の課題」




○月尾嘉男 東京大学名誉教授による「東日本大震災の教訓」




○岡崎久彦 NPO法人岡崎研究所理事長による「国家の強靭化とは」




 年内のヒヤリングは岡崎先生までとして、新年は、1月22日の自民党大会の前日、公開討論会を開いて、広く党員・党友の皆さんのご意見を聴取し、来年のスタートとすることにしている。


 高速道路が途切れ途切れになっている箇所をミッシングリンクと呼んでいる。


 しかし、明確な対策や方針が示されていない。


「国土強靭化基本法」のようなものを検討する必要があるが、ミッシングリンク解消のための議員立法の提案も急がなくてはならない。


 来る年、よき年でありますよう念じ、皆さまのご発展をお祈りしつつ


              (平成23年12月11日 北海道稚内市にて )






-----2010年-----

・ 2010年3月2日掲載
超党派で解決の道 次世代に通用する日米関係構築を


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 日米二人のホームラン王のユニフォームは多くの野球ファンのみならず日の岬パークを訪れる観光客の人気の的となっている。




 ご寄贈頂いたハンク・アーロン氏と元エチオピア大使のアベベ・ケベデ氏、世界の王と言われる王貞治氏等のご厚意にあらためて感謝を申し上げなければなりません。このことを耳にされた野球通としても有名な前駐米大使の加藤良三氏、現日本プロ野球コミッショナーから祝意を頂戴した時に、加藤氏の記念のサイン入り色紙をお願いしたところ、ご快諾頂き、近く記念の色紙が届けられることになった。




 両ホームラン王のアーチが日米友好の大きな絆であると共に、このユニフォームの展示が、太平洋を挟んで大きな友好のアーチを日米間に築いてくれるだろうとの夢を描きながら、今度は展示場にさらに花を添えて頂く加藤前駐米大使からの色紙を楽しみにしている。この際、ハンク・アーロンの側からジョン・V・ルース駐日大使にお願いしてサイン入りのメッセージを頂くことになった。




 ルース大使も大の野球ファンであり、いつの日にか大使が関西へご訪問の際には是非ルースご夫妻でこの田舎町の一角の両ホームラン王の勇姿もご覧頂ける日も夢ではないのかもしれません。




 日の岬パークの所在地は昔から"アメリカ村"と呼ばれ、しばしば教科書にも掲載されたことのある歴史のある町でもある。




 多くの先人たちがアメリカにカナダに職を求めての移民、移住の古い歴史が語り継がれている町である。美浜町の三尾から、今オリンピックで熱くなっているカナダのバンクーバーへの移民が最も多く、今日では、すでに五世を数えており、両国の大きな友好の絆となっている。




 戦後、私たちが子供の頃、赤い派手なセーター等、アメリカやカナダから送られたのを着ている人のことを「アメリカさん」と羨望の眼差しで眺めていた時代があった。鉄筋コンクリートの建物のことを「洋館建ち」と珍しがられていた少年時代に私は友人たちと長時間自転車でその洋館建ちを見に行ったことは今では懐かしい想い出でもある。 アメリカやカナダの感化を受けるアメリカ村は何かと進んでいたと言える。




 今、トヨタ自動車の問題で、アメリカでも、日本でも大きな話題を呼んでいる。




 沖縄の基地問題で、日米は緊張関係にある。




 私も近く沖縄を訪問することになっている。その際、しっかりと沖縄の声を聞いて、判断の参考にしたいと思っている。これらの日米関係の課題は、何れも日米が共通の課題として冷静な解決を求める努力を必要としている。




 そのためには、政党政派を超越して、大局に立って解決の道を見出さなくてはなりません。あくまでも冷静に、そして、我々の次の世代にも通用するような日米関係を構築するためのチャンスでもあると思う。




 一握りの政治家や外交官や経済人だけの問題だけではなく、広く多くの日米両国の国民が、相手の立場を理解し、人的交流を盛んにして、問題を起こさせない努力が何にも増して重要である。




 私たちは、この偉大なる二人のホームランバッターのお気持ちもこんなところにあるのではないかと思いつつ、宝物のようなこの立派な記念品をみんなで大切にしたいと思う。






・ 2010年5月3日掲載
紀州の梅 ピンチをチャンスに! あらゆる人の協力で”元気再生”を


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 ふるさと紀州の梅まつりは、毎年二月十一日にみなべ町で盛大に開かれる。今から約百年前、荒地の山肌に梅栽培の道を開いた故内中源藏翁の遺徳をしのび、梅農家や梅産業に関係する人々が感謝し、その年の豊作を祈るのが習わしとなっている。




 「香り千里」といわれる梅園は甘い梅の香りを充満させ、地域の人々は和歌山県農業の優等生、否、日本農業の優等生である梅の無事生育を心から願っている。 




 しかし、私たちが誇りとする梅農業に今年は異変が生じている。




 第一報はJA紀南の中家組合長と、JAみなべいなみの久保組合長からだった。今年は梅が売れなくて困っている。新しい年の梅干生産がはじまるが、販売先で困っている。今日までの在庫も、約一年分抱えている状況である――私がJAを訪問した際の話である。通常の販売ルートは長年の努力により確立されている中での事態であり、通常とは異なる販売方法を考えなければならない。東京で梅を好んで食べて頂いている有名人の協力を得ることが大事ではないかと考えている最中、自民党本部にある武部元幹事長の部屋に、有名な歌手・俳優の杉良太郎氏がお見えになっているとの情報が入った。早速、私は面会を求め、梅の販売振興に協力を願うと同時に、梅の宣伝に力を貸してほしいと要望した。




 日頃から国内外でのボランティア活動に対して積極的に貢献されている杉さんは、「紀州の梅も梅酒も大好きだし、何か方法はないか考えてみましょう」とのことであった。しばらくして、「時間が空いたので、梅畑や梅干生産の現場を自分で見に行く。時間が許せば福祉についても語りたい」と申し出て頂き、私もお伴をして、田辺市とみなべ町に足を運び、農業関係者の生の声を聞いて頂いた。アメリカ村の「日の岬パーク」にも立ち寄って頂き、日米両国のホームラン王に関する展示も見て頂いた。御坊市民文化会館では、超満員の聴衆の前で熱心に福祉を語り、ボランティア活動の重要性を真剣に説いてくれた。最後には参加者の要望に応えて、「兄弟船」「矢立の杉」「明日の詩」等を熱唱して頂いた。




 私もまたこの杉さんの情熱に応えて、福祉はもとより、梅産業の活性化に最善を尽くすつもりでいる。政治評論家の森田実氏にも、テレビや雑誌、講演の折に「梅」について応援して頂きたいとお願いした。先生もみなべ町や田辺市の現地に足を運んで頂いて、多くの関係者を激励してくれた。




 毎朝テレビで大活躍のみのもんた氏にも、梅酒の作り方を私自身が実演して、梅農家の実情を訴え、協力をお願いした。




 青森市で、私が会長をつとめる全国旅行業協会の大会に、全国から千二百名が参加してくれた。




 冨安県議長と、坂本県副議長が出席されて、梅干二千個を配って梅のキャンペーンをしてくれた。




 先日、ブルネイの外相が来日し、日本・ブルネイ友好議員連盟の渡部恒三会長と話した際にも「梅」のことをお願いした。早くから梅振興議員連盟を結成し、渡部先生には会長をお願いし、私は幹事長というコンビでお世話になっている。梅の生育や販路の拡大、梅の文化の振興等に私も長年力を注いできた。渡辺会長も、近く、梅振興議員連盟を開催し、梅産業が元気を取り戻すことに力を注ぐことで協力を約束してくれた。




 これからもあらゆる人のお力を借りながら、やがて梅が農業の優等生である立場を取り戻すことに努力しなければならない。






・ 2010年7月26日掲載
真の経済成長戦略 日はまた昇るを求めて


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 日本経済の再興のために、今日ほど真の「経済成長戦略」が求められている時代はない。参議院の選挙が終了して、今こそあらためて「経済成長戦略」の必要性を、多くの国民の皆さんが望んでいる。




 平成十八年、小泉内閣の当時、ひたすら民間主導の景気回復の道を目指して、私は新経済成長戦略の策定に取り組んだ。




 新経済成長戦略は、「技術革新」「生産性向上」「アジアのダイナミズム」等をテコに経済の成長を実現するための道筋を示したものであった。特に私は、一行たりとも疎かにせず、政策の実現に真剣に取り組むこと。しかもそのために政府与党一体での決意を表明した。それから二年後、平成二十年八月、福田内閣において、私は再度、経済産業大臣を拝命。直面する「ピンチ」を「チャンス」に変え、新たな成長への道を切り拓いていく必要を痛感していた。この際の成長戦略の改定では、「資源生産性の向上」、「イノベーションと所得環流の好循環」、「グローバル戦略の再構築」、「地域・中小企業、農林水産業のサービスの未来志向での活性化」のための道筋を早急に描く作業に入った。与党の了承を得た上で、経済財政諮問会議に報告、退陣を表明された福田内閣において、閣議決定に持ち込み、新しい麻生内閣において、政・官・民が自信を持って次なる成長への着実なステップを踏み出せる道を拓いた。




 当時の経団連会長である御手洗冨士夫氏からは、今回の「新経済成長戦略」改訂版にある「資源生産性」の抜本的向上とグローバル化の徹底の基本戦略は、経済界の問題意識と軌を一にするもの。オイルショック、バブル経済の崩壊等の試練を越えた経験を踏まえ、政府と経済界が車の両輪となって改革を推し進めるならば、必ず状況は打開される。経済界のトップとして、力強く決意を述べられた。当時の全国商工連の清家孝会長も「中小零細業者が将来に希望を持って取り組む」と表明された。




 何よりも力強いことには、親しい友人であるOECDのグリア事務総長から「『新経済成長戦略』の改訂は時宜を得たものであり、大いに歓迎する」、改訂版は「日本の新たな成長の道を拓くもの」、「日本にOECDとERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)との橋渡しの役割を期待し、OECDとERIAとは実りある、相互に有益な協力関係を築くことができると確信する」とのメッセージを寄せて頂いた。




 ERIAの設立に些か努力を重ねた者たちにとって、グリアOECD事務総長の評価は心強い。




 民主党の「強い経済、強い財政、強い社会保障」の掛け声がすでに力を失ってしまっている。今年の六月になってようやく決定した「新成長戦略」は、説得力が感じられない。「強い財政」も消費税論戦で早くも白旗を挙げた。経済再生へ政策転換を主張する読売新聞の緊急提言は、まさに傾聴に値する提言であり、参院選を終えた今、あらためて日本経済再興のための新々経済成長戦略を早急にまとめ、「日はまた昇る」の実現をリードする責任は、野党自民党にもある。






・ 2010年9月28日掲載
アジアの玄関、沖縄への期待 みんなで協力しましょう!


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




先日、自民党の沖縄県連の政経セミナーで、那覇に出張しました。中秋の名月の日とは言え、厳しい残暑が続いていました。


 本部からは、谷垣自民党総裁と夏に初当選をされた参議院議員の三原じゅん子さんと私の三名で伺いました。


 谷垣総裁は「これからの政局を語る」というタイトルで熱弁を振るわれ、三原さんは「子宮頸ガン、医療と行政の役割」で自らの体験を語られ、解決に向けて努力することを誓い国政参加を決意されたと語り、大きな共感の拍手を頂きました。私は「沖縄の観光振興と日本経済の展望」というタイトルでお話をしました。


 沖縄も夏の参院選で島尻安伊子さんを見事に当選させて頂き、自民党県連も久々元気を取戻してくれていました。夏の高校野球、甲子園大会で興南高校が見事春夏連覇を果たして、優勝の喜びの余韻が伝わって来るような雰囲気でした。


 元気出せ沖縄!が、逆に残暑が続く中にも沖縄ロワジールホテル満杯の盛況で主催者の県連の新垣会長、池間幹事長等幹部や外間元県連会長もご満足で、私共が沖縄から元気を頂戴するような勢いを感じました。


 セミナーで私は、今から二十年前、海部内閣の運輸政務次官として沖縄を訪問させて頂いた時、記者会見の際、沖縄観光は、当時は年間四百万人でしたが、政府も力を入れるので「沖縄観光倍増、八百万人計画」を打ち上げ、やがて沖縄観光八百万人時代がやって来ると申し上げました。当時の稲嶺知事や沖縄観光関係者には喜んで頂きました。しかし、責任ある者が言っただけではすまないので、その後、当時の運輸省においても、旅行関係者に呼びかけ協力を要請したことを覚えています。基地問題と関連して修学旅行が激減した時がありました。自民党の野中広務先生の要請を受けて、当時私は保守新党でしたが、直ちに全国の観光業界の関係者一,〇〇〇名の皆さんに沖縄に集結してもらって、風評を追い払い「沖縄旅行は安全ですよ!」とのデモンストレーションの先頭に立ったこともありました。


 その後、県や関係者の皆さんのお力で、今はその八百万人を超えて、沖縄観光年間一千万人計画が打ち出され、それも達成させることが当面の目標で実現に向けて着々と推進されています。


 セミナーには、昨年の私の選挙の際、同志の皆さんが遠くの親戚、知人を訪ねてカリユシ姿で紀南の地に応援に来て頂いた方々の懐かしい顔も見えました。


沖縄観光の振興について、沖縄の離島の活用策。中国や韓国から沖縄を訪ねた時にも、もっと素晴らしい自然豊かな沖縄を想像しています。あの離島の数々こそ沖縄の魅力。モノレールを活用して、交通と観光の両立。東アジアアセアン経済研究センターと沖縄との交流計画。折角の二,〇〇〇円札の流通促進による沖縄の宣伝効果。さらに経済成長戦略等について約一時間にわたって述べさせて頂きました。


パーティには、仲井真知事も元気な姿で登場され、今日までの自民党の協力に対し感謝の言葉を述べると共に、今後の県政への中央地方を通じての積極的な協力を呼びかけられた時、会場は興奮状態で、あらためて次期知事選挙に出馬の決意表明に賛同の拍手が鳴り止まなかった。基地問題を抱えて、沖縄県知事や県民の苦悩は大きい。沖縄のために協力出来ることがあれば、努力を惜しんではならないと決意を新たにした次第です。


和歌山県の知事選挙もようやく盛り上がって来ました。自民党としても友党公明党の皆さんともスクラムを組んで決戦の秋を迎えようとしています。頑張らなければなりません。






・ 2010年12月28日掲載
日本トルコ友好120周年


衆 議 院 議 員


日本トルコ友好議員連盟会長


二 階  俊 博




私が最初にトルコ国を訪問したのは、87年の夏の頃であった。アフリカのチュニジア、カメルーン、コートジボアール等をスポーツ文化交流使節団の団長としてバレーボールの全日本監督(当時)の小島孝治氏や東京マンドリンアンサンブルの竹内郁子さん、茶道の池ノ坊の師範 稲葉英男氏等にもご参加頂いた。一行は小松宮殿下訪土一〇〇年記念事業として日本・トルコ友好議連の会長の金丸信先生の親書を携え、イスタンブールでバレーボール、マンドリンコンサート、生け花のデモンストレーション等を行い、私とトルコとの友好親善の一歩となりました。


この時、トルコの有力者の方々から日本―トルコ航空路線開設への強い要望を受けて、渡部恒三先生のご指導を頂きながら、直行便実現に汗を流した想い出があります。


翌88年の7月、全日空機をチャーターし、金丸先生に団長を引受けて頂き、私が事務局長として、国会議員三〇名、各界から二七〇名のご参加を頂きました。巾広い参加者の中には現総理の管直人氏も国会議員として参加され、記念写真にも若い日の姿が撮っています。


日本とトルコの協力で建設された「第二ボスポラス橋」の開通式に参列することが主な目的でした。当時のオザール首相(故人)は「トルコと日本はアジア大陸の風俗習慣を守っている国民です。トルコは先進経済大国たる日本を自国の模範としています。トルコはやがて、この地域における日本になろうと努力しています」と述べられました。


この時の模様を地元紙に、私は「友好百年の絆」と題して投稿させて頂いた。


和歌山県とトルコとの友好の歴史は、今や誰もが知る両国の大きな親善の絆となっている。


関係者のご努力により、着々とこの友好が前進していることは嬉しい限りです。今から一二〇年前、串本町大島の樫野埼で、トルコのエルトゥールル号が台風の直撃を受けて遭難の際、乗員六五〇名のうちの五八一名が死亡するという大惨事が発生しました。


当時の串本の住民の皆さんや県当局の人道的な救難活動は、今も両国民の間でこのことは語り継がれています。


今年の夏、仁坂知事、谷県議会議長、前芝県議会議員、田嶋串本町長のほか、県民有志の皆さん一八〇名が大挙して「トルコにおける日本年」に訪問されました。


一二〇年の友好親善の歴史は、先の十二月の県議会において、前芝県議会議員より雄弁に語られ、やがて友好の絆は映画化されるまで期待は膨らんでおります。


私は、先般、友好一二〇年の全国旅行業協会の記念行事として、全国から集まった三百名の団員の皆さんと共にトルコを訪問しました。


知事や、串本町長からのメッセージをお届けすると共に、映画監督の田中光敏氏からトルコ語になった脚本をギュル大統領にお届けする等も致しました。


イスタンブールで開かれた歓迎の夕べでは、「全てのトルコ人は、世界で一番好きな国は日本だ」と口を揃えて語ってくれていました。


金丸ミッションから数えて二十一年目の訪問であり、あの頃は「友好百年の絆」と呼んでいたものが、すでに百二十周年を数えるに至りました。日本とトルコの友好議員連盟も、渡部恒三先生を名誉会長に、私が会長に、逢沢一郎自民党国対委員長、西博義公明党組織委員長に副会長、大畠経済産業大臣に幹事長をお願いして、まさに超党派で有力議員に顔を揃えて頂いて、再スタートしました。日本側の横路孝弘衆議院議長、トルコ側のシャーヒン議長やカフカス議連会長等も友好議員連盟の活動開始をとても喜んでくれています。「トルコの青年男女が日本で働いて両国の親善に勤めたい」「人物については在トルコ田中大使が責任を持つ」と言ってくれています。


来る年は百二十一年目の最初の年。両国の経済交流も盛んになり、さらに素晴らしい第一歩となるよう頑張ることを誓いたい。






-----2009年-----

・ 2009年1月14日掲載
東京国際映画祭と田辺弁慶映画祭 映画は国境を越え人々に感動を(その2)


衆議院議員・経済産業大臣


二 階  俊 博




映画=「海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ」=田辺市を舞台にした見事な青春映画である。南カリフォルニア大学で映画を学ばれ、腕を磨いて来られた田辺市出身の太田隆文監督が中心となり、紀南の自然豊かな環境と古くからの伝統の町並みや懐かしい木造校舎等を生かした風景をバックに繰り広げられる昭和四〇年代の頃の地方の女子高生の様子が鮮やかに描かれている。




 ふるさと愛に燃える実行委員長の中田吉昭さんや、多田稔子さん達の熱意と努力は並大抵のものではない。ふるさと田辺で映画をつくりたい。映画を通して、田辺市を全国に広く発信したい。田辺市の観光振興にも大いに役立せたい。―――こうして一人一人の若者たちのエネルギーが結集して、県や地元の市も動して、街の有力者も動員して、みんなの力を結集して、ストロベリーフィールズの上映へとこぎつけた意義は大きい。




 東京へも何度も足を運ばれ、「営業」活動にも熱心に取組まれた。度々、関係者の皆さんの熱い想いを聴きながら、私が協力出来ることは何があるだろうかと考えた。その頃、すでに経済産業では、映画、アニメ、漫画等を中心にコンテンツ産業の躍進に政府としてバックアップする方針を打出し、大臣の私的諮問会議を設けて、巾広い産業政策の一役を関係の皆さんにお願いして、私はやがてコンテンツ産業がトータルで「二十兆円産業の時代」が来ると内外に発表していた。その頃、WTOの閣僚会議でジュネーブに出張の機会が度々あった。その都度、飛行機の乗り継ぎでパリに立寄った。いつもジェトロ(日本貿易振興機構)パリの中井所長(当時)が、出迎えてくれた。フランス事情や、パリでも日本のマンガやアニメの躍進ぶりについても説明してくれた。




 日本のホテルでテレビをつけると、いつも「野球」をやっているといつか中国の要人が語っていたが、パリでは日本のアニメが盛んに放映されている。パリの子供たちは、自宅では、日本のアニメを観て育っていると言われている。日本語の一部はパリの子供たちを介して、一足先にフランスの家庭に入り込んでいるとの説明を受けた。田辺の映画のことが頭から離れない当時の私は、思い切って、郷里の田辺で出来た映画を、国際的に有名なカンヌ映画祭に出展上映することができるようカンヌ映画祭の委員長に頼んでみてくれないかとジェトロの所長にお願いした。カンヌ映画祭に出展上映を希望することは、私にとってもかなり勇気のいる提案であった。カンヌ映画祭のジャコブ委員長は十年以上も委員長をつとめる国際映画界の超大物である。さすが伝統の映画祭をここまでリードして来られただけあって、関係者や私の願いが届いて、三万本も出展する中に田辺の映画が上映されることになった。そして委員長のご好意で、「特別感謝状」まで授与された。日本の地方の映画製作に明るい灯をともしてくれた瞬間でもあった。今、田辺では「田辺・弁慶映画祭」として大きな一歩を踏み出した。昨年の秋の開催中の三日間、平工近畿経済産業局長は熱心に田辺へ、通ってくれた。本省の近藤商務情報局長も閉会式に出席され、私も日本映画界で有名な大森一樹監督にもお目にかかり、奥さんも和歌山の出身でいつかこの風光明媚な和歌山の地で映画を撮りたいと語ってくれていた。ご縁を大切にしたいと思っている。




