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衆議院議員 二階俊博 代議士が語る「思い出の名曲」

―地震、関西国際空港10周年―

 ―和歌山大学観光学部―

ゲスト      衆議院議員 二階 俊博
                               
パーソナリティ 和歌山放送 宮上 明子 

2004年9月12日(日) PM2:00〜PM3:30

企画・製作:wbs和歌山放送
       http://wbs.co.jp   info@wbs.co.jp 

宮:リスナーの皆さんこんにちは!さてさて、コーヒーも入ったし、ケーキもこれでOK、という時間でしょうか。皆さん、宮上明子のラジオカフェをお送りしております。2時台、今日のゲストカフェは先程1時台にも申し上げました、衆議院議員の二階俊博さんを何と、生放送でこのゲストカフェに初めてお迎え致しました。二階さんこんにちは。

二:こんにちは。

宮:よろしくどうぞお願い致します。

二:こちらこそ、どうぞよろしく。

宮:お忙しい中をスタジオまでお越し頂きましたが、週末はだいたい和歌山にいらっしゃることが多いんですか。

二:えぇ、週末はもう出来るだけ選挙区へ帰ってくることにしております。

宮:そうなんですか。

二:だけど私の選挙区って言っても今は、33市町村ありますから…。

宮:3区というのは広いですよね。

二:面積にしますと、和歌山県の3分の2あるんでね。人口もこの南の方は多いんですが、それでもなかなか毎週帰ってきても、皆さんのところへお伺いするのはもうご無沙汰がちになりますからね。今日はこういうところへ呼んで頂いて、お話できることを嬉しく思います。

宮:こちらも嬉しく思います。よろしくお願い致します。簡単にですね、二階さんのプロフィール、振り返らせて頂きますが、1939年、昭和14年の2月のお生まれで、卯年なんですよね。私も卯年なんです。

二:あぁ、どうぞよろしく。

宮:はい、お願致します。

二:うさぎはかわいいんですけどね、ひとつ特徴は、バックしないんですよ。

宮:前進あるのみ…。

二:あれは山を駆け登っていく場合でも、後ろへバックしないように生態系がそうなっておるわけですよ。足がそんなになってるわけ。ですから後ろへ戻らないと。それで私は昭和50年、初めて和歌山県会議員の選挙に立候補する時はね、やはり干支がうさぎの年でした。

宮:実は私、その年に生まれました。

二:あぁ、そうですか、それはどうも。そんなことでね、私の後援会は新風会っていうんですが、新しい風をデザインするっていうのはものすごく難しいんですね。風っていったら、雲になっちゃうんですね。そんな中からうさぎはね、年賀状もうさぎだし、いろんな置物もうさぎが出てくるし、うさぎの年だとじゃあ自分もうさぎだし。うさぎは弱々しいからってみんな言われるんだけど、バックに少し厚かましいですが堂々とVサインを付けてあるんですよ。

宮:付いてますね。これはビクトリーのVになるんですね。

二:そういうことですね。

宮:「うさぎ」というと前進するというイメージと、かわいらしいですから女性にも受けるかなという風に私は考えたんですけれども。そしていつまでたっても始めて立候補したときのことを思い出されますよね。

二:そのデザインをしてくれた人たちも、広告の専門家から言えば、少しチェンジしたらいい、プロ野球のチームでも、そのほかでもマークを時々変えますわね。だから変えたほうがいいんだという意見もあります。だけどあれ以上のものが出来ないだろうと、そう思って…。

宮:ということで、うさぎのマークで通してらっしゃる。お父様が和歌山県の戦前は日高郡、戦後は御坊市選出の県会議員でいらっしゃいました。二階さんご自身は、中央大学を卒業なさった後、国会議員秘書をね、11年務められまして、秘書として修行していらっしゃった。遠藤代議士の死去に伴い、ふるさと和歌山県に帰ってお父様の後を継いで、御坊市選出の県議会議員として連続2期、務められました。そのあと衆議院議員ということで、政治の道まっしぐら。著書も多数あるということで…。

二:結果的に見ますと、大学出てすぐ国会議員の秘書になりましたから。そしてずーっとその延長線上にいましたので、他の社会といいますか、会社とか公務員とか、まぁ秘書も公務員の内でしょうがそういう意味ではなくて、お役所勤めという意味でのお給料を頂いたという経験が1回もないんです。

宮:なるほど。じゃあ、サラリーマンという経験はなく…。

二:秘書そのものがサラリーマンみたいなものですがね。しかし、明日をも保証されない立場ですからね、きついですよ。他の社会ではね、比較出来ませんね。国会議員の秘書はね、色んな時に問題になるでしょ。国会議員の秘書がどうしたこうしたってね。それはそれは本当は厳しいものだと思うんです。

宮:縁の下の力持ち…。

二:はい。ですから国会議員がいい秘書に恵まれるっていうことは政治家にとって一番大切なことでしょうね。自分もしっかりしてなきゃ、いい秘書なんて来ませんしね。そのいい秘書をどう、うまく活用、育てるかっていうことが大事でしょうしね。働きすぎて悪い事してもらっても困るわけですし、消極的で何もしないのも、これも困るし。ですからそこのところをね、私は偶然ですけど、11年間先生の秘書を務めて参りましたがね、本当に難しいことです。難しいことですが、このあいだその先生の生誕100年の記念の式典を皆でやらせて頂きました。遠藤先生のお生まれになった静岡県の富士山の麓の裾野市っていうところへ行って参りましたが、大勢の人たちがおいで頂きましてね。和歌山県の、私の支持者の方々は、本当は遠藤三郎さんという人と直接接したことのある人はいないんですが、みんな語り継がれた物語みたいなものを受けてね、それじゃ二階さんの師匠さんの生誕100年なら、みんなで行こう、ということでね、60人も静岡まで来てくれました。私も大変感激しましたが。集まっているかつての秘書の仲間とか、遠藤さんの本来の熱心な支援者とか、地元の市町村長、県会議員の皆さん、大勢見えてくれました。その中で、和歌山から来られた方です、と言ってみんな紹介されました。その数を見ましてね、びっくりして、こんなにって言ってね。本当に私は嬉しかったです。

