自民党津波対策議員連盟による現地調査団レポート

自民党津波対策議員連盟の現地調査団は3月30日団長二階俊博(自民党津波対策議員連盟会長)衆議院議員・武部勤(自民党津波対策議員連盟顧問・元党幹事長)衆議院議員・林幹雄(自民党津波対策議員連盟幹事長・元国家公安委員長)衆議院議員・松本純(自民党副幹事長・元内閣官房副長官)衆議院議員・泉信也(前自民党津波議員連盟会長・元国家公安委員長)前参議院議員の一行5名は3月30日午前9時半羽田発の日航機で、岩手県の花巻空港に向け出発。
遠野市釜石市大槌町、自衛隊基地、新日鉄釜石製鉄所等を調査した。
以下はそのレポート。

「これより先 津波浸水想定区域」という道路の看板が見える。振り返ると、裏側には「ここまで 津波浸水区域」と表示されている。日頃は、住民の皆さんはこれを、来襲する津波から身を守るひとつの目安としていたことが伺える。しかし目の前に展開されている目を覆うばかりの惨状は、残念ながらこの看板の表示が何の意味も持たなかったことを物語っている。 
調査団は、後方支援の中心地、遠野市を先ず訪ねた。ここは甚大な被害を受けた、陸前高田市から宮古市へ至る沿岸部支援の中心地である。遠野運動公園には自衛隊第9後方支援連隊が援助活動を展開し、今もなお救助、支援の両面から懸命の活動を続けてくれている。遠野市長は、米、日用品の不足を訴え、活動のための財政支援などを要請している。被災地の街角には他県から派遣された警察官が、交通整理に当たっている。被災地において、自衛隊の活動、警察の活躍に対し評価は高い。釜石市の中心部は激しい被災を蒙っている。かろうじて姿を残す家屋の前面には、亡くなられた人がいたことを示す×印がやたらに目に入る。新日鉄釜石製鉄所も甚大な被害を受けており、岸壁等港湾施設の復旧も急がれている。民間企業の港湾も早期復旧のために公的支援を必要としている。
大槌町の市街地はほぼ壊滅状態である。町長はじめ500余名の死者、約1千人の行方不明者、約6千人の避難者という悲惨な状況である。高台にある大槌城址から、旧市街地がほぼ一望できる。実に惨憺たる有様である。昭和35年のチリ地震津波の時も無事だったJR山田線の鉄橋が、今回の津波で流失している。このことからしても、津波の規模が桁外れだったことが容易に想像される。驚くことに、被災後20日も過ぎたのに、今も被災者には毛布1枚しかなく、ガソリンも全く不足しているという。町長不在を預かる立場にある職員は、仮設住宅建設のための適地を探そうにも、平坦部は全域が被災地であり、途方にくれていた。復興の見通しも見えない中、今後どれほどの町民がこの故郷に戻ってきてくれるのか、不安げな顔は見るに忍びないものであった。大槌城址のすぐ下は、段々畑のように墓地が並んでいる。怒涛のような津波を見、跡形も見えなくなっている、町の惨状を目の当たりにしているお墓も、町の復興いかんによっては、その行く末が案じられる。
 「避難すれば助かる」と古くから識者は指摘してきた。かって小学校の教科書で有名な「稲むらの火」も、逃げることの意味が重要なことを教えていた。しかしこれらの教訓も、日々の生活の中に埋没していたかも知れない。逃げようにも逃げられなかった方もおられたのだろうと想うと胸が痛む。逃げたけれども、押し寄せる津波に追いつかれて一飲みにされた人々。今となっては、お亡くなりになられた方々のご冥福を、私たちは心からお祈りしなければなりません。前途の復興の絵姿も描けず、心身ともに窮状にある被災者の方々が立ち上がることの出来る対策の手を差しのべることが何よりも重要である。そして自然の計り知れない脅威の前に、われわれは、これら被災地復興の方策を一日も早く打ち立てなければなりません。それは全く新しい視点に立った画期的な復興策でなければならない。我々の住む日本の国土は、常に地震や津波等の危機に晒されていることを忘れてはならない。
その意味ですでに昨年6月、国会に議員立法とし提出済みの「津波対策法案」を一日も早く成立させて、津波に対する国民意識の向上をはかり、「津波の日」等を定めて、津波災害の恐ろしさを忘れないようにして、災害から国民を守ることを政治の責任として、対策を日頃から築き上げることの重要なことをあらためて痛感した次第。

 

二階俊博自民党津波対策議連会長の話

「阪神淡路地震の際、私は予算委員会で『何を犠牲にしても何を後回しにしても私達は日本人の力で神戸は立ち直りました。』と世界に向けて宣言できるようにしようと提言したことを今も覚えています。しかし、今回の現地調査を終えて、やはり、同じ言葉が浮かんで参ります。国家の総力を尽くして災害復旧と現地の人々が希望を持って立ち上がれるよう、努力を傾けたい。」