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弔辞
岩崎 亀

 遠藤三郎先生
 今を去る二十有余年前の昭和二十四年一月以来先生に対し、冨岳の重きにたとえるほどの大きな信頼と敬慕とを捧げつくし、鉄の団結と誇り高き伝統をもち続けて今日に至りました総勢五万余を数える「遠藤会総連合会」の会員各位を代表致し、ここにつつしんで先生のご霊前に最後のお別れを申し述べます。
 遠藤三郎先生
臘年二十七日、その日も先生はお元気に登院なされ数々の要務を果されて夕刻ご帰宅のあとご食事中全く突然に幽明境を異にされました。
 おそばにあられた御奥様のご胸中、ご最後に臨む機を得られなかったお子様方の心中を拝察するとき、ほんとうに断腸の思いが致します。
 悲しい計報に接しました私どもの驚愕と、悲愁と、哀惜の念は如何ばかりでございましたことか………  
噫、ほんとうに惜しい方を亡くした、本当に地方のために竭しぬいてこられた偉大な先生を失ってしまった、大変なことになったという実感が時を経るにつれてひしひしと胸に迫ってまいりました。
 新聞も、巨星消ゆ″と報じ先生の政治的ご功業をたたえ、深い惜別の意を表しました。
 今日、日本の内外情勢極めて多端な折りに際して先生の如き真筆練達の政治家を失いましたことは郷党は申すに及ばず、真に国家の大きな損失というも過言ではないと信じます。
 遠藤三郎先生
先生は政治を志されるに当たり、その師とも、また鑑ともして郷土の先覚者江原素六先生を渇仰されておられました。
 先生のお話の中に?々ふるさとの山、富士山のことと、江原素六先生のことが出てまいりましたが、政治家の本領はすべて大局に立って事を処することは勿論ながら、先ず地元のことに文字通り粉骨砕身するにありとの不退転の信念を堅持され、これを厳しく実行されてまいりました。
 今、温顔の先生のご遺影を前に静かに先生と私どもが一心同体的に結ばれてまいりました。
 越し方を顧みつつ先生の数えきれない多くのご功績を想起致しますとき、その一つ一つが、先生の純粋なる熱血の郷土愛より発する結晶にほかならぬことに改めて限りない感激と邁腔の感謝を抑えることは出来ませぬ。
 遠藤三郎先生
明治の中葉、第一通常議会が開かれましてから既に八十二年、この間、富士川以東の当地からは幾多のすぐれた政治家が輩出改しましたが、先生のようにこの地に生を享けられ、この地に学ばれ、のちにこの地より衆議院議員に選ばれて回を重ねること実に連続九回を数え、加え大臣の栄位に就かれましたことは、遠藤先生をおいて他にこれをもとめることは出来ませぬ。
 真に偉なる哉と申すほかなく、私ども遠藤会員のひとしく誇りとするところでありました。
 おそらく先生ほどに地元のことについて献身的に没頭して尽力を竭され枚挙にいとまなき輝かしいご業績を挙げられた政治家はあるまいと存じます。
 遠藤三郎先生
数々のご業績の中でも、昭和三十三年秋の狩野川台風による大災害の事後処理のご苦心、建設大臣としての重責を遺憾なく果され、今日の整斉とした田方平野と狩野川放水路の実現を見ましたこと、また南伊豆への夜明けとさえいわれた伊豆急電鉄の乗入れ実現に尽されたご努力、そして現今、帝都の交通動脈をなして居ります首都高速道路の生みの親として、また世界にもほこれる東名高速道路建設の原動力となられました政治力、その先見性の素晴しさは永く後世に語り継がれることでありましょう。
 遠藤三郎先生
先生のご功業に対し、畏くも正三位に叙せられ、勲一等瑞宝章を授けられる光栄を拝され、私どもの感激また一入なるものがございます。
 遠藤三郎先生
ほんとうに長い間ご苦労をおかけ申しました。
 御高恩のほど厚く厚く御礼申し上げます。
 最後に私どもは、長い間先生から賜わりましたご指導を胸に、真に国民と共に歩む正しい政治の道を進み、地域のために今後とも力をあわせ尽力してまいることを鞏くお誓い申し上げます。
 どうぞ安らかにお眠り下さい。
衷心よりご冥福を祈り申し上げ、おわかれを申し上げます。

     昭和四十七年一月十一日
(遠藤会総連合会会長)

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