 幸い仁坂知事や和歌山県市長会会長の真砂田辺市長等のご理解が深いことも心強い味方である。




 行く先長い道程であっても、地域が新たなチャレンジに踏み出した意義は大きい。これからも地域の映画造りの新たな芽を如何にかして着実に伸ばしていくかが今年の経済産業省の大きな課題でもあり、映画産業や専門家の皆さんの期待でもある。




 






・ 2009年3月3日掲載
「太陽光発電で世界一奪還を!」 


衆議院議員・経済産業大臣


二 階  俊 博




 太陽光発電は、無尽蔵とも言える太陽光のエネルギーを活用する誰もが知っている発電方式です。しかも、発電時に一切二酸化炭素を排出しないわけですから、今、話題の地球温暖化防止にも大いに役立つ「地球にやさしい」エネルギーでもあります。国内に資源が乏しく、石油をはじめ海外からの輸入に依存している我が国にとっては貴重な「純国産」のエネルギーであります。


 今、政府は、「二〇二〇年に現状の十倍、二〇三〇年に四十倍」という意欲的な目標を掲げて、様々な取組みを始めていることはご承知の通りです。その最初の一歩が、一月十三日に申請受付を開始しました、ご家庭の住宅用太陽光発電システムの補助制度です。新聞広告の効果もあって、おかげさまで、申し込みは、全国で早くも一万件を突破しています。平均的な戸建住宅の場合、一軒当たり、現在二百三十万円ほどの設置費用がかかるところ、この補助制度をお使いいただくと、二〜三十万円ほど負担が軽減されます。現在、和歌山県でも、補助制度が検討されています。これらを組み合わせてご活用していただくと、かなりの負担軽減となります。


 ただし、個人の住宅だけでは、発電量という意味では、爆発的な普及には限界があります。そこで、今、ターゲットにしているのが、小・中・高等学校、駅、道路、市役所それに交番など、皆さんの生活の中で、身近な公共施設等への設置です。中でも、地域の防災拠点である公立の小・中・高等学校に導入することができれば、災害時の動力源として役立つことになります。


 今、私が太陽光発電の普及に先頭に立って旗を振っているのは、これが景気対策にも大いに役立つと判断しているからです。つまり、個人の住宅の建設や改修にしろ、公共施設の工事でも、これから「太陽光パネル」の設置という新しい仕事が増えていくことになるからです。近所の工務店や電気屋さんにとっては、格好のチャンスとなるわけです。ただ、やはり専門技術を身につけることは必要です。そのため、私は、中小企業庁が四月以降、太陽光発電施設の設置のための技術講習会を全国各地で開催するよう指示しました。




先日、私は、経済産業大臣として、大きな政策転換とも言える決断をいたしました。それは「固定価格買取制度」を我が国も導入する、というものです。馴染みのない言葉ではありますが、太陽光発電で余った電力量については、電力会社に通常の料金の二倍程度の価格で買い取ってもらえることにします。今でも、電力会社が余剰電力として買い取ってくれる仕組みはありますが、「二倍の価格で」ということで、太陽光発電を導入する皆さんにとっては、大きな負担軽減となることが期待できます。


「固定価格買取制度」に電力会社のみならず、経済産業省が消極的だったのには理由があります。その一つが、電気料金のいくらかの値上げにつながる、ということがあります。電力会社が二倍の価格で買い取るわけですから、その負担は、広く薄く、消費者の皆さんにも負担いただくことになります。詳細は、これからですが、今のところ、一ヶ月の電気料金で考えると、数十円から百円程度のご負担の増ということになります。ご理解いただけるようお願いしたいと思います。


我が国は、二〇〇五年ドイツに抜かれるまで、太陽光発電の導入量では世界一の座にありました。何としても、「太陽光発電の世界一」を奪還しようとの声は、与野党ともに熱心です。何よりも多くの国民の皆さんのご理解とご協力を頂いて、環境、省エネで世界最高水準を守り、まさに「環境立国」の実現に力を尽くしたいと思います。






・ 2009年6月9日掲載
デンマーク大使と走る 初夏のサイクリング大会


衆議院議員・経済産業大臣


二 階  俊 博




 5月31日、「デンマーク大使と共に走ろう!エコサイクリング大会和歌山」に参加のため、和歌山城の砂の丸公園に早朝から集まった。




 県内各地のサイクリストの皆さんが、軽快なサイクリングのいでたちで集まって来てくれている。デンマークのメルビン大使も、今年のCOP15の開催地の大使として、このサイクリングを主催しておられるだけあって、ヘルメット姿もお似合いで、張り切っておられる。副会長の鶴保参議院議員や仁坂知事、大橋和歌山市長、神出海南市長、中村紀の川市長等の顔も見える。朝の五時頃の御坊の空は叩きつけるような大雨で、これでは折角のみんなが楽しみのサイクリングも開催があやしくなりそうで心配したが、しばらくすると夜明けと共に雨はすっかり止んで陽が射してきて、これなら大丈夫という天候になった。




 中村裕一県議のスタートの合図によって、参加者は一斉にペダルをこいだ。先週の参議院予算委の答弁の際、「今度の日曜日に和歌山でエコ・サイクリング大会が催される。デンマーク大使がお越しになる。私も参加する」と申し上げた。私が初めてサイクリングに興味を覚え、「おはようサイクリング」等に取組むようになったのは、昭和四九年の頃でした。その前は私が国会議員の秘書の時代に、全国に自転車専用道路建設の要望が高まり、私がお仕えしていた遠藤三郎元建設大臣の呼びかけで、自転車道路建設促進国会議員連盟が誕生し、私が事務局を担当して、法制局や当時の建設省、議連のメンバーの間を忙しく駆け回った日のことを懐かしく思い起こします。




 県のサイクリング協会の久昭三氏や和歌山大学の家崎満大教授にもお世話になりました。久氏は私のはじめての県議選に出陣の際、和歌山市からお越し頂き、名演説をして頂いたことは今も忘れられない。家崎教授も今も健脚で、愛車に乗ってのご参加は、「八三歳になりましたよ!」と和歌山大学名誉教授はお元気そのもので、自転車は健康に良いと言われるのは本当だなぁと思いました。親孝行の先生は、「お父さんのお見舞に三重県まで自転車で行ってくる」と言っておられたことを今でも覚えている。県内一周、太平洋沿岸自転車道の建設計画は、千葉県の銚子から和歌山市の加太まで延長一三〇〇キロの壮大な計画で、今ようやく六割程度出来て来たというところですが、サイクリング愛好家が環境運動と共に熱を帯びて来た今、さらなる推進のため、金子国土交通大臣や谷垣前財務大臣が国会の自転車議連会長として先頭に立ってくれているので、さらに馬力をかけてみようと思っている。




 県議の頃でしたが、太平洋沿岸の自転車道路の建設キャンペーンのため三日間位をかけて新宮市を出発し和歌山市まで完走して、県庁の玄関で当時の仮谷知事に出迎えて頂いたことも、つい先ごろのように思えてならない。久しぶりにそよ風を受けながら、ペダルを踏む快感を思い起こさせてくれたデンマーク大使にも感謝したい。






・ 2009年7月18日掲載
シュート打ちの名人  山内一弘さんを偲ぶ会


衆議院議員・経済産業大臣


二 階  俊 博




 プロ野球、大毎オリオンズの往年の強打者として、ロッテ、中日の元監督としても大活躍された山内一弘氏の「お別れの会」が六月二十九日、東京のホテルニューオータニで開かれた。約三百人のプロ野球界のかつての大選手の皆さん等が集まった。娘さんの結婚式にもお招きを頂き、ご厚誼を頂戴していた私も出席させて頂いた。


 不世出の快速球投手と言われる金田正一氏、ミスターの愛称の長嶋茂雄氏、フォークボールで有名な杉下茂氏、鉄人、衣笠祥雄氏、赤ヘル軍団の名監督古葉竹識氏、広島カープの強打者山本浩二氏等が次々に山内さんの選手時代、監督コーチ時代の懐かしい想い出を雄弁に語ってくれた。プロ野球のコミッショナー加藤良三氏(前駐米大使)も出席され、現役の頃の山内選手を生き生きと語っておられた。


 日本球界の代表的なこれらの皆さんが語る熱い想い出の数々によって、山内一弘という日本球界の歴史に残る名選手、名監督の姿がくっきりと人々の心の中によみがえる一瞬でした。「打撃の職人」「シュート打ちの名人」という言葉も、野球ファンなら誰でも知っている。「偲ぶ会」で、長嶋さんは、「誰の真似でもない自分のものを作り上げた」と語った。金田正一さんは、「山内とは小学校時代に相撲大会で勝負したのが出会い。シュート打ちは脳裏に焼き付いている」とスピーチ。最後に中畑清氏が雰囲気を盛り上げるために、プロの歌手と言われている自慢ののどをたっぷり聞かせてくれた。挨拶に立たれた奥様の与侍子さんは、「晩年グランドへ車椅子で出かけて行った際も、球場に着くと、自分で立ち上がる姿に、山内はよくよく野球が好きなんだなぁと思いました。今日は最後のオールスターゲームでございました」と結んで、オールスターゲームになると大活躍をされるので、人呼んで「オールスター男」と言われていたご主人の在りし日に想い馳せておられたのが実に印象的でした。


 山内さんと私の出逢いは、スポーツ記者をしていた田辺市龍神の川口包光氏が紹介してくれた。少年野球のコーチやさらに私の後援会等に来て頂いた。誠心誠意、応援して頂いた。「かっぱエビせん」の異名をとる山内さんの指導の熱心さは、今も球界の語り草になっている。政治談義においてもやはり「かっぱエビせんでした」愛知県のご出身で、若い頃ノンプロ川島紡績で頭角を現した山内一弘さんを私の同志の江崎鐵麿代議士の御尊父の故江崎真澄先生が可愛がっておられた関係もあり、私たちが意気投合するまでに時間はかからなかった。アユ釣りが大好きで、日高川や日置川によく訪れた。研究熱心はアユ釣りでも本領発揮され、アユ釣りでもやはり「名人」でした。


 本県出身の元オリオンズの得津高宏氏、美浜町の「煙樹」の中野賢弘・令子夫妻、後楽園球場の役員をしておられた丸井定郎氏(白浜町日置川出身)等、和歌山に関係が深く、しかも山内さんの熱烈なファンが上京され、お別れの会に出席されている姿に、あらためて人間山内さんのお人柄に触れさせて頂いたようで嬉しく思いました。ユニホーム姿の遺影に向かって最後のお別れをさせて頂いた。山内さんから教わった勝利へのあの執念、道を極めるための根性にあらためて思いを致し、私は政界というグランドに立って、一球一球を大切にし、戦いに挑むことを心に誓った。






・ 2009年10月20日掲載
小規模企業共済制度の改正を急げ!


衆 議 院 議 員


自由民主党幹事長代理


二 階  俊 博




 「老後の不安」と「後継者問題」はこれからも日本社会の最大の関心事であると同時に、政治の重大な課題である。今年の春過ぎから自民党の武部勤元幹事長や塩崎恭久元内閣官房長官、野田毅元自治相、吉川貴盛経済産業副大臣、高市早苗経済産業副大臣、公明党 東順治経済産業委員長、梶山弘志自民党経済産業委員長理事、中野正志前経済産業副大臣、櫻田義孝前厚労委員長等が相次いで大臣室に来られて、熱っぽく説くのは「小規模企業共済制度の改正」についてである。




 四百二十万人の中小企業のうち、そのほとんどは小規模企業である。一般の製造業であれば、従業員二十人以下、小売業、サービス業では従業員五人以下が小規模企業となる。その中で法人と個人に分けると、個人事業主が二百五十七万人である。個人病院、飲食店、クリーニング店、理容、美容室などの個人事業主が、小規模企業に占める割合は、実に七割にのぼる。個人事業主は退職金で十分なお金を取得できない。それを補うために、小規模共済制度があった。しかし、加入できる人は、経営者ひとりだけであった。個人事業主の経営実体は、ほとんどが「お父さん」「お母さん」「息子か娘さん」という三人で頑張っているケースが少なくない。




 後継者として同じ企業で社長と一体となって働く息子達や娘さんは、社長が引退するまで、小規模企業共済制度に加入できない。自動的に、息子は、中年か初老になっての加入となる。当然、加入期間が短くなる。従って、小規模共済制度からのメリットも少ない。後継者には現状の制度は、頼りない制度に映っていた。




 事実上、経営のパートナーである奥さんも小規模企業共済制度の蚊帳の外であった。昨年九月のリーマンショック以降の世界的な不況が個人事業主たちの売上げ低下を招いた。個人事業主の悲鳴が聞こえる中で、熱心に大臣室に足を運ばれた自民党の有志は「政府が提案してくれる」だけでも大きな前進だとねばった。




 私は、直ちに中小企業庁の長谷川長官に、個人事業者の経営実態調査を依頼した。




 そして法案づくりに入った。


一、 事業主のみに限られていた加入対象者を拡大して、奧さんもお子さんにも拡げて、事業承継の円滑化をはかる。


二、 共済制度に加入した後継者に対して、事業承継資金の低利融資制度を創設して、事業承継の円滑化をはかる。


このほか税法上、共済制度の掛金は全額控除となり、節税の道も開くことにした。法案は誰が考えても、国会解散を控えて、とても無理だという判断に傾いていた。私は「常に一歩前進が大事だ」という信念で、自民党商工部会の幹部と経済産業委員会の当時の与党理事の皆さんの説得に大臣自らが乗り出した。関係者も全面的に協力を惜しまなかった。遂に国会解散のその日、七月二十一日の朝から委員会を開き、私が提案理由の説明を行い、自民、公明の代表の質問に、答弁に立ち、採決の結果「起立総員」東順治経済産業委員長(公明)の適格な委員会運営により、法案は委員会において全会一致で通過した劇的な瞬間であった。




 衆議院規則により、直ちに本会議に上程されることになり、私は、例によってひな壇に座った。しかし憲法の定めで、「解散詔書」は何にも優先されることになっており、一瞬のことで、「小規模企業共済制度改正案」は流れてしまいました。しかし、例え政権がかわっても、こんな大事な法案は、もとより超党派で成立に努力すべきで、新政権において、次期通常国会において可能な限り、早い時期に与野党協力で全国の中小小規模事業者のために成立を期すべきである。私も全力を挙げる決意であり、必ず経済産業省大臣、副大臣、政務官の皆さんのご理解と協力を得られるものと確信している。






・ 2009年12月22日掲載
二人の本塁打王の英姿


衆 議 院 議 員


二 階  俊 博




 和歌山県日高郡美浜町三尾、日の岬パークのアメリカ村カナダ移民資料館の傍らに、ホームラン王として世界記録を持つ、王貞治・現ソフトバンクホークス球団取締役会長と、アメリカ大リーグを代表するホームラン王のハンク・アーロン氏のユニフォーム姿を展示しており、今人気を呼んでいる。




 先日、王さんにお目にかかった際、地元紙に掲載されたお二人の英姿をお見せしたところ大変喜んで頂き、「二人のユニフォーム姿を一緒に展示して頂いているところは日の岬パークだけですね」と言われた。王さんが言われるのだから間違いない。


ところで、このお二人の世界の野球界のスーパースターのユニフォーム姿が、何故日の岬パークに展示されるようになったのか、尋ねられることが多い。物語は十九年前に遡る。一九九〇年七月、私は当時運輸政務次官で、第一回日米観光協議の共同議長をつとめるため、日本の観光関係の専門家の皆さんと共にワシントンを訪れた。 




 会議を終えてから、アメリカ側の要望に応えていくつかの都市を訪問し、日本との観光交流について意見を交換した。その一つ、アトランタ市(ジョージア州の州都)訪問の際、思いがけないシーンが待っていた。アトランタは六年後にオリンピックの開幕を控えており「観光」に力を入れていた。交流の会場にアトランタの市長代理として、市の外交顧問が出席しておられた。その人が元エチオピアの駐日大使であられたアベベ・ケベデ氏であるということに私が気付くまで、時間はかからなかった。実はケベデ駐日大使が在任していた当時は、エチオピアの政治情勢が混乱しており、大使は東京のアメリカ大使館へ亡命をされた。日本エチオピア友好議連の事務局長である私は、在任中の大使の訪問を何回か受けて、食事を共にしたこともあり、また対談をさせて頂いた仲でもあった。「亡命」―――という、私たち日本人ではほとんど経験の少ないことを現職の駐日大使が行い、私たちの前から姿を消してしまわれた。アメリカへ向かわれたということであったが消息は全く不明であった。アメリカの大学に学び、後にエチオピア航空の重役を務め、さらに大臣も務められ、昭和六〇年に日本の大使に着任された。大使時代は常に民族衣装姿で堂々としておられた。亡命という数奇な運命を歩まれた大使のご様子にびっくりすると共に、再会出来たことをお互いにとても嬉しく思った。市長代理としてのスピーチの中で、大使は私とのことに触れて「アトランタのオリンピックの時は是非観戦に来て下さい。そしてその時は私の家に泊って下さい。妻もきっと喜ぶでしょうから・・・・」とみんなの前で感動的なスピーチをしてくれた。一年後コスタリカを訪問した際、乗り継ぎで再びアトランタに立ち寄った。大使と昼食を共にした際、「ハンク・アーロンのサイン入りユニフォームを送るから息子さんにあげてくれ」と言われた。しばらくして小包みが届き、約束のハンク・アーロンのユニフォームだった。大使の折角のご好意を私の家族だけで頂戴するのは如何かと思い、ずっとチャンスを伺っていたところ、王監督からもご厚意を頂いた。これは、私たちの地域にとっても久々の快挙であり、オバマ大統領初来日の秋、日米友好のシンボルがまた一つアメリカ村に誕生することになった。






-----2008年-----

・ 2008年1月7日掲載
「今年こそ紀伊半島一周の高速道路にメドをつける」


衆議院議員・自由民主党総務会長


二 階  俊 博




 明けましておめでとうございます。今年は、和歌山新報の国会議員のリレー随想の「書き初め」のような当番を承ることになりました。今年の和歌山県としては、仁坂知事も言われているとおり「紀伊半島一周の高速道路建設についてメドをつける」ことが最大の課題となっている。第3回国土開発幹線自動車道路建設会議は、昨年の暮れ、十二月二十五日に東京ホテルオークラで開催された。


主たる議題は、「東京外郭環状道路」についてであるが、これについては、事前の説明もなされており、ほとんど国土交通省の方針通り原案が全会一致で了承された。


私は久方ぶりでこの建設会議に自民党三役の一人として出席することになっていた。


 この会議を静かに聴いておりますと、先ず民主党を代表する委員、自民党代表の委員が交互に「地元の声を尊重するように」、「高速道路のネットワーク構築」等についての意見を述べた。


 さらに民主党の委員から、東京外郭環状道路の基本計画の策定であるが、9,342qについて、どのような全体像で整備を図っていくのか」


 冬柴大臣からは「現在までの1万4,000qについて、さらに9,342qについてもまだ出来ていません。例えば、鳥取県は37%、和歌山県は40%、宮崎県が41%しか整備が出来ていない・・・・・・・・」と責任ある担当大臣として切々と心境を述べられた。


 私としては、同志中の同志である冬柴大臣の胸の内は痛いほど分かるような気がする。


 昨年の十一月十一日にも田辺インターまでの開通式にも多忙の中を出席して頂いた。しかし私としても、高速道路建設のために重要な影響力を持つ公の席で大臣に確かめておく必要がある。


 私は、大臣及び宮田道路局長に対し、「次回、当委員会はいつごろ開かれるのか」「予算の問題について、誰も発言されないが、これだけのメンバーが出席の中で今後の道路予算をどうするんだということが議論されなければおかしい。このことを別に置いて、幾ら議論しても道路は進みません。」「ネットワークという言葉が言われていますが、底流にあるものは国土の均衡ある発展です。いつの間にか、国土の均衡ある発展は『死語』だということを平気で言われるようになって来ている。『国土の均衡ある発展』というのは、今、一体死語になっているのか、生きているのか大臣の見解を承っておきたい」冬柴大臣は直ちに、「生きております!」極めて明快な大臣の答弁である。民主党の委員からは、「今の二階委員と冬柴大臣のやりとりは重要なお話であり、これはかなり基本的な政治課題である」と指摘された。勿論、私も同感である。


道路特定財源について、道路財源を巡って白熱の議論が全国各地で展開されている。年の瀬も迫った十二月二十七日、県及び各種団体の主催により、道路財源の問題の必要性について、激論が交わされた。


しかし大筋において、自民党と公明党の与党議員の意見はほとんど一致しており、さらに民主党議員からも、県民の長年の道路建設を支援する熱烈なエールが送られた。今、まさに「国土の均衡ある発展」を巡って、政治が真剣勝負の時を迎えている。高速で走れる紀伊半島一周の道路建設のメドをつけることが出来るかどうか今年はその正念場を迎えた。一歩も退かない決意で頑張りたい。




・ 2008年3月10日掲載
地震メカニズムの解明の『地球号』と新エネルギー発見の『資源』スタートへ


衆議院議員・自由民主党総務会長


二 階  俊 博




 近ごろ、文部科学省や経済産業省が夫々取組んで来られた「地球号」と「資源」が、地震のメカニズム解明や新エネルギーの発見を求めて活動をスタートさせました。




 