宮:60人も、という風に…。

二:えぇそうです、遠路のところね。

宮:そうことも、ずっと秘書を務められていた頃からつながる、そういう活動があるわけですね。

二:そうですね。静岡県は私の第二のふるさとです。

宮:今週ね、二階さんに突然「来て頂けませんか」という話をしましたのが、ちょうど1週間前。日曜日、先週の5日夜に大きな地震が、新宮市が1番大きかったわけですけど、ありました。その時の対応などについて、これからお伺いをして参ります。二階俊博さんは、東南海・南海地震対策議員連盟の会長も務めていらっしゃるんですよね。今回ね、地震の1度目が夜の7時7分でして、11時57分の地震の時には津波警報が出たんですが、それに対応して避難勧告を出したのは、和歌山県内では、和歌山市と那智勝浦町だけなんですよね。それで、なんか出すんなら沿岸全部出せばいいんじゃないかと私も素人感覚で思うんですけれども。そうした対応のバラつきがあったり、あるいはもうちょっと早く出ても良かったんじゃないかなと、私なんかどういう風な手順で決まっているのかなって考えるんですが…。

二:大変難しいんですね。

宮:難しいんですか。

二:私はね、北海道の有珠山が爆発する直前、北海道開発庁長官と運輸大臣ですから、運輸大臣は気象庁ですから、いずれにしても私が責任者であることに違いないんですが。気象庁長官など色々な人の意見を聞いておると、有珠山がやがて爆発するだろうなと、こう思うわけです。これで避難勧告を出しますとね、避難はしたが、爆発しないじゃないかと、こういうことが起きてしまいますね。そして例えば東海地震の場合ならね、新幹線と東名高速道路をストップするわけですよ。そしたらこれで3日も止めておきますとね、経済はマヒしちゃうと。地震も来なきゃ、何にも来ないじゃないかということになる。その時のこの、スイッチ・オンすると言いますかね、決断するということが大変難しいんですが、これからやっぱり人命が大事ですから、少し余分にといいますか、少し、多い目の配慮で、事前に避難勧告をした後でね、その判断を責めないで、みんなでその勧告に従うという訓練をしておかないとね、いざという時には、間に合わないと思います。私はその有珠山の時は、2日前でした。避難勧告をしようと、18000人の人を避難して頂いたんですね。で、その後、有珠山が爆発したんですよ。爆発しなかった場合はどうするかというと、私はもう、役所、役人の責任ではないと、そのときは、私が北海道にお詫びに行くと、だから遠慮しないでやれと、いうことでやったんですよ。だけどそういう経験からしましても、この避難勧告に踏み切るっていうのはね、なかなか難しいんですよ。

宮:大きな影響がまぁ、経済もそうですし、ありますよね。

二:そして、そんなことをしょっちゅう言っとって、来ないということになると、今度、そんなことがあったとすれば、これ、狼少年といってね。来るぞ、来るぞと言って、来ないじゃないか…。

宮:住民の方が今度はそういう気持になるんですね。

二:だけど、今度の地震はね、大分みんなは恐怖を感じたですよね。あの地震、一日に二度も来たもんですから。それに津波が加わってくるとね。ですから不幸中の幸いですがね、和歌山県民の皆さんの理解は少し進んだんじゃないんですか。

宮:どういう状態になるかっていう…。

二:災害に対して、どうだという。そして時速100キロなんていうスピードでね、来る津波に対してね、速く逃げておかないとね、津波を見ながら逃げるというわけにはいかないんですよ。

宮:追いつかれますからね、すぐに。

二:それで津波とか、水かさが増してくるとね、人は皆、見に行きたいんですよ、それを…。

宮:近寄る人がどうしてもね…。

二:えぇ、私は七・一八水害っていう昔の、昭和28年ですがね、大水害が起こって、この和歌山県の有田郡とか、日高郡、何百人っていう人が死んだような、大きな災害だったんですが。その時私は中学生でしたよ。やっぱり一遍洪水っていうのをね、見てみたいなっていう気持はあったんですけどね、もう、水かさが増してくるときは一挙ですね。大変なもんです。そのうちね、道路を船があちこちしたり、牛や馬が流されて、そこを通ったり、大変なことでしたよ。

宮:そういう、思わず見に行きたくなるっていうような気持も起こるんですが、それはもう逃げるっていうことですね。

二:山の方へね。高いところへ逃げて下さい!

宮:直ちに逃げるべきか、悩むんですよね。

二:そのときは県なり、市町村なりが、避難勧告があった場合にはね、それにやっぱり住民の皆さんは従っていただくことです。これは安全と命を守るためには大事なこと。そして元気な人がまず逃げてもね、お年寄りやからだのご不自由な人が本当に逃げきれてるかっていうのを確かめようとしてもね、かなり時間がやっぱりかかりますよ。ですから早くスタートできる人は早くスタートして、今度、避難場所の確保も日頃から大事ですしね。色んなこと、大事なこと、いっぱいあると思うんです。

宮:今回は和歌山県が再度徹底を図るために、警報が出れば、勧告を出すように求めたんですよね。今回バラバラだったということで…。

二:ですから、警報出したのに逃げてくれなかったところも、あるように聞きますがね。

宮:あるいは勧告出しても、和歌山市なんかもそうだったと思いますが、避難所に誰も来ないというところがありましたしね。

二:ですから、今度は、この間は、ある意味でいい経験っていうか、良い勉強、教訓を与えてくれた、いうふうな感じですね。これは一般の住民の皆さんがそういうことで、現場が混乱するのは無理もないことで。政府の対応でもね、みんなバラバラですよ。

宮:そうなんですか。

二:ですからそれはね、私は先程ご紹介のあったように、東南海・南海地震、これを法律を私は議員立法で作りましたからね。責任上、この法律だけを作っておけばいいというわけではなく、法律に基づいて、本当の意味で、東南海・南海地震に襲われたときの私たちの県民、あるいは地域住民の皆さんの対応っていうのをどうするかっていうのは、これは政治的に1番大事なことだと思っておりましたからね。関係県の皆さんが私のところへ持ってきましてね、私に会長をやれって言うからね、それで、これこそ逃げるわけにはいかないからやりましょう、と。そしてすぐに今度の地震ですよ。あれは日曜日だったでしょ。私は月曜日の2時に東南海・南海地震に関係する議員連盟、幹部みんな招集かけましてね。まだ午前中選挙区にいる人たちもおりました。選挙区のお見舞いに回ることも大事なことだけど、この際はどう対応するかっていうことをね、つまり月曜日、地震の翌日、今日やらなきゃ意味がないと。今日やることは政府に与える影響、あるいは各県に与える影響、本気だぞっていうことをやらなきゃね、ダラダラして週半ばにやることではダメだと、今やらなきゃダメだっていうことでね、強引にやったんですよ。そして各省の責任者をみんな呼びましてね。それから各県、高知、徳島、それから、三重、和歌山と4県なんですがね、来れる人、代表者出て下さい、ということで、みんな来てもらってそれぞれの県の事情等話してもらうし、政府からも説明してもらったんですがね。私の手元に届いた資料から見ますとね、防衛庁の対応がね、偵察機とか、航空機を出して、調査に入るということがね、6日の0時27分以降ですね。ですから2つ目の地震があって30分後ですね。海上保安庁が、0時ジャストに本部を設置した、と。それから第5管区っていうのは神戸にあります。この第5管区が非常の配備ですね、配備体制をとったのが0時10分、巡視艇29隻、航空機5機、被害状況を調査実施。もうこれは、やらないよりもやってもらった方が大事なことですけれども、もう少し最初の、宵の内の地震から2度目の地震の間、相当時間があるわけです。

