ホーム プロフィール 著書など ニュース ライブラリ 明日のふるさとを考える青年の会

 

 

「日本トルコ友好120周年」

 2010.12.28掲載

衆 議 院 議 員

日本トルコ友好議員連盟会長

二 階  俊 博


私が最初にトルコ国を訪問したのは、87年の夏の頃であった。アフリカのチュニジア、カメルーン、コートジボアール等をスポーツ文化交流使節団の団長としてバレーボールの全日本監督(当時)の小島孝治氏や東京マンドリンアンサンブルの竹内郁子さん、茶道の池ノ坊の師範 稲葉英男氏等にもご参加頂いた。一行は小松宮殿下訪土一〇〇年記念事業として日本・トルコ友好議連の会長の金丸信先生の親書を携え、イスタンブールでバレーボール、マンドリンコンサート、生け花のデモンストレーション等を行い、私とトルコとの友好親善の一歩となりました。
この時、トルコの有力者の方々から日本―トルコ航空路線開設への強い要望を受けて、渡部恒三先生のご指導を頂きながら、直行便実現に汗を流した想い出があります。
翌88年の7月、全日空機をチャーターし、金丸先生に団長を引受けて頂き、私が事務局長として、国会議員三〇名、各界から二七〇名のご参加を頂きました。巾広い参加者の中には現総理の管直人氏も国会議員として参加され、記念写真にも若い日の姿が撮っています。
日本とトルコの協力で建設された「第二ボスポラス橋」の開通式に参列することが主な目的でした。当時のオザール首相(故人)は「トルコと日本はアジア大陸の風俗習慣を守っている国民です。トルコは先進経済大国たる日本を自国の模範としています。トルコはやがて、この地域における日本になろうと努力しています」と述べられました。
この時の模様を地元紙に、私は「友好百年の絆」と題して投稿させて頂いた。
和歌山県とトルコとの友好の歴史は、今や誰もが知る両国の大きな親善の絆となっている。
関係者のご努力により、着々とこの友好が前進していることは嬉しい限りです。今から一二〇年前、串本町大島の樫野埼で、トルコのエルトゥールル号が台風の直撃を受けて遭難の際、乗員六五〇名のうちの五八一名が死亡するという大惨事が発生しました。
当時の串本の住民の皆さんや県当局の人道的な救難活動は、今も両国民の間でこのことは語り継がれています。
今年の夏、仁坂知事、谷県議会議長、前芝県議会議員、田嶋串本町長のほか、県民有志の皆さん一八〇名が大挙して「トルコにおける日本年」に訪問されました。
一二〇年の友好親善の歴史は、先の十二月の県議会において、前芝県議会議員より雄弁に語られ、やがて友好の絆は映画化されるまで期待は膨らんでおります。
私は、先般、友好一二〇年の全国旅行業協会の記念行事として、全国から集まった三百名の団員の皆さんと共にトルコを訪問しました。
知事や、串本町長からのメッセージをお届けすると共に、映画監督の田中光敏氏からトルコ語になった脚本をギュル大統領にお届けする等も致しました。
イスタンブールで開かれた歓迎の夕べでは、「全てのトルコ人は、世界で一番好きな国は日本だ」と口を揃えて語ってくれていました。
金丸ミッションから数えて二十一年目の訪問であり、あの頃は「友好百年の絆」と呼んでいたものが、すでに百二十周年を数えるに至りました。日本とトルコの友好議員連盟も、渡部恒三先生を名誉会長に、私が会長に、逢沢一郎自民党国対委員長、西博義公明党組織委員長に副会長、大畠経済産業大臣に幹事長をお願いして、まさに超党派で有力議員に顔を揃えて頂いて、再スタートしました。日本側の横路孝弘衆議院議長、トルコ側のシャーヒン議長やカフカス議連会長等も友好議員連盟の活動開始をとても喜んでくれています。「トルコの青年男女が日本で働いて両国の親善に勤めたい」「人物については在トルコ田中大使が責任を持つ」と言ってくれています。
来る年は百二十一年目の最初の年。両国の経済交流も盛んになり、さらに素晴らしい第一歩となるよう頑張ることを誓いたい。

 

上へ 進む

検索語   検索ガイド