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衆議院議員 二階俊博

 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員岸本光造君は、今国会召集の直後に、郷里和歌山市の病院で逝去されました。
 昨年末に体調を崩され療養中でありましたが、私達は、あなたの一日も早い御回復をお祈りするとともに、近いうちに、必ず元気なお姿で、以前と変らぬ精力的な政治活動を再開なされるものと、誰もが信じて疑わなかったのであります。
 今年の一月六日のことでありました。和歌山県選出の国会議員の、三時間にわたるラジオ討論会に、病を押して東京から電話で参加された君は、今年の政局展望について、次のように語っておられました。
 『小泉内閣の改革を進めていくことについて、いろんな意見はありますが、改革をとことん進めていくことが、日本の未来に、つながっていくのではないか。多少の痛みは伴いますが、改革は進めていかなければならない。』と、しぼり出すような声で、強い決意を述べられました。
 しかし、残念ながら、私たちにとって、これが君の声を聞かせて頂く最後の言葉となってしまいました。
 その後、しばらくして郷里に帰られた君は、容体、にわかに急変され、最愛の奥様をはじめ、御家族の皆様の懸命の看病にもかかわらず、去る一月二十三日、六十一歳という若さでその生涯を閉じ、不帰の客となられました。
 君と私は、昭和五十年、ともに和歌山県議会議員選挙に初当選以来、当時の一年生議員十名をもって、清新自民党県議団を結成、互いに切磋琢磨しながら、「県政界に新風を」を合言葉に、ふるさと和歌山県の発展に若い情熱を傾けたのも、つい先ごろのように懐かしく想い起こされるのであります。
さらにその後、共に国政に参画の機会を得て、たとえ党派を異にしながらも、互いに声を掛け合いながら、同じ目的に向って歩んで参りました。
君の余りにも早過ぎる急逝の悲しい知らせに接し、まことに、惜しみても余りあり、痛恨の極みであります。
 私は、ご列席の各位の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
 君は昭和十五年十一月、有吉佐和子さんの小説「紀の川」で有名な清流の辺りに、美しい紀州富士を仰ぐ、豊かな自然の景勝に恵まれた、和歌山県はなが那賀郡粉河町で、みかん農業を営む父・健治氏、母・濱子さんの長男として生をうけられました。
 君の過ごされた少年期は、申すまでもなく、戦中・戦後の大変厳しい時代でありました。
 あたたかい御両親の愛情に包まれ、家業である、みかん農業の作業を手伝いながら、成長された君は、県立粉河高校を卒業の後、神奈川大学、法政大学大学院へと進まれました。
 君が学生生活を送られた時代は、六十年安保闘争の真っ只中でありました。その激しい時代のうねりの中、多感な「岸本青年」は、社会のもつ不平等に対し、若者らしい純粋な正義感を燃やし続け、さまざまな角度から学び、悩み、思索を繰り返す青春の日々を過ごされたのであります。