宮:そうですね。

二:ただ、残念なことにね、この日はお休みの日なんです。それから夜でしょ。まぁ役所でいうとウィークデーでもお仕事おしまいの後の時間なんです。みんないない、そういう時ですからね、宿直が少しおるだけなんですね。今の話のついでに、簡単に言いますと、総務省が0時30分、文部省が連絡室を設置したのが0時30分、厚生労働省は少し早いが、21時、農林水産省が21時15分、国交省が前の日の19時7分、気象庁が19時10分、紀伊半島沖の地震についての臨時の記者会見をしたのが、20時30分と22時。こういうことの調査をみんな正直に出してもらったわけです。

  これですぐ分かることは、各省まちまちですね。それはそれで、仕方がない。何かオリンピックの行進みたいにちゃんと練習して、みんなピーッとやるわけにはいかんでしょうから。それから、さっき申し上げたように、夜だし、休みだしということはわかるんですけどね、もう少し横の連絡がきちっと出来なきゃダメじゃないかということは言えると思うので、厳重に政府に申し入れを行いました。そして、それぞれの県ですね、和歌山県も含めて、市町村、これはその携帯電話がね、もうほとんどダメでしたね。

宮:つながりにくかったですね。

二:これに対してね、我々はお互いに反省しなきゃいけない。これはNTTだけにやかましく言ってるわけじゃなくてね、それは災害のときは聞えないもんだと前提にたって考えないといけない。我々はそこをちょっと勉強しておかないといけないんだけども。携帯電話から普通の電話へのつながりも難しいんですね。普通の電話とそれぞれのご家庭の電話とは、これは比較的つながったようですけれども、それでもね、その電話がダメでしょ。それからこの、災害のときの防災無線なんてありますが、これは日和でお天気のいい日に普通の日の防災無線なんであって。いよいよ夜中にね、びっくりするほどの雨がね、バケツをあけるような雨がだんだん降ってる時にね、果たして防災無線っていうのがどの程度の効果があるかっていうのも、これも実験、研究をしておく必要がありますね。

宮:これは聞く人にとって、そういう時っていうのは聞けないってことですか。

二:えぇ、気持が混乱してるでしょ、だから。逃げなきゃならないでしょ、雨の中でしょ。傘差して逃げるなんて、易しいことじゃないでしょ。その時にね、どこへどう逃げていいかっていうのをね。これは防災無線も大事ですけれども、何かの信号、暗号をね、何か、鐘が鳴るとかね、半鐘が鳴るとかね。みんながこう、お互いに口伝えが出来るか、とかそういう初歩的なことも含めてね。何せ、お互いの予想できない状況の中でのね、地震や津浪が意地悪なのか知りませんが、必ず、役所が稼動していない時に来るんですよ。

宮:そういう時が多いんですね。

二:必ず来る。例えばね、阪神・淡路大震災の時だって、朝早くでしょ。あの時、どこの役所も空いてないでしょ。あの時に、ご飯を炊いてなかったので、火事を免れたっていうことの利点はあった。それから、新幹線とかにみんな乗って、通勤まだしてなかった。だからそういう良かった点もあるんですが、いずれにしても、役所が機能しないときにバッと襲われたんですね。それから三陸・はるか沖地震っていうのが、阪神・淡路大震災の1ヶ月前に青森を襲ったんですが、この時も、御用納め終わったあとですよ。ですから誰も居ないんですよ、役所に。

宮:年末でね。

二:私も現地へ飛びましたが、年末のさよならっていう時、うち帰った人、郷里へ帰った後なんですよ。破れたガラス修理する人もいなく…。

宮:じゃあ役所の人もすぐに出て来れない…。

二:だから東京の各省の人たちでも、動きがあるまでやっぱり1日かかったですけど。どっか郷里へ帰っちゃっていない。東京も御用納めで帰ったあと。それから奥尻島ってあったでしょ、北海道の。あれはね、私はちょうどね、衆議院の選挙の最中だったから、思い出すんですけど、夜中ですからね、これも。私は選挙先の串本町で、旅館で寝るときにテレビをちょんと押したら、ニュースがどーんとやってますね。夜中の1時頃でしたけどね。これはまぁ、大変なことが起きたなっていうことであった。もう次々ね、みんなそういう時に災害は起きてます。

宮:じゃあそういうものだと、もう頭の中に入れておかなければいけないですね。

二:むしろ、おっしゃるようにそういうことだと前提にたって対応が必要ですね。昼間明るいときに、お天気で穏やかなときに来ないよ、と…。

宮:だから最悪の、と言ったら語弊があるかもしれませんが、一番やりにくい状態で、対処しにくい状態で来たら、どうするかを考えないといけないんですね。

二:試験問題でいうと、一番難しいやつが来るわけですよ。

宮:お勉強しておかないといけないっていう…。

二:だからその時、どのようなことにも対応できるような日頃の訓練。ですから阪神・淡路地震の後の東北大学の当時の西澤潤一っていう学長さんが、卒業生に訓辞を言われてるんですがね、「君たちはこれから社会に出てね、とっさの判断をしなきゃいかん立場に立つことになるだろうと、重要なポジションに立つことがある。しかしその時はね、日頃からそうしたことに対して、常に訓練、頭をそういう方向に使っておかないと、とっさの判断なんかできませんよ、と。世の中に出て、役に立つ人間になるために、そういう判断が出来ることを願ってる。」と、こういう大変すばらしい、当時としては、阪神・淡路地震の後ね。だから私は西澤学長さんにお会いしたときも申し上げましたが、国会の議事録に残しておこうと思ってね、私は質問でこのお話を取り上げて、災害特別委員会の議事録に残してあるんですよ。この、本当にとっさの判断が出来るかどうかっていうのは日頃からの訓練と責任感ですよね。

