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二人の本塁打王の英姿

2009.12.22掲載

衆 議 院 議 員

二 階  俊 博


 和歌山県日高郡美浜町三尾、日の岬パークのアメリカ村カナダ移民資料館の傍らに、ホームラン王として世界記録を持つ、王貞治・現ソフトバンクホークス球団取締役会長と、アメリカ大リーグを代表するホームラン王のハンク・アーロン氏のユニフォーム姿を展示しており、今人気を呼んでいる。

 先日、王さんにお目にかかった際、地元紙に掲載されたお二人の英姿をお見せしたところ大変喜んで頂き、「二人のユニフォーム姿を一緒に展示して頂いているところは日の岬パークだけですね」と言われた。王さんが言われるのだから間違いない。
ところで、このお二人の世界の野球界のスーパースターのユニフォーム姿が、何故日の岬パークに展示されるようになったのか、尋ねられることが多い。物語は十九年前に遡る。一九九〇年七月、私は当時運輸政務次官で、第一回日米観光協議の共同議長をつとめるため、日本の観光関係の専門家の皆さんと共にワシントンを訪れた。 

 会議を終えてから、アメリカ側の要望に応えていくつかの都市を訪問し、日本との観光交流について意見を交換した。その一つ、アトランタ市(ジョージア州の州都)訪問の際、思いがけないシーンが待っていた。アトランタは六年後にオリンピックの開幕を控えており「観光」に力を入れていた。交流の会場にアトランタの市長代理として、市の外交顧問が出席しておられた。その人が元エチオピアの駐日大使であられたアベベ・ケベデ氏であるということに私が気付くまで、時間はかからなかった。実はケベデ駐日大使が在任していた当時は、エチオピアの政治情勢が混乱しており、大使は東京のアメリカ大使館へ亡命をされた。日本エチオピア友好議連の事務局長である私は、在任中の大使の訪問を何回か受けて、食事を共にしたこともあり、また対談をさせて頂いた仲でもあった。「亡命」―――という、私たち日本人ではほとんど経験の少ないことを現職の駐日大使が行い、私たちの前から姿を消してしまわれた。アメリカへ向かわれたということであったが消息は全く不明であった。アメリカの大学に学び、後にエチオピア航空の重役を務め、さらに大臣も務められ、昭和六〇年に日本の大使に着任された。大使時代は常に民族衣装姿で堂々としておられた。亡命という数奇な運命を歩まれた大使のご様子にびっくりすると共に、再会出来たことをお互いにとても嬉しく思った。市長代理としてのスピーチの中で、大使は私とのことに触れて「アトランタのオリンピックの時は是非観戦に来て下さい。そしてその時は私の家に泊って下さい。妻もきっと喜ぶでしょうから・・・・」とみんなの前で感動的なスピーチをしてくれた。一年後コスタリカを訪問した際、乗り継ぎで再びアトランタに立ち寄った。大使と昼食を共にした際、「ハンク・アーロンのサイン入りユニフォームを送るから息子さんにあげてくれ」と言われた。しばらくして小包みが届き、約束のハンク・アーロンのユニフォームだった。大使の折角のご好意を私の家族だけで頂戴するのは如何かと思い、ずっとチャンスを伺っていたところ、王監督からもご厚意を頂いた。これは、私たちの地域にとっても久々の快挙であり、オバマ大統領初来日の秋、日米友好のシンボルがまた一つアメリカ村に誕生することになった。

 

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