 特に同和問題に対しては、若い頃から強い関心を持ち、県議会の当時からも、人一倍、熱意をもって取り組んでこられました。そのきっかけとなったのは、高校時代に、何事も隠すことなく語り合ってきた無二の親友が、ある日、「おまえにも死んでも言えないことが一つだけある」と、一人で悩み、苦しみ、ただただ涙を流すばかりの、その友人の姿を目の当たりにして、同和問題の存在を知らされたのであります。
 それ以来、君は「同じ人間でありながら、なぜ差別をしたり、されたりするのか、これは絶対許せないことである」という熱い思いを抱くようになり、その思いが君の生涯を通して、「人にやさしい政治」を訴え続けてこられた、「人間・岸本光造君」の原点が、ここにあったのであります。
 大学院を卒業の後、京都短期大学で政治学の教師として、学究の道を歩まれました。その君が、政治家としての道へ転進の機会を得られたのは、和歌山県設置百年の記念論文の募集に応募された際、君の主張の「和泉かつらぎ山系研究学園都市構想」が見事に選ばれ、「研究学園都市構想」という形で、後の県の重要政策にも取り上げられたことにあるのであります。
 この事を知る郷土の皆さんの間から、君を県議会に送ろうという動きが、ほうはい澎湃としておこりました。当時の心境を「一身をなげうつ覚悟で期待に応えることを決断した」と、しばしば私たちに語ってくれました。
激戦の中を見事に初陣を飾られた君のその後の活躍は、実に目覚しく、教育者、研究者としての経験を活かして、教育改革や、同和問題に、水を得た魚の如く、積極的に取り組まれました。
 また全国有数のみかん生産県である和歌山県の農業振興の先頭に立って、努力を傾けてこられたのであります。
 とりわけ、オレンジ自由化の際は、自ら走り回って全国のみかん生産県に呼びかけ、「全国みかん生産府県、議会議員、対策協議会」を結成し、押されて、その会長として、みかん農家の生活安定のために尽くされた君の姿は、今でも全国のみかん生産者の間で語り継がれているのであります。
 君は、県会議員を務めること五期に亘り、その間、農林常任委員長、同和対策特別委員長、議会運営委員長、県議会副議長、そして平成二年七月には県議会議長に就任される等、和歌山県政の発展のために大きな役割を果たされました。
 県政界の第一人者としての活躍ぶりは、やがて政治改革を争点とした、平成五年の第四十回総選挙において、君は自由民主党公認候補として、当時の和歌山県第一区から勇躍立候補され、見事に初当選の栄冠に輝かれたのであります。
 国会議員になられてからの君は、ライフワークとしての人権・同和問題の改善に、文字通り熱い情熱を傾け、全力投球を続けてこられました。法務委員会においては、理事として、「人権擁護施策推進法」の成立に、また、逓信委員会においては、聴覚障害者の知る権利のために、字幕放送の発展にも尽くされました。一昨年には、議員立法である「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」の立案にたずさわり、その成立のために奮闘されたのであります。
 つい先日のことでありますが、「与党人権問題等に関する懇話会」の席に、いつもの元気者の君の姿が、もう何処にも見えないのであります。何とも言えない淋しさを覚えながら、私は先輩や同僚のお許しを得て「もしこの席に岸本議員がおられれば、何を言われるのだろうかと、先程から考えていました。折角、『人権擁護法案』が出来ましたが、やはりここは、三年位経過したところで見直しをはかるという付帯決議を付けてはどうか」と提案しましたところ、出席者全員のご賛同を得て、三年後見直しの方針が与党三党として決定されました。まさに、岸本議員のような、人間愛のほとばしるような政治家が、間違いなく私たちの心の中に生き続けていることを確認する瞬間でもありました。
 さらに君は、我が国農業の発展向上のためにも、専門的な知識を活かして、大いにご活躍されました。衆議院農林水産委員会においては理事を務め、自由民主党にあっては、農林水産部会長、果樹農業振興議員連盟幹事長などをつとめ、「二十一世紀には食料が必ず不足する。日本の食糧は国内で自給することが大切である」との信念に基づき、昨年三月、農産物緊急輸入制限の暫定措置発動に力を注がれたことは、記憶に新しいところであります。
 また県にあっては、和歌山県土地改良連合会会長として、常に農業者の立場に立って、関係者の期待に応えられたのであります。
 第二次橋本内閣においては、農林水産政務次官として、農林水産業の抜本的改革に精力的に取り組まれ「新しい農業基本法の制定」「米及び麦の新たな政策大綱の策定」「国有林野事業の改革」に代表されるように、将来に向けて、その確かな道筋を残されたのであります。君の農業にかける熱い想いと、力強いリーダーシップによって、我が国農政の歴史に輝かしいページを記すことが出来たのであります。
 さらに、中国、及び韓国との漁業協定の早期締結に尽力されるとともに、ローマでの国際連合農業機関総会、そしてジュネーブで開催された世界貿易機関閣僚会議において、日本政府代表として出席し、堂々たる演説を行い、我が国の主張を世界にアピールする事が出来ました。
 このようにして、岸本光造君の八面六臂の御活躍は本院議員に連続して当選されること三回、在職八年八ヶ月、あなたは、余りにも早く人生を駆け抜けられたことを恨むのであります。
 志半ばで倒れられた君の無念を案ずるとき、「今、しばし君に存分の活躍の場を」と想うのは恐らく彼を知る全ての同僚の思いであります。

 君の気さくで、決して飾ることのない、真実一路のお人柄は、多くの人々に愛され、先輩からも後輩からも敬われてまいりました。
 そして、常に郷土を思い、国家を愛した君は、政治のテーマには、一途なまでの真摯な姿で真正面から挑戦を続けてこられました。
 君は、政治家たるものの覚悟について、こう語っておられます。
「政治には、国民生活を豊かにする、平和で自由な世界を構築するという素晴らしい目標と理念がある。それゆえに、政治に関わる者の責任は重いのである。重いという言葉では足りぬ。責任のとり方は生か死かといったものでなければなるまい。そうでなければ国民の信頼を得られようか。」
 君の、自らの立場や利害損得を考えず、常に身体ごと物事にあたるという熱血かつ純粋な性格は、まさに「政治家・岸本光造」の真骨頂でありました。
 しかし、このような性格や、休むことを知らない人間機関車のような活動が、知らず知らずの内に、お体を損なうような結果を招いてしまったことは、政治家の宿命とは言え、誠にかえすがえすも残念であります。
 今あらためて、岸本光造君を失ったことは、和歌山県民はもとより、本院にとりましても、大いなる損失であります。
 岸本君、私どもは、もはやこの議場で、あの優しさにあふれた温顔に接することができなくなりました。
しかし、君の歩んでこられた輝かしい足跡と、その志は、私たち同僚議員の胸に、深く刻まれているのであります。
 ここに、謹んで岸本光造君の生前の御功績をたたえ、その人となりを偲び、心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼の言葉といたします。

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