宮:そうですね。それをどうするかっていうのを考えておきましょうよっていうのを二階さんは今回また、国と県と色んなとこへ呼びかけた、と…。

二:私はね、災害に変に当たるんだけど。阪神・淡路地震の時には野党でしたけども、明日の内閣の国土交通担当っていうことですから、まぁ陰の国土交通大臣ですね。そうすると地震の担当なんですよ。ですから私はその日のうちに、いったん東京へ出て参りましてね、そういう会議に出て、そして現場へ入るわけですけど。岡山まで普通の飛行機に乗って行ってね、そこへヘリコプターを用意しておいて、それで着替えの服ね、岡山市の消防団の服をお借りしてね、そして5、6人チームの議員が集結して、そしてその日のうちに神戸に入って、実態を把握して、またその夜のうちに、最終便で東京へ帰って国土庁を訪問。そりゃ、野党ですからね、当時は。そういう輸送手段がないわけですよ。ですから政府の飛行機を使って行くとか、政府のヘリコプターを使うとかって出来ませんからね。それで私は先ず岡山へ飛んで、岡山からバックしたんですよ。これはだけど、アイデアとしては良かったです、一番早くて。ですから私は、あの地域で直接、地震に遭って大変な目に遭った人もいっぱい居るんですけどね、他の地域から、現場へ乗り込んだ国会議員は、私たちが一番でしたよ。

宮:交通網がなんせ、マヒしましたからね。

二:まったくね。私は知らずに、神戸市の助役の部屋にみんな集合するようにっていうことを所属国会議員にみんなに連絡したんです。それから後に神戸市の助役に連絡ついた。来て頂いても、とてもじゃあないですけど、座るところもないって言われてね、結局のちに行ったんですが。本当に市長も助役もよく生きてたなっていう感じでね。大理石の色んなものも散らばってますしね。これでみんなよく生きてたなっていう感じでした。それから新進党の現地対策本部を立ち上げましてね。そこで約80日間、私は現地の責任者としてね、毎日私がおったわけではありませんがね、東京から神戸、あるいは東京から和歌山を経て神戸と、そんなにして80日間、仲間の皆さんと一緒に頑張りました。もうその時一緒にやった仲間はね、今、党派色々別れておってもね、戦友という感じしますね。本当の仲間っていうかね。

宮:そうでしょうね。そういう経験を持ってる議員さんがやっぱり音頭をとってるっていうんでしょうか。リーダーとなって、いざっていう時の判断に携わっているんですね。

二:あの経験は、もとは自分が中学生の頃に水害に遭ってますし。それから今、東南海・南海地震の元の南海地震というのは、まだ小学生でしたよ。だけどこれも経験してます。自分が災害に経験してるかどうかということもなかなか大事なんです。私はこのあいだ、自分の政策グループ「新しい波」に関係者みんな集めたんですよ。そしてちょっと失礼だけど、「本当に地震や津波や災害の実体験を経てる人、実際そういうことに出くわした人、ちょっと手を挙げて下さい」って言ったら、3、40人おった中で2人しかいなかったね。

宮:そうですか。

二:まぁ、そりゃラッキーで出くわさない方がいいんだけれども。だけどもそういうことの責任者をやろうと思えば、あの経験がないとわかんないですね。我々、神戸も淡路島へも炊き出しにも行きましたよ。

宮:そこに写真があったのを私もみましたよ、炊き出しの。

二:炊き出しに行ったときにね、感じたんです。もう災害から1ヶ月ほど経ってからの時にも、こんなあたたかいもの食べさしてもらったのは初めてだ、と。豚汁作ったんですよ。そうするとね、恥ずかしいけど、おばあちゃんの人がね、この喉のところからね、おなかに熱いものがズーと通るのがわかる、と。今までは頂戴したんだけれども、この駅弁みたいなね、お弁当を朝、昼、晩ずーっとだった、と。だからそれはそれでありがたいんだけれども、今日は本当に嬉しかった、と。病人もいるから、病人の分ももらっていっていいか、と言うからね、どんどん持っていって下さい、と。そのとき私の方のグループの人たちが一緒に行って、ああいうことに奉仕、ボランティア活動ね、さしてもらって本当によかった、と。みんな一緒に参加してくれた人も喜んでくれてますが、それを受けた人たちね。それからその、寝袋か毛布をかぶってね、公園に寝込んじゃってる人もね、誰かこの豚汁を届けに行ったのね。そしたらその人が、どこかで拾い集めてきた缶詰をね、持ってね、ありがとうなんて言ってね、来られたんです。みんな同じですよね、ああいう時の気持は。そりゃね、おむすびもらってね、我々はその中学生の時の水害の時におむすびもらったですよ。おむすびもらった経験ね、そういう災害の経験がないと、人を助けるときに、何が今大事だっていうことを考えることですね。北海道へ行ったとき言われたんですよ。避難して、みんな避難勧告で避難した。寒い北海道ですよ、体育館で毛布1枚じゃねぇ。

宮:体育館ってただでさえ、ひんやりしますからね。

二:ここじゃ眠れませんよって私は言われましてね、そうだなって。よし、それじゃ畳をね、倍お金を出すから、今晩中に北海道全地域から集めるよう指示しました。やっぱり夜中じゅうに集まりましたよ。その次行ったら、避難している人たちが誉めてくれた。

宮:畳をありがとう、と…。

二:直ちにやってくれたと言ってね。我が身というか自分が災害でね、助けてもらって、あるいは逃げたところでね、シャツなんかをもらってね。そうすると、我々中学生の時の災害のときは高校生の人のシャツをもらったら、すねっこのところまでシャツが来るんですよ。それが今でもありがたいと印象深いですね。

宮:でも、うれしいですね。

二:感謝の気持は今でも持ってますよ。

宮:貴重な過去のお話も伺っております。今週のゲストカフェは衆議院議員の二階俊博さんと共にお届けしています。

――――――CM――――――

宮:さぁ、今日のゲストカフェは衆議院議員の二階俊博さんにブルースタジオに駆けつけていただきました。さっそくですね、今、地震の話を30分少々していたところなんですが、女性のリスナーの方からお電話がありまして、「地震における避難場所というお話なさってましたが、各町内単位での避難場所を自治会などを通して、もう1度徹底するようにして欲しい」という電話がありました。確かに県全部っていうとなかなか説明しても「うちはじゃあどうなんだ」という、ね…。

二:そうなんですよ。和歌山市のどこそこへ避難しなさいと言っても、和歌山放送で言ってもらってもね、そんな海南の人だって来れませんしね。今おっしゃるように、今のご指摘は大変大事なご意見ですよ。

宮:自治会などを通して…。

二:このあいだ私は、御坊市の柏木市長と、この対策について話し合ったんですが、市長も言っておりましたが、何々地域、町内会ですね、その町内会に市役所の職員が住んでおる場合は、その人が責任者と…。