 地球深部探査船「地球号」は21世紀の海洋地球科学をリードする世界最新鋭の掘削調査船で、文部科学省が600億円の巨費を投じて、完成させました。「南海トラフでの地震発生メカニズムの解明」を目的に、昨年9月から新宮市沖、約100qの熊野灘沖において科学掘削を実施し、2月5日に今年度の調査を終え新宮港に帰ってきました。




 2月9日に国際シンポジウムが新宮市で開催され、仁坂知事と共に私も参加しました。海底地質学の国際的な専門家が出席され、画期的なシンポジウムとなりました。




 熊野灘は、過去に大きな地震が何度も発生した東南海・南海地震の震源の巣であり、直近の地震発生から約60年が経過していることから「今後、30年以内に巨大地震が発生する確立は60%〜70%とされている」と言われている。




 巨大地震の発生メカニズムの解明に科学の枠を集めて挑戦することこそ大きく言えば、人類最大の課題であります。地震波の到達を一秒でも早く知らせると同時に、避難の促進やインフラの緊急停止等による被害の軽減に英知を結集すべきであります。第一次研究航海の成果として海底下220mから400mの区間にメタンハイドレード(氷に似ているが、火をつけると燃える『燃える氷』とも呼ばれている。シャーベット状態で解凍するとメタンガスに変わる。地球温暖化対策として有効な新エネルギー)が分布されていることが確認され、一説によると我が国のエネルギーの百年分から二百年分が眠っていることも大きな期待であります。




 次に、三次元物理探査船「資源」についてであります。私が経済産業大臣の際、物理探査船の予算獲得に経産省の幹部と共に奔走した日のことを想い出します。




 平成18年度予算を要求通り、満額127億円を獲得したことより、事業をスタートさせて、19年度予算で107億円、2年間で235億円の巨費を投じて三次元物理探査船「資源」を導入することが出来ました。




 「資源」は我が国の海域に存在する石油、天然ガス資源の精細なデータを収集するため、資源エネルギー庁の公船として導入。ノルウエ―のPGS社所有の船を導入、改造したもので、母港は千葉県船橋としました。全長86メートル、総トン数10、297トン、定員100名、ケーブル最長六千メートル稼動可能海域、水深3千メートル、探査能力、海底面下5千メートルに及ぶ世界最新鋭の探査船であります。2月11日、建国記念日が就航記念の日となりました。     




 私も甘利経産大臣や望月資源エネルギー庁長官のご招待で、千葉の船橋での引渡式と就航祝賀会に出席致しました。久し振りに顔を合わす経済産業省の幹部の皆さんの案内でエンジンコントロールルーム、船室、食堂等を見学、はじめて見る探査船の勇姿に接し、いつの日か日本が『資源大国』と言われる日を期待しているのは私だけではない。






・ 2008年4月22日掲載
韓国国会議員選挙   朴智元・元官房長官が大勝利


衆議院議員・自由民主党総務会長


二 階  俊 博




 二〇〇八年四月十三日、第十六代韓国の国会議員選挙の投開票が行われた。


 開票の結果を今や遅しと私は待っていた。中でも、全南木浦市の開票に、私は祈るような気持ちで、ある「友人」の当選の報に首を長くしていた。


 第一報は韓国で特派員経験のSさんから朴智元(パク・チウォン)氏が当選されたとの朗報が届けられた。翌朝、友人H氏が国際電話で有権者八四、八三五人の中で朴候補が四五、四六六票を獲得、得票率五三、六%で次点以下を大きく引き離して、圧勝されたとのことであった。


 この朴智元氏と最初の出逢いは、一九九九年一〇月、済州島で開かれた日韓定期閣僚会議の場であった。


 小渕内閣の運輸大臣の私の直接の交渉相手の一人が文化観光大臣の朴智元氏でした。勿論、その時はお互いに初対面ながら、意気投合した。日韓観光大臣会合や日中韓の観光大臣会合等の創設や二〇〇一年の世界観光機関(WTO)総会の日韓共同開催等についても、合意を得ることになった。


 二〇〇二年のサッカーワールドカップの日韓共同開催を契機として両国が世界に向けて、歴史文化の遺産等の素晴しい観光資源についてアピールする等積極的な観光振興のための両国間の相互協力を約束した。その後も、仙台で、大阪で、大臣会談を催す等、さらに、日韓の空のルート金浦―羽田ルートのチャーター便の創設等、金大中大統領の意を受けて、朴大臣は熱心な主張を続けられた。仙台発大阪行の機中においても交渉が続いたことが、仕事熱心な朴氏の面目躍如たるものがあり、今でも記憶に新たなものがある。


平成二年四月、日本遺族会の会長に就任された古賀誠先生が、金大中大統領と会見の際、私もご一緒させて頂きましたが、この時も大統領側近ナンバーワンといわれる朴大統領政策特別補佐官にお世話になった。


 二〇〇二年六月、私が韓国政府から観光交流についての努力が認められ、「修交勲章光化章一等級」を叙勲の際、大統領秘書室長(内閣官房長官)として、私の同志の皆さん方も青瓦台にお招き頂き、日韓の友好を熱っぽく語ってくれた。


 しばらくして朴氏は、大統領の密使として北朝鮮を度々、往復され、金正日総書記と会談を重ねておられた。時が移って二〇〇三年六月、北朝鮮への送金の件で、突然、収監される事態となった。詳しいことは知る由もないが、懲役三年の刑の宣告を受けられ、私は生活環境の変化にひたすらご健康であられるよう祈るばかりの毎日でした。


 二〇〇五年、与党三党の幹事長として武部・冬柴氏とともに病気療養中で刑の執行停止中の朴氏とお目にかかり、旧交を温めると同時に、激励を申し上げた。私はこの間、友人たちの計らいで、二・三度お手紙を認めた。それには「やがて疑いが晴れて、日韓両国の橋渡しの重要な役割を果される日が必ず来る! 日韓両国がやがてあなたの指導力を必要とする時がやって来る!」 と書いた。二〇〇七年二月恩赦により自由の身となられた。一度は全大中元大統領と共に来日された。また、私はご家族と共に、伊豆長岡温泉や白浜温泉にお招きした。しかし、今後、如何にしてこの有能な政治家の名誉を回復することが出来るのか。彼に大きな期待を寄せる人々の間の最大の関心事であった。この度の国政選挙で衆望を担って、金大中元大統領の郷里から、無所属で五人の候補の中で断然トップで堂々たる勝利を果された。私が運輸大臣時代、韓国の閣僚であった朴氏との間で「兄弟の契り」を結んだことも知る人ぞ知るエピソードである。今、金大中大統領やご家族の皆さんが、愛弟子朴智元氏のご当選を如何ほど喜んでおられることか想像するだに胸が熱くなる想いである。






・ 2008年6月24日掲載
トルコ共和国ギュル大統領の串本町訪問


衆議院議員・自由民主党総務会長


二 階  俊 博




 トルコ共和国の大統領が来日され、天皇陛下に謁見し、福田首相と首脳会談が行われた。その翌朝、大統領ご夫妻のご一行を乗せた満員のチャーター機は南紀白浜空港に向けて飛び立った。このことを知った国民の皆さんの中には一八九〇年九月、串本町の樫野崎で遭難沈没したトルコ軍艦「エルトゥールル号」のことを前々から承知している人は、大統領が自ら、亡き多くの犠牲者の霊前に献花されることに感慨を新たにされた人々は多い。


しかし、大統領が、何故和歌山に行かれるのか驚かれた人も少なくない。


 それほど、今回のアブドラ・ギュル大統領ご夫妻の串本訪問は画期的なことであり、ご努力を頂いた仁坂知事や松原町長をはじめ、関係者の皆さんに敬意を表したい。


私は、超党派の日本トルコ友好議員連盟(亀井久興会長)の副会長として大統領が宿泊されておられた帝国ホテルで行われたの歓迎朝食会の席で、ご挨拶を交わさせて頂いた。


とても紳士的で親しみやすい人柄は、与野党の議員の間にも、親近感が高まり、印象深い会談となった。


 私は、「日本とトルコの古い歴史、エルトゥールル号のご縁をお互いに大切にして、両国の絆を次の世代に着実に継げていかなくてはならない。若い世代の交流、中学、高校生等の修学旅行で相互訪問が出来るよう両国政府がバックアップをする道を考えてみることが大事ではないだろうか!」と提案したところ、大統領は「素晴らしいご提案であり、賛意を表したい。その場合、串本町の存在する和歌山県から最初にはじめるようにしてはどうだろうか」と言われました。


 この席には大江康弘参議院議員も出席しておられた。出席者一同は、大統領の見事な応答に全員が拍手で応えた。


 その日の夜、福田総理ご夫妻主催の少人数の歓迎晩餐会が総理官邸で開催された。私も招かれ、打ち解けた雰囲気の中で、日・ト両国の今後の交流、協力について話し合いが続けられた。


 しかし、どうしても話は串本のエルトゥールル号の話が主役になってくる。


 翌朝、一行は羽田空港から南紀白浜へチャーター機で向かうことになっており、私と大江参議院議員が大統領の配慮で同乗させて頂いた。


 串本町大島でのエルトゥールル号の慰霊祭は厳粛な中に、遠くトルコ国から、はじめて大統領がご出席になられたことに参列一同は特別の意義を感じ、感慨無量のものがあった。海上自衛隊の儀杖隊の弔銃、大統領ご夫妻の献花、祖国を遠く離れて眠る將兵たちに、献げる大統領の一語一語に感銘を深くした。


 地元から県議会議員、市町村長、議員の皆さん、鶴保庸介参議院議員も駆けつけてくれた。中でも、大島小中学校の児童生徒たちの心のこもる追悼歌の合唱は哀愁を含んで海底に眠る五〇〇名の御霊に届けられた。大統領の写真入りの串本町訪問の記念切手の額を差し上げたところ、直ちに大統領はサインをして頂いて、大島のトルコ記念館に展示されることになった。


 大阪へ出られる大統領と同じ列車でしたので、途中から私は有田の温室栽培のみかんを差し入れしたところ、大統領から「あまりおいしいので3ヶ頂きました」とお礼のメッセージが届いた。紀州ご訪問の旅は思い出深い旅になったことと思いますが、私たちにもはるか海を越えた友情の種を沢山捲いて頂いた「大統領の旅」であった。






・ 2008年8月19日掲載
医聖 小山肆成の生誕の地 日置川町久木を訪ねて


衆議院議員・経済産業大臣


二 階  俊 博




 八月十三日、私は日置川の畔、白浜町久木の徳清寺に眠る父の墓参りに出かけた。


真夏の太陽の下、吹く風は頬を伝い、清流日置川の流れを耳にしながら、いつの間にか集まってくれた近所の人たちや親戚の人々に囲まれ、久振りに都会の喧騒を忘れさせてくれるつかの間の夏休みを楽しませてくれた。墓には前日お参りした家内が花を代えてくれていて、色づいたほおづきの花が鮮やかであった。墓参を終えて、親戚の家に立寄って、冷たいビールをご馳走になり、集まったいつものメンバーで世間話とふるさと日置川の話に花が咲いた。


 町村合併で旧日置川町は隣の白浜町との合併の道を選んだ。久木から白浜町の庄川に抜ける懸案の道路の建設が話題になった。今から三十三年前の春、私は県会議員に初当選の際、父と一緒に久木を訪ね、選挙の折、心配をして下さった人々の前で御礼のご挨拶をさせて頂いた日のことは、今でも覚えている。その時も、この道路のことが話題になった。亡父俊太郎の説明によると、一人で歩くのが精一杯のこの道が、蚕道と呼ばれ、養蚕が盛んな頃で、背中に蚕の糸を背負って、この小さい道を通って、白浜町に届けるのがこの地域の地場産業の一つであった。「自動車の時代に、日置川と結べば、白浜町のためにも、日置川町のためにもなる」というのが、一年生ほやほやの県会議員の私への父からの注文であった。


その後、今日まで、県当局や両町の代表者の皆さんもご努力を頂いたが、用地買収で行き詰っていた。ようやく近ごろになって、あらためて気運が盛り上がってきて、白浜町の立谷町長さんも、県土整備部の皆さんも積極的で、地域の皆さんも残り区間の開通を目指して頑張っているとの報告を受けた。地元が中心となって関係地主さんの協力を求め再び立ち上がることが期待されている。私も当初から関係している一人として協力を約束した。


この久木の地には、昔から伝えられている種痘医「小山肆成」の生誕の地でもある。知る人ぞ知る日本の西洋医学の黎明期に活躍された医聖の出身の地であり、そのことは旧日置川町の役場前にも碑が立てられ、町民の誇りとしている。 


種痘と言えばジェンナーを想い起こす人は多い。しかしこの寒村に生れた医聖は、″不治の病とされた天然痘との闘いに生涯を捧げられた何故か気になる存在であった。


この病にかかると、当時は人里離れた山奥の種痘小屋に隔離され、死を待つ以外に道はない悲惨な時代であった。痘瘡は千数百年のあいだ治療法も知られない時が続いた。肆成の不治病として恐ろしがられていた天然痘との苦闘の歴史はささやかに語り継がれていた。ジェンナーの種痘法に先がけて成功した肆成の業績は、日本の医学会でもほとんど知られていない。


 初当選の頃、早速、国会図書館で調べた。五行記されているだけであった。そこで天狗太郎こと作家の山本亨介先生に依頼して「種痘医小山肆成の生涯」を時事通信社より出版して頂いた。平成六年十二月であった。


 この夏、生誕の地に記念館のようなものを造りたいという気運がようやく盛り上がって来たといううれしい話を聞いた。発起人の一人にとの依頼を受けたが、光栄なことと思っている。語り伝えられる地方の文化が、やがて、ふるさとの新しい芽を育てることにつながることを期待しつつ、白浜空港へ向かった。






・ 2008年10月7日掲載
永年勤続25年受賞に際し「感謝」と「決意」


衆議院議員・経済産業大臣


二 階  俊 博




 このたび、私は国会の永年勤続表彰を受けました。慣例に従って議事録に謝辞が掲載されることになりました。まさに25年、雨の日も風の日も頑張ってきました。この際、謝辞と決意を申し上げさせて頂きます。




 院議をもちまして在職二十五年の表彰の栄に浴しました。身に余ることであります。


私が本院議員の重責を担うことが出来ましたのは、もとより私を育てて下さった郷土和歌山県の皆さまのお蔭であります。多年にわたり変わらぬご支援を頂戴して参りました数え切れない程の多くの同志の皆さまに衷心より厚く御礼を申し上げます。


さらにこの間、国内外の多くの友人の皆さまにもお支えを頂いて参りました。いつの日も私を支えて下さった家族同様の事務所のスタッフの皆さま、そして私の家族や家内に対しても「ありがとう」と心から感謝を申し上げます。


私の政治への出発点は、父の古くからの友人であった静岡県出身の遠藤三郎元建設大臣の秘書としてご指導を頂きました。東名高速道路が建設され、新幹線が開通された頃でした。


昭和五〇年の春、郷里の御坊市より県会議員選挙に出馬し、僅少差で初当選をさせて頂きました。二期八年の和歌山県議会議員の当時、ふるさと和歌山県の道路や鉄道、港湾、空港等のインフラ整備の遅れを痛感させられました。ひたすら「国土の均衡ある発展」を求めて、昭和五十八年暮れの総選挙に出馬し、初陣を飾ることが出来ました。以来、八回の選挙を経て、ここに二十五年の日を迎えることが出来ました。感激一入であります。


観光振興をはかることにより、過疎の地域も過密の地域も努力次第で多くの人々が恩恵を受けることが出来ると考え、地域間の交流、国際間の交流等を通じて観光立県、観光立国の実現をライフワークのひとつとして努めて参りました。


麻生内閣発足に伴い、三回目の経済産業大臣を拝命致しました。今後の日本の繁栄のために、日米同盟が基軸であることは申すまでもありませんが、私たちは、さらにアジアとともに生きることを考えなければなりません。この六月にインドネシアのジャカルタに設立することの出来たERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)を中核にして、人口三十一億人、十一兆ドルの経済規模を有する東アジア十六カ国の大経済圏の発展のエネルギーを日本の成長につないでいくことが重要であります。


 昨今の資源高については、資源外交がますます重要の度を増してきております。資源国が今、何を求めているか、日本として相手国に何を為すことが出来るのかを国を挙げて真剣に考えるべきときであります。一例ではこれらの資源国を観光の訪問先としての国民レベルの交流も再考するに値することであります。「初心忘るべからず」ここに改めて国のため郷土のため一層の精進を誓い、感謝の言葉とさせて頂きます。






・ 2008年11月26日掲載
東京国際映画祭と田辺弁慶映画祭


衆議院議員・経済産業大臣


二 階  俊 博




 映画・アニメ・マンガ・ゲーム・音楽等のコンテンツ産業が、私はやがて日本で花開く日が遠からずやってくるとの確信を抱いていた。2015年までにコンテンツ産業を総合して20兆円時代を創造する新しい課題にチャレンジすることを心に決めたのは、私が小泉内閣の経済産業大臣の頃であった。




 その頃WTO閣僚会議に出席のためジュネーブを訪れる機会が度々あった。その時、必ずパリが中継点であった。ジェトロパリの中井毅所長(当時)が乗り継ぎの時間に訪ねてきてくれて、その時々のパリ事情を説明してくれた。




 私が興味を持ったのは、フランス政府には映画庁があって長官を置いている。映画大学の存在も知らされた。次回パリ訪問の際、映画庁長官にお目にかかることと、映画大学を訪問することを約束した。




 WTO閣僚会議の都合で、チャンスは案外早く巡ってきた。ジェトロパリ事務所にケイラーさんと呼ぶ女性のフランス映画庁長官が部下を4、5人連れて訪ねて来てくれた。「日本の経済産業省は映画産業等コンテンツ産業の振興を担っておりますが、これから本格的に政府が積極的に後押しをして日本でも映画文化の飛躍的発展を期したい。ついては映画文化の先進国のフランスに学びたいと思っている」と述べた。




 ケイラー長官は「日本のような力のある国が映画産業に力を入れてくれることは、誠に嬉しい。出来ることは何でも協力したい」と言われた。私はケイラー長官が都合のいい時に日本に是非お越し頂きたいとご招待をした。先日、東京国際映画祭の特別ゲストとして来日が実現された。




 第21回東京国際映画祭の開会式には、麻生総理が出席された。総理には、麻生内閣の認証式の際に映画祭にご出席いただくことと、フランス映画庁長官に会って頂きたいと頼んであった。




 




 タキシード着用との決まりがあり、私も何年ぶりかでタキシード着用で映画担当大臣として役目を果たせて頂いた。レッドカーペットならぬ、「環境」をアピールするためのグリーンカーペットの上をグリーンタイ姿で麻生総理と共に「レッドクリフ」のジョン・ウー監督や主演スターたちと東京国際映画祭の開幕を祝って歩いた。




 六本木の会場には、東京国際映画祭の中心的役割を果たしてくれたチェアマンの依田巽氏を始め、日本映画界の有力メンバーが顔を揃えてくれた。国際的には実力のある映画界の重鎮も参加してくれた。関係者のご努力にあらためて感謝したい。東京国際映画祭を中核に据えた総合イベントのコンテンツフェスティバルは関係者の協力で今年も80万人以上の観客にご参加頂き、全ての催しは大成功の裡に幕を降ろすことが出来た。「映画は人間をつくる」「人間は地球をつくる」−映画界の有名な言葉でありますが、映画は時代を超え、国境を越え、人々に感動を呼び起こしてくれる。映画が成長産業と言われる所以である。




 3年ぶりの再会のケイラー長官とは、東京日比谷公園の松本楼で私が小宴を主催させて頂いた。フォール駐日フランス国大使閣下や画家の絹谷孝二先生にもご出席頂いた。


ケイラー長官は、今回の日本訪問と第21回東京国際映画祭の成功を喜んでくれた。私は「日本では地方での映画文化の振興と次世代の若い人たちの参加を呼びかけるため「映画甲子園」を企画している」と申し上げたところ、ケイラー長官は「フランスでは小学生から映画製作に興味を持たせるために教育している。」とのことでした。噂で聞いていたので、ケイラー長官に「あなたは次期カンヌ映画祭の委員長に就任されると聞いているが・・・」彼女は即座に「多分ね」という返事だった。急にカンヌとの距離が近くなるような気がした。


田辺の有志が製作してくれた「ストロベリー・フィールズ」がカンヌ国際映画祭等へ出展したこと。弁慶映画祭等は以下次号をお楽しみにしてください。






-----2007年-----

・ 2007年1月23日掲載
日中国交回復35周年を迎えて


衆議院議員・自由民主党国会対策委員長


二 階  俊 博




 今年の9月29日、日中国交回復35周年を迎える。


 国交回復のためにご尽力を頂いた日中両国の先人の方々のご努力に感謝しつつ、次なる40周年に、さらに50周年に向けて、日中友好関係をさらに発展させる目的で、今年35周年の記念行事を民間レベルで盛大に行う準備が、日中両国でスタートしようとしている。


 私はその先遣隊として、1月20日に成田を出発、23日帰国の予定で、公明党の漆原国対委員長と共に与党代表として北京を訪問することになった。安倍総理からの親書も携えて、中国要人と35周年記念事業の成功と、両国の意見調整のための訪中である。