宮:住んでる場合など信頼感があっていいですね。

二:例えば、市会議員さんがおられたら、その人が責任者、というふうに責任者をあらかじめ決めておいて、その人の判断でその人と本部と連絡とって、避難してくれ、とかしようとかいうことを直ちにできるよう、町内会単位で日頃からやっておかないとどうにもならないという意見もあります。私もまったく賛成です。ですから私は町内会のゲートボールだ、ソフトボール大会だっていうのがあるときにね、みんなに申し上げるんですよ。そういう、なんでもいいから町内会の催しには進んでみんなが出ること、参加すること。

宮:得意でも、不得意でも…。

二:それは自分の命を守るためには大事なことです。そうすると、いろんな大会や盆踊りなんかに来ていると、あそこのおばあちゃんが避難所に来ていないとか、あそこのお兄ちゃんがまだここへ来ていない、おじいさんも来てないっていうことがわかるわけです。日頃隣は何をする人ぞ、ということで付き合いをしてないと誰が誰だかわからない。そこへ市役所の名簿だとか、選挙管理員会の名簿だとか持ってね、誰が来てくれますか。日和の日で、普通の日なら出来るかもしれないが、混乱の状態の中では、顔で見て、見つかるかどうかでしょ。そういう時にね、少なくとも町内会単位っていうのを大変大事なことで。これは改めてね、私は非常事態に備えて国防、国家の防衛を考える場合にも、上は知事から始まって、市町村長みんな関係の町行政のご協力を得なきゃならんことは当然なんですが、併せて町内会までご協力、お力を頂くような体制を取らなくては十分な対応が出来ない。従って強引にこの強行採決で何かをやるとかいうようなやり方ではなくて、常にみんなの賛同、協力、よしやろうと、こういうことでなきゃダメで、今、リスナーの方でご指摘があったということですが、大事なことですから、このことを徹底したいと思います。

宮:はい。ということで二階さんのお話、お届けしていますが、今日実は、お好きな曲をも何曲か選んで来て頂いてるんですよね。そろそろ曲のほうも1曲お届けしようかなと思いますが『若者たち』、ブロード・サイド・フォーの『若者たち』。

二:この曲、曲もいいし、歌詞もなかなか良いですよね。だけどこれは、私がさっきからもご紹介にもあったように、初めて県会議員の選挙に出るために郷里に帰った時に、毎日毎日、一生懸命、頑張ってる最中に、そんな頃もよく歌われた歌ですけどね。私の家内がね、その歌を聞いて、「君の行く道は果てしなく遠い」と、「だのに歯を食いしばって君は行くのか」と、「そんなにしてまで」という、僕に対するそういう思いがあった、と。それを一生懸命に応援して頂いている人にそんなこと言うわけにはいかないから、自分がその歌を聞くたびに一人で涙したと、こういうわけです。それで、私もそれ以来ね、この歌をあらためて聴くとね、本当に私の行く道は果てしなく遠いのかなというふうに思いましたけどね。まぁ、それだけにね、大いに頑張ろうと、自分に対する応援歌でもあると思って…。

宮:奥さんの思いも詰まった…。

二:えぇ、まぁそんなこと家内に言われて、周りの人たちは、みんな色んなこと考えてくれているんだなと…。

宮:ご家族の思いも感じとったわけなんですね。はい、じゃあそんなことを思い出しながら一緒にお聞きしましょうか。ブロード・サイド・フォーの『若者たち』。

 

『若者たち』(S.41

作詞 藤田敏雄

                              作曲 佐藤 勝

 

@ 君の行く道は 果てしなく遠い     B 君の行く道は 希望へと続く

だのになぜ 歯をくいしばり        空にまた 日が昇るとき

君は行くのか そんなにしてまで      若者はまた 歩き始める

A 君のあの人は 今はもういない

だのになぜ 何をさがして         空にまた 日が昇るとき

君は行くのか あてもないのに       若者はまた 歩き始める

 

宮:ということで、初めて立候補するにあたって、奥様が聞いて、そんなつらい道なのに何で、と思いながら泣いてはったという『若者たち』をお届け致しました。さて、前半は地震の話をずーっと伺ってきましたけども、この9月といいますと、関西国際空港が開港から10年、迎えましたよね。今、2期工事も行われているということなんですが、この10年振り返りまして、建設にも尽力されてきました二階さん、どういうふうにお考えですか。

二:えぇ、最初の頃は、関西国際空港さえ出来れば、この関西は見事によみがえって、大きな成長、発展を遂げるだろうと、希望がね大変膨らんでましてね。私は当時、県会議員でしたがね、関西国際空港特別委員会っていうのが出来ましてね、それの委員長をさして頂きました。そしていよいよ、衆議院選挙に出ようと思ってたんですが、みんなはね、このぐらいのことを解決してから卒業しなさい、と。

宮:解決しないと卒業はお預けです、と…。

二:その頃はね、和歌山県でも反対の人はたくさん居りましてね。大変な状況だった。しかし、それでもようやく皆さんのご理解を得て、着工して、そして先般の10周年を迎えたんですが。ちょうど着工から20年ですね。そしてその以前にやっぱり、助走期間と言いますか、調査研究検討期間があり、18年間あるんですよ。ですから仕込みをするまで大変な時間がかかった。そしてようやく開業できて、10年ですが、今日誰もがご心配頂いているように、そうなかなかやさしい道のりではないんですね。ですから、ここで如何にするかっていうことですがね。しかし私は、考えようによれば、関西っていうのはご承知のとおり、関西地域は人口が2100万人おるわけですよ。ですからまぁ、国の大きさでいうと世界で今、経済力も10番目以内に入るんですよ、関西が国ならば。

宮:そうなんですか、国ならば…。

二:経済力も近頃は落ちているとはいえ、やっぱり9番目くらいにランクされているんですよ。いくら落ちても10番の中に入っています。そういうことになりますとね、空港の3つや4つあっても当たり前なんですね。カナダと同じくらいの経済力を持っているんです。この関西空港で、滑走路をもう1本造るのを少し先に延ばしたらいいじゃないか、というようなことを財務省も言っております。私は2007年に2本目の滑走路を開港することは、関西の至上命令だと思ってます。それが出来たからとて、関西の全ての希望、全ての問題点を全部解決出来るというわけではありませんよ。ありませんが、もしその2007年の開港をずーっと先に延ばされた場合、関西の気持の落胆といいますか、落ち込みは、この経済的な数字に直せばね、大変な損失を被ることになる。そう思うとね、躍進の方向へ行くか、バックするかっていうとね、うさぎはバックしないじゃないですか。だから私は後退しないと。ただ私もね、無責任な、ただバックしないなんて言ってるだけじゃなくて、私も営業に歩いてきましたよ。誰からも頼まれませんがね。