 一行は、私と漆原委員長の他に主なメンバーとして、石川好(秋田工芸美術大学学長)、舩山龍二((社)日本旅行業協会副会長)、山本芳孝((社)全国旅行業協会副会長)、新町敏行(鞄本航空取締役会長)、山元峯生(全日本空輸椛纒\取締役社長)、大塚睦毅(東日本旅客鉄道且謦役会長)、内田欽也(2007「日中文化・スポーツ交流年」実行委員会事務局長)、何れも各氏は、我が国の旅行・観光関係の第一人者であり、今日まで日中関係の発展に大きく貢献して頂いた方ばかりで、35周年記念の交流計画の立案と実行のためにご協力を頂くことは心強い限りである。


 石川学長は、新日中友好21世紀委員会の中心的なリーダーであり、舩山、山本、新町、山元の各氏は、旅行、航空関係の第一人者であり、大塚氏はJRの代表的な実力者であり、日本を訪問される中国側の旅行者の円滑な国内の移動に備えてのご協力を期待している。内田氏はキャノンの常務であり、御手洗経団連会長(キャノン会長)の片腕として、文化・スポーツ交流と共に、経済界への呼びかけに力になって頂くことを期待している。


 また姉妹都市を結んでいる地域は、今日まで活発な交流事業を展開しており、これからの交流発展のために、さらに協力を呼びかけて参りたい。


 この際、多くの中国の人々の日本への訪問は、お互いに両国の国民レベルでの相互理解を深める意味で、意義は大きい。


 和歌山県は山東省と姉妹関係を結び、長い交流の歴史がある。さらに空海の高野山や、徐福伝説で有名な新宮市があり、今日まで友好の礎を築いてこられた多くの先輩の皆さまに、あらためて心からの敬意を表したい。


 近ごろ大使経験を持つ仁坂知事を迎え、県の国際交流も、串本沖のトルコの沈没船の引上げや太地町のイルカの交流も進んでいる。


 日高港と大連港のフレンドシップポート構想もあり、この夏、港に完成する新エネルギーパーク等も、交流の拠点になる可能性を秘めている。さらに学生、生徒間の交流等にも新しい動きがあり、紀伊半島に花開く国際交流の新時代の到来に期待したい。


 本年は特に、未来志向の日中関係の構築に向けて躍動の年でもある。


 和歌山県も一役を担う意気込みで、日中交流の新しい波を次の時代に是非つなげたい。






・ 2007年3月13日掲載
和歌山北IC、和大新駅、高速南伸、和歌山発展願う関係者の努力が結実


衆議院議員・自由民主党国会対策委員長


二 階  俊 博




 梅の花の香りの紀州路にも、早くも桜のつぼみが顔を出しはじめ、本格的な春の訪れを告げてくれている。三月九日、待望の和歌山市に和歌山北インターチェンジの建設が発表されることになった。三月二十五日には、南海電鉄の和歌山大学駅の起工式を迎えることになった。私が海部内閣の運輸政務次官の頃、和歌山大学周辺の町内会長の中村博元県会議員から運輸政務次官室への一本の電話が、和大新駅の建設へのスタートであった。県も市も南海電鉄も、当時は余り乗り気ではなかった。しかし、もしこれが出来れば、県都和歌山市の発展に貢献することは間違いない。人口横這いが続く和歌山県の中にあって、和歌山市の中に新たに人口五万都市が新しく出現することも期待される。その後十七年の歳月が流れた。熱心に和大新駅が出来ることを望んでおられた仮谷知事(当時)も中村博元県議も西本カメラの西本会長も駅の起工式を待たずにすでに鬼籍に入ってしまわれた。このことは誠に残念なことである。関係者のご努力が結実して、ようやく着工の日を迎えることになったことは本県にとっても久々の快挙である。幸い和歌山大学に、この春から観光学科が新しく開設されることになり、来年は観光学部への昇格も夢ではなく、先日も伊吹文部科学大臣にもキャンパスを視察してもらった。南海電鉄の駅が近くに出来れば、大学関係者の活動範囲もさらに拡大され、大学も一層便利になり、発展が期待される。周辺の住宅環境もよくなり、新しい住宅建設も進んでおり、活気を帯びて来ている。住宅団地の「和大学園前 ふじと台」も人気を呼んでいるという噂である。一日も早く和大新駅の完成の為に関係者の一層の奮起を期待したい。目を南に転じると、高速道路がこの秋みなべ町から田辺市の間の五.八キロメートルが事業費三百十四億円を投じて開通することになった。昨年の暮れの予算編成の当時から今年の正月にかけて、国土交通省の谷口技監や宮田道路局長、廣瀬有料道路課長や西日本高速道路鰍フ石田会長等と再三協議し、ようやく十一月十一日の大安吉日に竣工式を挙行するという方針がまとまって来た。工事関係者は、今でも大安吉日を選ぶ風習がある。私は、この道路に三十年以上も携わっている。開通の日を待ちこがれている者にとっては例え三りんぼうでもいいから一日も早くというのが偽ざる気持ちだ。しかし、雨の日も風の日も黙々と工事に取組んで来られた人たち、用地交渉にご努力を頂いた方々、予算折衝で東京へ、大阪へ足を運んで下さった方々、建設省、日本道路公団(何れも当時)及び西日本高速道路鰍フ幹部の皆さん、沿線住民の皆さん等の心中を想うと、大安の日を選んで共に喜びを分ち合うことも大事なことで、私も地元の国会議員としてうれしさも一入である。私たちは都市と地方の格差を少しでも解消するために、同時に都会の人たちに和歌山産の新鮮な野菜や果物や魚を届けるためにも、さらにこの道路を活用して観光客の往来等によって、県勢の浮上をはかりたいものである。そして、仁坂新知事を先頭にやがて紀伊半島一周の夢を実現するために、政治は全力を傾けるべきだと思う。このためにも今日も、明日も、全力投球を誓うものである。






・ 2007年5月15日掲載
「日中国交正常化三十五周年に想う」


衆議院議員・自由民主党国会対策委員長


二 階  俊 博




 さる五月九日、帝国ホテルで開かれたアジア調査会(会長 栗山元駐米大使)のゲストスピーカーとして招かれた。題名は「日中国交正常化三十五周年に想う」であった。


 三十五年前の九月二十九日「国交回復」の歴史的な調印が田中角栄、周恩来首相との間でなされた。田中内閣がスタートして六十日目の早業であった。


 その後の日中関係は、今後さらに民間外交、草の根の外交、特に文化交流、青少年交流を積極的に進める必要を私は痛感している。


 二〇〇〇年五月、私が運輸大臣の当時「日中文化交流使節団二〇〇〇」を結成、五、二〇〇名の皆さんと共に訪中を実現した。二〇〇二年に中国から四、五〇〇名の皆さんが訪日された。二〇〇二年、国交三〇周年記念訪中団に一万三千人の同志が参加され、万里の長城附近に一万三千本の記念植樹と参加者全員の氏名一覧が、子々孫々の平和友好を誓って記念碑が立てられている。


 今年は、日中友好を推進する国会議員の会(森喜朗会長)を中心に、各界に呼びかけ、「日中相互訪問二万人交流事業」を計画、推進中である。国会議員の会は自民党の中川幹事長、太田公明党代表と私が世話人をつとめている。多くの皆さんのご理解、ご協力を頂き、是非成功させたいと考えている。


 では、今何故「日中友好」なのか! もう一度考えてみたい。


 日中の経済交流は、いまや日米関係を超える重要なパートナーとなってしまっている。日本の今後の経済発展の上、最も重要な進路は、東アジアの連携による経済成長である。それは、アセアン一〇ヶ国プラス+日・中・韓+インド、オーストラリア、ニュージーランド(十六ヶ国)は人口で三十一億人、経済規模一千兆円(九兆ドル)の巨大な経済圏の中に日本も立っている。しかし、今のままではアジア諸国はバラバラで必ずしも、他の国々がみんな日本に顔を向けていると思う程甘いものではない。


 そこで、日本が東アジア経済統合への潮流を積極的につくり、アジア各国の日本に対する期待に応えつつ、日本がダイナミックな躍進の道を辿るためには、何としても中国や韓国の協力がなくては何事も前には進まない。少くとも反対されないような外交努力が必要なことは言うまでもない。東シナ海の資源開発問題も日中の最大の懸案となって久しい。国交正常化の出発の時点で、すでに両国の間で問題となっている。ようやく、先の首脳会談であらためて「平和友好の海」とすべく、共通認識を得たことは大きな一歩前進である。私は経済産業大臣の在任中、中国の党及び政府の幹部とねばり強く話し合い解決の主張を重ねた。お互いの理解は、着実に進みつつあるが、要は、交渉にはスピードが大切である。この点を交渉当事者の外務省やエネルギー庁長官などに強く求めている。三十五周年を迎え、両国の先人たちのご努力に敬意を表し、新しい日中関係のために、今を何を為すべきか真剣に考えるべき時に至っている―――。




・ 2007年6月26日掲載
臓器移植の速やかな改正を!患者の立場で議論を!


衆議院議員・自由民主党国会対策委員長


二 階  俊 博




 臓器移植に関する法律は平成9年に施行されて以来、10年が経過された。この間、多くの患者や家族の皆さん、専門医師の方々等、関係者の皆さんから法律改正への要請が続いている。そんな中でA案とB案が対立したまま両方とも譲らない。私はA案でもB案でも早く結論を出すことが大事だと考えている。一日も早く政治的に決着をつけて、一日千秋の思いで臓器の提供を期待している患者の命を救うことが大切である。政治を担当する者が、自らの政治生命をかけて記名投票で自らの意思を明確にすることによって決着をつけるべきではないかと考えていた。しかし、両者の議論は膠着したままで、今春の国会で何も議論されないままで終盤を迎えることになった。私は去る4月25日の与党の幹事長、政調会長、国対委員長の会議でこの問題を提起して、与党として方針を明確にすべきだと主張した。幸いその場で全員の賛同が得られたので、終盤国会の中で、特に臓器移植の改正が最重要法案の一つとして了承を得ることが出来た。翌日の新聞には各新聞共に好意的に報道され、審議促進の後押しをしてくれた。早速、自民党国対の中に臓器移植問題の検討会を設け、岸田文雄国対副委員長(前衆議院厚生労働委員長)を主査として厚生労働省の幹部等を招いて、今日までの説明等を聴取した上で、A案及びB案の主張や医師会及び学会の関係者のご意見等も伺った。慎重を期して、私は自民、公明両党の有志の皆さんに呼びかけて、「臓器移植法改正案審議促進決起大会」を開催した。中山太郎委員長ほか、国会議員41名、秘書代理出席28名が集まった。政策グループ「新しい波」からも私のほかに泉信也、江ア鉄磨、松浪健四郎、伊藤忠彦、井脇ノブ子、川条志嘉、矢野隆司、藤野公孝の各議員が参加していた。一時間半に亘って専門的な立場から傾聴に値する真剣な議論が展開された。A案提出者の中山太郎元外相、B案の斉藤鉄夫公明党政調会長、河野太郎前法務副大臣(A案)、加藤紘一元自民党幹事長(A案)、早川忠孝衆議院法務委員会理事(B案)、阿部俊子元日本看護協会副会長(B案)等から意見が述べられた。私は冒頭の挨拶で「何もしないでこのまま国会が終われば、参院選で国民に説明出来ない。政治家の責任において国会で議論をして結論を出すべきだ」と国会での審議入りを促した。6月20日、櫻田委員長のもと、衆議院厚生労働委員会が開催された。残念ながら民主党、日本共産党、社会民主党、国民新党等の委員は欠席。中山太郎議員よりA案の提案理由を述べられた。日本とアメリカの心臓移植の実施件数は、平成18年の1年間で日本が10例、アメリカは2,092件で200倍以上の開き。現行の臓器移植法について見直しを行い、脳死下での臓器移植を認める要件を、主要先進国と同等の要件とすべきであると主張された。斉藤鉄夫議員のB案についても説明がなされた。国会の会期が延長された今日、さらに議論を深めて、早い時期に、一人でも多くの患者の命を救うことに政治は全力を傾けるべきであると考えている。






・ 2007年9月11日掲載
『総務会長就任、インド、ベトナム経済調査団長、


日中交流三万人計画――「新しい波訪中団」団長として』


衆議院議員・自由民主党総務会長


二 階  俊 博




 このたびの安倍内閣の改造人事及び党役員の改選に際し、私は自民党総務会長の大任を命ぜられた。全力を尽して安倍総理をはじめ、党員各位の期待にお応えしたいと思う。


九月七日に新しいメンバーによる自民党総務会の初会合が開かれた。さすが、党総務のメンバーは重厚な布陣で、党の最高意思決定機関の名にふさわしいベテランが顔を揃えておられる。


重要問題が山積する今、私は党三役の重責を担って、国家のため、郷土のため全力投球を誓う今日この頃である。


超党派のインド・ベトナム経済調査団の団長として、八月十六日から二十一日までニューデリー及びハノイを訪問した。インドでは、旧知のナート商工大臣が各党の代表や有力国会議員等を集めて盛大な歓迎会を開催してくれた。


ナート大臣と私は、W・T・Oの代表として数回にわたって議論しており、東京へも三、四回お迎えしたことがある。互いに「中小企業振興策」に深い関心があり、さらに、省エネ環境対策をテーマとするフォーラムを、両国で交互に開催しようという私の提案の通り、今年も開催されることになっている。


アルワリア環境対策副委員長(委員長は総理のため、副委員長は大臣でもある)とも、環境問題について両国のより深い協力関係の構築について話し合った。私が国際会議において、「東アジア十六ヶ国の協力より、人口三十一億人、経済規模十兆円の規模を誘る東アジアのスケールメリットを生かそう。さらに東アジアにOECDのような、経済開発のために質の高い研究機関をつくろう。そのための基金を百億円、日本が負担する」等が私の提案であった。


インドは直ちに賛成し、感謝してくれた。ベトナムも同じように私の背中を押してくれた。今すでにアセアン首脳会議においても取上げられ、ようやく各国の賛同が得られた。政府はもとより、しばしば議員外交を展開し、アジアの発展に日本が如何に貢献することが出来るか、たゆまない努力を傾けなければならない。しかし見通しは明るい。私のライフワークとして、今後も力を尽くさなければならないと考えている。


日中国交正常化三十五周年は、いよいよ九月二十九日に迎える。田中首相及び周首相の間で北京で調印された。このことを記念して、「日中友好を発展させる国会議員の会」(会長森元総理)で、「日中二万人の相互交流」を今年一月、私は北京で、公明党の漆原国対委員長と共に発表した。政策グループ「新しい波」では一千名の北京訪問団を計画し、海部元総理と共に、私も団長として中国の国賓館「釣魚台」における感動的なイベントに参加した。古い友人とも言える、中国の最高幹部の唐家セン国務委員、薄煕来商務大臣、邵hイ観光大臣、戴秉国外務筆頭次官等の要人とも意見交換をすることが出来た。私から新しい提案として、IEA(国際エネルギー機関)への中国の加盟について、日本の経済産業省出身の田中事務局長を紹介すると共に、中国のIEAへの参加を呼びかけた。


そして「二万人交流」はやがて「三万人交流」となるであろうと式典で宣言した。






-----2006年-----

・ 2006年2月7日掲載
「WTOと国際版一村一品途上国の奮起を期待」


衆議院議員・経済産業大臣  二階 俊博




WTO(世界貿易機関)は世界149の国が集まった国際貿易機関です。




貿易立国である日本が最も大切にする国際機関です。外国と貿易をするとき、加盟国が守るべき約束、各国が貿易しやすくする環境をつくる、世界の人々の暮らしを向上させるためにWTOは存在します。世界の全ての人々の幸せの実現に貢献することこそWTOの使命です。世界には成長著しい先進国と発展途上国があります。




途上国の中には、1日1ドル以下で生活する人たちが10億人以上、この地球上に存在しています。それらの国の代表は「私たちのことも考えて下さい」「人間の顔をしたWTOであって欲しい」と悲痛な訴えをされます。ドーハランドと称する今回の交渉は2001年11月カタールの首都ドーハで立ち上げて4年を経過してなお交渉は難航しています。私は昨年11月、経済産業大臣に就任してWTOの会議でロンドン、ジュネーブ(スイス)に2回、釜山、クアラルンプール(マレーシア)、香港、ダボス(スイス)に出張し、多くの国々の閣僚と話し合って来ました。日本は途上国のため何が出来るのか。小泉総理は途上国の大使に集まって頂いて、「開発パッケージ」と総称する支援策を発表しました。大きな反響を呼び、今この熱い小泉メッセージは、地球の裏側まで届いて高く評価されています。「途上国の皆さんの奮起」――このことが一番大事です。私は担当大臣として、日本で生まれ、アジアで仲間を呼び、村興し、町興しとして評判の「一村一品運動の国際版」の展開を提唱しています。




いくら関税が下がって貿易の環境が良くなっても、相手の国の消費者に喜んでもらえるような製品をつくらなければ、この成功の物語ははじまりません。商品の品質、形、大きさ、色彩――日本が海外進出の際、考え、学び、ある時は失敗をくり返えし、それでも私たちの仲間たちは頑張って来ました。私は国際会議でも話しました。「今、日本は経済大国等と言われていますが、今から60年前、終戦の日から私たちの先輩達はガレキの中から立ち上がり、塗炭の苦しみの中から一歩一歩前進を続けて参りました。発展途上国の皆さんにも、売れる商品開発への努力、そして日本の技術だけでなく、ほとんど資源のない日本が這い上がって来た今日までの姿も学んで欲しいと思っています。関西空港に、成田空港に、さらに中部空港等の日本の玄関口に常設の展示販売コーナーを設置して頂けることになりました。私も、途上国の大使各位に申上げました「我々は出来る限りのことはやります!共に起ち上がろう!みんなが幸せになるために!」




さあ、ここからは、県民の皆さん、国民の皆さんの出番です。「途上国」激励のためのショッピングをどうかお楽しみ下さい!






・ 2006年3月21日掲載
「日韓の友情を実感〜高校親善ホッケー大会に寄せて〜」


衆議院議員・経済産業大臣  二階 俊博




日高町に多目的グランドがオープンされました。




県下初のホッケーグランドの建設を夢にみるホッケー愛好家の皆さんの長年の宿願と執念のようなものが結実して、去る三月十一日の?落しが、関係者の協力で実現出来ました。今から、二十六年前、私は当時の御坊商工高校のホッケーチームを引率して、韓国のホッケー選手権大会に臨んだ記憶は今も鮮明に覚えています。当時は、今よりも日韓関係は複雑でありました。そんな時にも韓国のホッケー愛好家の皆さんは、私たちを快く迎えてくれて、確かに友情が芽生えたものでした。




 韓国高校ホッケー選手権大会に日本から一校が招待されることになっており、たまたま御坊商工が選ばれ、韓国大邸での大会に参加、その後、ソウルまで、親善試合を重ね、若い高校生達の友情を互いに確かめ合い素晴らしい思い出をつくることが出来ました。私はその頃、県会議員で高校時代の恩師の寒川次郎先生が校長をつとめておられた関係で、県会議員の私が、団長を引き受けることになって韓国訪問となりました。




 私は、高校チームに対して、日本の選手は「おはよう」「ありがとう」「すみません」「さようなら」程度の最低の韓国語をマスターして、韓国訪問しようと約束しました。練習が終わって、みんなで韓国語をマスターして大会に臨んだのです。立派なグランドのセンターポールに韓国の国旗と「日の丸」が掲揚され、如何にも国際試合という雰囲気。私も生徒に言っている以上、少しばかり韓国語を交えて開会式で挨拶をさせて頂きました。しかし入場行進を見ていると、一目で韓国高校生に一日の長があるのが印象的でありました。試合は一回戦で敗退しました。しかし私たちの申し出と韓国側の配慮で親善訪問、親善試合に胸を貸してくれました。ソウル龍山(ヨンサン)高校では、全校挙げての試合観戦で大変な盛り上がりとなりました。




 終了後、近所のレストランで焼肉パーティを開いてくれました。バナナとサイダーで生徒たちを迎えてくれた学校もありました。今回のホッケー大会に龍山高校、鶏林高校をゲストとしてお招きしました。




(2枚目と3枚めのつなぎ)




この大会が国境を越えて高校生達に青春の日の友情と思い出が芽生えたとすれば、これ以上の喜びはありません。私は今、県のホッケー協会の会長として、大会の責任者の立場でありながら、WTO閣僚会議に出席のため、大会に参加出来ず遠くロンドンの空の下から成功を祈るばかりでありました。在日の韓国人の皆さん、韓国のアシアナ航空、アサヒビールをはじめ、心から賛同して協力して頂いた多くの皆さんに感謝しています。ゴチャゴチャ言っている政治よりも国民と国民の友情の方が韓国ブームと共にはるかに進んでいることを実感する今日この頃です。