宮:営業っていうのはどんなところに…。

二:つまり、まずこの9月の16日に、中国の海南航空が初便乗り入れをして来ます。この海南島の海口という空港から関西空港向けてね。それで関西空港から東京へは、日本航空のコードシェアで行きますから非常に便利がいいものになるんですよ。成田へ行くんじゃなくて、羽田へ行くんです。それが週2便。それから中東のカタールという国ね。ここで今度3日前に返事来たんですけどね。これはカタールから関西空港へ週4便。来年の4月になると思うんです。これは週4便ですからね、ほとんどデイリーですよね。ですから、そういうことも出来ました。それから、先般もミャンマーへ行って参りましたけど、ミャンマーは前々から交渉をずっと続けてもらってますが、ミャンマー国際航空がね、関西空港への乗り入れを考えております。私が知っているだけでもすでに3カ国あるんですが、ウズベキスタン航空、以前にはロイヤルネパールの乗り入れにもタッチしました。まだまだ他にもあります。そこで私は、例えば、大阪の太田知事とか和歌山の木村知事とか、関経連の秋山会長とか、こういう人をみんなトップリーダーにしてね、班を編成して、いろんな国へ営業、活動に行ってもらいたいということを私は提唱しているんです。ですから私は、秋山関経連会長とご一緒にね、ウズベキスタンへ行ってきましたよ。これもね、効果ありました。このあいだね、初便行事で秋山関経連会長、村山関空社長等と共にベトナムへ行ってきましたよ。口で言うだけじゃなくてね、自ら旅費を出して、体を張ってそういうところへ出かけていく。しかもね、関経連なんかも行ってくださるとね、メンバー表にみんな会社の名前から出てる。そうすると資本金いくら、1年間の売上金いくらなんて事も向こうだって分かるわけでしょ。それ見てるとね、これだけでうちの国よりずっと大きいなと。今日来てる人たちの顔ぶれ見るだけで、自分の国の経済力よりもうんと大きいなっていうことが分かるでしょ。ですから向こうの大統領だって、誰だって、目の色変わってますよ、輝いとる。そういうトップセールスをね、関西が意地に懸けてやらなきゃダメですよ。

宮:自らトップが行くという…。

二:そう、そんな、単なるパンフレットを送りつけてる程度、カレンダーを送るぐらいのことじゃなくてね。やっぱりトップが行って、そしてどういう便宜を図るか。関西へ来てもらったら、あなたの国の為に何がプラスになるか、ということを言わなきゃ。関西空港が元気がなくて、飛行機が来なくて困ってるんですけども、助けて下さいなんて言ったって、誰も相手にしない。もっと大きいことはね、この関西、関西空港はね、アジアのゲートウェイなんですね。これをやっぱり活用しなきゃ。まぁ、たまたまカタールの飛行機ですが、カタールの国王なんかは本当は、成田へ行きたいと言って6年やってるけれども、日本から確たる返事をもらえないって言って、大変憤慨しておりました、私が行った時に。それでね、成田へ行こうと思えば、22世紀になるかもしれない。「関西空港なら、明日にでもウェルカムです」と私も大きな事を言ってやったんだよ。もっともカタールの現場からも日本の航空局長と私は1日、2度、その時電話でやり取りしてね。外国出張中のカタール航空の社長をね、王様は呼び戻しました。

宮:海外から呼び返して…。

二:呼び返して、交渉を詰めてね、ようやく出来ました。

宮:じゃあカタールは固まりつつある、と…。

二:カタールはもう来年4月に間違いなく、週4便。こんなのがどんどんどんどん重なってきているんです。まぁみんな、このあいだ太田知事もアラブ首長国連邦に行ってきてくれたんですけど、これはこれで大きな効果ありましたよ。このあいだは木村知事が中国の山東省へおいでになりましたね。

宮:友好提携しているところですね。

二:ああしたことが大事なんです。だからこの際はやっぱりトップが動く。関西のトップって有力な方、沢山おられるのですから。そしてね、我々東京におって、関西がダメだ、関西空港ダメだって言われてることは、本当に悔しいですよ。

宮:そうですよね。ここまでですね、地震の話と関西空港の話を伺ってきたんですけど、そろそろ時間が迫ってきてはいるんですが、二階さん、ニュース、天気、交通情報のあと、もうしばらくお話いいですか。

二:しばらくの間なら結構ですよ。

宮:今、えぇっていうような顔をしてらしたんですけど、大丈夫ですか。はい、じゃあまた、このあとコマーシャル、ニュースなどを挟みましてもう少し、今日ご紹介しきれなかった分もまだありますので、伺って、二階さんとお別れというような段取りに今、決定いたしましたので、また、コマーシャルのあともお楽しみに。

――――――CM――――――

宮:時刻は今、3時4分になったところです。この時間は先程のゲストカフェに引き続きまして、衆議院議員の二階俊博さんと共にもうしばらくお届け致します。さて、先程は地震の法律のお話なども出てきたんですけども。二階さんといいますと、バリアフリー法というのが出来る時にも、中心になってつくられたんですけれども、このバリアフリーというものに関しても考えることが色々あるということですね。

二:ちょうど私の運輸大臣のときにこの法律を提出しまして、関係者の皆さんにご協力願ったんですが、その時に予想した以上にね、バリアフリーはどんどん進んでおります。先般も和歌山駅、バリアフリーでちゃんとね、エレベーター使って車椅子の方も比較的楽に乗り降りができるっていうふうになって、あぁよかったなという感じで見ておりましたが。