・ 2006年5月 8日掲載
第5回ボアオアジアフォーラム基調演説より


「東アジアEPA構想」「東アジア版OECD」「世界の中の日中関係」


衆議院議員・経済産業大臣  二階 俊博




 第5回ボアオ・アジアフォーラムが4月22日、中国の海南島のボアオで開かれた。




 今やスイスのダボスで開かれるダボス会議とボアオアジアフォーラムは双璧となって、世界各国の代表が集まって、重要な議題について議論することが定着している。今回のアジアフォーラムに私がゲストスピーカーとして指名された。国会開会中でありますので、小泉総理や各党のご了解が必要である。幸い関係者の皆さんも快よく理解してくれた。中国から曾慶紅国家副主席が出席されることになっている。この機会に中国最高指導者の一人である曾慶紅副主席と会談の場を持つことが出来れば日中間の課題について話し合うことが出来ると考えた。主催者側の配慮もあり、会議の合間を縫って、意見を交換するチャンスにも恵まれることになった。私は本会議の基調演説において次のとおり述べた。最初に日本経済の現状と将来について「日本はバブル崩壊後の長いトンネルを脱し、ようやく景気拡大期を迎えるに至った。今は10年にわたって、実質GDP、年率2・2%以上の成長を着実に実現することを確信している。それは第1に「世界のイノベーション(技術革新)センター」として日本から新商品・新技術を世界に発信、提供し続ける。第2に日本はアジア諸国との間、成長の好循環を創出する。第3に優秀な人材の育成に力を注ぎ産業界、地域、学校の力を結集し、「人は宝である」と考えに基き「人財立国」を宣言した。次ぎに日本がアジア諸国の長年の期待に応えるため、私は3つの意欲的な提案を行った。「東アジア経済連携(EPA)構想」である。東アジアの成長・発展の源泉は、自由な貿易・投資の拡大のために、モノの貿易だけでなく、投資・サービス、知的財産、経済協力等について質の高い経済連携協定を呼びかけた。次ぎに「東アジア版OECDの設立を提唱した。OECD(経済協力機構)東アジア版構想の実現である。ASEAN事務局と協力し、シンクタンク機能を持つ「研究センター」を日本の資金的貢献により設立を提唱した具体的な提案である。




 次ぎは「アジア人財資金(仮称)」の提唱である。東アジアの優秀な若い学生や研究者に対し、勉学・研究に専念できる環境を整備し、アジア・日本のビジネスに精通した人材を育成、将来は日本企業で働く希望者を就職面でのサポート等を通じ、アジア各国の「橋渡し役」を期待出来る優秀な人材を育成しようとする遠大なプランである。




 最後に「世界の中の日中関係」について言及。日中は向い合っている関係だけではなく、両国が積極的に協力し、日中両国のためにはもとより、アジアに、世界に貢献する成熟した日中関係を構築しなければならない。この2月温家宝首相と会談し、5月、日本で「省エネルギー・環境フォーラム」の開催について話し合った。東シナ海のガス田協議の解決等、課題を超えて、日中は互いに信頼、尊敬、協力そして共に長く繁栄の道を辿るであろうと確信している。―――と結んだ。






・ 2006年6月11日掲載
めざせ!ワールド・ベスト 有言実行で世界から高い評価の関西空港


衆議院議員・経済産業大臣  二階 俊博




 APEC(アジア太平洋経済閣僚会議)が六月一日からベトナムのホーチミンで開催された。私は、この会議に政府代表として出席するため、出発の日は、夕刻の官邸で開かれた経済財政諮問会議に出席の後、二十一時羽田発、関空経由、バンコクで乗り継ぎ、ここからはチャーター機でホーチミンに入るという超強行日程で、九時開会の五分前到着という厳しい旅であった。




 それでも関空に到着すると、関空の村山社長、平野副社長、関空用地造成会社の古土井専務等が出迎えてくれていた。思いがけないことではありましたが、先週にパリのOECD閣僚会議から〇泊三日で帰国、国会審議を経て、今度は一泊四日の強行日程に、少しでも激励してやろうという気持で、お茶でもご一緒にということで、経済産業省北村通商局長を交えて、関空でやって頂いている国際版の一村一品の展示販売等、話に花が咲いた。




 WTOの会議では、一日一ドル以下で生活している貧困な民が世界に十一億人存在していることが明らかになっている。「人間の顔」をしたWTOであってほしいという悲痛な叫びもある。




 従って大分県ではじまった一村一品の運動は、県や地域のリーダー達の奮起により、大きな成果を挙げている。タイの国では、日本から学んだとして、タイ版の一村一品運動が盛んである。この勢いをアフリカに、発展途上国に点火しようという計画である。経済産業省では、ジェトロの全面協力を頂き、経済産業省でも展示会を行い、ジェトロでもやりました。そして関空をはじめ、伊丹、神戸、中部、羽田、成田と主要空港に展示販売コーナーを設けて、発展途上国の皆さんの奮起と創意の一助になればと考え懸命に取組んでもらっている。いま、国際会議においては、日本の有言実行の実践に高い評価と、発展途上国の閣僚や大使からも感謝の言葉が寄せられている。関西空港の売り上げも伸びており、遠くアフリカの彼方に想い馳せるチャンスでもあり、私としては多くの皆さんのお立寄りを期待している。




 村山社長の熱弁は、「十九年十月予定の二期滑走路の供用開始を早期に繰り上げる」ことを語ってくれた。うれしいことにエア・ポート・オブ・ザ・イヤー二〇〇六で、チャンギー、香港、ミュンヘンに次いで世界第四位に選ばれ、世界でトイレの最もきれいな空港に選ばれたとのことであった。しかも、平成十七年度の営業収益一、〇四六億円、経常利益九二億円と増収増益を達成された。関係者のご努力に賞賛と感謝の言葉を贈りたい。




 そこで、私は、その場から、国交省の幹部へ電話を入れて、早期供用開始に力を入れてくれるようにと申し入れた。ベトナムから帰国と同時に、岩崎航空局長が訪ねてくれて「早期完成に向けて全力を挙げている」、「六月十一日に北側大臣より供用開始日を発表させて頂く」、「それには、八月二十五日開幕の世界陸上大阪大会、九月十五日の第九回世界華商大会に間に合わせたい」、「従って、十九年八月二日供用開始の予定で進めたい」。関西にとってはうれしいニュースである。




 めざせ!ワールド・ベスト・エアポート。関係者のさらなる奮起を期待している。






・ 2006年8月 8日掲載
「国際コンテンツカーニバル」の開催 2015年20兆円産業に


衆議院議員・経済産業大臣  二階 俊博




 「コンテンツ産業」という言葉が最近ニュースなどにもよく出てくる。これは、映画、音楽、漫画、アニメ、ゲームなどをひとまとめにしたもので、現在十四兆円産業だが二〇一五年には約二〇兆円にまで成長すると見込まれている。まさに日本経済の新しいエンジンであり、私はその起爆剤として、多様なコンテンツを一堂に集め、大きな舞台に乗せて、世界に日本のコンテンツを発信する「国際コンテンツカーニバル」構想を五月十八日に官邸で開かれた経済財政諮問会議の場で提唱した。小泉総理を議長とする経済財政諮問会議は国の経済財政政策を審議する重要な機関である。




 私は、国際コンテンツカーニバルの実現に向けて、早速、専門家に依頼して、大臣の諮問会議をつくり、第一回「コンテンツ関連有識者会議」を開催した。七月二五日には、記録的な猛暑の中をパリに出張し、仏コンテンツ界のリーダー達と話し合ってきた。フランスは、カンヌ映画祭などコンテンツ産業が大変盛んであり、ジェトロパリ事務所の中井所長は精力的に日仏間のコンテンツ協力のために働いてくれている。




 仏映画庁長官のケイラ女史は、カンヌ映画祭ドミエ事務総長などの関係者を率いてわざわざ私をジェトロパリに訪ね、自らの日本訪問を含め、国際コンテンツカーニバルへの力強いサポートを約束してくれた。長官は、「二階大臣が来年のカンヌ映画祭に必ず出席してくれることが協力の条件です」と盛んに言われたが、今後、日仏協力により、コンテンツ産業の発展に共に努力しようというエールでもあった。また日本の国際的に優れた競争力を持っているアニメやゲームをフランスコンテンツ界が大いに活用、交流しようという積極的な熱意の表れでもある。あわせて国立の映画学校のFEMIS(国立映像音響スクール)を視察したが、夏休みにもかかわらず熱心に映画製作に取り組む学生の姿に、仏の文化政策の真髄を見ると同時に層の厚さを感じる思いがした。




 美しい庭園を見渡す文化コミュニケーション省で会談したドヌドウー・ドゥ・ヴァブル文化大臣は、官房長以下、関係するスタッフ全員を集めたうえで、フランス文化省の公賓として正式に私を迎えてくれた。国際コンテンツカーニバルの日本での計画に対し大いに関心を示し、あらゆる協力を惜しまないと約束してくれた。加えて、世界の途上国の素晴らしい工芸品を集めて最近オープンしたケ・ブランリ博物館に招待された。そこでは、入場料収入で運営費を賄うことは期待していないという。一日四千人を超える入場者の半分が外国人であり、文化事業が観光振興に役立つことで年間約八千万人の観光客を仏に迎え入れ、国家として十分収支は合うのだとの説明だった。




 観光との融合など、コンテンツ産業の可能性は計り知れない。私は、経済産業大臣として、国際コンテンツカーニバルの成功のために懸命の努力を惜しまない。頑張ります!






・ 2006年11月14日掲載
県政の非常事態! 今こそ県民が立ち上がる時


衆議院議員・自由民主党国会対策委員長


二 階  俊 博




 携帯電話のベルが鳴った。十一月二日の午後の三時頃であった。県庁からの電話であった。何となく胸騒ぎがする思いで電話をとると、電話の主は、木村知事であった。「長い間お世話になりましたが、これ以上私が止まることは県政を混乱させるので、この際、身を引く決意を固めました」これから会見で発表をされるという直前のことであった。


 私は、「残念ではあるが、ご自身が決断されたのなら仕方ありません・・・・・・。緊迫の中でのやりとりは、六年間の知事を勤められたという人との最後の会話であった。


本人もさぞ無念であろうと察するに余りあるものの、今日の事態から判断して、これ以外に道は無いのかもしれない。


 しかし私たちは、県政の停滞は一日も許るがせには出来ません。


 早速、自民党県連において役員会が開かれ、次期知事候補の選考に入った。東京でも県選出の国会議員の会が再三にわたって、開かれた。自民党の役員会等で顔を合わすと中川幹事長から早期に知事候補を決めて、選挙の準備に入るようにこれまた再三再四要請された。私には、「今度は、和歌山県生まれの人の中で立派な知事候補を選ぶように」との矢のような催促が地元から続いている。日高郡町村議長会の代表の美浜町の和田議長、日高川町の林議長等が、上京されて、日高郡町村会の全メンバーの署名入りの要望書が私のもとに届けられた。「立派な候補者を選んで、早く選挙体制に入れ」ということである。


谷口国土交通省技監、竹中前総務大臣、仁坂前ブルネイ大使等、が巷で噂にのぼるようになった。


 県会議員の中から、さらに市町村長の中から自薦他薦も出て来た。


ようやくこのところ、和歌山市出身、桐蔭高校、東大、前ブルネイ大使の仁坂吉伸氏(57歳)が最有力候補との声が高くなって来た。


 高校時代のクラスメートや、女性の有志の仁坂さん支援のための勝手連も出来つつあると聞く。今は、住民パワーが、最も有力で、知事は県民の皆さんの手で選ぶというのが常道であり正しい選び方だと思う。十一月三十日告示、十二月十七日投票だけは先に決まったようだ。


 今度こそという思いは県民の誰にでもある。立派な知事を選んで、お互いに自信と誇りを取り戻し、みんなで手をつないで、心のあたたかい「理想の和歌山」の再構築を目指して前進しようではありませんか!


 私も頑張ります。






-----2005年-----


・ 2005年2月 3日掲載


鯨のまち 太地町の再興を!


衆議院議員  二階 俊博




鯨のまち―紀伊半島の南端、人口約三千八百人の太地町でシロナガスクジラの骨格標本の完成式典が去る一月二十三日、太地町立くじらの博物館で盛大に行われました。


 ノルウェーからオスロ大学のラルス・ワロー教授、水産庁小松課長、大隅日本鯨類研究所顧問、山村共同船舶社長、捕鯨協会の中島会長、高山会長代理、和田顧問、地元の浜中前町長や町議の皆さん等、我が国、内外の代表的な鯨の権威が一堂に集まりました。


 式典は三軒町長が太地町を鯨の町として再興をはかる情熱にあふれる決意を表明されました。


 私も自民党水産部会長の鶴保参議院議員や木村知事の代理等と共に鯨漁業の振興と共に、六月に韓国で開催されるIWC(国際捕鯨委員会)での成功のために関係者の一層の奮起を促しました。


 シロナガスクジラの骨格標本は、全長26メートル、体重106トンの雌から、23.3メートル、高さ6.7メートルの巨大な標本が完成、くじらの博物館を訪れる観光客にも喜んで頂けると地元の期待が大きく膨らんでいます。


 当日、水産庁の鯨の専門家である小松正之博士から「太地と日本の捕鯨400年―過去から未来へ」と題する講演をワロー博士や三百名の町民の皆さんとご一緒に私も聞かせて頂いた。捕鯨の歴史や文化、太地町の先祖の皆さんが鯨漁に命がけで取組んで来られた今日までの足跡について詳しく語って頂きました。


 聴衆の誰もが、私たちが捕鯨を守る運命を担っていることを自覚させられると共に、国政の立場から、人類共有の資源と言われる鯨類資源を守ると共に、日本型捕鯨の将来に努力を誓い合いました。


 私は、衆議院議員に初当選の頃、日米友好議員プログラムのメンバーとして、故小渕恵三元首相を団長に加藤紘一元自民党幹事長を事務局長に、当時、一年生代議士の町村信孝外相、金子原二郎長崎県知事と私等が参加して、昭和59年8月、十六日間かけてアメリカの国会議員との親善交流の旅に出かけました。


 私が西海岸のロスアンゼルスからスタートして、毎日毎日捕鯨問題について意見を述べるので、しまいには、二階議員の発言は日米議員の友好のためにならない、鯨のことを言うと相手の顔色が変わると言って、当時同じ田中派の小渕団長に苦情が寄せられていたようでした。私は「鯨の問題についてアメリカ側の理解を求めるいいチャンスと思って、このミッションに参加しています。発言を控えることは出来ない」と申し上げ、自らの主張を続けました。その時の相手に今、ブッシュ政権の運輸長官のノーマン・ミネタ氏やネオコンのリーダー格のウォルフォウィッツ国防副長官も健在で活躍されています。先般、当時の与党三党の幹事長とベーカー米大使と共にウォルフォウィッツ氏と会って懐かしく話し合いました。イラク問題とクジラ問題はどちらが大切か?とジョークを言っておられた。鯨についても同盟国のアメリカの協力を得られるよう政府と党が一体で取組むことが大切だと新任の河相外務省北米局長に早速、強く要請しました。






・ 2005年3月15日掲載


フラワーツーリズム 一粒の種が観光協定の調印に


衆議院議員  二階 俊博




「フラワーツーリズム」と言う言葉の響きには、従来の旅行、観光とは違ったイメージが沸いてくる。私たちの国には、四季折々の美しさを誇る多種多様な花たちとのふれあいがある。数限りない私たちの夫々のふるさとの花たちに囲まれた旅―――想像しただけでも夢は大きく拡がるのが不思議。フラワーツーリズムという言葉には、人々が花と共に楽しい旅と、観光の地域づくりという二つの意味が込められている。花たちとのふれあいを通じて、趣味、鑑賞、学ぶ、保養等のレクリエーション活動を目的とした旅行スタイルと地域振興を目的としてのフラワーツーリズムの推進は、時には、外国人旅行客の心をとらえて大きな感動を与えることもできる。逆に、私たちが海外に出て、花がすっかり生活の中に溶け込んでいる様にカルチャーショックさえ覚えることもある。花の環境の育成や花の文化を育てる、花の関連産業の振興に伴う経済効果、人々に潤いのある生活環境の創造、花との共生をテーマに、今、新しい観光振興策として真正面から論じられるようになった。 


かつて、運輸省の次官や、成田空港公団総裁(当時)を勤められ現在社団法人日本観光協会の中村徹会長の熱心な提唱で、フラワーツーリズム推進協議会が結成され、中村氏が会長に就任され、私が、名誉会長を引き受けることになった。中村会長は、最初は社団法人全国旅行業協会会長等を勤める私に、この会を手伝うようにとのことであったと思っている。しかし、柄にもないことと言われるかもしれませんが、昭和五十五年の頃、和歌山県議会議員の当初から「花を愛する県民の集い」会長を今日まで続けている。


ツーリズムとの関係は今日ではライフワークとして観光振興に努めている一方、私は、「花を愛する県民の集い」と同時に、東京都知事認定のNPO法人「花を愛するネットワーク21」の会長として、新たな課題にチャレンジしている昨今である。従ってフラワーツーリズムの推進は、私がかねてより期待していた理想の姿であり、これからも些か微力を尽したいと思っている。


花と言えば、ロータスロードの話を、文芸春秋2月号に「蓮は平和の象徴なり」という大賀一郎博士の言葉をタイトルに、私のエッセイが掲載された。この反響はさすが文芸春秋で各方面から激励が寄せられている。


先日、駐ベトナムの服部大使が外務大臣の訪日に同行された際、大賀蓮のきれいな刺繍を持ってきてくれた。先に私がベトナム訪問の時、持参した「大賀蓮」の蓮根が新しい芽が出たとのうれしい知らせも届けてくれた。ベトナムは本当は蓮の本場で、ベトナム航空のマークも蓮で、蓮茶や、蓮のお菓子も有名で蓮の歴史も古い。大賀蓮が大切にされ、日越の友好のシンボルとして、永遠に咲き続けることを祈っている。近く日本とベトナムの観光協定が結ばれることになり、調印の為、観光大臣が来日される。


私がこの面でも種を播いた者として、両国の観光交流がスタートし、将来大きく開花してくれる事を期待している。まさにフラワーツーリズムである。






・ 2005年4月26日掲載


関空直行便や蓮の移植 カタールへ"ロータス・ロード”着実


衆議院議員  二階 俊博




 カタール共和国はクウェートの南東五六〇キロ、アラビア半島の「滴」を意味する小さい国であります。私との交流は二〇〇三年からはじまりました。当時の与党三党幹事長の山崎、冬柴両氏とともに、イラク、クウェート、アラブ首長国連邦を訪問の際、私たちはイラクの周辺国としてカタールを訪れました。ハマド国王を始め、外相、エネルギー相(OPEC議長=当時)などとの有意義な会談を重ねました。


 日本側から、イラクにおける我が国の自衛隊の活動に対する協力、二〇〇六年カタールで開催するアジアスポーツ大会の競技種目に野球とソフトボールを正式に加えて頂きたいという強い要望がありました。


 カタール側は、日本への航空機の乗り入れ、特にドーハから成田への直行便をかねてより強く希望しておりました。


さらに、日本の教育に対する高い評価をされる国王からは、日本人の手によって、日本語で教育する学校をこの国につくりたい。立派な教員を派遣してもらって、次の世代の国民に日本の文化を学ばせたいと熱心に話されました。


 航空機の乗り入れの件は、主に私が担当することになり、海外出張中(インド)のカタール航空のアクバル会長をドーハに直ちに呼び戻すという熱の入れようでした。到着を待って、私たちは交渉に入り、成田は今直ちには無理ですが、関西空港ならば、積極的に受け入れようということになり、交渉はスピーディにまとまりました。その後、政府間交渉に委ねることになり、去る四月一日待望の一番機が遂に、ドーハから関西空港に飛んで来ました。これからは毎週四便が飛ぶことになりました。日本からのドーハへの一番機には、私は畏友の冬柴公明党幹事長、村山関西空港社長など有志の皆さんとともに二年ぶりにカタールを訪問しました。


 小泉総理の親書を携えての初の直行便による訪問でありました。アクバル・カタール航空会長主催の歓迎会には、私と冬柴幹事長はハマド第一副首相兼外相からプレゼントされた民族衣装に身を包んで出席しました。折からダボス会議開催中のレセプションにもその姿で出席し、盛んな歓迎の拍手とカメラマンのフラッシュを浴びて、「友情を感じる」「始めて出会った気がしない」「一緒に写真を撮りたい」等思わざる反響で、翌日の新聞にも二人の様子が掲載されていました。


 大賀蓮のことについて、この欄でもすでに紹介しましたが、在カタールの堀江大使の強い要望で、カタールへ蓮の蓮根を持って行きました。氷河の地帯と砂漠の地域を除けば蓮は全世界至るところに咲くことが出来るというのが、その道の学者の間の定説のようですが、大使の提案で、砂漠の国カタールの植物研究所に移植することが出来ました。植栽に際して、農相や次官や研究所の所長なども勢揃いでご参加頂き、必ず友情の花を咲かせるからとの強い意気込みに私は、感動を覚えました。さらに、大使は公邸に二つ鉢を用意されて、公邸でも奥さんとご一緒に大切に育てるとの約束をしてくれました。大使は二日前帰国され、すでに芽を出し、緑の葉が水面に浮かんでいる大賀蓮の様子を写真で報告してくれました。生育も順調で「ロータス・ロード」は、ついに着実にカタールまで進んでいったことに、中国ボアオの蓮花館の完成と併せて、些か感慨深いものを覚える昨今であります。






・ 2005年6月 7日掲載


心血注ぎ重責に応える 委ねられた”改革本丸”郵政民営化特別委員長


衆議院議員  二階 俊博




 ある日の夕刻、自民党本部の四階の総務局長室に入ると同時に、電話のベルがなり、小泉総理からの電話であった。


 「今すぐ官邸へ来てもらえませんか」ということであった。


 直ちに、官邸に向かって車を走らせた。官邸の総理大臣執務室には、小泉総理、武部幹事長、中川国対委員長がおられた。


 「郵政民営化の審議がいよいよはじまるが、委員長を二階総務局長に引受けてもらいたい。筆頭理事には、山崎拓さんにお願いした。委員長が二階さんなら協力しなければ・・・・・・と拓さんも快よく引受けてくれた」


 私は、「自分は今総務局長として、いつ解散があってもいいように今準備をはじめているところです」と申し上げた。


 総理は「総務局長は兼務でやってもらう。一ヶ月もあれば、十分だ」と一歩も引く様子はない。私も今は、自由民主党の一員であり、幹事長も国対委員長も納得し、この人事に賛成しているとのことであり、一党員とて命令に従うよりない。誰かに相談しようにも、相談された人も、返事に困るようなことを持ちかけるのは、相手に迷惑をかける。今まで、私が、郵政民営化の委員長をつとめる等、夢にも考えたことはなかった。


しかし、今は、お引受けする以外にない。「十分務まるかどうか分りませんが、お引き受け致します」


 事実上、衆議院郵政民営化特別委員長就任が決定した瞬間であった。


 小泉総理は郵政民営化を改革の本丸と位置づけ、自らの政治生命をかけてでも、今国会で法案の成立を期しておられる。一方党内には、今も反対を叫ぶ議員は衰えを見せていない。


 野党は「反対」で足並みを揃えている。


 選挙区の特定郵便局長さんは頭をかかえて悩んでおられる。


 日本郵政公社の生田総裁も元商船三井の会長であり、知らぬ間柄ではない。


 反対派の頭は綿貫前衆院議長であり、田中派当時から、親しくして頂いている。


 このような中で、特別委員会の運命の船出は、五月二十三日、案の定、共産党を除く野党の民主党や社民党は、議長から再三の要請の特別委員の名簿すら出されない。


 当然、委員会はボイコットで出席はされない。


 巷には「なぜ今急いで民営化する必要があるのか」も渦巻いている。


 ホテルに出かける時、飛行機へ乗る際等に出会う知人は必ず「今度、大変なお役を引受けたものですね。ご苦労多いと思いますが、頑張って下さい」等激励を受けることもある。


 ようやくご承知の通り、川崎議会運営委員長や中川国会対策委員長等、さらに特別委員会の山崎筆頭理事等のねばり強いご努力により、六月一日から民主党、社民党議員も出席され、四十五名の全委員の顔ぶれが揃った。


 私は、野党の主張も十分尊重し、重要法案であるだけに慎重の上にも慎重な委員会運営に心がけ、多くの国民の皆さんに理解して頂き、民営化されて過疎地の郵便局がなくなったら地方の人々の生活はどうなるのかというご心配にも十分配慮した審議の結果が得られるよう心血を注いで与えられた重責に応えたいと思う昨日今日である。






・ 2005年7月22日掲載


『郵政民営化特別委員会 109時間の審議、粛々と採決』


衆議院議員  二階 俊博




 衆議院の郵政民営化に関する特別委員会は、皆さんもご承知の通り、109時間25分という長時間の審議を終えて、混乱なく粛々と採決をすることが出来た。


私が委員長に就任した際、「委員会の運営は公平、公正に運営すると同時に、出来る限り慎重に、反対の議員にも出来るだけ質問の機会を与える」――内外に約束したこの方針を貫いて、ここ十年で、最も長い委員会の審議記録をつくることになった。議会史の中では、あの日米安保条約を審議した「衆議院日米安全保障条約等特別委員会(小沢佐重喜委員長)」の136時間に迫る長時間の審議であった。


 この審議の中で、傾聴に価するご意見、政府答弁の中で、さらに明確にすべきこと等について、私たちは休日を返上して議論を重ねた。ある時は自民党の山崎筆頭理事のほか柳沢、石破、松岡の各理事の皆さんと、またある時は竹中郵政民営化担当大臣、細田内閣官房長官、与謝野自民党政調会長、中川国会対策委員長らと、ある時は武部幹事長等と昼夜を分かたず修正協議を重ねた。


 ある時、私の畏友みのもんた氏の長男隼斗君の結婚式があり、私は主賓の一人として祝辞を述べさせて頂いたが、途中で「どうしても戻って来てもらいたい」との山崎筆頭理事の命により、公明党冬柴幹事長との奇しくも、かつての三幹と同じメンバーが集まり、この段階における自公の協力をあらためて確認すると共に、法案の修正や採決の時期等、政治日程の協議を重ねた。勿論、その後、近くにあるホテルの結婚披露宴会場に戻った。さすが、みのさんのお家のお祝いであって、祝宴の同じテーブルには、氏家日本テレビ社長、井上TBS社長、菅谷テレビ東京社長、若林TBS副社長、萩原日本テレビ副社長、石原前国土交通大臣夫妻等が顔を揃えておられる。東京都議選の真最中でもあり、私が何のために中座をしたのかおよそ察しがつく方々ばかりで、かえって激励を頂戴して恐縮の限りであった。著名な政治評論家である岩見隆夫先生や岸井成格先生もおられ、「委員長としてご苦労だけど頑張れ」とあたたかく声をかけて頂いた。みのさんと旧知の下川党県連幹事長夫妻や、名古屋や仙台の古い友人たちからも声をかけて頂いた。


 しかし、今考えてみると、朝は8時から夕方の5時過ぎまでの審議が月曜から金曜まで続き、土曜と日曜はいつ呼び出しがあるか分からない息の抜けない緊張の日々が続いた。その間選挙区の皆さんから、委員長としての職責を立派に果たしてもらいたいという激励の手紙やファックスが寄せられると同時に、特定郵便局の局長さん達からは、ご心配の点についての貴重な意見を寄せて頂いた。参考人質疑では、我が国を代表するような論客の方々から参考意見を述べて頂いた。


 地方公聴会については、北海道、新潟、佐賀を選び、委員は三班に別れ、私は北海道班の団長を務めて札幌の豊平郵便局も視察させて頂いた。着いた日の夜、北海道の高橋知事がサッポロビール園のジンギスカン料理にご案内して下さった。緊張が続く審議の中で、はじめて味わうほっとした瞬間であった。


 委員会は円満審議の末、何れも賛成多数で議決し、本会議は五票差の結着となった。今、舞台は参議院に移り、白熱の論戦が続いている。






・ 2005年10月25日掲載


『郵政民営化"生き残り”へ』 26万職員の意識改革に期待


衆議院議員  二階 俊博




 郵政民営化――「是か非か」を国民の皆さんに直接問いかける衆議院選挙は九月十一日開票が行われました。誰もが予想することが出来なかった程の支持を自民党候補に寄せられ、自民党は圧勝をしました。公明党も順当な勝利を得られて、自公の与党は圧倒的な勝利を収めました。私も選挙区の和歌山第3区の皆さんのあたたかいご支援により、八回目の選挙を無事に当選させて頂きました。




 自民党総務局長という選挙を仕切る役割は、解散になっても、公示の日まで一度も選挙区へ帰ることも出来ず、ひたすら新風会の同志や自民党の組織、ご推薦を頂いている公明党、そして選挙区の皆さん等のご理解、ご協力を信じて祈るような心境の毎日でありました。それだけに今回当選させていただいたことに深い感謝の念を抱きつつ郷土和歌山の発展と、日本の将来に些かでもお役に立てるよう決意を新たに精進を重ねる決意であります。当選早々の新しい国会の本会議で、再び郵政民営化特別委員会が設置され、議長から委員の指名があり、直ちに特別委員会が開かれ、全会一致で私が再び委員長に指名されました。




 選挙前と選挙後の委員会は国民の皆さんの声を反映した結果、波静かな委員会のスタートとなりました。同時に衆議院では、すでに先の国会において可決成立している厳然たる事実もあります。しかし、それでも特別委員長に再任された私は、最後まで慎重、公平な審議を貫き、例え議席を三分の一以下に減らしてしまった野党の選挙後の意見にも真剣に耳を傾け、質問時間の半分を野党に割り振って、自民党と公明党の質問時間を大幅に譲って頂いて、審議に臨みした。その結果、審議は極めてスムースに進み、円満な裁決の結果十月十一日、特別委員会で可決、直ちに本会議に緊急上程を行い、私から委員会審議の経過と結果を報告致しました。同じ法案で二度委員長報告を行うのも極めて珍しいケースでありますが、本会議における裁決も円満な状況で行われ、前国会で5票差で可決された同じ内容の法案が、選挙後は200票差で可決成立するというほとんど信じられないような結果となりました。これらは全て国民の皆さんの後押しによるものであり、文字通り小泉総理の郵政改革への執念と国民の声の合作であり、長時間の審議と共に歴史に残る場面でありました。その間郵政民営化担当の竹中大臣は、ご承知のとおり本県出身でありますが、政府答弁をほとんど一手に引き受けられ、延べ委員会での答弁回数は九百回に迫るという新記録の奮闘ぶりでした。本県出身の与党議員は衆参併せて全員"白票"を投じて頂いたことも力強いことでした。




 郵政民営化の法案が成立したことによって舞台は大きく一転して、今度はいよいよ2007年10月の民営化開始を目指して一斉に走り始めました。郵政公社の幹部の言う通り「郵便局で漫然とお客を待っているだけでは生き残れない」――実感がこもっています。新ネットワークの構築へ応援団として、これからも、郵便局の自立と、二十六万職員の意識改革に期待し、消費者と国民利益を念頭に、民営化への道筋を見守りたいと思います。






・ 2005年12月13日掲載


「政策金融改革と中小企業」


衆議院議員・経済産業大臣  二階 俊博




お元気ですか! 私も経済産業大臣を拝命して、早くも一ヶ月を過ぎました。ご承知のように経済産業省という役所は、非常に幅の広い多岐にわたる政策課題を抱えております。今回は、十一月に基本方針がまとまりました「政策金融機関改革」について述べさせて頂きます。大臣就任の際に、小泉総理より、「政策金融機関改革」は、郵政民営化と並んで極めて重要な改革で、しっかりと取組んで欲しいとのご発言がございました。郵政民営化の際には、郵政民営化特別委員会委員長として、解散総選挙の際には、自民党総務局長として、党の命運を賭けた衆議院選挙の責任者の一人として先頭に立ち、そして今回は経済産業大臣として、小泉改革の重要な政策課題に携わることになり、身の引き締まる思いでありました。


同時に、私は、中小企業政策を預かる責任ある立場の者として、政策金融改革によって、中小企業者が困るようなことのないようにしたい、改革をしてむしろ良くなったと言われるようにしなければならないという強い思いを持っておりました。


特に、我が国の景気は、全般的に良くなっているとはいえ、地域・業種別によって相当なばらつきが見られます。和歌山県の地元の経済も大変苦しい状況の下で、懸命に取組んでおられる中小企業の方々が多数おられます。私自身、常に地元の経営者の方々から政策金融改革に係る懸念や要望をお聞きいたしております。


この間、私は日本経団連の奥田会長、日本商工会議所山口会頭、経済同友会の北城代表幹事、さらに地方の商工会議所会頭等の御意見を積極的に伺って参りました。


私は、政策金融改革が中小企業政策の重要な柱である観点から、経済財政諮問会議において、議論が本格化した十一月十四日に、中小企業を預かる大臣としての政治的決断の下、「商工中金は民営化」するという方針を打ち出しました。改革に当たっては、@中小企業金融が中小企業者のためにという旗をしっかりと立てること、A商工中金の民営化に際して、円滑な移行措置を講ずることを提案いたしました。


特に、商工中金の民営化に際しては、財務基盤の整備が重要であることから、例えば、政府資金のうち、株式を一〇〇〇億円程度とし、残りの三〇〇〇億円を運転資金とするなど、万全の移行措置を講ずることが重要だと申し上げました。


その結果、経済財政諮問会議および政府与党の協力を得て、十一月二十九日に基本方針が取りまとめられました。この基本方針においては、私の提案が概ね反映されたものと考えております。今後、小泉総理の下に設けられる推進本部において、年度末に向けて詳細な制度設計についての議論が始められることになりますが、中小企業者の方々から、改革をしてむしろ使い勝手がよくなったと思っていただけるような改革のために、リーダーシップを発揮することを決意しております。






-----2004年-----


・ 2004年1月14日掲載


観光立国に弾み




 観光振興が政治の中心的課題として、ようやく活発な活動を開始する年として、期待が高まって参りました。


 十六年度の政府予算として、小泉総理が提唱される来日観光客を倍増するための、ビジットジャパンキャンペーンの予算は三十五億円(十五年度二十億円)に増額されました。


 観光立国に向けた環境整備のために「景観形成事業推進費」として二百億円の公共事業調整費を新たに創設することになりました。


 県や市町村と協力して行う事業としては、約四百億円程度の魅力的な景観の創造、豊かな白然風景を生かした良好な景観の整備、歴史的風土の保存や伝統的建築物の整備等を行うことになり、観光振興のための画期的な予算となりました。


 県からの要望や提案を四月から五月中にまとめ、夏から秋にかけて配分されます。


 イメージとして、伝統的なまちなみの整備、景勝地での景観と調和した橋や河川の整備、歴史的風土の保全、治山事業、緑地の買い取り等、風情のある道路の整備、広場・休憩所の整備等、地域住民の皆さんやNPOの提案等も参考に、景観を活用した観光立国を目指します。


 次の通常国会に景観法の提出を予定しており、必ず成立させる方針ですが、これに伴い地方公共団体における「景観条例」の制定を促し、全国への広がりを期待しています。


 さらに「屋外広告物法」の改正等景観関係法令の整備、「都市緑地保全法」「都市公園法」の一部改正を行います。


 なお都市開発資金の拡充により、景観計画区域内の土地区画整理事業を無利子貸付対象に追加、緑地環境整備総合支援事業の創設により、予算五十億円を確保しました。


 景観法関係の税制において、景観重要建築物(敷地を含む)についての適正評価(相続税)景観計画区域内の土地等を景観整備機構等へ譲渡した場合、一千五百万円特別控除(所得税、法人税)が行われますが、郡市緑地保全法関係においても同様の措置が講じられます。


 以上のように、観光立国に向けて、国を挙げて取り組む姿勢がだんだんと明確になりつつあります。


 せっかく軌道に乗りかけた観光立国への道を、より具体的に、より積極的に展開するため、今年も自由民主党観光振興特別委員長として、懸命に取り組んで参りたいと思います。


 世界遺産については、高野・熊野の指定の日が近づいており、準備を進めなくてはなりません。


 平成16年度の熊野古道地区に対する観光基盤施設整備事業については、広域観光案内板、誘導標識を三カ年で、事業室二億〜二・五億円整備する計画で取り組んでおります。事業例として、「紀伊山地の霊場と参詣道」と温泉を組み合わせたモデルルートの作成、熊野古道の多くの言語の翻訳パンフレット、ポスター・ビデオの作製、旅行会社・メディア関係者等を招請して、古道ウォークや高野山の勤行体験など新しい魅力をPRします。


 これらの予算として、十六年度には、四千六百万円が計上されています。


 熊野古道コースマップも出来上がり、世界遺産の登録に備え、地元も、心の準備が次第に高まりをみせております。高速道路の紀南延長も、さらに重要な意味を持って参りました。


 私たち県民が今、想像も及ばない程の観光客が国の内外から押し寄せて来るとするなら、公共事業等により一層の整備が必要であります。世界遺産の先輩格の屋久島では、年間二十八万人の観光客にやや悲鳴を上げている感じがしました。環境問題や道路整備に先手を打つ必要を痛感している昨今であります。




・ 2004年2月24日掲載


日本の文化や風土の理解を




 伝えておきたい夫々の「ふるさとの誇るいい話」が数多く存在することはご承知の通りです。そこで私は広く日本中から、今日まで語り継がれている物語を集めて、一つの本にまとめてはどうだろうかと総務省(旧自治省)の幹部と相談しました。早速、「伝えたいふるさとの一〇〇話」選定委員会が開かれ、総務省自治行政局自治政策課の編集協力によって、このほど財団法人地域活性化センターより「伝えたいふるさとの一〇〇話」と題して、二百九ページに及ぶ立派な本が出版されました。関係者のご努力に心から感謝と敬意を表する共に、こんなに早く上梓出来たことをうれしく思っています。早速、私は、これを韓国語や中国語に翻訳することを提案していますが、私自身も夫々の国の友人達に相談して、世界の子ども達にも、日本の文化や風土を理解してもらえるチャンスにしたいと考えております。


 先日、和歌山県とも串本町大島の関係で馴染みの深いトルコ国の国会議員が来日の際、トルコ国のソルマズ・ユナイドゥン駐日大使の招きで、大使公邸における歓迎会の席で、私はトルコ・日本友好議連の会長のメヴリュット・チャヴシュオールさんに、この本をトルコ語に訳してもらって、トルコの子ども達にも日本のことを勉強してもらってはどうかとお願いしました。チ会長はこのことをグッド・アイデアだと喜んで、是非実現をしたいと約束してくれました。


 「この本の中に、串本の話が書かれていますか」と尋ねられました。「今回の一〇〇話の中には入っていない」と答えますと大変残念がっていましたので、「追加して別冊として加えてはどうだろうか」と言いますと、「実は私もそう思っていました」とのことでした。一〇〇年以上も前の串本大島の皆さんが、トルコの軍艦の遭難の際の大島の人たちの人道的な救難活動の美談は、一世紀を超えて、トルコの人々の心に焼きついており、我が国とトルコを結ぶ大きな絆となって語り継がれており、「和歌山」の名も今に有名であります。


 さて、一〇〇話の中には、○東京都千代田区の「住民たちの働きで関東大震災から生き残った町」、○新潟県上越市の「日本のワインづりの先駆者」、○富山県砺波市の「戦時中も密かに守り育てたチューリップの原種で夢を咲かせる」、○石川県珠洲市の「茲しみの心を胸に能登の塩田を守り抜く」、○長野県木曾福島町の「日本民謡となった『木曾節』〜なかのりさん町長の情熱」、○静岡県浜松市の「音楽のまちの礎を築いた男」等々の一〇〇話が綴られています。


 私たちの和歌山県からは橋本市の「今なお生きる江戸時代の合理的な土木工法と農業経営」―の先駆者、大畑才蔵の物語。那賀町の「世界で初めて麻酔薬を使って乳がんの手術を成功させた江戸時代の医聖」―華岡青洲を描いたエピソード。さらに、広川町の「とっさの判断で村人を救った稲むらの火」―浜口梧陵(儀兵衛)の戦前の教科書にも掲載された物語は、近年、地震、津波の際のリーダーの危機管理の手本となっています。この際、本県でも、各市町村に立派な歴史文化が語り継がれており、これを県や市町村でまとめてみては、どうでしょうかと提案したい。ふるさとの民謡等も集めるのも興味深いと思います。










・ 2004年4月 6日掲載


中国・大連市を訪ねて




○ 久し振りに、中国・大連市を訪ねる機会がありました。二〇〇二年の九月、一万三千人の国交三十周年の式典に参加の際、地元の同志の皆さんと共に、大連を訪ねて以来でした。




○ この度は、大連市にある「東北財経大学」の客員教授と、同大学の「ホテル観光管理学院」の名誉院長に就任のための認証式に出席し、教授や学生の皆さんに記念講演をするための訪中でした。




○ 私としては浅学の身で、任が重いと断り続けていましたが、日中友好や交流に役立つならばという思いでお引き受けしました。




○ 夏大連市長、大学の干洋書記(理事長)、邱東学長等をはじめ、さらに大連市の孫書記等、省や市を挙げて歓迎をして頂きました。




○ 講演では、大要次のようなことを述べました。大連と日本との関係「日本大連会」「大連と日本との旅行観光交流」「二〇〇〇年の五千二百名の訪中団」「二〇〇二年、四〇〇〇名の訪日友好文化交流代表団」「二〇〇三年の国交三十周年記念の一万三千人の訪中団」「江沢民主席の『重要講和』」について述べ、さらに、お互いの交流は、大規模なイベントも大切ですが、「草の根の交流」の重要性について持論を展開しました。




○ 「大賀蓮の物語」について紹介しました。大賀一郎博士が、一九五一年、千葉県検見川にある東大のグランドの地中から発見した三粒の蓮の種は、その後、同博士や愛弟子達のたゆまぬ研究の結果、今、日本中にさらに世界の国々で、初夏の頃、鮮やかな紅の可憐な花を咲かせてくれています。その愛弟子の一人が、私の日高高校時代の恩師の阪本祐二先生であり、大賀先生が、戦前、満鉄教育研究所の教官当事に、大連の普蘭店で、化石のような古い蓮の実をもらい受けたところから、この物語がはじまるのであり、不思議なご縁を感じていますことの話をしました。




○ 日中関係の歴史認識の問題を乗り越えるには、まだ時間がかかる。しかし、我々は、この問題の前に立ち尽くしている時ではありません。解決に向けて、更に一歩前進することが重要であり、若い世代の交流を通じて、共に理解しあう努力をしようではありませんか。今や私たちの二国間は善隣友好を唱える関係から、両国力を合わせて「世界の中の日中関係」へと成熟した関係に発展させることが、二十一世紀の日中関係であると確信していると述べました。




○ 経済協力については、一九七二年の日中正常化時点の貿易総額は僅か十一億ドル、三十一年間で約百二十倍にも増加しています。貿易という側面では切っても切れない関係にあり、地理的にはお互いに引越し出来ない間柄となっています。日中間の経済活動は相互補完の関係にあります。




○ 民間交流は歴史的には、七五九年の鑑真、八〇五年の空海の偉人の往来があり、今、両国民の観光交流が盛り上がりを見せつつありますが、青少年の交流こそ何よりも重要である旨を申し述べました。