宮:県のそういう中心の駅がなると、ほかの駅も…。

二:ほかの駅もみんなそういうふうに右へ倣えでなってきます。そういう対応が出来るようにどんどんやっていきたいと思いますし、このあいだ岩村さんという今度の国土交通省の事務次官の就任の記者会見でも、やはりバリアフリーをしっかりやらなきゃいかんということを言っておりましたが、大変心強く思いました。このあいだ、私がこの法案を出す時に、八代英太さんが、当時郵政大臣でしたけど、先生はああいうご不幸なことで、足を怪我されましてね。そのうち車椅子の生活を余儀なくされてしまいましたが、明るく元気に、そういう障害を持つ方々のリーダーとしてご活躍いただいているわけなんですけど。私はこのバリアフリー法が出来た時に、今頃何だって怒られやしないかと思ったけども、思い切ってこれについてのご意見ありましょうかということを、私は羽生さんという担当局長に、郵政省へ行って郵政大臣に聞いて来てもらいたいとお願いしました。大臣は非常に喜ばれましてね。今まで歴代の運輸大臣はね、みんなこの話は聞いてくれた、私も陳情にも行った、と。自分が怪我して以来、今日までね、何人っていう大臣に頼んだ、みんな話は聞いてくれた、誰も実行してくれなかった。今回、あなたがこうしてね、法案を提出してくれる、しかも自分の意見はどうだって聞いてくれた。喜ばれました。いやいや私はもう、悪いと思ったんだ、こんな、もっと早くやるべきじゃないかってね。だけど、しっかり法案通しましてね。私は委員会で意見、質問も数多く頂きました。今の千葉の堂本知事も参議院議員だったですけどね。本会議でも質問ありました。共産党からもね、いっぱい聞きました。その中でもね、私がとっさに思いついたことは、心のバリアフリーが大事なんだと。制度、設計、色んなことをやってね、予算つけるということ、これはもう大事なんだけれども、やっぱりみんなお互いの心のバリアフリー、みんなで助け合う。白い杖ついた方が駅へ来られた時にね、その白い杖だけでは十分じゃないわけですよ。もし、ホームへ落っこったらどうするかっていうことを思えば。それが自分のお父さんやお母さんだったら、どうかっていう気持になればみんなお手伝いする。そして今度、帰ってきておうちでそんな話をすると、あぁお兄ちゃん、あんたは良い事したんだねってみんなが誉めてくれる。みんなが心のバリアフリーを伝達できたらね。道路の段差をどうするか、とか具体的に色々あるわけですけどね、そんなもの解決するのは、わけない訳なんですよ。まぁようやく今軌道に乗ってまいりました。だから今度は、先日、八代さんからお話ありまして、我々共通の友人、まぁ八代さんから紹介されたんですが、アメリカの政府高官でマイケル・ウィンターさんという方がおられるんですが、国際的にこのバリアフリーを進めることをずぅーっとやっておられるんですよ。もう八代さんも国際的に極めて著名な存在になっておられますがね。私は、ご自身がそれぞれご不自由を抱えながらね、こういう問題で国際的に飛び回ってみんなで協力し合っているということは素晴らしいことだと思うんですが。時々マイケル・ウィンターさんが日本へ来られたら、必ず僕にも連絡くれるんですがね。このあいだの連絡はね、アメリカは法律が出来てちょうど10年になる、来年。で、日本は遅れてスタートしましたから来年が5年なんです。10年と5年がね、力を併せて両国でこのバリアフリー推進のためのシンポジウムを開いたり、色んな行事をやろうじゃないか、と。それを日米協力でやろうという提案があったんですよ。私は、それは大いに結構だ、と。これからみなさんの協力を得て、国際的な舞台でこのバリアフリー運動を更に推進して行けるようにね、やっていきたいと思っています。

宮:法律が出来て進んできてはいるけれど、更に心のバリアフリーも含めて…。

二:もう一段、もう一押ししなきゃダメですね。それから先程の地震災害のときにどうするかっていうことですよ。こういう方々の地震災害のときに、どう避難して頂けるようにするかということ、これは大変大事なことですね。

宮:例えば、津波が来た時に高台に上がる、と一言で言っても…。

二:車椅子の人をどうするかってことですね。ですから私は避難路なんかね、どんどん造れっていうことを今盛んに言っているんです。例えば、今、身体のご不自由な方も当然、大変大事なことでありますが、例えば船ですね。漁船、自分の漁船を避難させるために雨降ってるけど行って、引き揚げてきますね。引き上げてきたあと振り向いたら、津波が来たっていったら、さらわれていっちゃうじゃない。その時にその人が、逃げる道がやっぱりなかったらダメですね。だから山あいの中に小さい道を、人が逃げられるような道を今から造っておかなきゃね。水害、地震、津波が来たからって言ってね、やれ公共事業だなんて言ったって始まりません。ですから公共事業なんか不必要だなんていうようなことを言う人がおりますけどね。それはやっぱり、もっと天を、神を恐れて、自然に対してね、恐れをやっぱり持って、我々はどう対応していくかということを考えなきゃいけないし、自分のことだけ考えておったんじゃダメですよ。例えば、漁師の方々がどうするか、体の不自由な方をどうするか、あるいは女性や子どもたちをどうするか、お年寄りをどうするかっていうことをやっぱり考えるとね、これは大変大事な、深刻な問題ですよ。

宮:じゃあ、防災という意味も含めた、公共事業というのを…。

二:大事なことですね。これはもう、議論の余地なしです。

宮:ということで、この時間はですね、バリアフリーということについて二階さんと共にお届けしています。

――――――休憩――――――

宮:続いての話題なんですが、和歌山大学に観光学部が創設されようという話が出てきているんですが。観光学部、私すぐに思いついたのが、世界遺産の登録にもなったしな、というのを思ったんですが、この観光学部っていう話は前々から出てはいたんですかね。

二:和歌山大学ではありませんが、その必要性が言われて、もう10年以上前になりますけどね。

宮:そんなになりますか。

二:いや、私は、この観光問題をずっと取り上げていく中でね、やはり観光専門の大学がなくてはならんのではないか。みんな以前は観光なんて遊びみたいに思ってますから、大学だとか、学部だとかってそんなこと、必要あるのっていう感じですね。だけど、本当はあるんですよ。観光ってやっぱり、歴史とか文化とか、スポーツもそうでしょうが、そうしたことの集大成の中に観光の新しい分野が開けてくる。ですから観光図書館なんていうのもね、私は大事だっていうことを前々から…。

宮:観光図書館?

二:はい、観光に関する図書は、あそこの学校へ行けば、みんな揃ってるとかね。それから今、映像、いわゆるビデオのライブラリーが必要なんですよね。これはもう、観光地を瞬時にみんなに分からせる。モルディブの島はどんなになってるなんて言ったってね、口で説明するのは容易な事じゃないけど、ビデオで見せれば簡単でしょ。北海道の流氷はどうだなんて、スイッチを押せば流氷の音まで聞えてくる、そんな時代ですよ。そういうことをどんどんやることが大事だっていうことを主張しておりました。たまたま和歌山大学が、この観光学部を創りたい、という希望をもって小田学長先頭にもう、大学挙げて頑張っておられる。私は、地元の者として、大いにそのことを誇りに思うと同時に、嬉しく思っておるんです。今、ご承知のように国立大学は独立行政法人、何々大学という風になっていきますが、民間のそういう考えも取り入れてやっていこう、という時代ですから。そこで、平成17年度の予算では、沖縄の琉球大学と山口県の山口大学、これに観光学科を創ろうということで、申請が出てくることになってます。