・ 2004年5月25日掲載


大賀蓮に思う




 初夏の訪れと共に、今年も蓮の花の季節がやって来ました。蓮の花との関わりの出発点は、私が県会議員のころ、高校時代の恩師からの依頼による、美浜町の日の岬の大賀蓮の他の改修でした。議会の文教委員長として現場視察を行い、冷たい水の池への流入を防ぎ、大賀蓮の育成に予算を確保すると共に、関係者の協力で、岩出町の緑花センターに蓮の池を造ることにしました。二十三年程前になりますが、中国の杭州植物園に大賀蓮を移植して、日中友好の一助とする運動に参加しました。昨年の春、中国海南島のアジアフォ−ラム常設会議場のボアオに友人の蒋会長のご高配で九つの池を造っていただき、大賀蓮、日中友誼蓮、舞妃蓮等を恩師である阪本祐二先生の奥さんや蓮研究を続ける令息たちのご協力をいただいて、移植することに成功しました。さらに「東方蓮文化苑」を建立し、日中の協力により、アジアの蓮記念センターをつくることになりました。今年の四月、私は大連市の東北財経大学で講演の際、大賀蓮の由来と、草の根交流の重要性を訴えました。大賀一郎博士が旧満鉄の講習所の教官をしておられたころ、大連郊外の晋蘭店で中国人から古代蓮の存在を教えられ、戦後、千葉県検見川の東大グラウンドの地中から、三粒の蓮の種を発見、やがて二〇〇〇年の眠りからさめた神秘の大賀蓮は紅の可憐な花を咲かせ全国に蓮の花と達文化を広めることになったことを話しました。この程、このことを伝え聞いた普蓮店の蓮研究家から私に対し、千三百年前の蓮の種をプレゼントしてくれました。私はこの蓮の種を東大の植物研究所の南定雄先生(日本蓮研究会長)にお願いして開花させていただくことにしたいと思っています。神秘と友情の花の香りが万里を超えて届くことができるよう期待しています。




 先日、ハノイ〜関空間の直行便が就航しました。秋山関経連会長や村山関空社長等と共に私も初便行事でハノイに向かいました。ベトナムは蓮の一大産地でした。ベトナム航空のシンボルマークも蓮の花でした。蓮のお茶やお菓子も店頭に並んでいました。ハノイの中心地の国会議事堂建設予定地から遺跡が見つかり、今、発掘作業が続けられています。三百年、五百年前の瓦が次々に発見されていますが、いずれも蓮の花が描かれていました。




 私の友人が新聞のコラムにパキスタンの市場で蓮根が売られていることを記した記事を教えてくれました。




 ある時、秋田美術工芸大学の石川好学長と話していました時、蓮の花の話で盛り上がりました。その後、先生はインドへ出張されました。インドから先生は私に興奮して電話をくれました。「バジパイ首相(当時)と蓮の話をして、大変喜んでくれました。党のシンボルマ−クも蓮の花で、党の旗を買って持って帰るから…」とのことでした。




 蓮は昔から、「東洋の花」、「平和の花」、「仏教の花」と言われていますが、早くもアジアの各地から花便りが届きそうで「アジア蓮ネットワ−ク」の構築も夢ではなさそうになってきました。




 六月四日から八日まで私の地元の同志の皆さんが、中国海南島(ボアオ蓮公園)に大挙して訪問されることになりました。そのころ、ボアオの地で見事な友誼の花の開花を祈るような気持ちの今日このごろであります。






・ 2004年8月31日掲載


インド・ミャンマー・ベトナム駆けある記


アジアの花街道―――ロータス・ロード


衆議院議員 二階 俊博




 今年の6月の初めに、古賀誠元自民党幹事長から、「参院選が終わってからインドとミャンマーを訪ねてみたいと考えている」「ご一緒に如何か」とのお誘いがあった。しばらくしてから、山形のシンポジウムに出かけた際に、秋田公立美術工芸短大学長であり、作家の石川好先生から「これからはインドが大切ですよ。今は十一億人といわれているが、やがて中国を抜いて世界一になりますよ。日本の政治家はインドに目を向けてもらいたい」私は「その通りだと思う。頭はいいし、経済成長も凄い勢いで伸びている。アジアの大国同士がもっと親しい関係を持つことが大事ですね。ところが、最近、古賀誠先生とインドに出かけようと話したばかりです」石川先生は目を輝かせるようにして、「古賀さんと二階さんが一緒にインドを訪問してくれるなら、こんなに力強くうれしいことはない。私も是非、ご一緒したい」ということになった。その時、私は、「インドは仏教の国で蓮の生産も盛んでしょうから、その面でも興味を持っている」ことも申し上げた。




 やがて、古賀先生を団長に、石川先生を顧問に、国会議員や経済界の有志と総勢三十名の「インド・ミャンマー・ベトナム経済、文化観光、スポーツ交流使節団」が結成された。メンバーは泉経済産業副大臣、荒井外務大臣政務官、鶴保国土交通大臣政務官、松山参議院自民党国対副委員長、藤野参議院議員(元運輸審議官、観光部長)の政治グループ、経済界から清野JR東日本副社長、玉造成田空港副社長、川嶋新日鉄顧問、松本日本航空専務、戸矢全日空副社長、高階五洋建設副社長等錚々たる顔ぶれが揃い、国交省から若林観光部地域振興課長が同行してくれることになった。




この際、早速、インド・ミャンマー・ベトナムの三カ国を駆け足で訪ねての印象を記してみたい。




○インドは歴史も古いが、さすが人口も多い。日本は技術協力で、インドの発展に大きく貢献出来ることは多い。インフラ整備にも日・印の協力が重要。やがて日本外交もインドを抜きに語ることが出来なくなる。それよりもインドとの交流をさらに深めて、潜在成長力を持つインドとの関係強化に積極的に乗り出すべき時が迫っている。スズキの合弁会社を見学させてもらった。見事に成功している。観光振興にも熱心で、「日本・インドグローバル・フォーラム」の代表と全国旅行業協会会長の私との間で、相互交流の潮流の糸口となるような調印を行なった。バジパイ前首相の政党B・Jシンボルマークは蓮。政党本部の庭に移植した「大賀蓮」がすでに新しい芽が出たという、うれしい知らせが最近届けられた。




○ミャンマーは、ヤンゴンの日本人墓地に線香とお花を捧げて、英霊のご冥福をお祈りさせていただいた。キ首相とも会談。あらためてミャンマー問題にも古賀議連会長と共に一行は努力を誓い合った。観光交流について、首相も内務大臣も両国で協力を約束。豊かな観光資源を活用した平和な国づくりに日本としても国民レベルで貢献出来ることも多い。




○ベトナムは、私は五月に関空からの一番機で訪問したばかり。その際依頼された、両国の観光協議も進み、近く観光総局長(大臣級)が来日、政府協定が実現の運びになった。世界遺産のハロン湾の周遊も素晴らしい。ハノイにも服部大使の尽力で大賀蓮が植えられ、アジアの大賀蓮の「ロータス・ロード」も多くの皆さんの協力で順調。昨日、大使から見事に芽が出たと写真を添えて友好の花便りを頂いた。日本はいよいよ「アジアの中の日本」としてその期待と責任に応えなければならない。






・ 2004年10月26日掲載


あらためて「現場に学ぶ」


衆議院議員  二階 俊博




 台風、地震、津波が近ごろ、相次いで、日本列島を襲来し、人々を脅かしている。


 私たちの紀伊半島にも、台風二十三号が襲いかかり、沿岸の農林水産業、観光関係者を恐怖に陥れると同時に、港湾、漁港、灯台、河川、道路等に大きな爪跡を残すことになった。


 十月二十三日、早速、私は予定を変更して被害箇所へお見舞いと現地調査に出かけた。


 湯浅町では、就任早々の伏木町長や担当課長の案内で町内を廻った。


 田村地内の突堤の損壊、栖原地内の町道、同じく栖原地内のブロックの散乱、ヒラメ養殖場の損壊等、地元関係者の切実な声を聞かせて頂き、再起への激励を申上げると同時に、災害復旧に一日も早く取りかかることと、再発防止に向けて、自然災害に対し、国が何を為すべきかを深く考えさせられる場面であった。


 続いて有田市を訪ね、玉置市長、浅井県議、市の部長さんや課長さん達の案内を頂き、直ちに災害の現場へ向った。


 有田市宮崎町の逢井の漁港や防波堤が長さ九十メートルに及ぶ間が横転した。転倒している様子は、台風の勢いが如何に大きなものであったかを物語ると共に、集まって来られた古老の話でも、七十歳、八十歳の方々が「生れてから今日まで経験したことのない大きな波であり、コンクリートの崩れるドーンという激しい音は今でも耳についているようだ」と当時の恐怖を再現してくれた。


 有田川河川敷のスポーツ公園も、テニスコートもゲートボール場にも上流から流れついたゴミの山となっており、「これは有田市のゴミではなく附近の町村から流れてきたゴミばかりだ」と地元の人たちは嘆息まじり。それでも玉置市長は、「市民の皆さんに呼びかけてボランティアで協力願って、自分たちできれいに出来るものは自分たちでやって、一日も早く、みんなが使えるコート、使える公園にしたい」と力強く語っておられたのがとても印象的でした。


 由良町では中井町長や町の幹部が出迎えて頂き、ご一緒に、現場に出かけた。県道御坊由良線の本体工や路側等が破壊され通行止となっており、舗装の路面や法面工、防護柵等が信じられないような波の力によって、破壊されていた。白崎海洋公園、近ごろは東洋のエーゲ海として若者の間で人気の高い海洋リゾートのメッカが大きな被害を受けた。


 午後はヘリコプターで、被害の大きかったすさみ町、串本町に向った。すさみ漁協管内の被害は想像以上に大きく、桂町長や岩田漁協組合長の説明を受け、県からの寺前新宮建設部参事、地元の漁業関係者等の案内で、凄まじい台風と高潮の直撃を受けて、大きな岸壁がひっくり返えされ、漁船が破壊される様は、漁民の皆さんにとっては言葉に尽くせない無念な想いであり、やり場のない怒りでもある。ダイビング等のリゾート施設『ノアすさみ』もほとんど全滅の状況から、各地から集まった若者たちの若い力で、ほとんど開業出来るまで回復していたことはさすがと力強かった。串本町でも田嶋町長の案内で現場に直行。白野漁港の被害や大島の養殖業者から漁価の安値について切実な要望を承った。台風の被害は、まだまだ他の町村にもあり、早期復旧に向け、補正予算を含め対策に万全を期すと共に、あらためて「現場に学ぶ」という姿勢で「生命と財産を守る」という政治の重大な使命を果すため全力を尽すことを心に誓った。新潟に大地震発生の報が調査訪問中に入り、被災者の皆さんに心からお見舞い申上げたい。







玉置市長、浅井県議(有田市)


道路がえぐられた様子を視察する



冨安県議、中井町長、畑中助役(由良町)



桂町長、岩田漁協組合長(すさみ町)



漁協組合員の皆さんから話しを聞く(すさみ町)



田嶋町長、寺前県東牟婁振興局土木部長(串本町大島)



 二階代議士は、10月23日、さる20日の台風23号の影響で大打撃を受けた和歌山県の各地を視察しました。高波で防波堤が損壊するなど現地のすざましい様子を目のあたりにし、「聞きしに勝る大被害」と驚きながらも「災害復旧はスピードが命。予算の予備費を復旧工事に充当するが、足らなければ補正を組んで早急に対応するよう働きかける。」と約束した。


 この日、本件の中でも特に大きな被害を受けた、湯浅町、有田市、由良町、すさみ町、串本町などの現場を視察。こういった状況を見た二階代議士は「自然の猛威がいかに凄まじいかをあらためて実感した。災害を受けた地域の皆さん方に心からお見舞い申し上げたい」と述べながら「人命、財産を守ることが政治の最重要課題。災害復旧にはスピードが必要だということを念頭に置きながら、早速東京へ帰って必要な予算措置を取るよう全力を尽くしたい」と意欲をみせた。また、「東南海・南海地震の発生が予想される中、自然災害に対応できるよう英知を結集して取り組んでいきたい。各市町村、町内会、団体にも協力を呼びかけたい」と語ったほか、「公共事業の実施には批判的な声もあるが、日ごろから計画的に事業を展開し、備えを講じるべきだ」との考えも示した。






・ 2004年12月 7日掲載


「観光立国宣言」――中国で翻訳 出版に寄せて


衆議院議員  二階 俊博




 「観光立国宣言」――躍動の観光産業を語る―― 。私の対談集が中央公論事業出版により制作され、丸の内出版から発売されたのは二〇〇〇年の四月であった。


社団法人全国旅行業協会の会長として、観光産業のリーダーの方々との対談等をまとめて出版する事になった。丁度その頃は、運輸大臣、北海道開発庁長官の在任中に「観光立国宣言」と題する出版に、些か躊躇しないわけではなかった。しかし、周りの皆さんは、現職の大臣だからこそ、この際勇気を持って「観光立国」を堂々と宣言してもらいたい。そして、観光政策に力を注いでもらいたいと私の背中を押した。思い切って先に"宣言"を発して、関係者の一層のご協力を頂きながら、観光産業の振興にも大いに力を尽すことを心に誓った。


対談の相手は、何れも我が国観光産業の指導的役割を果たして頂いている著名な方々ばかりであった。松田昌士(東日本旅客鉄道且ミ長)、井出正敏(西日本旅客鉄道且ミ長)、須田 寛(東海旅客鉄道渇長)、兼子 勲(日本航空且ミ長)、野村吉三郎(全日本空輸且ミ長)、舩曳寛真(鞄本エアシステム社長)、鈴木道雄(日本道路公団総裁)、青山 茂((社)日本バス協会長)、故 宮岡公夫((社)日本外航客船協会)、松橋 功(鞄本交通公社会長)、石月昭二((社)日本観光協会長)、今野三男((社)全国旅行業協会会長代行)、藤井孝男(運輸大臣)、川崎二郎(運輸大臣)=何れも敬称略、肩書きは対談当時。これらの対談のお相手の方々も出版にも快諾してくれた。


――― その「観光立国宣言」が、近く中国で翻訳出版されることになった。


私には思いがけないことで、まことに望外なことである。二〇〇四年、私は東北財経大学(大連市)の客員教授、同観光学院名誉院長に就任の際、私の「観光立国宣言」を観光学院の参考書として、活用したいと言われた。院長の謝先生や、副院長の方先生のご熱意により、中国語に翻訳され、この度大学の出版局から出版されることになった。


勿論、同大学の于洋書記や、邱東学長のご高配のお蔭である。円満な日中交流に少しでもお役に立つなら誠に幸いである。


今、東北財経大学と和歌山大学の間で、交流が始まろうとしている。学生の交換や教授陣の交流等、両大学の間で話し合いが始まっている。


大連市の郊外へ、小渕基金を活用して、植樹事業を展開することになった。


故小渕恵三総理が、提唱し、広大な中国の大地に緑化運動を展開する壮大な計画に基づき、私たち"花を愛する県民の集い"が日本側の窓口となり、大連市政府との間で、両国の協力により、植樹計画が進められている。


東京ドームの十九倍の土地に、十八万本の植樹が計画されている。木村知事と相談の結果、紀州材の間伐材を活用し、植林地に休憩所やベンチ等を設置する計画を進めている。


日中の間は過ぎ去った二千年、未来への悠久の歴史がある。お互いに向かい合って立っている時代はこの辺で終りを告げて、アジアの平和と繁栄のため、否、世界の融和と進歩のため、何を為すべきかを考えるべきで、我々は、障壁の前に立ち止まっているときではない。


「友誼花開万里香」―― 今こそ未来志向へ前進する時である。






-----2003年-----


・ 2003年1月28日掲載


関西の千鳥が淵墓苑 有田市のウエノ公園・無縁寺の慰霊


坂口厚生労働大臣 検討を約束


衆議院議員・保守新党幹事長


二 階 俊 博


( 関連記事  写真集 




 一月二十日、「関西の千鳥ケ淵墓苑」と呼ばれる無縁の戦没兵士三千七百柱を祀る有田市のウエノ公園・無縁寺(有田市古江見)の奉賛会の有志、舟津文雄、桝井陽造、桝井美重子、御崎明良、宮崎勝司、竹中勝代、宮本孝一、上田久男、浜口泉氏らが上京され、厚生労働省の担当官との間で、今日までの経過の説明や今後の取り組み、政府として何ができるのかなどについて、話し合いが行われました。


 終戦当時の混乱の最中、海外から引き上げて来られた無縁兵士の遺骨が舞鶴港などで雨ざらし状態となっていた。有田市箕島の則岡豊松氏が供養を発願、舞鶴港や千葉市の稲毛まで出向き、三千七百人の遺骨を引き取り、サクラとツツジのウエノ公園を開山、無縁寺を建立、盛大な追悼法要などを営んでこられた様子は当時の「和歌山特報」が詳しく報じておられるー。


 しかし、戦後も五十八年を数えて関係者も次第にご高齢となり、この先、いかにして無縁の兵士の諸霊の法要を続けていくことができるかを国にご相談に来られたものでした。


 私は「これは政治で解決しなければならない」、「直ちに坂口厚生労働大臣に話して、大臣のご意見も伺った上で、今後の方針を決めよう」と考えました。早速、坂口大臣に連絡しましたが外出中とのことで、私は代表の皆さんとともに夕暮れ近い厚生労働省に沢田事務次官を訪ねました。「大臣にご報告するとともに、厚生労働省として調査検討を」約束してくれました。


 一月二十二日の産経新聞の一面トップにシベリア抑留の日本人、収容所で一万二千人死亡というモスクワ特派員のショッキングな見出しの記事の中に、さらに死者総数は八万二千人と記され、真相の究明を強く促しています。 一月二十三日、衆議院予算委員会において、保守新党の代表質問に立つ井上喜一政調会長(兵庫四区選出)に対し、私は、シベリア抑留の日本人の件と有田市の無縁寺のことをNHKテレビの全国放送の中で一言で結構ですから、国民の声として質問して頂きたいと依頼しました。井上政調会長は次のとおり質問されました。




『井上政調会長の質間』


 (衆議院予算委員会 保守新党代表質問)


 昨日の産経新聞に掲載されているソ連抑留者のシベリアなどから帰った人がその遺骨を持って帰っている。しかしそのまま放置されたり、無縁のお寺を建てたり、慰霊塔を建てたり、法要などを行っているところがあるといわれている。例えば、(関西の千鳥ヶ淵といわれる)和歌山県の有田市(無縁寺)なんか代表的な例だといわれている。全国に何カ所かあると思われる。関係者が高齢化して法要も慰霊も行われにくくなっている。国として何か対応が考えられるか(このまま放置しておくわけにはいかない)、大臣として検討して頂けるかどうかお答え頂きたいと思います。




『坂口厚生労働大臣の答弁』


 戦没者の慰霊追悼は大変大事なことでございますから、ご指摘のようなことがあるとするならば、よく検討の上、対応しなければならないと思っております。個別の案件もあり、検討を約束致します。


 国が初めて公式に検討を約束してくれた瞬間であった。






・ 2003年3月25日掲載


イラク戦争と我が国の支援


衆議院議員・保守新党幹事長


二 階 俊 博




 米英の同盟国のイラク攻撃はあらかじめ、予測されたことではあるが、当日は、政府も与党もあわただしかった。


 




 政府にも与党三党にも、対策本部が設置され、官邸では小泉総理を中心に与党の党首及び幹事長が集結した。


与党三党の連絡会議もスタートし、三党の声明や提言も提出された。


 




 19日には早速、衆議院本会議を開いて、総理からの報告とそれに対する各党代表の質問が行われた。


 私も保守新党の代表として質問に立ちました。フセインの決断に伴う武力攻撃の回避に望みをかけ、誰もが期待する平和的な決断を祈るような気持ちで見守り続けておりましたが、残念ながら米英等の同盟国は、武力行使に踏み切りました。


 




 我が国は、日米同盟を重視し、国際協調の立場から小泉総理はイラク攻撃を支持する方針を明らかにしました。


 




 私たち保守新党としても当然、小泉総理の方針を全面的に支援することを党声明で明らかにしました。


 




 本会議の質問では、戦争の早期終結の後、難民の支援と復興支援について、我が国が積極的に協力すべきこと、有事に備えた国内体制の整備を急ぐことにより、国民の生命財産を守る責任のある国会の責務であることも主張しました。 


 




 我が国の安全保障政策の真剣な見直しを考える時期に至っていることにも言及しました。


 これからは特に経済対策や国内のテロ対策、石油エネルギーの安定供給等について連立与党の責任において万全を期す決意でいます。






・ 2003年5月13日掲載


中東諸国を訪問 イラクへの支援研究で




  五月の連休中に私は、自民党の山崎幹事長、公明党の冬柴幹事長と共に中東諸国を訪問しました。四月二十八日に成田を出発して、フランクフルト、中東四カ国、バーレーン、パリを経て、五月五日帰国まで三万五百七十九キロメートル(一万九千百十二マイル)の強行日程でした。




  中東では、アラブ首長国連邦、クウェートを経て、イラクに入りました。私たち一行は戦闘開始後、イラク訪問の最初の国会議員となりました。直ちにウンムカスルに赴き、現地の状況の視察を行い、イラク人道復興支援に関し、関係者と積極的な意見の交換を行いました。ア首連滞在中に私たちは、フジャイラ沖に停泊中のテロ対策特措法に基づいて派遣されているイージス艦「きりしま」を含む六艘の海上自衛隊の艦船を視察し、隊員の皆さんを激励しました。さらに私たちは、カタールを訪れ、米中央軍司令部の幹部とイラク情勢について様々な角度から意見を交換することが出来ました。




 今回の訪問は今後のイラクに対する人道、復旧支援における我が国の人的貢献のあり方をも研究すること等が大きな目的でありました。イラクにおける人道復興支援の具体的ニーズを確認することが出来ました。緊急の課題として、水、食糧、医薬品、電力の供給の確保、ウンムカスル港の浚渫、鉄道の復旧等が特に急がれることが分かりました。




 ウンムカスル港は、イラク国民の食糧等の生活物資の約七割近くを運び入れるイラクの生命線とも言える重要な港であります。緊急を要する浚渫のために二百五十万ドルを拠出し、さらにウンムカスル市評議会へのランドクルーザー三台の贈呈等は関係者から高く評価されました。市評議会の議員は選挙で選ばれたのではありませんが、それぞれの地域代表として誰もが認めるような人物が自ら選出されるようになっているとのことでした。




 沿道に並んでしきりに手をふる子供たちが今後成人した頃のイラクが、どのような姿に変貌を遂げることが出来るのか期待をしたいと思っております。従って教育の復興支援も特に重要であります。私たち日本は、このようなイラクの状態に、今、何を為すべきかを真剣に考えなければなりません。国会ではテロ対策特別措置法の期限切れの延長に、保守新党はトップを切って賛成しました。有事法制の国会審議は与野党の修正協議が盛んに進められています。自衛隊派遣のための「イラク復興支援法案」(仮称)は国会提出の準備が進められています。その際国連決議を巡って、それが必要か否か議論の分かれるところであります。




 私は自衛隊の海外派遣等について、国連決議のもとに、国連の旗の下に活動することが出来れば理想的であります。しかし、今日の国連の安保理の姿は、一日や二日で関係が修復されるとはとても考えられない。側面から我が国が国連安保理事国の機能の再構築に腐心することは当然のことであります。国連の現実の姿を直複する時、「国連決議」にだけ拘ることよりも、今直ちにイラクの国民の救済のために日本に何が出来るかを真剣に議論し、判断し、行動を起こすべき時だと考える昨今であります。






・ 2003年7月 1日掲載


与党三幹事長が訪中


衆議院議員 二階 俊博




 5月18、19、20日にかけて、二泊三日の中国への訪問は与党三党幹事長にとって重い責任を担う旅でした。日中平和友好条約締結二十五周年の記念の日を間もなく迎えることになります。しかし、日中首脳外交は必ずしも良好な関係とまでは言えない状況が続いていました。そこで、サンクトペテルブルクでの日中首脳会談、小泉総理―胡錦濤総書記のはじめての会談が成功裡に終始するための"地ならし"の仕事が重要な任務でありました。




 国家のためとは言え、SARSで燃えさかっている北京への訪問は正直に言って内心、躊躇しないわけでもありませんでした。しかし、日本の阿南大使をはじめ中国側も、空港も迎賓館の釣魚台も万全の体制で厳重に私たちを守ってくれている配慮の様子が伝わってきました。




 会談は李肇星外相、王家瑞中国共産党対外連絡部長、黄菊副総理、胡錦涛総書記、唐家せん国務委員、何光い国家旅遊局長等、中国首脳との有意義な意見の交換を行いました。




 胡総書記より「中国共産党中央を代表して歓迎する。SARSという災難と私たちが懸命に闘っている最中に三党幹事長が中国を訪ねて頂いたことは、日本側が日中関係を重視していることの証明である」との熱烈歓迎の挨拶がありました。




 山崎自民党幹事長より小泉総理の親書をお渡しすると共に、「今後の日中関係は歴史を鑑とし、未来に向かうとの共通の認識で、未来を切り開いていこう」という総理の考えを伝えました。さらに、北朝鮮の核兵器の問題、拉致問題を解決するために、日本と韓国、さらにロシアを含む六者対談を実現できるよう中国側の役割を促しました。特に、イラク問題、クロフォードにおけるブッシュ大統領との首脳会談を控え、中国側の考え方を尋ねました。




 冬柴公明党幹事長よりSARSの問題、胡総書記が全青連の主席の当時、三千人の日本青年の訪中のメンバーとして、公明党の神崎代表や浜四津副代表も参加しており、胡総書記への党からの祝意が述べられました。




 私は、訪中の度に胡総書記にお目にかかっていましたが、あらためて総書記ご就任の祝意を申し上げると共に、SARSの問題についてお見舞いを述べました。北京オリンピック、万国博を控え新幹線の建設に日本がお役に立てれば協力したい。両国の専門家レベルで具体的な検討に入る段階を迎えている。観光問題で中国の団体観光客の対象地域の拡大について、二十五周年の機会に、さらに前進させること等を述べ、胡総書記から丁寧な所感が述べられ、実に印象的な意義の深い会談となりました。






5月19日 15:15−16:30

 

胡錦濤国家主席との会談(人民大会堂)



5月19日 12:00−13:40

 

黄菊(こうぎく)中華人民共和国副総理との会見(釣魚台国賓館18号楼にて)



5月19日 13:45−14:55


5月19日 17:00−17:40


現地プレスに対する記者ブリーフィングは3回開催された


(釣魚台国賓館2号楼にて)



5月19日 18:00−19:45



唐家セン※ 中華人民共和国国務委員(前外交部長)との会見


(釣魚台国賓館12号楼にて)




※セン 王偏に「旋」



5月19日 09:15−10:30


李肇星(りけいせい)中華人民共和国外交部部長との会見後の見送り(外交部玄関にて)



5月19日 11:00−11:40



王家瑞(おうかずい)中国共産党対外連絡部長との会見(釣魚台国賓
館2号楼にて)


5月19日 21:00−21:30

 

何光?国家旅游局長との会談(釣魚台国賓館2号楼にて)







・ 2003年8月12日掲載


アジア観光の新しい波・香港会議と大賀蓮記念館海南島ボアオに建立


保守新党幹事長


衆議院議員


二 階  俊 博




 七月十四、十五日香港で開催された「新たなパラダイムにおける観光振興の国際会議」略称アジア観光活性化会議、別名「香港会議」に私は日本代表団の代表として、日本の旅行、観光、航空、鉄道等の各界の代表者と共に参加しました。県議会議員の中村裕一、花田健吉、前川勝久、浅井修一郎、藤山将材の各君も香港旅行中で、国際会議にも参加してくれました。




 この会議は、ニュージーランドのシプリー前首相や、アジアフォーラムの?曉松副理事長や、ロン・ヨンツー(香港会議)議長等、かねてよりの友人の皆さんから、アジアの観光交流の活性化について共に協力して、この際、アジア全体が観光振興に奮起しようではないか!日本はリーダー国として力を尽してもらいたいと熱心な呼びかけがあったのは、今年のはじめの頃でした。




 しかし突然のように大きな災難がアジアを直撃しました。それは原因もわからないSARSの襲来でした。一時は観光フォーラムどころの話ではなく、大きなショックに見舞われました。


しかし、考えてみれば、困っている時にこそ我々は、友人としてアジアが協力して立ち上がる道を見出さなくてはなりません。




 この度の「香港会議」の打診があった時、私は二つ返事で「やりましょう!」と答えました。


国内最大の旅行業界を代表する「日本旅行業協会」(JATA)の新町会長、国土交通省の幹部の皆さん等のご熱意により、日本代表団が結成されました。




 香港には、アジア各国の閣僚や、他の地域の観光関係のリーダー達も集結しました。その数四十八カ国を数えました。




 私は日本代表として大要、次のようなスピーチを行いました。


「SARSの災難に対するお見舞。観光は人間同士が国境を越え、互に尊敬の念を深め、世界平和にも貢献できる。観光産業は新しい世紀の世界のリーディング産業である。地球規模の人類の大交流時代の幕開けに、アジアは群を抜いて先頭に立っている。今は、観光をめぐる『新しい波の到来』を世界が待望している。アジアの皆さん!『観光産業の再生と未来のために』共に力を尽すことを誓い合おうではありませんか!」


と呼びかけました。




 私は帰途、海南島のボアオに立ち寄り、海南省長や海南航空の社長等、旧知の友人達に盛大に迎えて頂きました。海南島とわが和歌山県の海南市と、これから交流してはどうかと提案しましたところ、海南島の皆さんは大賛成してくれました。




 アジアフォーラムの常設会場に、大賀蓮を植える計画をかねてより進めていましたが、完成した大きな池に見事に開花している「大賀蓮」「中日友誼蓮」「舞妃蓮」等の様子に接し、多くの参加者と共に私も感動一入でした。大賀一郎博士の愛弟子が阪本裕二先生で何れも故人ですが、私はこの阪本先生に日高高校時代に「生物」を教えて頂きました。二十五年の後、恩師と私との約束を見事に花を咲かせてくれたボアオのアジアフォーラムの皆さまに心から感謝を捧げたいと思います。




 来年には、大賀博士や阪本先生のご功績を讃えて、「蓮記念館」―「ボアオ東方文化苑・蓮花館」が建立されることになり、地鎮祭に参加しました。




 福田内閣官房長官からのお祝いのメッセージも頂戴して、日中平和条約結成二十五周年を飾る実に意義深いボアオの旅でした。






・ 2003年9月23日掲載


特攻の基地 知覧を訪ねて




去る九月一日から三日間、私たち保守新党の全国研修会「屋久島トップセミナー」は、九州を代表するような「屋久島いわさきホテル」で二百名の同志にお集まり頂き開催しました。屋久島は、先人が「神の領域」と称したと言われる神秘の島であり、世界遺産に登録されて十年、その風格を感じさせてくれるような巨大な島であります。私たちの郷土が誇る高野、熊野もいよいよ世界遺産に登録される日が近づいており、地元の町長さん達から道路の整備や、ごみ処理等の切実なご要望を伺いながら、明日は我が身ということで、早速、木村知事にもこのことを報告しておきました。和歌山県としても、地元の町村としても、今後の対応を考えておくことが大切だと思いました。


屋久島からの帰途、私は、友人たちと鹿児島の南端の特攻の基地知覧の町を訪ねました。かねてより作家の神坂次郎先生が書かれた「今日われ生きてあり」を拝読するとともに、その頃、神坂先生と対談させて頂く機会があり「知覧」のことは印象深く記憶に鮮やかでした。知覧特攻平和会館の前庭には、神坂先生の立派な文字碑が建立されていました。若人たちが次々と敵船艦をめがけて飛び立って行く姿や、近所の軍の指定食堂のおばさんに、「自分は必ずホタルになって帰ってくるからーーー」と言い残して戦場に趣いた若き特攻隊員の様子を神坂文学は余す所なく伝えてくれています。神坂先生に早速、お電話を入れて「今、知覧にお伺いしております」と伝えました。平和会館の前には、知覧の霜出勘平町長さんが出迎えてくれており、会館内では松元理事さんがとても詳しく説明してくれました。暴走族の茶髪の高校生から「僕と同じ世代の若者がお国の為に自らの命を犠牲にされた。それなのに自分は毎日一体何をしているのか、誠に恥ずかしい。僕はもう、暴走族をやめます」との手紙をもらった等も紹介してくれました。最近は修学旅行の生徒や、JCの方々等も訪ねてくれますと話してくれました。私が和歌山県の出身であることを知ると、和歌山県の隊員の当時の様子を詳しく語ってくれました。和歌山市の人、川辺町の人、美浜町の人、御坊市の人、那智勝浦町の人、何れも若く立派な隊員が、遺書を残して、突撃して行かれた様子は涙が自然にあふれて来ます。「この御坊の人『中本甚之助』さんだけ遺族と連絡がとれません」とのことでした。「番地から、きっと私の近所の方です。必ず捜して来ますからーーー」と約束しました。柏木御坊市長に捜していただいたところ、ご遺族の中本七美さんは、偶然にも私の同級生でした。近く、お伺いして最近の知覧の様子をお伝えしたいと思っております。




-----2002年-----


・ 2002年7月30日掲載


地震、雷、火事、おやじ








―――古くから言い伝えられている。中でも阪神淡路大震災の大災害を近くで経験した私たちは、地震の恐ろしさをあらためて再確認させられた。




 近ごろ、津波の被害を広範囲に及ぼすと言われる大規模な南海地震が、今世紀前半、これから三十年の間に四十%の確率で襲ってくる可能性が高いことを、科学的な根拠に基づいて忠告されている。これを政治としても行政としても、このまま放置しておくことは許されることではない。


 このような思いでいるときに、木村知事をはじめ県下の市町村長の方々から、南海地震に備えて「地震防災対策」に関する法律が必要だというご要請がありました。私は、これは政府提案を期待するよりも、議員立法で一日も早い成立を図るべきだと判断しました。


 三党幹事長で相談の結果、早速、与党プロジェクトチームをつくることを決めました。


 私は同時に、県当局からもご意見を伺いながら、法案の準備を進めました。政府側では国土交通省の気象庁長官、内閣府の審議官、政策統括官、文部科学省の研究開発局長等とも協議を重ねながら、衆議院法制局と最終的な詰め作業を行い法案を作りました。直ちに与党三党の審査をお願いして承認を得た後、六月十九日、衆議院事務総長に対し、法案提出を行いました。続いて野党各党の国会対策委員長に法案の説明に足を運びました。


 その後、関係国会議員の熱心なご協力のおかげで、衆議院災害対策特別委員会、衆議院本会議を経て、参院災害特、七月十九日参議院本会議において全党の賛成を得て成立させることができました。


 超スピードで法律が成立したことによって、自民党の山崎幹事長や公明党の冬柴幹事長も「憲政史上、最速で法律を成立させることができた」と喜んでくれました。この法律の目的は、地震防災対策の推進を図ること。総理大臣が防災対策推進地域を指定する。基本計画の策定。地震観測施設等の整備。さらに財政上の配慮等、国は必要な財政上、金融上の配慮を定めております。さらに衆院、参院においては、地方公共団体の組織体制の充実、予知のための科学的技術水準の向上に努めること。定期的な避難訓練の実施、津波災害の防止のための港湾整備の速やかな実施。復旧をスピーディに推進するためのハザードマップや電子図面の整備、ライフラインの復旧について国、地方が協調・協力する等付帯決議をしました。


 八月五日午後二時より南部ロイヤルホテルにおいて、「南海地震に備えるシンポジウム」が開催されますが、山本気象庁長官、木村知事等とともに私も出席させて頂くつもりにしています。


県民の皆さんとともに自然災害の被害を最小限に抑えるために努力を傾けなければならない。






・ 2002年9月10日掲載


インドネシア訪問








八月十五日から十九日まで、与党三党幹事長、国対委員長等でインドネシアを訪問しました。インドネシアの五十七回目の独立記念式典に招待された機会にメガワティ大統領をはじめ、副大統や国会議長、大蔵、内務、その他主要閣僚及びバリ州知事等との会談が目的でした。




 メガワティ大統領には小泉総理からの信書を携えて約一時間にわたっての会談が行われました。




 かねてよりインドネシアは親日の国とは承知していましたが、大統領は日本の支援と協力に感謝をすると同時に、近く国際会議で小泉総理と顔を合わせる機会が二・三度ありますが、その際、二国間の首脳会談を是非希望するとのことでした。勿論、小泉総理にお伝えしておきました。




日本インドネシア友好議連会長の山崎自民党幹事長からは、「アジア太平洋の平和と安定の為にも日本は貴国の政治、社会、経済の安定が確保されることを望んでいる。二〇〇四年六月に最初の正副大統領の選挙が行われることは、貴大統領の正当性をより高め政治能力を内外に示すことになり期待をしている。」と述べられました。




 冬柴公明党幹事長からは、「インドネシアの外国投資を誘致する条件は司法、警察の改革と、治安の回復が重要である」と指摘されました。




 私からは、首都ジャカルタの発展の様子は熱気が感じられる。これからのさらなる発展のためには、環境問題、公害対策が重要だ。自動車や自動二輪等の生産も盛んですが、これからアジア各国へ輸出をするためには、環境問題に配慮したものでなければならない。




 また、観光問題で、バリ島等へ日本から年間三十六万人程度の観光客が訪れて、バリ島の人気も素晴らしい。やがて五十万人、百万人という時代もそう遠い夢ではない。しかし昨今、日本人観光客が犯罪に巻き込まれたり、被害が多くなっている。このような情報が続くと日本人観光客の足が止まってしまう。そこで貴国及び関係州において、犯罪の取締りを強化され、日本人が安心して旅行が出来るよう配慮して頂きたい旨申し上げました。




 さらに、日イ両国は地勢学的にも共通している面もあり、地震災害等について、共同研究や情報交換等を行うことは有益なことだと思うと述べました。




 大統領は、自然災害については最近気象庁を独立した官庁として真剣に取り組んでいる。是非小泉総理とも話し合いたい。




 さらに、環境問題については先般もバリ島で「環境のバリ会議」を主催する等環境問題には今後も力を入れていくとの決意が述べられました。最後に大統領はこの国が最も重要とすることは、水と食糧の問題だと言われました。




 農業問題の重要性を特に強調されたわけですが、この面での日本の技術協力も大いに期待されているようです。




私たちは世界の国々に対し、日本が何を為し得るかを考えながら、尊敬と信頼を集める為国家としての努力を重ねることがやがて国益につながるものと思いました。




・ 2002年10月22日掲載


インドモービル・スズキインターナショナルを訪ねて


衆議院議員・保守党幹事長


二 階 俊 博








 前号でインドネシアの独立記念式典に、出席した際のレポートをしました。八月十六日でしたが、要人会談の合間の午前中の自由行動の時間を活用して私は、スズキ自動車の合弁会社「インドモービル・スズキ・インターナショナル」を訪問することにした。




 現農林水産大臣の大島理森自民党国対委員長(当時)と、現経済産業副大臣の西川太一郎保守党国対副委員長(当時)が、一緒に行ってくれることになった。




 ジャカルタからハイウェイを約一時間位走ったところに、タンブンという町に大きな工場が元気よく動いていた。




 ジャカルタのホテルまで迎えに来てくれたスズキの代表者で、合弁会社の松永和己副社長の案内で、インドネシア側の代表者や、会社の幹部が出迎えてくれた。




 会社は一九九一年一月、資本金四,五〇〇万ドルで設立された。インドネシア側が五一%スズキ側四九%の株主の構成で、日本人の駐在員が十九名で現地採用者四,二四九名とのことであり、臨時を含める約六千名が働いている大工場でした。




 営業実績は昨年は、四輪社の販売台数が五三,一九〇台、二輪車の販売台数二九九,六四五台併せて、三五二,八三五台の実績を誇り、インドネシア経済に大きな貢献をされている様子は心強かった。




 売上高は、二〇〇一年の実績が六兆一,九〇五億ルピア(約六一九億円)、二〇〇二年の修正売上計画は八兆三,五八〇億ルピア(約八三六億円)となっているとのことであった。


工場の中は整然としており、若い男女が、キビキビと働いている様子は一見してこの合弁会社は成功しているなと感じました。




 工場の中に休憩中のオヤツでしょうか、生卵が篭に山盛りになって置いてあった。尋ねますと工場長は、「これは社員の栄養補給のため開業当時から続けています。しかしこの頃は、生活レベルも上がって来ましたのでこれを廃止して、お金で支給するようにしては、とも考えています」とのことでした。




 




 しかし日本では考えられないことですが、従業員に対する会社側の配慮が何となく嬉しく、ほほえましく感じる。記念撮影を求められたりしましたが、如何にも真面目そうな、社員の皆さんに労いの言葉をかけながら、スズキさんも立派なことをしてくれているなあと一同から賞賛の声が上がりました。




 日本を出発する前日、旧知の鈴木修会長にお目にかかった際、インドネシアに工場ありますかと尋ねたところ「ありますよ、是非立ち寄ってくださいよ」とお誘いを受けての訪問でしたが、インドネシア国内だけではなくこれからアセアン諸国へ輸出をしようという意気込みに、大いに拍手を贈ると共に社員の皆さんの、お顔を思い浮かべながらその成功を祈っている。






・ 2002年12月 3日掲載


人民大会堂 祝福の両国代表に笑顔


衆議院議員・保守党幹事長


二 階 俊 博


 今年の秋、日本と中国が国交正常化三十周年の記念すべき日を迎えました。
 盛り沢山の記念行事が計画されましたが、中でも圧巻は九月二十二日、北京の人民大会堂に集結した一万三千人の日本からの訪問団でした。
 人民大会堂が狭く感じられる程の人・人・人の集まりと三十周年を祝福する両国を代表する人たちのこぼれるような笑顔は、何よりもこの日中大交流の企画の成功を物語っていました。二〇〇〇年の五月二十日、私は当時、運輸大臣として五千名の同志とご一緒に人民大会堂を訪問して以来、気の早い中国の友人たちから今度は「一万人」と言われておりました。今回は参加一万三千人の人々の訪中を記念して、一万三千本の記念植樹を北京の郊外の万里の長城の八達嶺で行いました。
 そして、参加者全員のお名前を刻んだネームプレートを立てることにしました。この快挙を子々孫々に語り継ごうという趣旨であります。何と言っても五千人の時も一万三千人の時も、江澤民国家主席、胡錦涛国家副主席(次期国家主席)をはじめ、中国側要人がお揃いで式典に出席されたことは、日中国交の歴史に新しい一ページを飾るにふさわしいことでありました。
 二〇〇〇年の時の江主席の重要講話記念碑が、木村知事や脇中田辺市長を先頭に建立の準備が進められています。今日十一月二十七日、友人の蒋曉松氏のお引合わせで、来日中の江澤民閣下のご長男で、上海城市発展研究センターの主任の江綿恒先生と食事を共にしながらご一行と歓談の機会を得ました。二代にわたるご縁に感激一入の思いであります。