宮:全国的にも観光学科に関心が高いんですね。

二:ですから、和歌山はまだ準備が間に合わないかもしれませんが…。1年遅れで良いですから、私は和歌山大学には、かねて希望しておられる観光学部を創設する。大賛成です。思い切って学科を越えて、学部にもっていくということ、大事だと思うんです。それから先程、お話にありましたように、世界遺産にちょうどなった時ですから、高野山の空海の勉強にしても、あらためて、論文、何人も書いて頂いて、博士何人も出すこと出来ますよ。それをやらなきゃいけない。それから、蟻の熊野詣に象徴される熊野ね。これだってやっぱり、勉強するのにはもう、本当に歴史やそういう文学のことに興味を持ってる人たちには勉強する分野が広がっておるんですよ。これをおっしゃるように世界遺産に指定された時を契機に頑張っていく。私は今、日本旅行業協会とか、私が関係している全国旅行業協会とか、そういうメンバーにね、言ってることは、今から図書を集めることが大事ですから、みんなが自分で持ってる観光に関する図書をどんどん寄付してもらってね、今から和歌山大学へ集めたらどうだろうか。我々は出来ることは、どんな小さいことでもみんな一緒になって協力する。幸いこれは、和歌山県の木村知事も大変、熱を入れて頂きます。我々国会議員もみんな、そういうことに対して、関心を持っておりますが、和歌山に、紀の国に素晴らしい観光学部というものを国立大学に設置することも出来る。これは和歌山の観光に必要なことは、やっぱり人材ですよ。和歌山の観光をよくする、何をよくするって言ったってやっぱり、このリードオフマン、いい人材を作ることですよ。そのためには、単なる旅行案内だけじゃなくてやっぱり、そういう学問というか、観光を経験した人を育てていくことは、和歌山の今後100年のためにはね、絶対大事なことだということです。

宮:名物のツアーリストが出来て、カリスマガイドとか、そんな中から生まれたら、またそれで人が…。

二:それから、もうすでに海外からもね、そんな和歌山大学なら大いに提携したいという呼びかけもあるんですよ。ですから、広がっていきますよね。

宮:そうですね、新しい学部が出来ることによって、和歌山が外に開かれるっていう。

二:そういうことですよ。そりゃ、日本国中びっくりしちゃいますよ。この和歌山に観光学部が出来たなんて言うと。

宮:何だこれは、ということで…。

二:えぇ、関西空港のためにもいいですよ。

宮:そうですね。すぐにそういう観光の窓口っていうんでしょうか、皆さんの玄関口がそばにある場所でもありますし。和歌山大学観光学部、大賛成という…。

二:えぇ、大いに応援してあげて下さい。

宮:はい。ということで二階さんとずっと、3時5分位からお話伺ってきたんですけれども、そろそろお別れ、そして最後の曲ということになりそうです。また、週末お帰りになった際には、和歌山放送のスタジオにも遊びに、というんでしょうか、お話しに来て頂けたらと思っております。

二:どうもありがとうございます。

宮:さぁ、さておしまいにお届けする曲が、おおたか静流さんの『花』なんですね。『すべての人の心に花を』。これ、どんな思いで選ばれた曲なのか…。

二:えぇ、私はね、柄にもないんですけど、随分前ですが、「花を愛する県民の集い」の会長を仰せつかってもう20数年。誰かね、これ自分がやりたいからって言ってくれれば、すぐお譲りしようと思うんだけどね。

宮:いいじゃないですか。

二:若い頃、県会議員の仲間と一緒にヨーロッパへ行きました。そしてこの大きな花市場を見学したり、あるいはこのヨーロッパに人たちの生活の中に花が溶け込んでいるでしょ。あの姿を見ましてね、我々も日本へ帰ったら、この、花いっぱい運動、これをやろうじゃないか、と。みんなでお金出し合ってね、県会議員で花を愛する県民の集いというものをスタートしました。

宮:20何年前というと、まだガーデニングもそんなに一般的じゃない…。

二:まだまだね、そんなに人気が高いというわけではありませんでした。街に緑を!心に花を!とこういうことであれば、予算も何もいらないじゃないか、と。

宮:それぞれの出来る範囲で…。

二:自分の心に花を植える。それからね、ヨーロッパなんかの素晴らしいところは、通りがかりの人たちに、お向かいさんの人たちに花を見てもらうという、この精神なんですよ。日本人はほら、花の首ちぎられるかもわからんからと言って、すぐ囲い込むことを考えるでしょ。

宮:そうですね。

二:それで向こうは外へ花を出す。何か申し合わせたみたいに、みんな日本の場合には、どっか親しい人を訪ねる場合に、ケーキやお饅頭買って行ったりする習慣があるでしょ。それがね、あちらの人は必ず、この花の鉢植えを持っていくわけです。ですから花がどんどんどんどん増えていくわけですね。ですから、もう花が生活の中に自然の形で根付いている。私はその素晴らしいことを、我々も受け継いでいったらいいだろう。それから黒潮国体が終わった時でしたが、黒潮国体の時に花を植えたようですよ。だけど、維持、管理が出来なくて、花のところに空き缶があったら県庁へ電話かけてきてね、取りに来いと、こう言ってくる。そんな気持じゃね、花いっぱいの和歌山県はできません。みんながやってくれなきゃ。ですからこの頃、国道の田辺なんかの所、随分きれいになってきましたからね。

宮:そうですね、地域のNPOの方が…。

二:どんどんどんどん、みんなやって頂いてる。ですから私もね、そんな大した事出来ないんですけど、いまだに「花を愛する県民の集い」の名前だけの会長だけどやっています。花を愛する県民の集いの日には、どんなことがあっても東京から帰ってきて、その現場キャンペーンにも立ちますし、色んな話し合いにも参加さしてもらっています。その、心に花をというのと、今度のかけて頂く曲は、「すべての人の心に花を」と言ってくれておりますから、何かぴったりの気持がしますしね。近ごろ、仲間たちに勧められてNPO法人「花を愛するネットワーク21」が認可されました。これからは少し舞台を広げて心に花を植える、ささやかな活動をライフワークにしたいと考えています。

宮:私も心に花を植えたいと思います。では、おおたか静流さんの『花―すべての人の心に花を』を聞きながら二階さんとはお別れとなります。今日はどうもお忙しい中、ありがとうございました。

二:ありがとうございました。どうぞよろしく。

 

 

『花』 

作詞・作曲 嘉納 昌吉

 

@       川は流れて どこどこ行くの 人も流れて どこどこ行くの

そんな流れが つくころには 

花として 花として 咲かせてあげたい 

泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

A       涙流れて どこどこ行くの 愛も流れて どこどこ行くの 

そんな流れを 此の胸に

花として 花として 迎えてあげたい 

泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

B       花は花として 笑いもできる 人は人として 涙も流す 

それが自然の 唄なのさ

  心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい いついつまでも いついつまでも 花を咲かそうよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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